よっぱらいの贈り物 ひどい頭痛で目をさます。ぐわんぐわんと世界が揺れているような感覚に、体を起こすことすらできない。やがて胃のあたりで不愉快な感覚が渦を巻いたので、ダンデは水を求めてしぶしぶベッドから背中を離す。中途半端に引かれたカーテンからは、いっそ攻撃的なまでの陽光が差し込んでいる。既に真昼。昨日の夜は飲み過ぎた。
まず何をすべきかといえば、アルコールのにおいをぷんぷんと纏った体をなんとかしたいところだ。胸元が大きくはだけたしわくちゃのシャツを脱ぎ捨てて、スラックスへ手をかけたとき、ポケットのわずかな膨らみに気がついた。あくびを噛み殺しながら緩慢な動きで探ると、中から妙なものが出てきた。手のひらへ転がしてみると、それはストローの袋をねじって輪っかにしたものだった。
またか、とダンデは思う。このごろ酒を飲むたびに、こういう謎の「おみやげ」を持って帰ってきているのだ。この前は小さなヘアゴム、それより前は、フープピアスの片方だった。それ以外にもこまごまとあり、正直ダンデにとってはそこらの石よりも使い道がないものだったが、とりあえず机の引き出しの中へ放り込んでいる。別に捨ててもいいのかもしれない。けれどダンデは、ひょっとするとこれらの持ち主(または贈り主か?)が、昨夜共に飲み明かした友人であるかもしれないと思うと、どうしたって無下には扱えないのだった。
かろうじて輪の形を保っている、ストローの袋をつまみあげる。ヘアゴムやピアスはともかく、これはどこからどう見ても明日の燃えるゴミに出すべきものだと思ったけれど、それでもダンデはいつものように、引き出しの中へ放り込んだ。昨夜のことが、おぼろげに浮かびあがってくる。いつもうまい酒を教えてくれるキバナが、「ここのジン・フィズが大好きなんだ」とレモンをつついていたのを思い出す。そのあまい微笑みを前にして、ダンデは「それじゃあ、おれも」と言うのが精一杯だった。暴れる心臓のせいで、声まで震えないように必死だった。ダンデはキバナに恋をしていた。
キバナと夜を過ごす時、緊張を酒でごまかそうとして、ダンデはついつい飲みすぎる。キバナがあれやこれやと勧めるままに、グラスを空けてしまうのだ。彼との時間は一秒だって忘れていたくないけれど、結局いつも最後のほうは覚えていない。もったいないので、アルコールは控えようと思ったこともある。けれど、しらふではできないことが多すぎて(例えば偶然を装って手に触れてみたりだとか)、やっぱり酒に頼ってしまう。
とはいえ記憶を飛ばすだなんて、いい大人のすることではないのも知っている。たしなみ、というものを覚えなければ、とダンデはぶるぶる頭を振った。そうして、よけいに頭痛がひどくなった頭を抱えながら、バスルームを目指してよたよた歩く。
「ここはね、マティーニがおいしいよ」
カウンターに肘をつき、キバナがまなじりをゆるめている。互いの顔がほのかに分かる程度の明かりの中で、その表情は香りたつような色気を放っていた。ダンデは背骨が溶けてなくなってしまいそうな感覚に襲われながらも「それじゃあ、おれも」とかろうじて口にした。
今夜もキバナに誘われて、彼のお気に入りだというバーにやってきた。いつものように他愛もない話をして、笑い合い、ときどき静かに視線を絡ませては、またくすくすと笑う。ダンデの心が、もっとも沸き立つひとときだった。
やがて杯も進み、「次はどうする?」とキバナが尋ねたところで、ダンデはふと明日の予定を思い出す。そういえば、早朝からイベントの準備があったのではなかったか。こっそり腕時計へ目をやれば、もうすぐ日付が変わろうとしていた。
「モスコミュールもおすすめだぜ」と、そろそろ言葉の端がまるくなってきたキバナが言った。
「あー、せっかく、なんだが……」
「なあに?」
