勝ったら年内に結婚しよう かつて賢者の魔法使いが一つの場所で暮らしていた時代がある。時代などというほど昔でもないが最近というほどでもない。今はもう厄災も落ち着いて、皆それぞれ以前のように年に一度集まるだけに戻っていた。カインも今は魔法舎で暮らすことはなく王城の近くの寮に住んでいる。アーサーとは毎日のように顔を合わせるし、オズも北の国に帰ったはずなのによくアーサーの顔を見に来る。リケはミチルのところに遊びに行ったりネロのご飯を食べに行ったり、よくわからないが便りによると元気にしているらしい。
21人の魔法使いと賢者と、クックロビンとカナリアと。多くの仲間と毎日顔を合わせて共に暮らすのは刺激的な日々だった。今まで人間として生きてきたカインにとって学ぶことは多かったし、失いたくないものもできた。本当はずっとあのまま魔法舎で暮らしていたかったなんて密かに思っているくらいには大切な時間だった。
懐かしむのを中断して現実へと目を向ける。書類の山は半分くらい片付いたろうか。つまりまだ半分あるわけなのだが、もう少ししたら見回りも兼ねて一度外の空気を吸いに行こうか。騎士団で稽古をつけてほしいと頼まれていたし、ドラモンドからも手が空いたら顔を出してほしいと言われていた。今日も残業は確定だが明日までにこれを全部片付けたらその翌日は久しぶりの休日だ。
ぎょろり。
不意に左眼が動いた。正面、右、左、上、下。ぐるぐると見える範囲全てを知ろうとするように忙しなく動くのを好きにさせたまま抽斗からスケジュール帳を取り出した。ほとんど白紙で休日の予定くらいしか書かれていない紙の上に素早くペンを走らせる。
『元気か?』
視界に文字が目に入ると眼球は彷徨うのをやめてスケジュール帳を注視した。無言のそれが返事のようなもので、退屈で覗き見に来たんだろうなと思いながら更に文字を書き連ねる。
『会いたい』
『好きだ』
『触れたい』
『オーエン』
そこまで書いたところで左眼が大人しくなった。まだ伝えたいことはたくさんあったのに相変わらず気が短い。そんなところも変わっていないみたいだな、と静かになった左眼の瞼に触れてこっそり笑みを漏らした。
魔法舎での暮らしが終わり、オーエンも北の国へ帰って行った。甘いものを求めて世界各地にふらりと姿を現すこともあるようだが拠点が北であることに変わりはない。中央の城にはオズが出入りしているため決して近づくことはないが、時々こうして思い出したように左眼だけ遊びに来る。だからその度にスケジュール帳にメッセージを綴って一方的な文通を楽しんでいた。オーエンもカインが何か書き始めればしばらく注視しているのでたぶん悪くないくらいには思ってくれているのだろう。
「カイン、どうした?」
日付ごとに区切られた枠を無視して文字の書かれたスケジュールを閉じて抽斗にしまう。どんな顔でメッセージを見てくれていたのかと考えながら一人で笑っているとアーサーが訪ねてきた。お互い忙しい身の上だが同じ賢者の魔法使いということもありよく顔を合わせては話をしたり箒で散歩に出たりする。
「オーエンが来てくれてな」
「おお!久しぶりだな。よかったじゃないか。話せたのか?」
「相変わらず一方的だけどな。呆れられたのか、すぐいなくなっちまったよ」
「はは。どうせまた照れさせるようなことを書いたんだろう」
オーエンの気配を感じるのが嬉しくていつも真っ直ぐな気持ちをぶつけてしまうから、アーサーが言うのも一理あるかもしれない。魔法舎で共に暮らしていた頃も意外と押しに弱いというか、カインのストレートな口説き文句やキスにいつまで経っても慣れずに頬を染めていた。そんなところも可愛げがあって好きなのだが、結局いつも照れ隠しで天邪鬼を発揮したり逃亡したりで未だに告白の了承すらもらえていない。魔法舎にいた頃から何度も好きだと伝えてははぐらかされて、それでもこうして離れすぎない関係に落ち着いて未だ期待を持たされている。それすらもオーエンの嫌がらせのうちなのかもしれないが、確実に心は届いている気がするので諦めるつもりはない。
