休憩 突き刺すような冷たい風が、露わな頬と、テラスの照明、足元の籠に置いた紙袋を撫でていく。
向かいに座るファイヤーマンが肩をすくめて目を固く閉じ、小声で情けない悲鳴をあげた。その手のひらに包まれたカップの中身は、自分のものと同じく、既に暖を取るには心許ない温度になっているのだろう。
「さっさと飲んでしまえ。もう帰るぞ」
労りのつもりで投げた言葉に、震えていた彼は渋い顔を返してきた。
定期検査の為に研究所へ帰っていた休日。検査も処置も終え、揃って暇を持て余しているのを見かねた姉に、ふたりまとめて買い出しを頼まれた。
量販店や商店街に足を運び大小様々な品を揃え、終えた頃には街の明かりが灯る時間になっていた。ふたり荷物を携え共に家路に就く途中で、洒落たカフェを見つけて足を止め、どちらからともなく一休みをすることを決めた。あいにく厚いクッションの乗ったソファが置かれた暖かい店内は、若い人間やロボット達で席が埋まっており、その時はまだ歩き詰めた後で機体が暖まっていたので、オープンテラスへの案内を快諾してしまったのだった。
吊り下げられたランプの淡い光と、レトロなストーブからの仄かな熱。見目の雰囲気は良いが、日も落ちかけ寒風吹きすさぶ中で、開放的なテラス席に座っているのは我々だけだった。
彼は最初こそ腰を下ろして休めることに喜んでいたが、ひと心地ついて間もなく、遮るものがない冷気に晒され、すぐに機体を震わせ縮こまってしまった。
彼の身に用いられている材質自体は冷えにくいものらしいが、関節部のグリスは火を操る性能に合わせ、高温下には耐えられる反面、冷えると途端に粘度が高くなり、節々の軋みや痛みとなって彼を苛むという。
おそらく内部では、機体温度を最適化させようと炉がフル稼働をしているはずだ。
今触れたら、彼の機体自体はとても暖かいのだろう。
優雅な造りの鉄の椅子は温もりを残せず、カップのブレンドオイルからも瞬く間に熱が奪われていく。
そこまで寒さに弱いわけではない自分も、胴や手足が冷えてきて気怠さを感じ始めた。店内から漏れ聞こえる笑い声が羨ましい。
消沈しながらオイルを啜る様子があまりにも哀れに見えて、帰宅を促した。エネルギーを補給し、すぐさま燃焼させて消費している、彼のこの時間が意味のあるものには思えなかった。
カップに目線を落とした渋面を見つめる。
「今日の買い物さ……」
身じろぎ、背中を丸めて、彼が呟いた。
「久しぶりにお前と出掛けたから、デートみたいで楽しかったんだ」
だから本当はまだ帰りたくない、逢瀬を終わらせたくないんだと、こちらを見やり口を尖らせる。
電子頭脳も冷えてうまく回らないのか、いじらしい恋慕を突然浴びてなんと返せば良いのか全くわからなくなり、口を開けたまま硬直してしまった。
そんなことを考えていたとは全く気が付かなかった。今日の彼は、家族としてのスタンスを崩さず、兄弟のような友達のようなさらりとした言動しか見せていなかった。
互いに惚れ込んでいるこの関係は他者には秘めたものであり、時と場所を選ぶものだと納得をしていたので、自分も兄弟機のままの距離感で一日を過ごしていた。
隣で穏やかな笑顔を浮かべながら、内心は舞い上がっていた彼の気持ちを想像して、胸がこそばゆくなる。
確かにこのまま帰路を辿れば、家族の待つ我が家では他の兄弟たちへの応対に追われ、あっという間に床に就く時間になり、明日の朝にはそれぞれ職務へ戻ってしまう。
好いてやまないこいびとと、心を交わす時間の余裕がないことにようやく気が付いた。
胸からじわじわと昇り頬へ集まる熱を、どうにかカップで隠そうと、まだ少しほの温かいオイルに口をつける。
頼まれた物はスムーズに調達が済み、幸いまだ時間はある。
ふと思いついた、睦み合える暖かい場所の名前に自ら羞恥を覚え、言うか言うまいかを迷って唇を薄く開き、彼を窺い見た。
風が当たる面積を少しでも減らそうと、テーブルに肘をつきこちらに身を乗り出すように長身を丸め、小さく震えている。しかしその目は熱くこちらを見つめ、慕わしげに笑みを湛えていて、視線が交差した瞬間どうしようもなく愛おしさが募った。
「……もう一ヶ所、寄り道するか」
思わず口にしてしまった言葉に、彼は目を丸くしたのち、意味を捉えて微笑み頷いた。瞳の奥に炎が灯る瞬間を目の当たりにし、自分の機体も既に熱を持ち始めている。
また冷たい風が頬を撫でていったが、火は消えそうになかった。
(2023/02/02 mina)