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    【英零】オメガバース|ややいかがわしい

    ##英零

    花の叙情、薔薇の鎮魂「お加減がよろしくないようですね、英智さま」
     気遣わしげな科白とは裏腹に単調な、厳然たる事実のみを簡潔に述べた声色は、先程から停滞しがちになっている書類仕事に発破をかけるには至らず、頭蓋の中に重々しく沈澱している鈍い頭痛をささやかに刺激した。途端に退屈な文字ばかりの文書に無理やり向き合っている事がばかばかしく感じられて、天祥院英智は分厚い資料の束をデスクの上に滑らせ、そこへ渋面を伏せた。ずきずきとこめかみを絞め付ける鈍痛は耳鳴りを誘発し、酷くなっていく一方で、つい己の憐れな性質を憎悪せずにはいられなかった。
     傍らに白磁の茶器が丁寧に置かれ、カップの内で野生的な花の芳香が綻ぶ。「ローズヒップで香り付けをしたルイボスティーです。疲労に効きますよ」
     万能薬の蜂蜜を少々。首を捻って、せっせと給仕に勤しむ様子を見やると、伏見弓弦は訳知り顔を柔和な笑顔で彩った。それが装われた仮面に過ぎず、蜷局を巻く真意を腹底に押し隠した代物である事は、短くはない付き合いから多分に思い知っている。我ともなく、盛大な溜息が零れ落ちた。事務所の会議室を借り切っていて正解だったと痛感した。学院を卒業し、血腥い権力争いの前線から一歩退いたとはいえ、易々と人前で弱みを垣間見せるほど油断するつもりはなかった。
     礼を言って、差し出されたティーカップに口を付ける。湯気と共に立ち昇る青青とした草花の香りは鼻腔を涼やかに通り抜けて、漣立つ胃の腑を繊細に覆った。
    「……自業自得。そう言いたいんだろう、弓弦。十分理解しているよ、そんな事は。でも、正直恨まずにはいられない。自分でも何を恨んでいるのか判らないんだけれどね。あの時、畏怖から未来を決断する事が出来なかった臆病な自分自身か、この数奇で嫌味たらしい運命か、それに翻弄されるこの特性か、それとも……彼本人か」
     その名を口にする事さえ憚られた。文字列を脳裏に浮かべただけでも鮮やかに蘇るのは苦々しく、痛ましく無惨な記憶と、裏腹に陶然たる天上の、忘我の逸楽、舌の上に転がし五感全てを投じて望むまま貪った甘露の滋味、前後不覚の背徳と禁忌が齎す錯乱と昂奮、極限まで高められた欲望の昇華に伴う放心と自失の恍惚で、あげ連ねるほど目紛しく、過去の糸を手繰るたび口中に唾液が溜まり、それをみっともなく咽喉を鳴らして嚥下するはめになるのだった。弓弦は苦悩に顔を歪める皇帝から視線を逸らして目を伏せ、静かに首を横に振った。
    「滅相もない事でございます。ただ、あの方の匂いはわたくしでさえ忘れ得ないのです、未だに近付けば芳しく鼻腔を擽るほど。……いいえ、英智さま、どうかそのような目でわたくしをご覧にならないでくださいまし、あの方が髪の毛の先から足指の爪まであなたのものである事は既に、あなたと彼の精神と肉体とに約束された真実なのですから。わたくしは決して浅ましく劣情を催しているわけではないのです、ただ、己が背負った因縁深い業を意識してしまうというだけの事。ベータ性であるわたくしがこの為体なのですから、英智さまを見舞うお痛みは、……わたくしには到底推し量る事が叶いません」
     頭痛を和らげようと目頭を指先で軽く押さえると、額の辺りは燃えるような熱を帯びていた。眼球を涙の膜が包み込み、視界がぼやける。薬を服まれたのですねと弓弦が低く囁く。今朝目覚めと共に服用した薬は、アルファ性を持つ人間がオメガのヒートにホルモンを刺激される事で誘発される、本能的で暴力的な発情の機能を抑圧する効果があった。かかりつけの医者に口を利いてもらって専門家から入手した、最新の強力な抑制剤である。このビルディングに拠点を移し、一人の──現在は後輩が入居し二人に増えた──ルームメイトと共同生活を始めてから、一定の期間、欠かす事なく服用し続けていたのにも拘らず、頭痛や吐き気、眩暈や発熱といった激しい副作用にはいっかな慣れる事がなかった。
