不凍港(仮題) -1 寒さがとびきり堪える日は、街にうすい靄がかかる。
人々の生活をする息と暖房器具の蒸気が、たちまち凍りついてしまうからだ。璃月の山間にたちこめる霧を仰ぎ見たとき、ぶ厚い氷を刃がごりごりと侵食する音をタルタリヤは耳にした。
氷上釣りに行こう。
兵は神速を貴ぶ。思い立ってから目当ての場所に釣り糸を垂らすまで、大した時間は掛からなかった。タルタリヤには、以前から目星をつけていた湖があったので。
モンドの南、ドラゴンスパインと言う雪山の、山道を外れて分け入った奥深く。氷上釣りにはうってつけの湖だ。タルタリヤの慣れ親しんだ寒さより幾分かやわらいだ気候のこの雪山は、どこもかしこも凍りきらない水辺ばかりだったが、ここだけは違っていた。
先日の模擬試合の改善点をひとつずつ数えながら糸を垂らしていると、軽い手応えが返った。苦もなく引き上げた釣り糸の先には、ややほっそりとした魚がぶら下がっている。あたりまえだが、故郷のまるまると太った白身魚とは違う。
調理法をいくつか頭の中で並べていたタルタリヤは、ふと思い立って、魚の口から針を外すと近くの茂みへ放り投げた。さきほどから狼が一匹、こちらを伺っているのをタルタリヤは知っていた。釣果のひとつぐらい、投げてやってもバチはあたるまい。
釣り糸に絡みつく氷を手ですり落とし、また垂らす。すると叢の中から声がした。
「食べていいのかい、兄さん」
タルタリヤは目を瞬かせた。叢を振り向くと、顔を覗かせているのは、確かに灰色の大きな狼である。雪に塗れた巨体は野生の狼と変わりなく見えるが、その声は間違いなく狼から発せられていた。
「やあ、こんにちは。遠慮なくどうぞ」タルタリヤは続けた。「狼の仙衆には初めてお会いする。俺はタルタリヤ。君は?」
狼は前足で魚を押さえつけながら、ひと口ふた口と噛みついた。氷がわずかに血の色に染まり、狼は長い舌をべろりとやって応える。
「すまないが、仙というわけでもないから、名は無い。強いて言うなら化け狼か。長く生きていれば、言葉のひとつやふたつ喋れるようになる」
「へえ。色々あるんだなあ」
「人生いろいろ」
タルタリヤは思わず噴き出して、手に持った釣り竿を取り落としそうになった。もしかしたら、人外の友ができるかもしれなかった。
それから暫く、沈黙が続いた。狼は咀嚼を続け、平らげる頃にタルタリヤはまた魚を分け与えた。釣果は上々、狼が満足気に体を横たえても、まだ充分な魚が残されている。狼は喉をぐるぐる言わせて、機嫌良く口を開いた。
「やあ、随分馳走になった。しかし、忘れるところだった。ここまで世話になって恐縮だがね、そもそも、きみに頼みがあって来たのだよ」
「なんで俺に?」
「はぐれもの同士、助け合って生きていかなければ」
はぐれもの。
タルタリヤは首をひねった。そんな自覚は、終ぞしたためしがなかったためである。
またひとつ、釣り糸が引かれた。