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    Cape

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    ずっと脳内にあった武村の許嫁を文章化。完全に世界線超えた内容。

    武村の許嫁(仮)第一部 今の武村ができるまで荒坂三郎の独白武村の決心一途な想いと思わぬ出来事今の武村ができるまで第二部 お結び第三部 昔から決まっていた道葵の独白第一部 今の武村ができるまで
       荒坂三郎の独白 私はいわゆる仕事人間で六十になるまで子を作らなかった。男女の恋仲には関心がなかったため、妻は三人いたが妻というものは家を守り、子を育てるものでしかなかった。ゆえに、男女関係や恋愛感情なんぞ私に聞かれてもいまいちピンとくるわけがない。
     だからあの時も専属護衛の言い放った一言をすぐには理解できなかった。

     その者の名は武村吾郎という。昔気質で情に厚く、頑固者。忠誠心は本物だが、少々熱くなりがち。いったん火がつくと周りが見えなくなったり、何かが抜けたりする。それを差し引いてもお釣りが来るぐらいの直感に長けた男である。

     私が車椅子生活から再び自らの足で歩けるようになった頃、専属護衛の任を与えた。それまでは各地を転々とすることで実力をつけてきた武村なので、当然女の一人や二人いるかと思っていたのだが、色恋沙汰とは無縁、浮いた話も一つもなく、男色かと問えば違うと答える。初恋の人が忘れられないらしいが、いったいいつが初恋なのかというのは聞かないでおいた。忘れられないと言ってはいるが、恋仲だったということはないだろう。何せあいつは童貞だ。

     そんな武村の口から「三郎様、一目惚れというのを信じますか?」などと発せられたのだから、思わず聞き返してしまい、そして私は危うく、執務中に椅子から転げ落ちるところだった。相手は誰かと問えば口ごもり、目を泳がせ、果ては挙動不審。なるほど、私の知る人間ということか。
     となれば、先日訪問した私設組織の中の誰かと言うことになるが。武村があまりにも不憫で少しでも出会いがあればと出来心で連れて行ったのだが、まさかまさかとはこのことよ。あそこはほぼ女性で組織されているから絞り込むのは難しいな。それよりも、武村とは水と油、振ってもかき混ぜてもなかなか混ざらないものだと聞いていたので少し意外だ。

     私設組織の名は『戦乙女』と言い、華子が生まれた時に母を亡くした愛娘が寂しくないよう、また、守りと教育のために女性を集めたのが始まりだ。紆余曲折あって、今は会社の役員など重要ポストに付く護衛と番いになって、サポートを行っている。普段はネットランナーとして後方支援がメインだが場合によっては接近戦もこなすその姿はまさにヴァルキュリー。そのキリッとした姿からいつしか『戦乙女』と呼ばれ、それが組織名として定着したのだった。
     戦乙女と護衛は共に任務を行う。サイバー空間から支援する場合も多いが彼女たちの多くが護衛の傍らにて支援を行う。そのため、恋仲になるものが多い。武村にももちろん付いていたが、残念ながら先の話の通り、一つもそういう話が聞こえてこなかった。過去形なのは先日、またもや番いが降りたからだ。
     もう何人も入れ替わっているが、皆大体同じ理由であった。武村はただ自分の与えられた任務に忠実なだけで、日々それをこなしているだけだと申しておったが、番いからすれば、人間味のない相手と四六時中顔を合わせていることはだんだん苦痛となり、しまいには自分から何かが失われていく気持ちになるそうだ。顔は能面のようで武村には感情がないというものさえいた。そんな生活の中でたまに会う他の護衛たちは魅力的に見え、その結果、彼女たちはいつしか恋仲となり、降番という流れが出来上がる。
     武村から何か怪電波が出ているのか、あるいはチップが取り付けられているのかと心配になった私は全身スキャンをこっそりかけた時もあった。もちろん何も出なかったが。

