巡り合わせ「ふあー、サッパリしたぜぇ。んあ?」
氷炎将軍フレイザードの撃破とパプニカの王女レオナを救い出す事に成功した事で、パプニカに辿り着いてから初めて湯浴みする事が出来たポップは、大層ご機嫌な様子で自分と弟弟子に宛がわれた部屋に戻ってきた。そこで見た光景に、ポップは目を瞬かせた。
部屋には一足先に戻っていたダイが、ベッドの上で自身のアバンのしるしをマジマジと見詰めていた。肩に乗っているゴールドメタルスライムが「ピィ?」と問い掛けるように声を掛けていたが、どうやら聞こえていないようだ。
ただ見ているだけなら気にならなかっただろう。今日、彼は空裂斬を兄弟子の助言を受けたとはいえ自力でマスターし、アバンストラッシュを完成させる事が出来たのだ。亡き師に報告したくもなるだろう。
だが、ダイの表情は見た事もない物を見ているかのようだった。ずっと身に着けていた物なのに、どうしてそんな顔をするのだろうと不思議に思い、ポップは声を掛ける事にした。
「ダーイ、何してんだよ?」
そこでやっとポップの存在に気付いたらしいダイがパッと顔を上げる。
「あっ、ポップ」
「アバンのしるしがどうかしたのか?」
兄弟子の問い掛けに対して、ダイは「うん」と小さく頷く。
「俺やポップのがさ、マァムやヒュンケルのと何か違うような気がして。でも、それが何なのか分かんなくってさー」
「それ、俺達は仮免だからじゃねぇの?」
自分達二人と兄弟子と姉弟子の持っているアバンのしるし。二人の石を直に見た限りでは、石自体に違いがあるようには見えなかった。だが、自分達は上の二人とは決定的な違いがある。それは、卒業しているか否かだ。
「ああ、そうか!そういう事かぁ」
ポップの言わんとしている事がダイにも分かったようだ。
正式に卒業したであろう上二人のアバンのしるしには鎖が通されている。対する自分達のには、革紐が通されている。
「アバンの使徒だなんて言われてすっかり忘れてたけど、俺達、仮免中なんだよなぁ」
そう呟いて、ポップも自分のアバンのしるしを取り出して翳す。灯りで水晶のように輝くそれはとても澄んでいて、ジッと見詰めていると心が洗われるような気がしてくる。
「もっと色んな事、教えてもらいたかったなぁ」
隣でしみじみとした様子でダイが呟くのを聞いて、ポップは思わず俯いた。
「……ああ、そうだな。けど、お前は凄ぇよ」
総がかりでも梃子摺った魔王軍の一角である氷炎将軍・フレイザードを、空裂斬のコツを掴んだダイがたった一人で圧倒していた姿がポップの脳裏に思い浮かぶ。
「俺が?何で?」
大きな目をパチクリさせながら、ダイはきょとんとしている。
「先生がいなくたって、ちゃんと空裂斬を習得して、アバンストラッシュを完成させたんだ。きっと先生も「私の目に狂いはありませんでしたね」って鼻を高くさせてるよ」
「そんな。俺だけじゃ無理だったよ。でも、無事にものに出来て良かった。……やっぱり、本物のアバンストラッシュは違うよね」
「今迄も十分凄かったけど、桁違いだったな」
同意を得たダイが心の底から嬉しそうに笑むのを見て、またこの感覚だと思いながらポップはギュッと拳を握り締める。
ヒュンケルに一度敗れて、何とかダイが勝つ方法を考え始めた時から時々それを感じるようになった不思議な感覚。それは何が何でも力になりたいだとか守りたいだとか、これまで他人に対して感じた事のないものだ。だから、それまでは補助魔法を身に着けようなんて思った事など一度もなかった。今は、何だって習得してやろうと思うようになった。それが、ダイの為になると言うのであれば尚更だ。
「俺も負けてらんねぇなぁ」
「無事に戻ってこれたし、マトリフさんに教えてもらうんだよね?」
「おうよ。かつての先生の仲間で同じ魔法使いとしての大先輩だからな。あの人の視点が、これからの俺には必要な気がするんだ。ちょいとばかり厳しいけどな」
ルーラを覚える為にあわや溺死を味わう羽目になった事を思い出し、ポップはあははと乾いた笑いを漏らす。ちょっとどころではない。おそらくアバンに教わっていた頃のような舐めた根性でいたら、命が幾つあっても足りないだろう。
「そっか。……俺も一緒に教えてもらおうかなぁ」
「えっ?お前も?」
「うん。俺ずっと魔法が苦手で全然だったけど、やっとメラやバギが使えるようになっただろ?もう少し魔法が上手く使えるようになれたら、攻撃の幅が広がって今後の戦いの役に立つんじゃないかって思ってさ」
