このあと王宮にスラム流トラップを仕掛けまくった実家に呼ばれたと言って帰省したレオナさんが戻らないまま一週間が過ぎた頃、学園長室に呼び出された。曰く、レオナさんの行方を知らないかと。
「いや戻ってきてないッスよね?」
その一言であっさりと解放されて、とりあえず不審だったので探りを入れてみたところどうやら帰省中に失踪してしまったらしい。その場合の出席日数はどうなるのだろう。帰省自体は公務だから公欠扱いだったと思うが、失踪後も公欠は続くのか。たぶん今大人達はそれどころじゃないのだと思うけど欠席か公欠かでたぶん来年の同級生が一人増えるかどうかが決まると思うのでオレとしては大変に心配だった。
仕方がないので翌日オレは何人かの教師に「レオナさんは進級できそうですか」と聞いて周り、行く先々で「他に心配することはないのか」と呆れられてしまった。いやだってレオナさんだし、仮に事件に巻き込まれていたとしてもオレが心配するようなことじゃない。それにこっちに行方を尋ねてきたのなら十中八九事件じゃなくて自発的な出奔なので、それならオレが心配すべきはレオナさんの単位しかない。
そうしてオレがレオナさんの単位を守るためあれこれ動いていると手紙が届いた。差出人は婆ちゃんだ。曰く、「幼馴染のリーニャが死の淵を彷徨っていて、うわごとでお前に会いたがっているから戻ってはこれないか」というものだった。
で、婆ちゃん、リーニャって誰。聞いたことない名前だよ婆ちゃん。筆跡は婆ちゃんなのに文章が婆ちゃんではあり得ないものだったのでオレは首を捻った。知らない奴なのはさておき、スラムで死の淵を彷徨って落っこちて天国へ昇るなんて日常のことなんだからわざわざ手紙でお知らせしてくるものではない。せめて知らせるなら生死が決してからだ。だってスラムから手紙を出してもここに届くまで十日は余裕でかかる。つまり手紙が届く頃には彷徨い終わっているので意味ない。いやまあこれが婆ちゃんが危篤とかならすぐ連絡ほしいけど、それならそれで電話してくるだろう。電話はちょっとその辺でスればすぐ連絡できるし手紙よりはるかに楽だ。
さて、手紙の不審な点はもう一つある。獣人でないとわからないほど微かにだけど、レオナさんの匂いがすること。もうこれが不審な理由の全てを物語っていると言って過言ではないけれど。
「いやなんで婆ちゃんといるの!?」
わけがわからなかった。しかしレオナさんの匂いがするということは手紙の内容とかどうでもいいからとにかく来い早く来い今すぐ来いということだ。なんでこんな周りくどいやりかたをしたのかは考えたくない。近頃夕焼けの草原では第二王子が乱心して臣下を逆さ吊りしたというネットニュースが話題だ。砂にしなかったなら確かに乱心だ、慈悲の精神の寮に転寮してしまうのでは、とサバナクローでも別の意味で話題になっている。オクタヴィネルは室温が深海寄りだし湿度も高いのでレオナさんの昼寝には向かないだろう。つまり大人しく登校する割合が増えるかもしれないという可能性については検証してみたいけどオレたちの王様がよその王になるのは困るというのがサバナクローの総意だ。
「とりあえず行くかあ」
呼ばれたからには行くしかない。そして呼ぶからには必要経費は負担してくれるはずだ。そう結論づけてオレはレオナさんから預かっている予備の財布から紙幣を抜き取り軍資金を手に入れた。寮長が行方不明なので外泊届は担任に渡しておいてほしいと同じクラスの獣人に預け、レオナさんのお金で買ったたくさんの土産を背負って鏡を潜る。
その後はいつも通りの帰省ルートを辿り、ホリデー以来の懐かしの我が家へとてくてく歩いた。途中で会った顔見知りに軽く手を挙げ挨拶して、背中の物資に興味津々な様子の奴には後で配るから楽しみにしておけと予告して。
もう家が見えるぞというところで不意に空気が変わった。とぷんと見えない水の膜を通り抜け、水槽の中に入り込んだような奇妙な違和感。それはほんの一瞬で消え感覚に馴染んだけれど何度か覚えがあるからすぐに理解した。レオナさんの結界だ。結界内に入った途端、よく知る王様の匂いを鼻が捉えて足を早める。
「レオナさん!?」
レオナさんは家の裏の庭にいた。庭といってもただの小さな空き地だ。大きなタライで洗濯をする時や洗った服を干すのに使っているだけで、土が悪いから食べられる草の栽培もできない日当たりだけがいい場所だ。そこにはレオナさんと数匹の子供のハイエナ達がいた。レオナさんは彼らに懐かれながら、空中に浮かぶバスケットボール大の水の塊を眺めている。