     そんなわけで、戦乙女専用棟へ連れて行ったわけだ。専用棟は荒坂本社の敷地に別棟として存在している。重要ポストに就くものの中にはよからぬことを考えるものも多い。そんな不穏分子の監視も戦乙女は担っているためだ。本来なら私と華子以外、専属護衛であろうとも入場は許可されないのだが、武村の一連の話は『武村ジンクス』と呼ばれ『武村の番いになると寿退社できる』と恋多き乙女たちに囁かれているらしい。そのため多くの同情を集め、許可されたようだ。

     先日会った戦乙女の中に気になる者がいたのかと問うと武村の気が少しだけ揺れた。本当に能面のようだなと思いながら聞けばやはりそうだと言う。顔を合わせた者は多くない。その中で話した者もそう長くは話していなかったと思う。武村自体に変化も感じなかった。一体いつそのような出来事があったのだろうか。武村は相手を思い出しているのか、先ほどとは打って変わり少しソワソワとしている。ほほう、武村にも感情というものがあったのか。これはおもしろ…いや応援せねばなるまい。相手の名前は覚えているのかと問うと、おそるおそる口にしたが、私はその名前を聞いてまたもや耳を疑った。

     相手の名前は『葵』だった。葵はあの場にいないはずなのだが。
     武村に再度問うと、確かに葵だという、武村の案内役であった桜のもとにたまたま現れたその時見ただけでということだから、話をしたわけでもなければ目を合わせたわけでもない。なんということだ、イレギュラー中のイレギュラーに目をつけるとは。私はおもわず頭を抱えてしまった。



       武村の決心 三郎様に名前を問われ葵殿の名を口にした時、己の胸の高鳴りを感じた。しかし、想像とは裏腹に三郎様は頭を抱えていらっしゃる。名前を覚え間違うはずはない。案内してくださった桜殿のもとに現れ、何か確認されていた。その時、桜殿は確かに葵様と呼んでいた。三郎様をじっと見つめていると思いもよらない言葉をかけられた。

    『武村、葵は無理だ諦めろ』と。

     私は一瞬何を言われたのかわからなかった。動揺していたのだろう。自分でも信じられないのだが、気がつくと三郎様へ詰め寄っていた。こんなことは初めてだった。自分に何か足りなくて諦めろとおっしゃられたのだろうか、であれば何が足りないのか理由を教えていただきたいとお伝えすると、三郎様は思案顔をしたのちトップの名前を諳んじられるかと問われた。植物の名前ということは戦乙女のトップ10ということを意味していると、教わっていた。華子さまがお付けになられたと伺っていたので失礼がないように覚えたので間違いはないはずだ。私は慎重に名を口にしていった。

    「桜・楓・椿・菫・桃・梅・梓・菖・杏・菊」

     そこで三郎様は『分かったか』とだけ仰られた。ああ、そうか、葵殿は10人に入っていない。彼女は戦乙女ではないのだろうか。しかし葵という名前もまた植物。彼女は一体…。その答えは三郎様の口から語られすぐに知ることになった。
     彼女は戦乙女の長だった。長か。ということは自分を許可してくださったのも彼女ということか。長では選べないのだろうか?選んではダメとは聞いていないが。三郎様に疑問を投げかけると苦虫を噛み潰したような顔をなされ、前例がないため分からないとおっしゃられた。三郎様の記憶の中にも番いとなって任務に当たっていたことはないという。だがそれがダメという結論にはつながらない。前例がないだけなのだから。
     普段は何をなされているのだろうか? 気がつくと彼女についてもっと知りたいと思っている自分がいた。
     彼女は戦乙女の長であるため、他の独立した私設部隊との連携をとる際の統括を担ったりしているらしい。と同時に三郎様の勅命を受けて独自に動くネットランナーだということが分かった。それ以外は他の戦乙女と変わらず業務を行っていると。私の番いになってくれる余裕はなさそうか…いや、ここで諦めるわけにはいかない。自分の直感がそう告げている。
     どうにかできないかと食い下がる私に三郎様もなんとかしてやりたいとおっしゃってくれた。感謝で胸がいっぱいになった。スラムから拾い上げてくださっただけでもありがたいことなのに、こうして親身に話を聞いてくださる。世間では血も涙も無い冷血漢だと噂されているが、その実、三郎様はとても情が深いお方だ。お子様達にも愛情を注ぎたいと思っていたらしいが、なにせ仕事人間だったためどう接していいか分からず、歳月がたち、敬様は他界し、頼宣様も華子様も大人になってしまったと嘆いていたのを覚えている。そんな三郎様だから、私に対しても時折、このような姿を見せてくれる時があるのだ。だから自分は三郎様には嘘偽ることなく誠心誠意、御使いしている。
     三郎様に自分の思いをぶつけるしかない。そう思った私はあの日から今日までに起こっている自分の変化について話すことにした。このようなことは恥ずかしくて三郎様以外には話せない。

