『平常』「はぁ・・・」
あー暇だ。別の部署に異動してからは、毎日が退屈で仕方がない。以前は朝から晩までずっと働きづめだったのになぁ。あれのせいで元妻と離婚することになったわけだが。まぁいいや、今は新しい家族と暮らしているからな。俺は自分のデスクに突っ伏して寝る態勢に入る。そして目を瞑った瞬間、スマホが鳴った。
「はい、そうですが・・・」
出てみると保育園からだった。どうやら麻人が問題行動を起こしたらしい。こんな時に親がいないと困るのはこっちも同じだ。
「どうした?事件か?」
「うちの子が問題行動を起こしましてね」
「あれまだ学校上がってなかったよね?」
「まだ5歳だからな」
俺は大急ぎで身支度をして、飛び出した。
「お待たせしました」
俺が保育園に着くと保育士が駆け寄ってきた。
「こちらです」
保育士の後をついて行くと、そこにはその場から動かず踞っている麻人の姿があった。
「おい!何したんだ!」
「うっとおしかったからくつなげた」
「鬱陶しかった?」
「はい、他の子が近づいた時に上履きを投げつけたり、足を踏んだりしてきたんです」
「それはいじめじゃないか」
「でもあいつらがわるいんだよ」
「お前が悪いことしたからだろ?」
「ちがうもん」
「じゃあお前は何をしたんだ?」
「そこにいるだけなのにさ・・・なんかいもはなしかけてきたりしてさ、ほんとうっとおしいよ。みんながいなくなればしずかになるのかなぁっておもってやっただけだし・・・ひとをだまらせるほうほうってないの?」
「お前それ、心配だからって話しかけてきたのが鬱陶しいからって暴力振るったのか?」
「うん、だってうるさいじゃん」
「・・・こいつ」
俺は頭を抱えて天を仰いだ。仕事が忙しいからって保育園にいれたのにこれでは意味が無いではないか。こいつは子供ながらにして人間不信なのか?まあ、ませているところがあるが
「麻人くんはとても大人しいんですがずっと同じ所に居続けることが多くて、表情も一切変わりませんし、感情も動いていないようで・・・これは先天的なものだともわかっていますが、ご家庭でもこのように」
「ここじゃあれですし詳しいことを事務室の方にお願いします」
俺は保育士さんの話の途中で割り込んだ。こういう話は外でするべきじゃないだろう。それに麻人の件に関しては俺よりも暁人の方がよく知っているはずだ。
「はい・・・」
俺たちは事務室に移動した。
「それで続きですが、ご家庭でもあのようにされているのですか?」
「ええ、普段から部屋に籠って家から一歩も出ないことがほとんどです。妻となら出掛けますけど」
「そうですか・・・何かきっかけがあるとかそういうことは?」
「わかりませんね。あの子は元々ああいう性格だったんでしょう。一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「はい」
「・・・虫とか食べていたりしていませんか?」
「虫!?」
「いきなりそんなことを聞くのはだめでしたか」
「いえ、失礼しました。私もびっくりしたものですから。でも、なぜ虫を」
「実を言うと麻人は虫や蛙を潰して遊んだり、それを食べたりすることが何度かありまして。他にも猫の死骸を拾ったガラス片で切ったり、あと」
保育士の顔がどんどん青ざめていく。
「もう結構ですよ!わかりました!ご家庭でも苦労なさってるんですね!」
「はい・・・本当にすいませんでした」
「こちらこそ大変なときに申し訳ありません。今日はありがとうございました」
コートを持って部屋を出ると、麻人がこちらに向かって歩いてきた。そして脚に抱き着いてくる。
「どうした?」
「おとーさん、かえろう?」
「そうだな、帰ろう」
俺と麻人と手を繋いで家に帰る。しかし、麻人が俺の手を強く握ってくる。
「どうした?」
「なんでもない」
俺はスマホを取り出して暁人に連絡する。
