亡霊の墓を暴く夢の中だ。
そう、これは夢の中だ。或いは過去の懐かしき記憶の回想。
自分も彼も、今よりほんの少しだけ背丈が低くて、今よりもっと若いときなのだろう。
対面する彼の顔は見えない。長い前髪が目を覆い隠してしまっているのだ。深い深い海の底のような瞳を。
彼が口を開く。
常の軽々しい声とは異なり、それは重く、決意に満ちた声だった。
「これだけは、譲れへん。例えグルちゃんの頼みでも、僕は絶対にこれだけは曲げん」
思えば、彼が明確な意思表示をするのはとても珍しいものだった。確固たる意思なんて持ち合わせていないように見えて、その実、磐石とした決意とプライドを持ち合わせている彼は、それを他者から隠す。何枚ものヴェールを重ね、煙に巻いて、その中身を決してわからせない。性分なのか、誰かからの教えなのか。まぁそんなことはどうでもいいのだ。大切なのは、そんな彼が自分に言い放った内容。
「もし、グルッペン・フューラーが、総統閣下が僕の大事な…を…たら、」
風が吹く。なんともいいタイミングで吹くものだと笑いたくなる。彼の言葉が僅かばかりにかき消えた。彼の長い前髪が風に靡いて、険の宿った鋭い目が此方を射抜く。
「そん時は、——僕が。たとえ、グルッペン・フューラーを殺してでも」
ああ!と内心で感嘆を吐く。背筋が震える。
劣勢を味方の機転で切り抜けたときのように、生と死の狭間を駆け抜けたときのように、冴え渡る剣技を見たときのように。
そう、誤解を恐れず言うなら興奮したのだ。常に穏やかな瞳で此方を見守っていた彼が、研ぎ澄まされたナイフをチラつかせたから。あんなにも美しい殺意と敵意を見せつけたから。だって、仕方ないだろう。なにせ自分は戦闘民族とも蛮族とも言われるほど、戦争を愛してやまないのだ。
さぁその目をもっと見せてくれ。その言葉の続きを聞かせてくれ。
身を乗り出す。続きをと望み、彼の口がゆっくりと音を発しようと——
——そうして、真白い天井を見上げた。
外からは長閑な鳥の囀りが聞こえている。
なるほど。最悪な目覚めだ。
寝起きのぼんやりした頭でなお、彼は悪態を小さくついた。
「ちょお…、なんで今日こんなにグルッペンは不機嫌なん?一般兵とか怯えとるやん」
「わからん…」
「…大先生。お前、最後に戦場に出たのはいつだ?」
「は、
…何言うてはりますのグルちゃん。僕の戦場は電子の世界や。そうやろ?そないならついさっきまでおったけど」
「ほう。では実戦訓練したのは?」
「えーと、スナイプなら数週間前やで?」
「接近では?」
「⁇ ちょ、ホンマにどないしたの? ねぇとんち!グルちゃんの様子おかしない⁈」
「お、おう…」
「答えろ大先生」
「ひぇ⁈ ままま待ったってくださいよ! 僕の戦闘スキル知っとるやろ⁈ 幹部のみんなとなんてついて行けへんこと分かり切ってるやん! 軍人ですらなかった引きこもりやで⁈」
「……ふむ。そうか」
「では大先生、この前のA国幹部の暗殺事件についての詳細が知りたいんだが」
「……暗殺と戦闘では、必要なスキルがちゃうってしっとるやろ」
困ったように彼が笑う。
それに頷き、応える。
「ゾムの暗殺とお前の暗殺では明確な違いがある。
例えばゾムの場合は敵地への侵入、対象へ忍び寄り、破壊若しくは抹殺を行う。
対してお前はパーティ会場などで相手に擦り寄り、敵意がないことを示し、相手の懐に入ったところで相手を破綻に追い込んだり毒薬などを使用した殺人を行う。
即ちゾムが力による暗殺だとしたら、お前は力を見せないことによる暗殺だ。ゾムはまだ戦闘寄りだが、お前は違う。殺意なき暗殺とは変な言葉だが、お前のそれはそう言い換えられる。
まぁ、どちらもメリットデメリットが存在し、だが必要な方法だ」
「せやな。ゾムさんは短期決戦、僕は長期。けれどもゾムさんのはどうしても派手になり証拠が残ってまう。反して僕のは地味な裏方。上手くやれば犯人に仕立てることも出来るし巧妙な罠を残すことだって可能。また証拠が残りにくい」
「だが幼かった頃のゾムに手解いたのはお前だろう?」
「——はぁ、あっきれた。いつの間にグルちゃんは僕の過去を漁ったん?」
「アイツのあれは、一種の仕事病であり、今は亡きご両親の教えであり、我々に心を許した証である」
他者から侮られるよう動きなさい。出る杭になってはいけない。思考を気取られてもいけない。特異性は覆い隠して、凡夫であれ。けれども己の中でその才能を磨きなさい。
同情を誘い、弱みをさらけ出し、相手の懐に潜り込む。それを行うのに「有能さ」は不必要であり、価値を見出されてはならないのだ。
とても優秀な工作員である母親から受け継いだそれは、彼の中で深く深く根を生やし、彼は無意識下でもそれを施行しようと身体が動くようになった。いいや、なってしまった。
体力は軍人よりないが一般人よりはある程度。知能はそこそこ。単純な暗記はまだ得意だが計算などは単純なミスをする。反射神経もまぁいい程度。気配に疎い。接近戦が弱く、情報処理班として後衛に所属している。
——それが人からの評価であった。
本当の自分の実力は、もはや自分にすら分からなかった。けれどもやれることは多かった。何せ単独行動が基本だったから。
スナイプは得意だった。勉強は好きだった。潜入のため、一通りの言語は話せたし書けた。暗号の解読のため様々な知識を詰め込んだ。電子機器類は組み立てすらできた。情報戦で負けはなかった。人のいるところでは眠れずいつも警戒した浅い眠りだった。薬と毒の知識はかつての保護者に教わった。同時に教わった料理の方が楽しかったが、どちらの知識も自分を助けた。