不機嫌な彼 ベッドの上であたしは膝を抱えて沈黙している。
なんでこうなったんだろう……。
久しぶりに入った仕事の後で疲れているのに。横になって暖かい布団で眠りにつきたい。それが出来ないのは今いる部屋があたしのではなく、獠の部屋だからだ。
チラっと、横目で獠を見ると左脚に肘をついて不機嫌な顔をしているのは当然だと思う。だってこの状況を作った原因はあたしにあるのだから。
「あーぁ、仕事も終わって獠ちゃんゆっくりと寝たかったのにな」
獠は隠すことなく言葉でも不機嫌さを現し始めた。
「わ、悪かったわよ! あたしだってこんなことになるとは思ってなかったし!」
「悪いって言ってる奴の態度じゃねぇな」
「うっ……。ご、ごめん」
あたしだってこの状況をどうにかしたいわよ!
「大体、なぁんで俺と人形を見間違えるんだよ」
「そ、それは……」
そう。この状況を作った原因はそれなんだ。受けた仕事が終わり依頼人を見送ったのは夕方のこと。獠は冴子さんに呼び出されて夜には帰り、あたしはその間に買い物と夕飯の準備をした後に、少しでも疲れを癒やそうとお風呂に入って自室に戻るとベッドにいる見慣れたジャケットの後ろ姿に条件反射でハンマーを振り下ろしてしまった。
「だって、あの人形は!」
「俺に似せた人形だからって言いたいんだろうが、ベッドに置いたのはおまえだろ?」
「そうなんだろうけど……」
それについては記憶が曖昧なのよ。依頼人と一緒にいた五歳の男の子があの『りょうちゃん人形』を気に入ってクローゼットから出していたのは覚えてる。けど、依頼人の荷物を纏めていた時あの子が遊んでいた後、どうしたのかハッキリしない。
「……判った。獠も疲れているだろうから、あたしやっぱりリビングのソファで寝るわ」
ベッドから降りようとすると獠が止める。
「襲撃されて銃弾が埋め込まれてるソファにか?」
「じゃあ、そこのソファで寝る」
「布団、一枚しかねぇぞ? 夜中に寒いっつてベッドから追い出されるのはごめんだぞ」
じゃあ、どうすればいいと言うのだろうか。何もないと判っていても獠はあたしと同じベッドで寝たくないだろうし。
「で? どうすんだよ?」
「……とこに行く」
「はっ?」
「かずえさんとミックの所に行く! 事情を話せば一晩だけでも泊めてもらうよう頼むわ」
そうよ、初めからそうすれば良かったのよ。
「かずえくん、仕事でいねぇぞ?」
「……えっ?」
「ミックが言ってたろ? 来週まで一人だって」
「…………。そう言えば……」
仕事が入る前に遊びに来ていたミックがそんなことを言っていたような。
「ミックしかいねぇのに泊まらせてもらうのか?」
あれ? なんか獠の声が低くなった?
「……ミックは優しいから泊めてくれるはず?」
「はぁ⁉ 何言ってんだよ!」
「な、何よ! 別にいいでしょっ!」
「ミックだぞ? 数少ないおまえに夜這いしかけた男の所にわざわざ喰われに行く気かよ⁉」
「言い方っ! ミックにはかずえさんがいるから、あたしに手を出したりしないわよ」
はぁぁぁぁ、と深い息が獠の口から吐き出される。
「ミックの所が駄目なら美樹さんに連絡してみるわ」
「新婚夫婦の所にか? 野暮なことするんじゃねぇよ」
「じゃあ、教授の家!」
「夜中だぞ? 年寄りは寝てる時間だ」
「うーー、それじゃあ冴子さん!」
「後で面倒くさいうえにタダ働きさせられてもいいのか?」
「じゃあどうしろって言うのよ! あんたは不機嫌だしこのままって訳にもいかないでしょ!」
一瞬の沈黙の後、獠が口にする言葉にあたしは更に戸惑いを覚える。
「俺が何で不機嫌だと思う?」
「それは……、あたしと一緒のベッドで寝たくないから……でしょ……」
「違う。それじゃねぇ」
違う? 今、獠は違うと言った?
「違うなら何だって言うのよ?」
「自分で考えてみろよ」
………………?
「『どうせ一緒に寝るならもっこり美女が良かった』ってことでしょ。あんたはあたしを女として見ないし」
あー、自分で言ってて虚しいな。でも、獠はあたしを女としては見てくれない。
「俺じゃなく、香が、だろ」
「あたし? あたしが何……、きゃぁっ」
不意に右腕を掴まれ気づくとベッドに押し倒され獠との距離が近い。
「ちょっと! 何するのよ⁉」
「香を押し倒したんだよ。文句あるのか?」
「文句あるわよ! こんな時になんの冗談なの!」
「冗談? 俺はずっと我慢してんのに、なのにおまえは無神経にもほどがあるだろ」
無神経とは? あたしが獠に何をしたって言うの。
「おまえが俺を『男』として見てねぇのに腹立ってんの」
「……は? あんたが女だと思ったことないけど?」
がくん、と獠の首が項垂れる。ほんとにいったい何なのだろう。
「だから! そうじゃねえ! この状況なのにおまえの格好は何なんだよ!」
「格好? 何か変?」
「そんな胸が開いた服着てすっとぼけてんじゃね」
「すっとぼけてないけど。それにこれはいつもの格好だし」
「あぁ、そうだよ。そんな薄着でヘソまで出して俺の目の前をウロウロして。それで手を出されねぇって安心してるとこがムカつく」
そんなことを急に言われても。
「あんただって、あたしのこと女として見てなかったじゃない!」
「いつの話しだそれは? 今は前とは違う」
急にそんな違うと言われてもこっちも困る。あれ? なんか凄く恥ずかしくなってきたじゃない!
「えっと、あ……、この格好が気に入らないなら、き、着替えてくるから」
「その必要ねぇよ」
獠の顔の距離がより近くなり心臓の音が大きくなる。
「あぁぁぁ、無理っ! だめっ、心臓が口から飛び出そう!」
「飛び出さねぇよう塞いでやるよ」
「まっ……」
最後まで音が出せないのは獠は言葉通り、獠の唇はあたしのそれを塞いだ。
了