    「自分は彼女を見たとき、体の芯の部分から熱くなるようなビリビリするような湧き上がる感覚を覚えました。家に帰ってからも彼女の顔を思い出すたびにそこまで強くないにせよ、ビリビリとした感覚が全身を駆けまして…お恥ずかしい話、生まれて初めて自分で事をいたしました。」

     意を決して告白すると、三郎様は絶句と言った表情で私を見ていた。しかし、三郎様に話したことはまぎれもない事実。若い頃幾度となく訪れたものだがその度に私は激しい稽古に打ち込み、解消していたのだった。三郎様は、今の私をまるで思春期だなと少し哀れんだ目でおっしゃった。自分でも全くもってその通りだとしか言い様がなく、哀れに思われていた自分も今なら少し理解できる。
     三郎様は私の赤裸々な告白を聞き、私の初めての頼みであると言うこともあり聞くだけ聞いてみるとおっしゃられた。『だめでも泣くなよ』と付け加えて。

     数日後、三郎様は『結果は見えていた』とぼそっとつぶやいた後、『三郎様は何を考えていらっしゃるのですか』と怒られたとブツブツとおっしゃられた。三郎様を叱れる葵殿、ますます謎が深まるばかり。もっと知りたい、その欲求は急速に加速した。どうすれば良いか、思案していると『お前、また良からぬ事を考えてはいまいな? とんでもないことを言い出す前の顔をしているぞ』と三郎様に言い当てられてしまった。

    「施設へは先日出入り自由と許可をいただきましたので、しばらく仕事終わりに通って、自分を知ってもらうところから始めようと考えております。」
     そう言うと三郎様はそこまで本気なのかと吃驚された。そんなに吃驚するようなことは言っていないと思うのだが。それに、今はそうすべき時ではないかと自分の直感が言っているのだ。決心固く、三郎様を見つめると、好きにするといいとおっしゃられ、ただし彼女たちの邪魔はせぬようにと念を押された。確かに、完全に私情で出入りさせてもらうようなものだから仕事中の彼女たちに迷惑があってはいけない。肝に銘じながら早速向かおうと、退室の礼をとり、足早に執務室を出たのだった。



       一途な想いと思わぬ出来事「あ、おい武村! 早いな、もう行ってしまった。」
     相変わらず熱くなると周りが見えなくなる男だ。しかし、葵はなかなかつかまらないと思うのだが。なぜなら、今は私が出した任務を遂行中で特殊作戦室に篭もりきりのはずだからな。武村が行ける部屋にはサポートの人間しかいないんじゃないか。まあ、それを話そうとした矢先にとっとと行ってしまったあいつが悪い。これも試練か、武村よ。
     私は武村の去る姿を見送りながら、今後について考えた。
    「まあ、コテンパンにやられるか、完全無視かだろうが、しばらく見守らせてもらうとするか。葵には悪いが良いひまつぶ…いや、潤いか。どうもまた、色々きな臭くなってきたしな。」 