「お兄ちゃん、もう入れていい?」
「触るなよ。上から落とすようにやれ」
「うん!」
水の塊は子供の目線くらいの高さに浮いたまま渦巻いており、はしゃいだ様子のちびがタオルを水の塊の上から落とすと飲み込まれたタオルは渦に巻き込まれぐるんぐるんと回り始めた。その様子にきゃっきゃと手を叩いて歓声があがる。レオナさんはそれらを無視してマジカルペンをちょいちょいと怠そうに操作して、水の塊が飽きたように吐き出したタオルが自発的に己を捻り脱水し、ちびの手の中に着地した。
「干しとけ」
「やったー!」
どうやらレオナさんは洗濯をしているらしい。いつもなら井戸から水を汲んできて大きな鉄のタライに入れてゴシゴシとやるのだけれど、レオナさんはそれらを全部魔法でやってしまっている。じゃあオレがいつも洗濯させられているのは一体なんなのかという疑問が頭をもたげたけれどそこは考えたら負けだ。
「ラギー、遅かったな」
また別のちびが新たな服を水の塊に入れたので魔法で洗濯してやりながらレオナさんがこっちを見る。ちび達もようやくオレの存在に気付いてわっと走り寄ってきた。
「ラギー兄ちゃんだ!学校は?もうお休みなの!?」
「んー、まあいろいろあって?お土産あるから楽しみにしてろよ」
近寄ってきたちびたちの頭を一人ずつぐしゃぐしゃと撫で、一頻りの挨拶が終わるとオレはレオナさんに向き直る。
「とりあえず婆ちゃんにも挨拶してくるんで、話はその後でいいッスか?」
「ああ。そうだ、先に頼んでたやつだけ寄越せ」
「はーい」
婆ちゃんからの奇妙な手紙には見知らぬ幼馴染の危篤とあわせて追伸として洗濯洗剤を買ってくるようにという謎の指示が書かれていた。何のことやら謎だったけどレオナさんを見てわかった。たぶん婆ちゃんに働かされて洗濯をしてみたはいいもののスラムの洗剤の質の悪さにびっくりしたのだろう。まったく汚れが落ちないからなあれ。オレも入学して汚れの落ちる洗剤というものに出会って驚いた。しかも長期使用をしても人体に有害じゃないとかすごい発明だ。
レオナさんはオレからいつもの洗剤を受け取ると水の塊を拡大させて洗濯を再開した。その様子を見届けたオレは一旦家の中へ入り婆ちゃんに挨拶をする。でも婆ちゃんもオレがレオナさんに呼ばれて来たことはわかっているから土産だけ受け取ると追加の洗濯物と共に外へと送り出された。今の季節に使わないやつも含まれているから、いい洗剤と便利な人材(王族)がいるうちにまとめてやってしまおうという魂胆だろう。
「レオナさんお待たせしましたー。あとこれ追加」
「その辺置いとけ」
いい洗剤がきたおかげで洗濯のスピードが数倍に跳ね上がっている。水の塊は元気よく次々洗濯物を食べては吐き出して勝手に物干し竿の方へ飛んでいく。ちびたちはそれを洗濯ばさみで止める係になっていた。そちらを軽く見つめてからレオナさんは立ち上がり、ついてこいと視線で命令された。あまり聞かせたくない話なのだろう。
「ちびたちと水だけにしておけないし、あんまり遠くは無理ッスよ」
レオナさんの魔法の水は特別製だ。なんといっても浮いているし渦巻いている。ついでに洗剤入り。ちびたちが興味本位で顔でも突っ込もうものなら大事故になるので監督者は必要だ。レオナさんもそれはわかっていたらしく、連れて行かれたのは大して高くもないうちの屋根の上だった。雨漏りする度に上るのでオレとしても勝手知ったる場所だ。
レオナさんは洗濯作業を続けたままオレと自分の周りに小さな防音結界を張った。家の周りにも認識阻害の結界を張っていたので二重結界だ。すごい。二年ではまだ習わないけどめちゃくちゃ難しいことだけは知っている。
「まじで才能の無駄遣いッスね」
洗濯しながら内緒話をするためだけに使う魔法じゃない。一瞬だけ不安になって盗み見たマジカルペンに嵌め込まれた宝石が綺麗なままで安心した。無茶はしていないみたいだ。
「で、なんでうちで洗濯なんかしてるんスか」
「お前の婆さんが無駄飯食いは置かねえっていうから。なんなんだよ、金と食糧渡したのに労働も寄越せって強欲すぎんだろ。さすがお前の婆さんだ」
「でしょ。もっと褒めてほしいッス」
「褒めてねえよ」
オレなんてまだ甘ちゃんもいいところだ。レオナさんはオレの日頃の優しさを思い知ったのだろう。だってオレはマドルだけで大体のレオナさんの願いは叶えてしまうから。婆ちゃんの域には遠く及ばない。
「じゃあうちに来た理由は?」
