ゴリムチュウ通りがかりの名前も知らないような男だったら、よかったのに…と今になって思うが、もう既に事後であるからどうしようもない。
酔った席での戯れと、お互いがすっぱりと忘れてしまえばよいのに、何故この男は俺の前にいるのか。
恋の相手なら、救いがあったのかもしれない。
だが、君とはそんな可愛らしい関係ではないはすだ。
ジョークだと、笑い合えばいいのに。
なぜ、そうやって、俺を煽りにくるのか。
このまま、どこまで堕ちるつもりなのか。
………………
事の発端は、気の合う仲間が集まった、ただの飲み会だ。
久しぶりに酔って、気分が開放的になっていて、隙があったのだろう。そう、この飲み会の直前に、魔界に行っていたのもよくない。奔放だった妖狐の頃の感覚が蘇っていたのかもしれない。
久しぶりに飲んだ酒に酔い、気持ちのよい時間を微睡んでいた。周りの者も酔っていて、何か楽しげに盛り上がっていた。また他方で、すでに酔い潰れて寝ている者もいた。少し離れてそんな風景を眺めていたのだ。そこに、酒が入ったグラスを片手に、この男…幽助…が隣に座ってきたのだ。
「珍しいな」
と声を掛けられる。
「酔ってんの?」
と問い掛けられ、まさか。酔ってませんよ。と言いながら、ああ呂律が回っていないな。なんて冷静に俯瞰している自分がいた。
この男は、ますます艶が出てきたな。なんて思いながら、久しぶりに顔をじっくりと、頬杖をつきながら眺めてしまった。
多分、こんな事をしてしまったのは、全て酒のせいだ。
「大人になったね」
と呟いてしまったも、きっと酒のせい。
初めて会った頃は、まだ少年で、一生懸命に自分の人生をがむしゃらに突っ走っていた。
今は、どっしりとした余裕を携え、それが色気となって艶が増している。そう思える男になっていた。
本当に、この浦飯幽助という男は、傍で見ていると、面白い存在だ。
「ガキ扱いかよ?」
と彼はグラスから酒を飲みながら、不貞腐れる。
「そんなつもりはないんだ、幽助」
思わず、手を伸ばして、その髪を撫でてしまったのも、酒を呑んだせいなのだ。
「イイ男に成長したなぁ。て、思っただけ」
心の中にしまっていた声を、溢してしまったのも、酒に酔ってるからなのだ。
「なんだよ、それ」
そう幽助は言いながら、グラスを煽るとそのまま。
幽助に頭を抱えられた。と思った時には、くちびるが、塞がれていた。
遠くで、馬鹿騒ぎの笑い声が聞こえる。
口の中に、液体がとろりと注がれ、それが触れたところが熱く火照る。口の端からも液体が溢れ出るが、お構いなしだ。
頭を抱えこむ幽助の手の指が、するっと髪を梳き、耳朶を撫でる。
コクリと液体を嚥下すると、満足したのかくちびるが、指が離れていく。
「もう、オコサマじゃあ、ないんだぜ?」
そう言いながら、幽助の指が顎を伝う液体を拭い、ぺろりとその指先を舐めた。
「なん…ですか……これ?」
「ん?けっこうアルコール度高めの酒?」
「そうではなくて……」
頭がくらくらするのは、強い酒を呑んだからだけではなくて、不意うちでこんな仕打ちを受けたからに他ならなくて。
「なんで…こんなコト」
顔が熱いのは、この行為のせいなのか?
はたまた、ただの酒のせいなのか?
「…したかったから」
そう言われて、ああ、そうですか。それは仕方ないですね。なんて、言ってやれれば良かった。こんな冗談は、金輪際ダメですよ。と窘められれば、よかったのに。
今、考えれば、周りはこのコトに気づいてはいなかったのか。相変わらず、馬鹿騒ぎの声が止まっていなかったのが救いだ。
「なぁ、この続きもしてみる?」
今、自分はどんな顔をしているのかなんて、この時は想像する事ができなかった。そう、酔っていたのだ。
そう、酔っていたから、拒否をする。という行動を出来なかったのだ。
酒のせいで、理性が機能していなかった。
どうやってあの場を誤魔化したのは覚えていないが、気付けばベッドの上で幽助に組み敷かれていたのだから、どうしようもない。
………………
「で、今日は俺に、何の御用ですか?」
努めて冷静に。いつも通りの調子で、話し掛ける。
例の件から、そう日も浅くない。俺を待ち伏せでもしていたのか、家の玄関で幽助にバッタリと会ったのだ。
「御用っていうかさ?」
と彼はズボンのポケットに手を突っ込みながら、明後日の方向を向いている。よく、照れている時にみせる姿だ。
「……カラダ、大丈夫?」
何故、こう、オブラートで隠しきれない直球で訊いてくるか。確かに、感情に真っ直ぐな所が君の良いところだ。しかし、時と場合も考えて欲しい。と思わず大きく溜息を吐いてしまう。
「……忘れません?その事」
あれは、酒の席の戯れ。妖怪って、そういうトコがあるんですよ、知らないんですか?
とできる限り、情があったことを隠す。君には気付かれたくないのだ。
「忘れて欲しいの?」
そう、幽助は問うてきた。あの、まっすぐな瞳で。
「ええ、忘れて欲しいですね」
できるだけ感情を言葉にのせず、努めて冷たく。
「俺はさ……」
そう言いながら、再び。
幽助の手が頭を抱え込み、くちびるが塞がれる。
一度、軽く触れると、次に念入りに。柔らかくくちびるを喰んでくる。
「忘れたくないんだけど?」
僅かにくちびるが離れただけで、まだ幽助との距離は息があたるほど近く。動揺すれば、その心の乱れが伝わってしまう。
「こういうのは、困るんですよ」
その近くにある瞳を睨める。いいかげん、諦めて離れて欲しいが、幽助は動かない。
「あのさ……おめぇ、気付いてないかもしんねぇーけど」
頭を抱えていた手が、するっと頬を撫でる。思わず体が、ビクリと震えた。こんな反応をしたい訳ではない。だが、カラダが勝手に動く。
「物欲しそうな顔してる」
今日も、あの飲み会の時も。
そう言いながら、頬を撫でた手の指が、くちびるをなぞっていく。
「今日も、ヤらない?」
堕ちていく。堕ちていく。
いつか、俺は口にしてしまうのだろうか。
"アイシテル"と。
BGM:キリノナカ