     戦乙女専用棟内部は武村の再来でざわついていた。葵への番いの打診についてはその日のうちに瞬く間に乙女たちの間に広まっていたので、何しに来たのだろうと怪訝な顔をするものは一人もおらず、ただ断られてもめげずに会いに来た武村に好奇な目を向けている。
    「武村様、申し訳ございません。葵様は任務中で、こちらにはいらっしゃらないのですが。」
    「そうですか。アポイントメントも取らず、急に来てしまい申し訳ありません。それでは、いつでしたらお目通りかないますでしょうか?」
    「その、葵様は私どもと少々異なりまして、行動の一切が知らされませんで。こちらにお戻りになられるとか食事をお取りになられるとか、そういう時直前に知らせが入る感じで。食事も仕事のスイッチが入るとプロテインバーとか飲み物とかで済ませてしまうお人なので、なかなか。」
    「三郎様のようなお方なのですね。」
    「そうですね、仕事人間という点では似たもの同士かと。あ、これは内緒にしてください。葵様は三郎様に似ていると言われるのがいやだとおっしゃるので。」
    「なるほど、肝に銘じておきます。」
    「おそらく今はこちらにおられないので特殊作戦室にいらっしゃるとは思うのですが、残念ながら私たちでも立ち入り禁止ですので、ご案内できずすみません。」
    「そうですか、分かりました。ではまた来ます。こちらの部屋に見当たらなければ帰りますので、今後はご対応いただかなくて大丈夫です。お時間取らせてしまうわけには参りませんので…。」
    「分かりました。もし何かありましたら周りのものにお声がけくださいね。一応全員に通達はしておきますから。」
    「お心遣い感謝いたします。」
    「いえいえ、武村様には何というか、頑張っていただきたいなと言うのが、ここだけの話、乙女の総意みたいなもので、うちの葵様も相当なお方なので、武村様に少し期待しているのです。」
    「よく分かりませんが、そうなのですか。頑張ります。」

     それから武村は毎日時間が許す限り通った。しかし、予想に反し全く会うことはできなかった。その頃、葵はと言うと少しやっかいな状況に陥っていた。文字通り精神をすり減らしながら。

    「葵様、これ以上分体にリソースを割くと本体の生命維持に支障が出てしまいます。いくら本体をポッドに格納して管理しながらとはいえ、危険すぎます。」
    「大丈夫よ。本体は生命維持に5%あればいけるから! それよりも相手が厄介で‼︎ 各隊のサポートはサイバー空間からしか…。くそっもう少しなのに。」

     ネットランナー界の進歩は目覚ましく、現在最高峰にあるサイバーウエアを換装することでリアルに意識を残しまま、サイバー空間へのダイブが可能になった。その処理速度は一つ前の世代と同等。つなり外部のハードウエアに制限されることなくいつでも潜ることが可能となったのだ。
     葵はそのウエアを研究所員とともに独自に研究改良し、リアルに残る『本体』とサイバー空間に潜る『分体』のリソース調整、分体を分割しマルチタスク処理を可能とした。しかしこれはまだリスクが多く、本体リソースを分体に回しすぎると本体の生命維持ができず絶命、または統合化の際の断片解消不能による植物人間状態など様々な問題があった。そのため、不測の事態に備えて、任務直前のコンストラクト化は必須であったし、任務中も本体は必ずポッドに格納し、専属技師によるモニタリングがなされた。今のところ、この技術を使えるのは葵だけであった。

     武村が通い始めて1週間が経ったある日、いつものように戦乙女専用棟に赴くといつもは適度に穏やかな空気がなられている空間がピリピリと緊張していた。戦場慣れしている武村は足を踏み入れた瞬間、それがただ事ではない何かが起こっていると察したのだった。葵の部屋に足早に向かい知った顔を探してキョロキョロとしていると、はじめに案内してくれた桜が武村に近づいてきた。
    「武村様、葵様が、葵様が…。」
    「葵殿に何かあったのですか⁉︎ まさか、任務中に! 詳しく聞かせてください。自分に何かできることはっ!」
     葵と聞いて一気に血が昇った武村は鬼の形相かと言わんばかりの顔で桜に詰め寄った。『憤怒の武村』と呼ばれたその顔は仲間として戦場では頼もしい姿ではあるが、向けられたものはたまったもんではない。戦乙女は戦場でも意識を保てるようにメンタル訓練を受けているのでそうそう倒れることはないが一般人ならまずその怒気を向けられただけで失神してしまうであろう。
    「ああ、武村様。すみません、落ち着いてください。その放出された気をおしまいください。若手が萎縮してしまっています。」
    「すまない、葵殿と聞いてつい。皆様も申し訳ない。」
     周りで作業をしていた若手たちは子犬のようにプルプルと震えつつもなんとか意識を保っていた。そして、武村が怒気を抑えるとホッとした顔を見せ、作業に戻って行った。
    「葵様は今、研究室におられます。研究室は特定の人間しか入れませんが、先ほど三郎様に現状報告した際に、武村様は特別に入室してもよいと伺っておりますので、今からお連れいたします。」
    「三郎様が…ありがたい。わかりました、桜殿、よろしくお願いいたします。」

