染まる木々と、君の頬。「ねぇ、MC?」
RADの帰り道、手を繋いで歩くシメオンが不意にこちらを振り返ってたずねた。
「ん?なぁに?」
夕日に照らされたその顔に思わず見とれながら返事をすると、キラキラと輝くターコイズの瞳が興味津々でこちらを見つめた。
「人間界にはさ、『紅葉』っていうのがあるんでしょ?秋になったら木々の葉っぱが色づいて綺麗なんだって、写真を見せてもらったことがあるんだ」
「そうだね。山が赤や黄色に染められて、それを見てると『秋だなぁ』って実感するんだけど…そういえば、魔界にはないね?」
言われて初めて気が付いた。
魔界に来てから、四季を体感することはあまりない。
常に暗くて寒くて、夏はディアボロ所有のプライベートビーチを借りるか天界に遊びに行かないといけないほど、暑さや眩しさを感じられることはない。
俺もすっかり、魔界の生活に慣れきってしまって、忘れていた。
「うん。実は天界にもないんだ。ずーっと常夏。ちょっと暑いぐらいの気温でずっと晴れてて、南国みたいな鮮やかな花が咲いてる。だから、人間界のさまざまな季節が羨ましかったんだよね」
シメオンは、薄暗い空に手を伸ばしながらそう言った。
天界なんて、住みやすいことこの上ないのだろうと思っていたけれど、そうでもないらしい。
天使にだって憧れはあったのだ。
「ねぇ、明日、人間界に紅葉を見に行かない?俺、見てみたいんだ!」
シメオンは、体ごとくるっと振り返り、空に伸ばしていた手で俺の手を掴んで、両手がシメオンにぎゅっと握られてしまった。
恐らく、これがシメオンが最初から提案したかったことなのだろう。
「いいよ!どこがいいかピックアップしておくから、明日、楽しみにしてて!」
せっかくのデートなら最高のものにしたい。
俺は、徹底的にリサーチして、今、一番紅葉が綺麗に見られるところを探すことにした。
「わかった!じゃあ、俺もサプライズする!」
「えっ?なぁに?」
「教えなーい」
シメオンは、いたずらっ子のようにニカッと笑うと繋いだ両手をブンブンと横に振った。
その、可愛い言動にキュンっとしたが、人通りの多い夕方に、公衆の面前で抱きしめることははばかられた…くそぅ。
そうこうしているうちに、メゾン煉獄の門の前まで来たので、俺たちは軽くキスを交わし、明日の集合時間を決めて別れた。
さぁて、さっそく帰って検索開始だ!
――――――――――
翌日、集合時間にメゾン煉獄に向かうと、大きな荷物を抱えたシメオンが立っていた。
「おはよう!…って、それ、なに!?」
「…ナ・イ・ショ♡」
ウインクをしながら、唇を尖らせ人差し指を立てるポーズが堪らない!
だが、サプライズ宣言をされた手前、今ここで問いただすのはやめておこう。
というか、大きなバスケットな時点で、すでに答えはわかっているようなものなのだけれど。
俺は、事前に調べた場所を指定し、転移魔法を使ってシメオンと一緒に人間界へと降り立った。
そこは、静かな山の麓。
正直、俺もどのあたりなのかよくわからないほどの田舎だった。
「…ここ?」
シメオンが不安そうな顔で俺を見る。
そりゃそうだろう。
見渡す限り、木々は青々と茂っていて、紅葉の気配すら感じない。
「うん。頂上まで登るよ、シメオン。とにかく、この山から見る紅葉がめっちゃ綺麗なんだってさ!さっ、行こう!」
「う、うん」
俺は、バスケットを持つシメオンの手を握り、ザクザクと山へと入っていった。
事前に、少し歩くとは伝えていたので、シメオンもいつもとは違う、青いチェックのシャツにベージュのチノパン、白いスニーカーに首元に水色のセーターを軽く巻いたカジュアルスタイルで来てくれていた。
そんな、新鮮な格好とシメオンとともに、俺たちは山を登り始めた。
軽いハイキング程度だと思っていたのだが、歩けども歩けども風景が変わらず、半ば登山の様相を呈してきた。
握った手にも汗が滲み、時折シメオンの顔を覗くと、額にもじんわりと汗が滲んでいた。
「ねぇ…ちょっと、休憩しない?」
少し開けたところにベンチがあったので、俺はシメオンに声をかけた。
シメオンはコクリと頷くと、無言のままベンチに腰をかける。
バスケットの中から水筒を取り出すと、俺に手渡してくれた。
「…紅葉、本当に見られるんだよね?」
同時に水筒を傾けてゴクゴクと冷えた水を飲み干すと、黙っていたシメオンが、俺を見上げながらポツリを呟いた。
俺は、シメオンを不安にさせてるんだな、と改めて感じ申し訳ない気持ちになったが、昨晩徹底的に調べあげた自分のリサーチ力を信じる他なかった。
「うん!もうちょっとのはずだからさ、一緒に頑張ろう?俺も、シメオンと一緒に紅葉が見たくて一生懸命調べたから。…ね?」
水筒を持つシメオンの両手をギュッと包み込んで、シメオンの瞳を真っ直ぐ見つめた。
少し泣きそうに眉を寄せるシメオンも、俺の必死な様子を見てコクリと頷いたのだった。
見られる、俺とシメオンなら絶対に見られる!