    「大丈夫だよ、彼も予定では明日か明後日には生家へ戻るだろうからね、それまでの辛抱さ。その間僕の方が住まいを移す事も考えたけれど、家にいては思うように仕事ができない。……それに、こうしていると、あの時の僕がどれほど惨たらしい事をしたか、ちゃんと実感する事ができるんだよ。口先だけではなくて、正しい痛みとしてね」思い付くままに喋って、やはり具合の悪さから著しく判断力が弱化しているのだと自覚する。「……なんて、少し感傷的すぎたかな。別に、後悔しているわけじゃあないよ。時を戻せたとしたって、僕はきっと同じ選択をする。そうでなきゃ、この苦痛はなんだって言うんだ」
     書類に向き合おうという意思はすっかり萎え、微熱を訴える額を天井に向けて、椅子に凭れた。リクライニングシートを一段階後方へ倒し、深呼吸を繰り返す。弓弦は断りを入れて一度退室し、戻ってきた際には冷湿布を用意していた。向き合いたくなくとも仕事は期限内に片付けなければならない。自嘲的な笑みを洩らして、施しの品を受け取った。
    「……今も、変わらずに僕はあの時と同じ衝動を抱えている。いや、あの時よりもよっぽどひどいよ、だってあの時は、少なくとも目的があって、それを達成するために、冷酷ではあっても確固たる理性を働かせて策を巡らしたのだから。今は違う、僕の本能、もっと深くて汚いところで、僕は彼を──朔間零をどうしようもなく求めてしまっている。その情動を殺すには、こんな不細工な薬を服んで、苦痛に喘ぐしかない。それしかないんだ、これがあの時計画を遂行し損ねた、他ならぬ僕自身が招いた結果なんだから」
     ああ、朔間零、夜闇を統べる魔性の王。そのしなやかな五体を組み伏せ、艶めく濡羽の御髪を掻き分けて、蒼褪めた象牙の項に牙を立て、所有の証を刻み込んでしまえれば、どんなにかこの悲壮は慰められる事だろう。もう長いこと、いや、あの時からずっと、咽喉から手が出そうなほどにその瞬間を待ち焦がれていた。かつての自分が綿密に練り上げた計画は、それをしてようやく完遂されるはずだったのだ。その名は脳裏を過ぎるごとに極彩色の情景を呼び覚まし、悩ましい幻影を次々に浮かび上がらせた。どろどろに凝った情念が否応なく集中する箇所は決まって一点、これがこの時期最も面倒で、厄介な事柄だった。出入り口の横で慎ましく立ち尽くしている弓弦に退室を促そうとしたが、指示を出すよりも早く、彼は失礼しますと無表情で会釈をした。音もなく会議室を出て行こうとするその背を振り返って、半ば無意識に呼び止める。
    「ねえ、弓弦。僕を恨んでいるかい」
     掴んでいたドアノブを手放して肩越しに振り向いた弓弦は、事情を察しているらしく、視線を不躾に英智の方へ差し向けることはしなかった。開きかけた扉は秘密を内側に封じ込めるためにふたたび閉ざされる。
    「いいえ、これっぽっちも」ひたすら無感動に言葉は続く。「わたくしが自ずから選び、望んで行った事です。あなたに強制されたわけではございませんよ。あの場に於いて、わたくしたちは、命令し命令される主従関係というよりは、単に、悍ましい秘密を共有する同胞といった方が適切でした」
    「律儀だね。僕に強制されたと思っていた方が、随分気楽なはずなのに」
     事実ですから。弓弦はそれだけを言い残して、再三断り、足早に部屋を出ていった。その後姿を見送ってから、ぬるくなりつつあるルイボスティーをひと息に飲み干して、重たい腰を上げ、扉にしっかりと鍵をかけた。
     その夜、同室の白鳥藍良が同ユニットのメンバー等と遠方で撮影会を行うため、一泊二日の旅程を組んで留守にする事は、既に知り得ていた情報だった。同じ事務所に所属している者同士であるとはいえ、それぞれの活動内容やスケジュールなどは各ユニットごとにきちんと管理され、偶発的に他所へ洩れる事は決してないが、これは他ならぬ英智から藍良の所属するユニットへ斡旋された仕事であったために、内容は熟知していた。そして、その理由とは別に、英智には可能な限りルームメイトの予定を把握しておく必要があった。