「そういえば休暇は明後日だったか?」
「ああ。久しぶりに出掛けてくるよ。二日くらい空けても平気だよな」
「勿論だ。羽を伸ばしてくるといい。ドラモンドにはわたしから伝えておこう」
それでどこへ行くのかという問いにカインが口にしたのは中央の国の東にある町だった。大きな湖があり空気がおいしいと聞く。果物の産地としても有名で、ここの果実酒は是非一度飲んでみてくださいと以前シャイロックが教えてくれた。
他にも気になる店は既に調査済みで、スケジュール帳に挟んでいた資料を見せるとアーサーは楽しんでこいと笑って背中を叩いた。あとは休日出勤せずに済むように仕事を片付けるだけだ。
そうして翌日の夜に仕事を終えたカインはそのまま寮にも帰らず窓から箒で飛び立った。気が早すぎると笑われたがどうしても待ちきれなかったのだ。休暇は明日からだから日付が変わる前には向こうについておきたい。厄災に照らされながら速度を上げてぐんぐんと目的地へ向かってひたすら空を駆ける。予定通り日付が変わる頃には目的地が見えてきて、大きな湖に月が反射する景色はとても美しかった。南の国にあるティコ湖を思い出す。あそこよりは小さいが精霊の気配が濃くていい場所だ。魔法の練習をするのにも向いているかもしれない。
観光は朝になったらすることにしてまずは降り立った町で宿を探した。休暇は前から決まっていたが本当に旅行に行くかはギリギリまで決めていなかったので事前に予約はしていなかった。駄目でも箒で近くの村へ行けばいいし、たまにはキャンプも悪くない。計画性がないとオーエンによく怒られるのだがカインとしてはそういう意外性も旅行の醍醐味の一つだと思っている。とはいえ旅行シーズンは一ヶ月も前に既に終わっているので宿は比較的空いているようだった。もう少し早い時期に来るつもりでいたのだが、混んでいなくえかえってよかったかもしれない。
せっかくの旅行なので、奮発してちょっといい宿の一番高い部屋を取ってみた。カインの寮より広くて何やらいい匂いがする。夕食は流石に終わっていたが朝食は部屋まで届けてくれるというし、希望があれば特産品の果物盛り合わせのルームサービスもしてくれるそうだ。ベッドは大きくてふかふかで天蓋がついていて、風呂も広いしベランダからの眺めもいい。何もかもが最高だ。
「よし、寝るぞ!」
二日間の宿も確保できたので今夜できることは終わった。カインは一人満足気に頷いてシーツの海へ飛び込んだ。シャワー浴びるの忘れたな、と思ったものの仕事と移動の疲労のおかげでふかふかの魔力に勝てずに瞼が重くなる。起きた時には窓の外がすっかり明るくなっていた。
「うわっ、寝過ごした」
失敗したと思いながら慌ててシャワーを浴びて身嗜みを整える。その間に朝食が部屋に届いてカリカリのベーコンとふわふわのオムレツを腹におさめた。おいしいが少し量が足りない。とはいえこれから外でいろいろ観光しながら食べ歩く予定なので問題ない。
「さて。行くか」
とりあえず観光スポットでもある湖を目指すことにした。ここから先は急ぐ必要もないのでのんびり歩いていくことにする。大通りはそれなりに賑やかで、土産物屋や食べ歩き用のフルーツの屋台などもあり見ているだけでも浮かれてしまう。もう少し暑い頃だと果物のたくさん乗ったかき氷もあったそうなのでその時期にもまた来たいものだ。
特産というだけあってケーキ屋に並ぶケーキにもぎっしりと果物が乗ったものが多い。甘酸っぱい果物に負けないようとびきり甘いクリームに違いないと考えながら立て看板に書かれたメニューをを目でなぞり、やっぱり食べ足りなかったなと思いつつぶらぶら歩く。目的地の湖は道なりに沿って歩けばすぐ見つかって、透き通った水がちゃぷちゃぷと揺れるのを目にして足を止めた。
「いい場所だと思わないか、オーエン」