謎の紋章を発動させた時のダイが自分よりも強力な魔法が使えるのを、ポップは自分自身の両目で見ている。もし、ダイが常時あの状態になれたら、頼もしい限りだ。以前の自分なら、楽出来ていいやと思っただろう。だけど、今は何故かこの弟弟子に頼りにされる存在でありたいと思う自分がいる。
「おいおい勘弁してくれよ。お前が魔法までバンバン使えるようになったら、俺の出る幕が無くなっちまうじゃねぇか」
「えぇ?それは流石に無いんじゃないかなぁ?」
肩を竦めながらそう言うと、ダイはふっと短く息を吐いた。
「どうした?」
怪訝に思ったポップが顔を覗き込んで尋ねてくると、ダイは「うん」と小さく頷いて手に持ったままでいたアバンのしるしに視線を落とした。
「ふとさ、先生の下で修行を無事に終えていたら、俺は今頃どうしてたんだろうって思っちゃって。一人でいたのか、ポップと同じように先生についていってまだ一緒にいたのか」
ダイの素朴な疑問に、ポップは自分の中で心臓が跳ねるのを感じた。アバンが今も無事でいたなら、という決して叶わぬ夢を考えた事は自分にも何度かあった。だけど、その場合の今の自分の姿が浮かび上がる度に打ち消した。大体ろくでもないものだったからだ。
「そうだなぁ。……まぁ、取り敢えずパプニカまでは一緒だっただろうな。パプニカ王家の要請に応じてお前に修行をつける事になったんだから。ルーラでひとっ飛びだっただろうから、姫さんがバルジ島に落ち延びる前には合流出来たんじゃねぇの?」
「そっかぁ。だとしたら、マァムやクロコダインと会わないうちにヒュンケルとぶつかった可能性があるんだね」
ダイがそこまで言うと、ポップはハッとしながら「ああ」と相槌を打った。
「まぁ、そうだな。魔王軍の軍団長でロモスを攻略していたおっさんとは遅かれ早かれぶつかっただろうけど、パプニカの次だったかどうかはその時の各地の魔王軍の侵攻具合によるし。マァムは……出会えた可能性低いな。どこかのタイミングでロモスに行く事になっても、わざわざ魔の森に入ってあの村に立ち寄る事なんてなかっただろうし」
ネイル村に立ち寄る事になった経緯を思い出したのか、ダイがあははと声を出して笑う。
「あれ、俺の所為で迷子になった結果だもんね。パプニカに寄った後だと、魔の森を通らないルートでロモスに向かう事になったよね、きっと。気球とかルーラとか」
「そうだな。で、そうすると、クロコダインのおっさんとはロモス城で初めてぶつかる事になった筈だ。変な入れ知恵無しの状態でな。まぁ、おっさんはお前と先生とで止める事が出来たとはだろうけど。ただ、それだと俺は……」
そこまで言うと、ポップは言い淀んだ。
「ポップ?」
「俺は、今でもまだ、身の危険を感じたら逃げ出すような奴のままだっただろうなぁ。いきなりヒュンケルとだし。どこかのタイミングで先生に愛想を尽かされたかもしれねぇなぁ」
ポップが何処か遠くを見るような目でそう呟くと、ダイは大袈裟なくらい大きな声で「あーあ」と言いながら後ろに倒れ込んだ。
「どんなに考えたって、そうならなかった状態の俺達が今どうしていたかなんて、全然想像出来ないや。なんかさ、順番が違ってたらクロコダインだって魔王軍を裏切って俺達に手を貸してくれるようにならなかった気がするんだよね」
「ん?そうか?」
手順が違えば梃子摺っただろうが、どっちみちクロコダインならすぐに魔王軍を裏切ってダイ達に協力してくれたのではとポップは思う。だが、どうやらダイの考えは違うらしい。
「うん。何となくだけど。俺とアバン先生で止めたんじゃ、力をつけて再戦を挑んできそうな気がする。……難しいよね。先生からはもっと教わりたかったし、もっと一緒にいて欲しかった。でも……」
そこまで言うと、ダイは口を噤んでアバンのしるしを持った右手の甲を額に当てた。ダイが言わんとしている事は、ポップにも分かっていた。
「何つーかさ、こういうのを巡り合わせって言うんだろうな。きっと、先生が導いてくれたんだよ」
「うん……。きっとそうだよね」
ポップがアバンのしるしに再び視線を落とすと、ダイもふふっと小さく笑いながら自分のを頭上に翳す。そして、ぽつりと「先生……」とまるで語り掛けるように呟く。
「ロモスでマァムとクロコダインのおっさん、パプニカでヒュンケルと師匠。次は誰かねぇ」
指折り数えながら、思いもしなかった出会いを果たした人物達の名前をポップは並べる。
思えば、凄い面子だ。まず魔王軍の元軍団長が二人。そのうちの一人はアバンの一番弟子である。残りの二人もまた、アバンと所縁のある者達だ。一人は両親がかつてアバンの仲間だった戦士と僧侶。そして、彼等の娘である当の本人は二番弟子だ。もう一人は、これまたアバンの仲間だった魔法使い。