     桜の先導によって武村は研究室へ続く廊下を歩いていた。
    「葵様は研究室に移動していますが、任務中同様、依然として生命維持ポッドの中にいらっしゃいます。」
    「生命維持ポッド?」
    「はい。ネットランナーが通常使うリクライニングの椅子のようなものではなく、外部から体が触れられないように覆ってしまう形のものなのですが、特殊任務時のみ使用されます。葵様は通常の任務時はそもそも外部接続なしでサイバー空間にダイブできてしまいますので、必要ありませんが特殊任務時はいろいろとありまして…。」
    「なるほど。」
    「こちらから先が研究室になります。私は向こうの統括代理がございますので、ここからは研究室長が対応させていただきます。」
     白い白衣ではなく白いネットランナースーツに身を包んだスキンヘッドにアイウエアを着けた女性が立っていた。
    「どうも。」
    「あ、武村です。よろしくお願いいたします。」
    「お噂はかねがね。」
    「では、武村様、わたくしはこちらで。」
    「あ、桜殿。ありがとうございました。」
    「いえいえ。お互い頑張りましょう。」
    「はい。」

     室長についてやや広めの部屋に入ると中央に人が横たわれる大きさの透明なポッドが置いてあるのが目に入った。周りに人の姿はなく、代わりにたくさんの機材が所狭しと置かれ、各モニターには何やら情報が映し出されているのだがものすごい速さで流れていた。
    「生命維持ポッドとその機械群です。すみません。ケーブル類が多いので足元お気をつけください。ポッドの脇に椅子があるのでそこまでたどり着いてくださいね。いつもはきちんとしているのですがなにぶん不測の事態でしたのでこのように雑然としておりまして…。」

     ポッドに近づくと葵が横たわっているのが分かった。
    「通常は、こちらの本体の意識を維持した状態で分体をサイバー空間にダイブさせ任務にあたるので、本体に話しかけても普通に会話ができますし、サイバー空間の状況なども聞くことができます。しかし今回は葵様は少し焦っておられて、私が止めるのも聞かずリスクを冒して進行してしまい、結果、最悪な事態は免れましたが植物人間状態です。」
    「そ、んな。任務は終了しているのですよね?」
    「はい、葵様のおかげで勝利をおさめております。現在はモニターしている限りでは分体をかき集めて再構築している状況に見えますので、時間はかかりますがいずれは統合が完了し、目を覚ますはずです。」
    「いつになりますか?」
    「分かりません。初めてのことですので、明日目覚めるかもしれませんし1年後かもしれません。私たちに今できることはこの本体の健康維持のみで…葵様がどのぐらい分体を細分化されていたのか、今の外部技術では追えないのです。いつもは口頭で状況を報告してくださっていたので。今回の件を受けて研究所ではモニタリングの見直しを始めています。後手後手になってしまい申し訳ありません。」
    「あ、いや責めているのではないのです。ご尽力感謝…って自分はただの一般人ですから戦乙女についても葵様についてもどうこう言う資格もありませんし…。」
    「それでも、毎日いらっしゃってるのは、こちらにいても聞こえてきていましたから。戦乙女のみんなは葵様と武村様が出会われたらどうなるのか楽しみにしているのですよ。かくいう私も、あの女版三郎様と言われた葵様がはたして…これは失言…どの姫御前にも落とせなかった武村様だからこそ葵様ももしかしたら変わられるのではと…。」
    「女版…。」
    「それは忘れてください。」

