get ready そっと触れた箇所は想定通りに薄く、だがそれでも柔らかく、俺の唇を受け止めてくれた、少しの強張りもなく。
だから、というのは言い訳に過ぎないのだろうし、触れ合うや否や深く深く舌を差し入れてしまったのは失敗だったと自覚している。
だが。
その途端に、ひゅ、と呑まれる相手の息、びくりと反った背筋、それらの反応を具に感じて理性は飛んだ。
待ち望んでいたのだ、この時を。
幾年月も求めたのだ、この瞬間を。
それを、今、俺は、ようやく──
と、薄く開いたままだった瞼を完全に閉じかけたその刹那──
肩を押されて夢心地の感触は、離れて、しまった。
「……え?」
ぽかんとしてしまった俺を映している相手の──そう、今の今まで口付けていたヤギヤマの目は、苦しそうに歪んでいる。
「……ほんとは嫌だったのか?」
承諾を得たつもりだったが勘違いだったか? 大きく息を吐いたヤギヤマを案じるも
「っ、いえ、そうではなく──」
答えは否定。ならば? と問い追うより早く、
「長いので、息が、もたなくて」
と、返された。
長い? いまの、キスが?
「そんなに長かったか?」
触れたと思ったら離された、それが俺の体感だったのに、
「僕の鼓動数から、換算するに、少なくとも七分は経って、いるかと」
というヤギヤマの、息も絶え絶えの言葉に俺は目を丸くした。
さすがは狙撃手、という感心よりも、そんな馬鹿なという思いとともにつけっぱなしだったテレビの、キスする頃に始まったばかりの十分番組がいつの間にやらお決まりのエンディングテーマを流しているという事実よりも、なによりも──何年も望んでいた、大切な、時が、本当なら数分にも及んでいたのに体感的にはこんなにも一瞬で? という、絶望感で。
「……は?」
「は? とは?」
あまりの遣る瀬無さに首を傾げる俺。同じように疑問顔のヤギヤマ。
そこからたった数秒は、確かに数秒なのだろうが先のキスよりも短く感じた、少なくとも俺にとっては!
「もう一回‼︎」
「は、ちょ、ま」
「これ以上待てるか! 俺が! 何年、待ったと思ってる⁉︎」
「そんなの知りませ……っ、ぅ──っ!」
一度許可を得たのだ、もう待ちはしない。俺は狙撃手じゃない、待つのはやはり性に合わない。
慌てふためくヤギヤマの唇をもう一度──いや、これから何度でも──そう思い切って塞いだ。
触れた箇所は薄く、そして柔らかい、知っている、そう、もう知っている感触だ。
未知のものは少ない、その安堵が自然とすぐに瞼を下ろさせた。
今度こそは飛ばさず失わず、堪能してみせる、と、先と同じように滑り込ませようとした舌先が──先んじて、熱く蕩けた、何か、に、絡め取られた。
思わず開いた瞼。
視界に、映る、の、は
それはそれは楽しそうに、歪んだ、ヤギヤマの、引き摺り込まれるような深い、瞳の、色。
ああ、やられた。
息の詰まる感覚。
喉のすぐ手前まで広がる甘い痺れには、抗えようもない。
ヤギヤマは、自分の鼓動数で時間を、計っていた。
俺にはその術が、ない。
「っ、はは」
嬉しくて溢れた笑いは、ヤギヤマに聞こえただろうか。
息の仕方、それは知る前から知っていたはず、それなのに、分からなくなる。
そうか、これ、が。
粘膜を支配される、どろりとした、それでいて心地よい感覚、これが時を飛ばすのだな。
そう理解してしまえば、何も、狼狽える必要は、ない。
何分経ったのかなど分かりはしない、どうでもいい。
ただ目の前に、想い人がいてくれるのならば、俺はそれだけで、いいんだ。