本当にアバンの導きがあったのかもしれないが、ダイ自身がそういった縁を引き寄せる性質なのかもしれない。既にロモス王家やパプニカ王家と接触していたり、魔の森で迷う原因を作ったり。偶然とはいえ、行き先がそうなったのは全てダイのそれまでの行動によるものだ。
そのお陰で、パプニカ王家がアバンにデルムリン島にいる少年を勇者となるべく見てやって欲しいなどという信じ難い依頼をして来たのだから。そして、それが無ければ自分はダイに出会う事もなかった。
「次、か……。そういえば、まだ次の目的地決めてなかった」
言い終えると同時に、ダイがふあっと小さく欠伸をする。普段のダイならもうとっくに眠りについている時間だが、勝利の宴やら何やらですっかり遅くなってしまった。
「おっさんとヒュンケルが魔王軍の動向探りに行ったし、姫さんも各国の状況を調べさせてるし、そういうのが分かってから決めればいいんじゃねぇの?それまで、俺達は身体休めたり修行したり、いつでも動けるようにしようぜ」
「うん、そう、だね……」
基本早寝早起きであるダイは、早々に襲ってきた睡魔に負けそうな様子で何度も瞼を落とす。
寝落ちる前にアバンのしるしを仕舞っておけよとポップが声を掛けようとした次の瞬間には、小さな寝息が隣から聞こえてきた。相変わらずえらく寝付きが良いなと感心しながらも、ポップは嘆息を吐いた。
「あちゃあ、遅かったか。まったくしょうがねぇ奴だ、なぁ?」
ポップが同意を求めるように言うと、ダイの顔を覗き込むようにしていた金色のスライムが人間が肩を竦めるように羽を少し動かしながら「ピィ」と鳴く。少し前まではスライム相手に話し掛けるようになるなんて思ってもみなかったが、今ではすっかり慣れたものだ。
これも、ダイと出会わなければ出来なかった経験だろう。それまでの自分には、モンスターと親しくなるなんていう発想がなかったのだから。
ハハッと小さく笑うと、ポップは大事そうに握り締められていたアバンのしるしをダイの手からゆっくりと抜き取り、その首にそっとかけ直してやった。そのついでにそっと頭を撫でてやると、ダイが少し安心したように口元を緩ませる。
こうして寝顔だけ見ていると、とても魔王軍の六人いる軍団長のうち半分も倒した勇者様とは思えないほどあどけない。
本来なら、世界を救うなんていう重責を担うにはまだ早い年齢だ。ダイが起きて活動している時は、いつもその事を忘れてしまう。そして、夜になって先に眠りについた時にいつもこうして思い出すのだ。
だから守ってやらないといけない、という事ではない。寧ろ、こちらの方が何度も守られている有り様だ。でも、決して無敵ではない。その事は決して忘れてはいけない。
ダイ本人ですら、自分は勇者だからと言い聞かせている節がある。確かに、ダイの肩書きは勇者だ。でも、それ以前にダイはダイだ。自分が力になりたいと思うのは勇者の為ではなく、ダイの為だ。
ダイでなければ、きっと他人をサポートする為の補助魔法を習得しようなんて思わなかっただろうし、何が何でも駆け付けて一緒に戦おうなどと思わなかっただろう。
「お前の一体何が俺にそうさせるんだろうな」
当の本人には届かないと分かっていながらも、ポップはダイに向かって問い掛ける。届いたところで、困ったような表情を浮かべて俺に言われてもと返されただけだろう。
瞼を閉じれば、完成させたアバンストラッシュを鮮やかに決めたダイの姿が浮かび上がる。
今はあの背中を眺めている事しか出来ない。以前の自分なら、それでも良いと思えた。強い奴が頑張ってくれればそれでいいじゃないかと。でも、それがダイだと、途端に一緒に肩を並べたいという衝動に駆られるのだから不思議なものだ。
勇者の隣に立ちたがる魔法使いなんて、どうかしている。でも、仕方がないのだ。他の誰にもその場を譲りたくないのだから。
「その為には、明日から気持ち入れ替えて頑張んねぇとなぁ」
その意気だとでも言うように、握り拳を作るように羽を丸めたゴメが「ピピピィ!」と鳴く。思えば、ダイの身を案じて荷物に紛れ込んで後をついて来たこのモンスターとは、ダイに対する気持ちが似ているのかもしれない。自分の方に向かって突き出された羽に、ポップは「ありがとよ」と言いながらグータッチをするようにコツンと当てる。
そして、自分の首とダイの首から下がっている、全く同じ形状の首飾りをそれぞれきつく握り締めて、今後の旅の無事を祈るのだった。