     ケーブル類に注意を払いながらどうにか椅子にたどり着いた武村は、恐る恐るポッドに近づき、横たわる葵の顔をじっと見つめた。葵はピクリとも動かない。
    「ああ、ずっと会いたかった。しかしこのような形になるとは。代われるのであれば今すぐ代わって差し上げたい。こんなにも近くにいるのに、何もできずただお姿を見ることしか叶わないとは。」
     話すことも、触ることも、目を合わせることさえもできず、ただひたすらに眺めることしかできない。そんな状況が武村を深い悲しみへと誘うのであった。
    「武村様、許可証のほう更新しておきましたので、またいつでもお越しくださいね。もしかしたら外部刺激で好転するかもですし。」
    「あ、はい。ありがとうございます。ご対応ありがとうございました。顔も見れましたし、今日はこれで失礼いたします…。」
     がっくりと肩を落とし、お礼を言って部屋を後にする武村の背中を見て研究室長は 
    「もういらっしゃらないかしら…とてもお辛そうだわ。」
     武村が部屋から出て行くのを見たスタッフたちも集まり、もう来ないかもしれませんね。残念ですねと話すのだった。



       今の武村ができるまで
     明くる日。出勤した武村を見て三郎は思わず声をかけた。
    「おい、武村。ひどい顔だぞ、大丈夫か? いやあんなことがあったんだ、大丈夫じゃないな。そんな状態で仕事できるのか? 初めて見る顔だぞ…。」
    「すみません。仕事には問題ありません。少し、その、眠れませんで。」
    「なら良いが…無理はするなよ。」
     生気が感じられない顔色で目は虚ろ、どう頑張ってみても問題ない顔ではない。そういえば、今朝同じ顔をした織田にあったなと思いだした三郎は武村に、今日は特に外出しないから織田と稽古をしてればいいと提案した。
    「織田ですか? 葵様と織田は一体どのような関係が…。」
    「織田は華子の護衛になるために葵の試練を受けたのだ。戦乙女は華子の盾だからな。弱い男は護衛にはできぬと葵自ら相手するのだ。まあその時、色々あってそれ以来、たまに稽古をつけてもらいに屋敷に行ってるらしい。」
    「織田がですか 初耳です。」
    「まあ、あいつも何考えてるのかよく分からない奴だからな。」
    「では、休憩時間にでも。」
    「今から行ってこい。その辛気くさい顔でそばにいられると私の気が滅入る。」
    「申し訳ございません。」

     織田がまさか葵殿と知り合いだったとは。稽古中のトレーニング室へと足早に向かう武村。なんでもいい、彼女について聞ければ少しは気も晴れるかもしれない。ただその一心であった。トレーニング室に着くと、荒々しく刀を振るう織田の姿があった。
    「織田…。」
    「武村サン…。」
     どちらともなく礼をする二人。そして先に口を開いたのは織田だった。
    「葵様のこと、聞きました。武村サンが通われていたことも知っていました。その、なんと言葉をかけて良いか…。」
    「織田、お前葵殿と知り合いだったのだな。」
    「はい。」

     織田は葵殿と知り合った経緯をいつもの調子で淡々と話し始めた。
     華子様の護衛については織田が着くまでは葵殿が戦乙女を含め護衛を決めていたそうだ。それまで自ら志願するものはいなかったので、織田が志願した際、護衛としての実力を測るために葵殿が直々に手合わせをされたという。結果は惨敗だったらしい。葵殿は実戦経験も豊富ということなのか? 合格はしたものの納得がいかなかったというか不甲斐ない自分に腹が立った織田は、それ以来、少しでも強くなれるようにと、葵殿のお屋敷でお屋敷住まいの戦乙女候補生に混じって定期的に手ほどきを受けているそうだ。なるほど、葵殿は自らのお屋敷自体を訓練施設化しているという話は専用棟に通っていた時に聞いていたが、そこに織田は通っていたということか。