〈あ、KK?〉
「麻人が保育園で問題起こしてたぞ」
〈やっぱりか~、僕の方からも連絡入れておくよ。これから帰るから〉
「わかった。気を付けて帰って来いよ」
電話を切ると、麻人に目線を合わせる。
「麻人、保育園のことだけどな、ちゃんと先生のお話聞くんだぞ」
「うん」
「それと、もし話しかけられたりしたらとりあえず笑っとけ」
麻人の顔は笑顔というには程遠いものだった。
「ほら、笑ってみろ」
麻人の頬を引っ張る。すると、麻人も真似をするように俺の頬をつまんできた。
「おいおい、何やってんだ?」
「おとーさんのまねだよ」
「そうか、似てる?」
「うぅん、なんかちがう」
「違うのか」
麻人は笑い方がわからないらしい。まぁ、こんな顔をしているから無理もない。
「麻人、お前はどんな大人になりたいんだ?」
「んー、わかんない」
「そっか」
家に帰り着くと、暁人からメールが入っていた。
〈急に別件が入ったからお昼と夕飯作って刷れないかな?できるだけはやぐおわらせるから!〉
慌てていたのか誤字が混ざっている。俺は了解の返信をして、麻人をソファーに座らせた。
「今日はお父さんが作ってやるから」
「りょうりおんちなのに?」
「ぐっ・・・暁人から教わったからできるんだよ」
「ふーん」
麻人の興味が無さそうな返事を聞き流しながら台所に立つ。といっても簡単なものしかできないのだが。俺は冷蔵庫の中を見てみる。そこには賞味期限がギリギリの豆腐(絹)がポツンと置いてあった。麻人を見ると、テレビを見ながら足をパタパタさせている。
「あいつちゃんと管理しろよ・・・」
調味料の置いてある棚にたまたま麻婆豆腐の元が残っていたのでそれを使うことにした。
「麻人、できたぞ」
「いただきます」
麻人はスプーンを手に取って麻婆豆腐を食べ始めた。
「どうだ?」
「おいしい」
「そうか」
ついでに冷凍して置いといた白米を解凍して麻人と一緒に食べる。
「ごちそうさま」
「食器は流しに置いておいていいからな」
「はーい」
麻人はすぐにどこかに行ってしまった。俺は皿洗いを終えて、リビングの掃除を始める。埃が溜まっていたので、箒で掃いてから掃除機を掛ける。これで少しは綺麗になっただろう。
「おとーさん、これなあに?」
部屋の扉が開いたと思ったら、麻人が手に何かを持って出てきた。ピンクの紐状の
「なんだこれ・・・っておい!」
麻人の手にあったのは、おい暁人ちゃんと隠しておけよ!
「どこに落ちてたんだ?」
「おかーさんのへやのベッドのした」
「そうか、後でお母さんに渡しとくよ」
「はーい」
麻人は素直に渡してくれた。帰ってきたら説教コースだ。しかし冷蔵庫の中身がないと夕飯に困るな。買い物に行くにも、一人で行くわけにはいかないし。
「麻人、買い物一緒に行くか?」
縦に首を振って肯定のサインが送られる。
「じゃあ準備してくれ」
「はーい」
麻人は着替えをしに行った。その間に、財布やスマホなどの貴重品を持っておく。俺もコートを着てから玄関に向かう。ちょうどよく麻人がやってきた。
「よし、行こうか」
俺たちは外に出て近くのスーパーに向かった。
「麻人、今日は何食べたい?」
「・・・なんでもいい」
「また難しいものを・・・」
何でもいいが一番困るのだ。麻人は本当に何を作っても同じ反応をする。適当に材料を買って、会計を済ませる。麻人には好きなお菓子を買っていいと言ったが最終的に芋けんぴになった。家に着き、早速料理に取り掛かる。麻人が足元に纏わりついて邪魔してくるが、それを適当にあしらう。今日はあいつの好きなハンバーグを作ってやるつもりだ。料理をしていると、麻人が寄ってきて手元を覗き込んでくる。
「危ないからあっち行ってろ」
「あい」
素直に従ってくれた。しかし、いつの間にか俺の後ろに立っていた。気配が完全に消えていた。まるで暗殺者のような動きだ。麻人は俺のことをじっと見つめてくる。
