その凍てつきは怒りに燃え初めて触れた兄の手は、乾き、冷たく、そして何より大きかった。
洞窟を抜け朝日霞む地平線を、ビハンの冷えた首筋に縋りつきながら眺めた時、カイリャンは初めて自由を知った。
襲撃の火の手燻る家屋は軋みながら崩落する。堅牢に思えた村という檻の消失に、長く虐げられてきた彼は喜びよりも不安を覚え、身を縮こませる。ぎゅうと目を閉じて、己が霧散する様な恐怖に耐えていると、冷気が背を這った。彼にとって唯一の縁の感覚に目を開けば、透き通った青に射止められた。
『大丈夫か』
大きく冷たい手に頬を摩られると、強張った身体中が蕩けていく。ゆっくりと脱力しながら、緩んだ瞳から止めどなく流れる涙もそのままに肩口に顔を押し当てると、太く無骨な腕に抱きしめられた。
『帰ろう。カイ。』
幼児の涙は彼自身を溶かすように熱く滴る。身体に渦巻く嗚咽と激情の熱は、背を摩る手にゆっくり濾過されていく。冷えた手が心地よくて、また一筋雫が落ちた。帰路に着きながら泣き疲れ微睡む彼は、ひんやりと熱を取り去る兄のかたちに安寧を結びつけた。
燐塊の広間は、今極寒の嵐に見舞われている。集まっていた者の中には逃げそびれ、苦悶の表情のまま凍りついた姿もあった。恐怖の源泉、嵐の中心に、カイリャンはいた。涙は己が異能で砕け散り、血液は凍結により膨張し皮膚を破り、霜で白くひび割れた肌から鋭利に露出している。アルカナの暴走、とりわけ覚醒した瞬間のそれだ。
慌しく武装し周囲を取り囲む兵士達を呆然と眺め、カイリャンは言う。
「誰の仕業だ。」
爪が深々と刺さる拳の内側は、赤い結晶が花開いて。絶えず降下する室温に怯えながら、兵士は『スコーピオン』と零す。
姿も知らぬ怨敵に、渦巻く念は暗黒色に燃え上がる。それはただ怒りではなく。兄の窮地に到底間に合わず覚醒した己自身への絶望。兄と瓜二つの異能に目覚めた仄暗い悦び。二度と触れえぬ兄への慕情と後悔。
全てないまぜに荒れ狂う嵐の中で、ただ一つだけ明確に理解した。
死ぬべきは、己だった。
隣を歩むと吹聴しながら、彼の後を追う安直さを捨てられなかった己自身が罰されるべきだった。
最早叶わぬ不可逆の願望の実を握り潰し、滴るのは憎悪のみ。
凍てつく寒さは、かつての安寧から激情と復讐の証として生まれ変わる。
「探せ、命に変えてでも。」
氷柱が生き物の様に辺りを這い、吹雪は一層激しさを増す。堅牢な根城ごと氷漬けようとする嵐の中心に、新たな頭領に、燐塊の兵達は絶対零度の再来を見た。