    「織田よ、お屋敷はどんな感じのところなのだ?」
    「お屋敷ですか?まあ見た目は三郎様のお屋敷とそう違わないですね。葵様のご趣味が『大正ロマンあふれる素敵な内装』らしいので三郎様の庄屋様のお屋敷風よりは少し豪華な感じはします。」
    「織田、うん、そうではなく。いらっしゃる人々のことを聞きたい。」
    「あ、そちらですか。失礼しました。執事長のセバスチャンさんは元護衛長の方ですね。引退なさってから行方不明でしたが、葵様のお屋敷で執事長をなさっておいででした。副長のトーマスさんは最近戦乙女の方と結婚して抜けた方ですね。」
    「な! あの方が…え?セバス、チャン?純日本人だったよな? と、トーマス?」
    「ああ、そこは本名を明かさない、暗部ルールだと葵様はおっしゃってました。執事をはじめ男性陣はほぼ護衛や戦闘系の職の方々でした。怪我などで引退され葵様の独自技術の義手義足を得た方々がほとんどでしたが、戦乙女と結婚して屋敷に入る人も少なくないそうです。」
    「なるほど。」
    「メイド長は葵様の信者ですね。スラム街から葵様に拾っていただいた恩を戦乙女を引退した後、返したいとお屋敷に戻られた方です。メイド長以下メイドさんたちは皆まあ同じ感じですね。」
    「スラム街から救われた。なるほど。」
    「そんな手練れが中心になって、若手育成をしている感じですね。潜入捜査などもあるので、上流階級のお屋敷に潜入しても大丈夫なようにマナーや振る舞いなども勉強できるようですよ。自分は戦闘稽古だけ参加させてもらっていますが。」
    「荒坂本社の防諜部より精鋭じゃないか? 候補生をお屋敷で育てているような話は聞いていたが想像よりすごいな。」
    「葵様は今はネットランナーのお仕事がメインですが対人戦が抜群なのですよ。キレッキレの動きで、俺のマンティスブレードが擦りもしなかったです…。若い頃は三郎様の護衛もされていたらしいですよ。」
    「そうだったのか。だから三郎様があそこまで信頼されてらっしゃるのか。織田、話を聞かせてくれて感謝する。」
    「いえ、俺も話せてよかったです。こうして久しぶりに稽古もつけていただいたし。」
     武村と織田は剣を交えながらも葵の話に興じていた。いつしか二人の顔からは憂いが消え、いつもの無表情へと戻っていた。

    「そろそろ、三郎様の元に戻るか。」
    「自分も華子様の外出に間に合いそうです。」
    「では、またな。織田。」
    「はい、武村サン。」

     武村は来た時とは別人のように顔に生気が戻り、足取りも確かな様子で三郎の元に戻った。その姿を見た三郎は、ほっと息を吐くと、仕事に戻るように告げ、またいつもの日常が戻ってきたのだった。
     静寂の中、時折、三郎がめくる紙の音が響く。武村は三郎の邪魔にならないように気配を殺して護衛に当たっている。そのうちに、何事もなく本日の終業時刻となった。

    「では、本日も行ってまいります。」
    「うむ。何かあれば報告するように。」
    「かしこまりました。」

     足早に研究室へ向かう武村。今日はどうだろうか、少しは進展があっただろうか、あれこれ考えていると戦乙女専用棟にある研究所直の入口前に到着した。本当に許可されているのか不安になりながら、入口のドア前に立つと承認の文字が目の前に浮かんだ。ほっと息を吐き、足を踏み入れる。

    「室長。武村様がいらっしゃいましたよ!」
    「え? もういらっしゃらないかと思って…失礼いたしました。どうぞお入りください。」
    「すまない、いらぬ心配をかけたようで。」
    「いえいえ、私たちが勝手に思い込んでいただけですので。」
    「葵殿に何か変化は?」
    「これといってなにも。私たちは少し外しますので話しかけてあげてください。」
    「お気遣い感謝いたす。」