     日没の気配にしっとりと冷やされ、硬質な質感を際立たせる敷布を五指の腹で緩慢と撫でる。続けるうちに、摩擦によって徐々に指先の感覚が失われ、擦れ合う無機物と有機物との境目が曖昧に感じられた。そうして奇妙な反復を繰り返す事で、今にも咽喉を迫り上がりそうな発作じみた激情を押し殺していた。規則正しい寝息が微かに静寂を乱す。無防備に開かれた口唇のあわいから零れる吐息が乱したものは、何も静寂だけではなかった。
     ベッドサイドに立ち、掛布に包まれて睡る朔間零の横顔を見下ろす。この時期、三ヶ月ごとに起こる発情期の二、三日前になると決まってホルモンが不安定になり、体調を崩しがちになって、こうして床に臥せる事が多かった。それでも完全な発情期に入る前には生家へと移り、そこで三日ほどを過ごして、何食わぬ顔で寮に戻る。薄い鋼鉄を仕込んだ鞣革のチョーカー、特有の体臭を消す専用スプレー剤、ホルモンバランスを恒常的に安定させる内服薬を以て、朔間零は常に、殆ど完璧に正体を偽っていた。殆どと言うのは、そこに英智や、先刻零が纏う匂いを「芳しい」と表した弓弦が含まれていないからである。当人もすぐに弁明を付け加えたものの、先の発言はあの場で口にするには少々迂闊だった。オメガに対し並々ならぬ執着と独占欲とを発揮するアルファは、対象に関心を寄せる存在を本能的に激しく嫌悪する傾向にある。
     震える指を伸ばして、嫋やかな弧を描く黒髪を梳く。この時期の睡眠が昏睡と呼べるくらいには深いものである事は、幾度か重ねた色々の検証から既に実証済みだった。恐らく強引に抱き起こして揺さぶったとてすぐには目醒めないだろう。スプリングが手のひらの下で軋み、知らず寝台に体重を乗せていた事を自認する。そのまま覆い被さって、ほっそりとした首筋に満面を埋め、その甘美なる芳香で肺臓を満たしたかった。単なるアルファを誘うオメガの匂いではない、英智はその血を狡猾なオメガに利用される事を危惧して日常的に薬を服用し、彼らが放つ危険なフェロモンに反応する機能を鈍らせている。
     朔間零のオメガとしてのフェロモンは殊に、天祥院英智に対し劇的に作用するのである。かつての英智がそういう風に、朔間零の身体を造り変えてしまったのだった。
     この館で仲間たちと共同生活を営むにあたって、それぞれを複数のグループに分け、幾つかの部屋に割り振る作業があった。英智がその気になれば好きなように人員を配置できた事は間違いないが、最早政には必要以上に関わりたくなかったし、それに因って不必要な不信感を与えてしまう事も避けたかったので、その辺りの仕事は新たに創設された上層部に任せきりにした。その結果がこれである。あの件以来こちらからの私的な接触を一切絶っていた、皇帝の奸計に囚われ羽を捥がれて地に堕ちた魔王、朔間零と天祥院英智とは、あまりにも皮肉な運命の巡り合わせから、この部屋で生活を共有する事になってしまったのだった。
     堪らなくなって四肢をベッドに乗り上げ、掛布を盛り上げる零の肢体に隙間なく身を寄せて、濡羽の頭髪に隠された後ろ首に鼻先を擦り付ける。寮室に入る前から嗅ぎ付けていた芳香は今や噎せ返るほどに充ち満ちて、一呼吸ごとに肉体の隅々へと行き渡り、下肢へと集中する熱の温度を上げた。こうなると日中の体調不良はどこへやら、足指の末端まで得体の知れぬ活力が巡って、この上なく気分が良くなった。肌身離さず着用している強靭なチョーカーが疎ましくて歯を立てるものの、アルファの無体からオメガを守るために造り出された堅牢な装備には傷一つ付けられなかった。なおも首輪へ、首輪越しの項へ往生際悪く噛み付く己が醜態を、観測する者がいない事に心から安堵した。
     今すぐにでもこの邪魔な掛布を蹴り出して、仕立ての良い部屋着を一枚残らず剥ぎ取り、一糸纏わぬ蒼白い痩躯の中心で、蜜を零し真っ赤に熟れているであろう媚肉を一思いに貫いてしまいたい。どこからともなく渾々と湧出する欲望は止まるところをまるで知らず、かと言ってこの護身具がある限り想いを遂げる事は決して叶わず、どうしようもない歯痒さを堪えて、英智はそれから随分長いこと、睡る零の首に牙を立て続けたのだった。
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