とろんとした瞳がダンデを見つめる。ダンデはこれまで、恋なんてしたことがなかった。こういったことの経験値なんてゼロに等しい。だから、頬杖をつき、甘えるように問う好きな人に、きっぱりノーをつきつけるなんてできない。
「じゃあ、一杯もらおうかな」
「やったァ、ぜったいダンデも気に入るよ」
マスター、お願いね。キバナが嬉しそうにカウンターへ声をかけた。その時ダンデは、暗がりからぬるりとやってきた彼に向かって、必死にめくばせを送った。もう何年も客商売をしている彼は、どうやらその意味に気づいたらしい。ダンデにしか分からないくらい小さく頷くと、再びカウンターの奥へ消えた。マドラーが氷と触れる軽やかな音が聞こえてきたかと思えば、戻ってきたマスターから一杯のグラスが差し出される。口をつけると、ジンジャーエールの味しかしなかった。ダンデはこの熟練のマスターへ、視線だけで感謝を伝えた。
「おいしい?」
「ああ、うまいぜ」
こうして夜が更けてゆく。キバナだけはいつもどおりにグラスを空け、ダンデはずっとカクテル風のジュースに口をつけていた。酒を控える判断はできても、早く帰るという選択肢はない。よい機会だと思ったのだ。いつも失っていた記憶には、一体何が詰まっていたのかを、ダンデは知ろうとした。
やがてカウンターに突っ伏してしまったキバナが「ねえ、ダンデ」と言った。ほとんど寝言に近いそれに、いちいち胸を弾ませながら、ダンデは「どうした?」と返事をする。
「これ、あげるね」
えへへ、と彼にしては幼い表情で渡されたそれは、いつの間に作っていたのだろう、カクテルを飾り付けていた花や葉っぱをよりあわせた輪っかだった。酔っているわりに器用なものだ、と感心する一方、これがどういう意味か分からず「これは何だ?」と素直に尋ねた。するとキバナは唇を尖らせて、なにやらもじもじと視線を彷徨わせてから、ぽそりと言った。
「こんやくゆびわ」
……へ? と、ダンデの口から間抜けな声が漏れる。けれどそんなことに構わず、キバナは続けた。
「ダンデ、おれさまと、けっこんしてください」
はっと息をのむ。顔を上げると、青く美しい瞳がそこにあった。酔いに潤んではいるが、真っ直ぐダンデを見つめている。
たちまち、ダンデの引き出しの中へ放り込まれっぱなしだったあの「輪っか」たちが、明確な意味を持ち始める。ストローの袋をねじった輪っか。小さなヘアゴムの輪っか。かたっぽフープピアスの輪っか。あれはがらくたなんかじゃない。そのひとつひとつが、きっと。
なんと返事をすればいいのか分からなくて、黙ったままそれを受け取った。ダンデが大切そうにそれを手のひらで包んだのを見届けたキバナは、満足気ににっこり笑うと、そのままカウンターに顔を伏せてしまった。数秒と経たず、穏やかな寝息が聞こえてくる。きらめく夜にひとり取り残されたダンデは、「ゆびわ」を抱えたまま、体の内を暴れ回るあまい感情に耐えかねている。
ああ、おれは、なんてことを忘れてしまっていたのだろう。これまでも、こんなことが繰り返されていたのだろうか。おれは今までに何度、キミの拙いプロポーズを受けてきたのだろう。そのひとつひとつが、泣きたいほど惜しくなってきた。
いや、それよりももっと大事な問題がある。と、ダンデは気づいた。
すやすやと眠るキバナの頬を、人さし指でつっついてみる。
「明日の朝、目覚めたキミは、このことを覚えているのか?」
キバナは唇をむにゃむにゃとさせるばかりで、夢の世界から帰ってこない。
まあ、いいや。ダンデはその頬を撫でながら思案する。
次に会った時、答え合わせをしてみよう。これまでにもらった贈り物を全て、キバナの前にずらりと並べるのだ。覚えていなかったら、今夜のことを話してやる。けれど、もしも覚えているのだとしたら。
「……そしたら、今まで贈ってくれた言葉をぜんぶ、もう一度おれに聞かせてくれよ」
ダンデの薬指は、アルコールがほんのりと香る花の指輪で彩られている。
(よっぱらいの贈り物/2022.01.15)