「一番見つかりにくいと踏んだ。あとお前を違和感なく呼び出せる」
結界に気付いた時からなんとなく察していたが、レオナさんはどうやら何かから身を隠しているらしい。そしてその解決にはオレが必要で、つまりオレがいれば学校に帰れるというわけだ。
「オレは何をしたらいいッスか?言っときますけど今単位かなりギリギリですよ」
「戻ったらカラスにこの期間も公欠にさせるからそこは気にしなくていい」
まさかここで単位の話をされるとは思っていなかったのだろう。レオナさんは面倒くさそうに溜息を吐いて頭を掻いた。
そうしてこうなったしょうもない経緯を、時々尻尾で屋根を叩きながら語り始めたのである。
「要するに血筋の近いライオンが増えるとその分派閥も増えるし権力争いも増えるって話なんだが」
「回りくどいのやめましょ。防音してるんだしオレに理解しやすいレベルでお願いするッス」
「……兄貴もチェカも元気なのにオレにガキができるとややこしいからってんでオレを不能にするべく一服盛ろうとした連中がいて、そいつらの服を全部砂にして逆さ吊りにしたら問題になった」
「ぶっ」
かなり予想の斜め下の説明がきたのでオレは吹き出したしレオナさんに蹴られて屋根から落っこちそうになった。うっかり曲芸みたいな動きをしたから屋根の下のちびたちが手を叩いて喜んでいるし、たぶん婆ちゃんには屋根を壊す気かと後でどやされる。
「なんなんスかそれ!つまりレオナさんのちんこが狙われたってことッスか!?」
「成分分析した限り玉も狙ってたなあれは。勃起不全と同時に精子にも悪影響が」
「いやいい!真面目な解説いらないんで……っふひゃ、腹いてぇ!」
レオナさんのちんこと玉が狙われたとかネットニュースじゃ当然語られていなかった。珍しく元気いっぱいにやり返したなと思ったらこれは流石に仕方なさすぎて笑う。王族は命だけでなく股間の心配までしなくちゃいけないとかスラムでは考えられない問題すぎて面白くて、オレはそのまま五分以上笑い倒した。レオナさんは最初に蹴り飛ばした後はどうでもよくなったのか屋根の下の洗濯とオレを交互に眺めて時間が過ぎるのを待っている。そしてやがて、オレはふっと笑いをおさめると呟いた。
「逆さ吊りだけなんて何ヌルいことしてんスか。早く殺しにいきましょ」
「時々切り替えが極端だよなお前」
あまりにも酷すぎて笑ってしまったけれど、笑いたくなるほどにはオレの許せるラインを余裕で超えているので早く殺そうと思う。レオナさんに毒を盛るだけでなく不能にしようだなんて、オレの王様になんてことをしてくれるんだ。
「落ち着け。殺気しまえ」
ガルル、と唸るオレの頭に手を置いてレオナさんが嗜める。マジフトの試合中にも時々されるやつだ。オレの頭に血が上るとレオナさんはこうしてオレのところへやって来て、クールダウンを命じるふりをしながら最高に愉快な策を授けてくれるのだ。
「お前には手に入れてほしいものがある。そこまでの流れは俺が作る」
「了解ッス」
オレはただの駒なので必要なことだけわかればいい。ゲームメイクはレオナさんの仕事だ。まあオレも時々悪戯心で花を添えたりするけれど。
「実行場所は王宮ッスか?」
「ああ。お前は目立つから認識阻害の魔法をかける。ハイエナだとバレなければここに危害が及ぶ心配もないしな」
話しているうちに洗濯は一通り終わったらしい。レオナさんが水の塊を消してちびたちの周りに余った水分で雨を降らして遊んでいる。その中から白い小さな水の塊だけがレオナさんのところまで飛んできて、洗剤の匂いのするそれもレオナさんが触ると砂になって消えてしまった。水路に流すより環境に優しいけどレオナさんにしかできない芸当だ。やっぱりレオナさんはすごい。
「ねえレオナさん、知ってます?スラムにはね、絶対にやっちゃいけない掟っていうのがあるんです」
もしかしたら何か一つくらい聞かされているかなと思って試しに尋ねてみるとレオナさんは知らないという顔をした。レオナさんはオレが来るまで婆ちゃんやちび達のためにいろいろしてくれたみたいだし、オレもお礼にスラムの流儀を教えてあげようと思った。思ったより馴染んでいるみたいだし、なんなら次のホリデーからは王宮じゃなくてこっちに来てくれたっていい。そのままうちに婿入りしてくれてもオレは大歓迎だ。
「さて、楽しい遊びの準備をするッスよー!」
オレは急に愉快な気分になって屋根をジャンプして飛び降りた。ちびたちも巻き込んでお出かけ用のおやつ作りをしよう。ライオンが絶対食べないし知りもしないような特別な団子作りだ。