それだけを信じて、俺は、左手にバスケット、右手にシメオンの手をしっかりと握りしめながら、一歩ずつ、徐々に険しくなる山道を登っていった。
終わりの見えない山道をひたすら登り続けること一時間近く、生い茂っていた木々の向こうに開けた場所が見えた。
明るく照らされたそこを指さし、俺はシメオンに声をかける。
「ほら!そこが頂上だよ!行ってみよう!」
俯きがちだったシメオンが、俺の声に顔を上げ、指さす方に光が見えると、目が大きく開かれ、瞳に輝きが戻った。
「うんっ!」
さっきまでの疲れはどこへやら。
俺たちは手を繋いだまま走り出した。
アーチのような木々をくぐり抜けた先には、さっきまでの険しい山道とは全く違う別世界が広がっていた。
山登りで疲れきった身体を労るような心地よい風が吹き抜け、その風が、広がった草原を波のように揺らしていく。
それはまるで、しがない人間の俺には、天国とも呼べるような場所だった。
ふと、シメオンが手を離し、両手を広げて草原にそよぐ風を目いっぱい吸い込む。
大きく深呼吸したその姿に、俺は大きく広がる白い羽が見えた気がした。
美しい。
そんなシメオンの姿に、俺は改めてそんな感情を持った。
時が止まったように、シメオンに見とれていたその時だった。
「…MC!こっち来て!」
深呼吸をして、数歩俺より先に立っていたシメオンが、振り返って俺を手招きする。
俺は、持っていたバスケットをその場に置いて、シメオンの方へと駆け出した。
「う…わぁ…!」
「すごい!とっても綺麗…!」
そこは、登ってきた山のまさに頂上の場所のようで、周囲の山々がパノラマで見渡せる。
そのパノラマが、360度、すべて紅葉だったのだ。
この山は山脈に囲まれているらしく、見上げても覗き込んでも紅葉が見える。
後ろを振り返ると壁のように色づいた山がそびえ立つ。
確かに、こんなにも紅葉を堪能できる場所はない。
こんな田舎の名も知らない山に、これほどまでに素晴らしい景色が待っていたとは。
慣れない山登りでヘトヘトだった俺たちも、この景色に圧倒され、疲れが一気に吹き飛んだ。
グゥ…
その時、静かな山に俺の体から発せられた怪獣の鳴き声のような音がこだました。
「…はは、落ち着いたらお腹すいちゃった」
「そう思って、サンドイッチ、作ってきたんだ!食べよっ!」
「やった!シメオンのサンドイッチー!」
やはり、あの大きな荷物はシメオンの手作りサンドイッチだった。
想像しただけでよだれが垂れそうで、俺はバスケットを置いた場所まで、シメオンに手を引かれながら駆けていった。
バスケットを開くと、思った以上にボリューミーなサンドイッチがパンパンに詰められていた。
手に取るとずっしり重く、卵にツナにトマト、ベーコン、レタス、これでもかと具が詰め込まれたスペシャルサンドイッチだった。
「こんなに用意するの、大変だったでしょ?」
サプライズのためとはいえ、朝早くから準備させてしまったのではないかと心配になった。
「ううん。紅葉が見れる楽しみと、何より、MCとのデートが楽しみすぎて早起きして作っちゃった」
シメオンはブンブンと首を横に振ると、嬉しそうに頬を少し染めながら答えてくれた。
そんなに楽しみにしててくれたなんて、俺も嬉しい。
ニヤける顔を隠すように、俺は分厚いサンドイッチを頬張った。
シメオンがバスケットから、先ほどとは違うネイビーの水筒を取り出すと、コップに注いで手渡してくれた。
そこからは湯気が出ていて、鼻を近づけると芳醇な紅茶の香りがした。
「紅茶も淹れてきてくれたの!?」
「うん。サンドイッチに合うお食事向けの茶葉、ちょうどバルバトスからもらったところだったから、一緒に飲みたいな、と思って」
この、至れり尽くせりのシメオンの愛情が、俺の心を掴んで離さない。
本当に、最高の恋人だ。
サンドイッチを食べ、紅茶も飲んで満足した俺は、ふと、シメオンにわがままを言いたくなった。
「ねぇシメオン。俺のお願い、聞いてくれる?」
「なぁに?」
「膝まくらしてぇ?」
言うやいなや、俺は、隣に座るシメオンの膝にゴロンと頭を乗せた。
「もう。いいよって言う前にやっちゃって。しょうがないなぁ」
とは言うものの、シメオンも嬉しそうに膝の上の俺を見下ろす。
感じるのは、爽やかな風と風が揺らす木々の音、そして、シメオンから伝わる体温だけ。
こんなに幸せな空間はないと思い、俺は自然と目を閉じた。
シメオンは、俺を包むように腕でそっと包み込んだかと思うと、ふと、左の手で俺の髪に触れた。
結んでいたゴムを解き、俺の髪を優しく撫でている。
「ほんとに、シメオンは俺の髪が好きだね」
「うん、キラキラしてて綺麗なんだもん。…あっ!」
不意に、シメオンが動くので目を開く。
すると、俺の目の前で、シメオンが色づいた葉っぱを指先で掴んでいた。
「ほら見て、MCの髪みたい。綺麗な黄色だね」
「そう?俺みたい?」
「うん、ほら、おんなじ」
そう言って、俺の毛先を、持っている葉っぱに近づけて見せてくれた。
日に透ける金色の髪と黄色い葉、それを嬉しそうに見つめる俺の恋人。
俺は、言わずにはいられなかった。
「シメオン…好き」
「…え?」
「好きだよ、大好き」
木々の音にかき消されたのか聞き返すシメオンに、俺は何度も愛を伝えた。
やがて、時間差でシメオンが耳まで赤くなると、俺の声が届いたのだとわかった。
「俺も…好きだよ。大好き」
そう言うと、シメオンが、俺の手を優しく包んだ。
俺の視界には、色づく木々と抜けるような青空と、優しく微笑む恋人の顔。
何ものにも邪魔されない、二人だけの空間。
忘れられない秋の思い出。
毎年、この季節にはここに来ようと思った。