五秒前「あった! ほら、あたしの言ったとおりじゃない」
「んぁ? 見せてみろよ」
「ほら、ここよ」
香が指差すスマホ画面を隣に座る獠が覗き込んでいる。
「字が小さくて見づらい」
「あんた、そろそろ老眼鏡が必要なんじゃない?」
「誰がだっ! たくっ、画面拡大すりゃいいだろ」
獠は香の背中に腕を回し、スマホに表示されている地図画像を拡大する。
「ほら、やっぱりここでしょ。あたしの記憶力もたいしたもんだわ」
「香ぃ。ドヤ顔で言っているが、お前と依頼人が歩いていた通りはここの一本向こう側だ」
「うそぉ! 駅からここの通りを歩いて彼女が行きたいって言ってた店に行ったのよ」
「だからそれはこっちの通りなの。画像縮小して見てみろよ」
「え〜、この道を真っ直ぐ歩いてたはずなんだけどな」
獠の言うとおりに香は素直にスマホ画面に触れ操作する。
「あれ? 駅がない?」
「だからこっち。ほれ、ここが駅だろ? それからこの通りを」
「あっ、ちょと待って」
画面にある道を辿る途中で香はスマホの向きを変えた。
「スマホをクルクル回すな! 画像を動かせばいいだろ」
「それだと分かり難いのよ」
「ここに北向きの表示があるだろ? それを目安に見ればいいんだよ」
「あたしの見やすようにするからいいの!」
「じゃあ、なんで目的の店の途中に無い店をお前は見たんだよ?」
獠の言うとおり、地図で見る限りでは、香が依頼人の女性と歩いた通りに今探している店は無い。
「え〜、確かにお店のロゴを見たはずなのに」
う〜ん、と記憶を辿る。
依頼人と歩いた場所は新宿ではない。でも、香の頭の中には確かに店のロゴを見た記憶がある。
「あっ! 思い出した! 彼女を狙っていた連中に拉致された車の中から見たのよ!」
あ〜、すっきりした。と言う香に獠は呆れたように口を開く。
「おまぁは……、拉致されても随分余裕あんのな」
「だって、近くに獠が居るのは分かってたし。それに彼女を狙っているのが誰なのかも知りたかったし」
「だからってなぁ」
「なに? あたしと彼女が拉致られている時にナンパしていた獠が何か文句でもあるの?」
「えっ……、いや、それは」
「全く! さゆりさんの時と同じじゃない! いくらあんたの事を信頼してるって言っても、それとこれは別なんだからね!」
「うっ、それでもちゃんと二人の跡を追っただろ」
「あたしが付けてた発振器のおかげでね!」
「でも、それは俺からで」
「言い訳無用! あの時もあんたは!」
いつもの定位置の席に座る二人の視界から外れたカウンター内で美樹の口が開く。
「ねぇ、ファルコン。香さんと冴羽さんのやり取りっていつまで続くのかしら?」
「俺に聞かれても分からん」
「ミキ。二人はここがキャッツだと忘れているんじゃないのか?」
カウンターに片肘をついたままでミックは言う。
「ミックもそう思う? だとしたら、二人はアパートでもあんな感じなのかしら」
香からも獠からも。誰も二人が仕事上のパートナーからそれ以上の関係になったと聞いたことはない。しかも、長年共に有りながら美樹たちが見る二人の距離は今までにない程に近い。
「完全に二人の世界だね。リョウに至ってはオレから香を遮るように背中を向けてるし」
きっかけはミックが先日取材をした店の話しからであり、同じく、最近受けた仕事でその店の近くを通った、と言う香に獠が『通りが違う』と言い今に至る。
「あの様子だと、近いうちに香さんから良い報告が聞けそうね」
笑みを溢す美樹と違い、海坊主とミックの表情は複雑だ。
「『新宿の種馬』が潔く年貢を納められたらいいがな」
「カオリの想いが成就できのは喜ばしいが相手はあのリョウだからな……」
「あら? 冴羽さんって意外と一途なのかもよ?」
「一途すぎて嫉妬深くなるんじゃないかな」
獠の背中を指差すミックの美樹は「それも否定できないかも」と苦笑する。
「それより、いつまで放っておくんだ?」
「止めたいとは思うが、オレたちの声が二人に聞こえるかどうか」
「あら、それなら大丈夫よ」
「と、言うと?」
「香さん伝言板の確認に行く時間に合わせてスマホのアラームをセットしてるのよ」
そろそろ鳴るはず。と美樹は言う。
獠と香、二人のいる場所が馴染みの喫茶店だと思い出し、赤面するまで後、五秒……。
了