聞こえていないとわかっていても声に出さずにいられなかった。少し前から前髪に隠れた左眼が忙しなくぎょろぎょろと動いているのは気付いていた。土産物屋も果物の屋台もケーキ屋も、どれもみんなオーエンの興味を惹いたに違いない。わざとオーエンの好きそうなものばかり見てここまで歩いてきた。
「みんなおめでたそうな顔で、見るからに退屈そう。でもフルーツとケーキは悪くなさそうだった」
背後に突然現れた声と気配に振り返る。そこには久しぶりに見る最愛の魔法使いが立っていた。いつものスーツ姿で、ちょっとだけきまりが悪そうに。甘いものに釣られて誘き出されたことを認めるのが癪なのだろう。
「久しぶり、オーエン」
「そう?まあ、顔を見るのは久しぶりかも?」
笑って握手を求めるように手を差し出せばぺちんと叩き落とされる。相変わらずつれないところも変わっていない。嬉しくてつい笑みを溢すと馬鹿みたいな顔をするなと怒られた。
「僕まで馬鹿に見られるだろ」
「すまん。でも嬉しくてさ」
ずっとこの瞬間を待ち侘びていた。あの日、覗き見された時に休暇の予定と行き先と、スイーツの情報をわざと見えるようにして無言のお誘いをした。カインのスケジュール帳には夏から今日までの全ての休みに同じ地名とスイーツの情報が記されている。オーエンがいつ覗きにくるかわからないから、休みの度にいつでも旅行に行けるよう準備していた。元々休みは一日だけで、前日までに覗き見に来なければ休日返上で働いたりもしていたので急遽スケジュール帳にない休みを一日増やしても何も問題はなかった。ここ数ヶ月、ずっとこの日のこの瞬間を待っていたのだ。やっと会えた。
「正直なところオーエンが来てくれるかは賭けだったよ」
「来るつもりなんてなかったよ。でもケーキが気になったから。たまたま暇してたし、たまには散歩もいいかなって」
そんなことを言っているがここは東の国との国境近くで、北の国から暇潰しがてら散歩に来る距離ではない。ミスラと違って長距離の空間転移魔法を自在に使えるわけでもないオーエンがこのタイミングで現れたのは、どう考えてもカインと同じで前日か夜のうちから近くまで来ていたとしか考えられない。けれどそれを指摘したらせっかく来てくれたのに逃げられてしまうかもしれないので、今はただ何も言わずに手を差し伸べる。
「じゃあケーキ屋から行くか。他にも好きそうな店をいくつか調べてあるからいろいろ回ろう」
「……騎士様の奢りならいいよ」
渋々と、仕方ないから付き合ってやるんだみたいな素振りをして手を添える。見上げた顔はちょっとだけ照れたように頬に赤みがさしていて、繋いだ手の甲に口付けを落とせば手袋越しだというのにぶわっと春の花が一気に芽吹いたみたいになって可愛かった。
「宿もとってあるんだ。ルームサービスで果物が食べ放題のサービスがある。前にシャイロックのバーで飲んだ果実酒もあるらしい」
オーエンと泊まる前提の二人部屋であることは言わなくても伝わっていたのだろう。いつまでも離されない手に居心地悪そうにしながらそっぽを向いて小さな声で言う。
「……すけべ」
天蓋付きの大きなふかふかのベッドはもしかしたら寝ているうちに覗き見されていたかもしれない。そんな予感をさせる横顔を見ながら、久しぶりに会えた喜びを噛み締めていた。
会えばセックスもするし手を繋いでデートみたいなこともするのに、誓いという約束だけはまだ許してもらえない。勝ったらいいよと言われて毎年挑戦するもののあと一歩届かないのだ。今や勝利の目的は左眼だけではなくなっていて、いつか眼を取り返したら婚約指輪と一緒にプレゼントすると豪語したのは魔法舎で過ごす最後の夜だった。待ちくたびれそうなんて笑われたっけ。でもあの夜は珍しくオーエンも積極的だった。
「なあ、デート終わったら勝負しないか?勝ったら年内に結婚しよう」
「気が向いたらね」
ケーキが先だよと言ってまたあの夜みたいに笑うから、カインもつられて笑みを浮かべる。恋人以上夫婦未満の、因縁の二人の旅行デートはまだ始まったばかりだった。