本当の意味で誰かと恋人のなりたいと思ったことはなかった。それはまあ、性的接触に興味がないかといえば大いにある。健全な男子高校生なのだ。でも、例えば誰かとペアルックで手を繋いでデートとかいうカップルになることは自分には無理だと思っていた。そんな恥ずかしい真似ができるか? だって(1)告白→承認 (2)ペアルック依頼→承認 (3)手を繋ぎたい→承認 と、ステップが多すぎる。千早瞬平という人間は自分で言うのもなんだが、他人に相談しない、人に胸襟を開かない。そんな人間が誰かと恋人同士!? なれるわけがないだろう。当然(4)性的なことがしたい→承認 も夢のまた夢である。誰かと何かがしたい、しかも割となんというか恥ずかしいことをしたい、そんなこと言えるか! 拒否されたら恥ずかし死にしてしまうかもしれない。臆病者、チキン野郎と言われようと無理なものは無理だ。仮に相手から言ってくれたら、しょうがないですね〜って承認パートだけならいけるかもしれない。本気で嫌なことは嫌って言って、ほとんどのアクションは相手任せで……それって本当に付き合ってると言えるのか? 相手にとって俺と付き合うメリットがなくないか? 恋人ってなんだ? 後輩の瀧はよく七人もの彼女とこんなことをやっていられるな。わざわざ言葉にしなくてもムードで分かるタイプの人もいるらしいが、それは信頼関係あってのものだろう。心を開かない千早に果たして空気を読めるのか。そもそも、千早には潔癖なところがある。これも誰かと恋人関係になることに積極的になれない事情だ。千早と他人の接触不快ライン。その線引きを恋人であろうと超えて欲しくないのか、恋人にはむしろその線を超えて欲しいのか。千早自身でも分からない。恋人ができたことがないから当然なのだが。小手指野球部員、特に同学年には随分緩くなっている自覚はある。藤堂君ならおにぎりだって食べられる。
恋人が欲しいとちっとも思ってないくせに、瀧に対して見栄を張って嘘を吐いた日はめちゃくちゃ恥ずかしくなり家に帰って転げ回った。今は興味ないんでとか野球一筋なんでとか言っておけばよかった。さておき、いま現在の千早瞬平のキャパシティで"恋人"を受け入れるのは無理だ。
だから非常に困るのだ。
期待と不安の、どちらかというと期待が勝った顔で俺を見る藤堂君。これ断ったら藤堂君が恥ずかし死しちゃうんだろうか。登校や帰り道が同じにならないようにするんだろうか。それは困る。二遊間だし、隣の席だし、おにぎり美味しいし、くだらない話をケラケラ笑い合いたいし。でもここで告白を受け入れたところでどうなる? 手を繋ぎたいとかハグしたいとかキスしたいとか言う藤堂君にいいですよー、だめでーす、家ならいいですとか答えて、それなりに付き合って、でもこっちから藤堂君にしたいことやして欲しいことは恥ずかしくて口に出せないで。そうしたらどうなる? 藤堂君は俺が無理に付き合ってるんじゃないかって考えるじゃないか? ああ見えてデリカシーはあるし、無理強いし過ぎず引く時は引く"いい人"な藤堂君は別れを切り出すんじゃないか? それを、俺は、承諾するしかないんだ。腹を割って話せない、打ち解けた関係を作れない、そんな俺のせいなんだから。
要君に打順を回した時に消えたはずの壁が復活した気がする。
藤堂君たっての願いで勉強を教えにきた今日。妹さんはお泊まり教室で、お姉さんはせっかくだからと外泊で、お父さんは宿直で、じゃあ二人っきりなんですね。おお。……これ完全に藤堂君は告白するために俺を家に呼んだんだな。
ちゃぶ台の向こうで藤堂君はじっとこちらを見つめている。そんな赤い顔をしてるのに目を逸らさないで、ちゃんと気持ちを言葉にして……そんな藤堂君がなぜ俺を好きになるんだ。千早には全く分からない。分からないが、傷つけたくはないし……それに藤堂君なら。
「藤堂君、付き合うにあたって一つ、ルールを決めましょう。手を繋ぐとかキスするとか、そういうことをする前には相手に許可を得るっていう……どうしました?」
ものすごく驚いた顔をする藤堂君。
「や、あの、付き合ってくれんの!?」
「好きだ、付き合ってくれって言ったの藤堂君じゃないですか……もしかして冗談だったとか」
「んなわけねーだろ! ちげえ、そんなあっさり付き合えるとは思ってなかったっていうか……千早も俺のこと好きだったってことか?」
藤堂君が好きかどうか、考えてもみなかった。
「えっと……」
好きかどうかは考えてもみなかったけど、断って距離ができるのは嫌だった。交際した後に別れを切り出されるのも嫌な気がした。そして藤堂君にはもしかしたら自分から、千早瞬平から我儘を言えるかもしれない、おにぎりだって食べられるし。ハグくらいならできるかも、みたいな。
つまり打算だ。そんなこと言えるわけがない。
再び黙りこくった俺を藤堂君はどう思ったのだろうか。
「……千早、キスしたいんだけど、いいか」
「え!? えっ…えっと……童貞のくせに思ったより手が早いんですね〜……あ、あの、うがい、してからなら、まあ」
そうして二人してうがいをしてからキス。それから三年、今ではハグもキスもセックスも千早から誘うこともある……というより目で合図して藤堂君に言わせている。藤堂君が意地悪して言ってくれない時は仕方ないから千早がちゃんとお願いする。あの日を振り返った藤堂君曰く「付き合うのもキスも嫌がる素振りねーんだから両思いだろ。恋人が欲しくないとか言うのも気持ちと向き合うのに逃げてただけじゃねえの」恋人とは言え分かったような口を利く藤堂君に腹が立ち、キスがしたいというのを突っぱねた。しゅんとするのを見て溜飲が下がったので、やっぱりいいですよと言ってあげる。許可制は続けて良かったなと思う。