それは愛ってやつだよ「御苦労。報告を聞こう。」
樫の古木の下、じゅう、とほぼ新品の葉巻を足元に押しつけビハンは顔を上げる。兄のこの癖が、カイは嫌いだった。幼い頃は意味も分からずなし崩しに話しかけていたが、今や成人し正式に燐塊に所属する一暗殺者。髭を蓄え肉も育ったというのに、兄はこちらの姿が見えた途端煙草を消してしまう。未だ繰り返されるその所作に『お前は未だ半人前だ』と言われている気がしてカイは眉を寄せる。
「頭領、以前も申し上げましたが煙はそのままで結構です。フロストやスモークの報告では吸われているでしょう。私も同様に接して頂きたく。」
貴方様の許可さえあれば一本同伴しますよ、と続ければ怪訝な瞳で覗き込まれる。彼の水面の如き透明な碧眼にこの幼稚な羨望が映ってしまわぬように、目を細めた。目つきは悪くなっているだろうが、完全に自己防衛策だである。数秒の間じっと見つめ合い、結果己のやましさから先に目を逸らしたのはカイだった。
「....何か。」
「妬いたか。」
「は?な...っ?」
ふ、と口元を綻ばせる兄に胸ぐらを掴まれ、カイは雪崩れるように引き寄せられた。何をと問う前に、視界が彼の碧で一面染まる。げ、と身を翻す間もなく冷えた粘膜が擦り寄せられカイの咥内は燻された渋みで満たされた。最悪だ、と兄の厚い胸板を叩き抵抗するが、染み付けるような分け与えるような舌の動きは止まらない。稀に彼が奇行に奔ることはあったが、人目につく場所で堂々と行われるのは前代未聞だ。兄は好奇から、弟は体裁を失う恐怖から互いの目を離せない。
抵抗を続けながらカイは思う。以前もこうされた事があった。ビハンの腰ほどの背丈しかなかった時期に、同じように苦味を分け与えられたのだ。あの時は初めて見る葉巻に興味を持ち『それおいしい?カイも食べる!』と手を伸ばし求めたのだったか。
過去を回想すれば益々子供扱いされている事実に拍車がかかる。舐めやがって、と苛立ちのまま兄の喉仏を押してやっとの事解放された。
「大哥!!」
名残惜しそうになお唇を寄せる兄を掌で押しカイは息を整える。最後腰を固定されたのは危なかった、あの日はそのまま上体を反らさ渋いような甘いような兄の唾液を嚥下させられた覚えがある。かつての所業に粟立つ二の腕を摩り少し高い位置の双眸を見やれば、そこには嘲笑と揶揄の青が灯っている。
「意味不明なことはやめてくれ、昼間だし外だぞ大哥....」
喉をくつくつと鳴らし笑う兄に反省の色はない。彼は一度加虐や揶揄のスイッチが入ると後が長い。いつまでもいつまでも小馬鹿にして来るのは経験から知っていた。この状態の兄を相手にしても埒があかないと、唇を拭い背を向けると腰帯の上端をくんと引かれた。一応頭であるので報告は後ほど書簡でと振り返らず言うが、兄の指は帯から離れない。まだ何かあるのかとわざとらしく息を吐く。これから三日は続くうざ絡みを思うと気が重いばかりに、カイは兄の動きに気づかなかった。
音もなくぬっと背後から眼前に伸びるビハンの手にはカイがここに来る前に買ってきた煙草が握られている。ここで吸うだろうと帯に差し込んでいた物で、別段隠す気もなかったものだ。帯を弄っていたのはこれを見つけたせいらしい。これがどうかしたのか?と肩越しに見上げると、氷点下の瞳に射抜かれた。訓練でしくじった時に向けられてきた絶対零度の威圧が何故今。カイは突如激情を向けられ動けないでいると、兄の無骨な指の間、氷塊と化した煙草がゆっくりと握り潰される。ぱきぱきと繊細な音を立てて見せしめの如く粉となるそれを、カイは唖然と眺めることしかできない。
「お前は、吸うな。」
耳元に冷気と警告とを吹き込まれる。何故と聞く事は許されない絶対の命令に、首を縦に振るしかない。それを確認して、ビハンは冷気と圧を霧散させた。
「吸いたくなれば声をかけろ。またああして注いでやる。」
「絶対嫌だ....」
心底勘弁といったカイの表情にビハンはひとしきり笑い、そういえばと顎で報告を促す。流されるまま報告を告げながら、カイは喫煙についてスモークになんと相談しようかと思慮していた。数刻後、親友に頭領はお前が好きすぎるなぁと呆れられる事を彼はまだ知らない。