「・・・ブッコロリー」
「ブロッコリーな!」
トウモロコシをトウモコロシと言うような間違い方だった。
「食いたいんか?」
「べつに、いっただけ」
「そうか、そこにいるんなら皿出してくれ」
「もうだした」
俺は思わず二度見した。確かに皿が二枚テーブルに置かれている。俺は麻人の頭を撫でてから再び調理に戻った。
「できたぞー」
「わーい」
二人で食卓を囲む。麻人は箸を使って上手にご飯を食べている。
「どうだ、美味いか?」
「うん、おいひい」
「そっか」
食べる時だけは素直に返事してくれるんだよな。まぁ、いつもより表情が柔らかい気がするけど。麻人も完食してくれた。片付けは二人で行う。皿を洗っている間、麻人はテレビを見ていたがすぐに飽きてしまったのか、ソファーの上で寝転がっていた。
「こら、寝るなら部屋で寝ろ」
「むー」
「だっこしろってか」
俺は麻人を抱っこして部屋に連れて行く。すると首を横に振って嫌がった。
「寝たくないのか?」
「おかーさんといっしょがいい」
「寂しいんだな」
俺は暁人の部屋に麻人を連れて行く。そしてベッドに下ろして、布団を掛けてやった。
「ほら、ちゃんとお母さん帰ってくるまで我慢できるか?」
「できる・・・」
すると、麻人は安心したように目を閉じた。俺は麻人の頬を突いてみる。ぷにっとした感触が指先に伝わる。
「可愛い奴め」
しばらく突いていると、麻人は寝返りを打って反対側を向いてしまった。それから一時間後に暁人は帰って来た。
「ごめんKK、帰り道の途中で道祖神系の妖怪に絡まれちゃってさ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫、それ終わらせたあとに百鬼夜行に絡まれた。もう『力』出ない、疲れた」
死んだ目でそう言ったので、相当大変だったことが窺える。
「麻人は?」
「お前の部屋で寝てる。てか冷蔵庫の中身ちゃんと確認しろよ、昼間開けたら豆腐しか入ってなかったから買い物済ませといたぞ」
「ええっ!?ちゃんと確認したはずだったんだけど」
「つもりとはずは全然違うぞ、あと飯作っといたから」
「ありがとう!」
暁人は嬉しそうに笑った。
「あ、そういえば麻人なんか言ってた?」
「いや何も?ああでも、買い物で相変わらず芋けんぴ選んでたな」
「やっぱり麻人って芋けんぴ好きだよね」
「そうだな、とりあえず風呂入るか?」
「入るよ」
暁人が風呂に入っている間に、料理の温め直しをする。少し経って、Tシャツとボクサーブリーフ姿の暁人がリビングに現れた。
「なんちゅう格好だよ・・・」
「いや家にいるから」
「だからってその恰好はどうかと思うぞ」
「まあまあ気にしない、気にしない」
「はあ・・・」
冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。それを二人分を用意して、席に着く。
「本当なら夕方くらいに帰れればよかったんだけどね。それに保育園の件も考えないと」
「ああ、そういえばそうだったな」
すっかり忘れていた。麻人が同い年の子供に靴を投げたこと。
「麻人に聞いたら心配して話しかけて来たのが鬱陶しかったって言ってたしおまけに、人を黙らせる方法はないか俺に聞いてきたし」
「うわぁ、子供ながらに物騒なこと考えてるな・・・」
「俺もそれには同意する」
「それで、何か思いついたの?」
「とりあえず笑えばいいって答えたら納得してくれた」
「何教えてんねん」
暁人は思わず関西弁になってしまった。
「まあそんな感じで」
「麻人がグレないといいけど」
「それはないだろ」
俺は即答した。
「ねえ、KK」
暁人は人差し指を唇に当てながら俺の名前を呼ぶ。これはあのサインだ。
「なんだ?」
「今日は一緒にする?」
「まあ、俺の部屋でなら」