     武村はポッドの横の椅子に腰掛け、葵の姿を眺めた。昨日と変わらぬ姿で横たわる葵を見つめながら武村は淡々と今日あった出来事を話し始めた。
    「少し顔を見ただけの貴方へ、このような話をするのも変ではありますが何を話せば良いのか、見当も付きませんので。今日の出来事などお話しいたします。」
     端から見ればただの業務報告だが、武村からすればこれが精一杯なのだ。明くる日も、その次の日も三郎様はお屋敷でお仕事をされているため、話す内容はほぼ同じ。同じような毎日、単調な日常。そのうちに武村は自分の毎日は同じ事の繰り返しで、聞き手にとっては苦痛ではないかと感じ始めていた。これでは刺激になるどころか、単純な日常しか過ごせない自分に興味を持ってもらう事は叶わないのではと。しかしもうずっと同じ生活をしているためどうしたら良いのやら皆目見当が付かない。仕方がないので、三郎に相談することに決めた。
    「何か趣味でも持ったらどうか?」
    「趣味ですか。稽古は趣味にはなりませんか?」
    「お前の稽古、話聞いて楽しいか? それに、いつもの話に入ってたりしないか?」
    「あ、話しております。今日は織田と組み手したとかその程度ですが…稽古はだめですね…他となると。」

     三郎様は少しあきれた顔をされた後、『本でも読んだらどうだ。』と勧めてくれた。確かにおっしゃるとおり、仕事の合間にぱっと読める上に手軽に話題も作れる。そして、三郎様がおっしゃるには葵殿は本がお好きらしい。外にほとんど出られない職だからという事もあるみたいだが、今の世の中には珍しく屋敷の執務室は図書室みたいだということだ。図書室、たくさん本をお読みになっているんだな。チップではだめなのだろうか?

    「本。紙媒体と言うことですか?」
    「そうだ。とにかくチップで保存するのは嫌だと言ってたな。データじゃだめかと尋ねたら『三郎様まで紙はレガシーメディアと馬鹿にされるのですか!』と怒られてな…。あいつは日々データと戦っているから触れられるものが好きなんだろう。あとは、本以外だとお茶や香が好きだったかな。」
    「なるほど。自分とは無縁なものばかりです。」
    「しかし、武村から趣味について相談される日が来るとはな。本当に葵に惚れたのだな。まだ一度も話せていないというのに。」
    「はい。一方的に話をしているだけですが。最近は目覚められた時に、話を覚えていてくださって、あの話は面白かったとか続きを話しましょうとか言ってくださるのを想像していたり…。」
    「割と重傷だな。武村よ。まあでも、今のお前は人らしくて好きだぞ。どこぞの護衛は機械の体で人らしくないくせに人間味だけはあるらしいからな。お前は喜怒哀楽の怒しかないのかと心配だったが、ちゃんと人らしく喜怒哀楽すべてが備わっていると分かってほっとしているよ。まあ、思うようにやってみたらいい。」
    「ありがとうございます。」

     武村は早速、休憩時間に本を読もうと思い立ち、購買に向かった。そこで散々迷ったあげく、一冊の本を購入することにした。
    「武村さんもこういう本読むんだねえ。購買に来るときは大抵最新の武器カタログとか仕事に関係ありそうなものしか買わないイメージだったけど。」
    「ああ、最近仕事以外で話題になりそうなものを探しててな。何を読めば良いか悩んだがとっかかりとしては食べ物が良いかと思ってな。実際作ってみれば話の種にもなるし。」
    「なるほど、それでこの本ですかぁ。武村さん、料理のイメージ全然ないわぁ。」
    「購買のおばちゃんは飯は作るんだろう?」
    「そりゃあ、見た目通りの肝っ玉母ちゃんですから、毎日作ってますよお、はっはっは。」
    「では、いろいろ聞くことがあるかもしれんが、その時はよろしく頼む。」
    「あらあらまあまあ、お偉い護衛さんに頭を下げられちゃあ困りますよぉ。簡単で良さそうな本があったら入荷しときますから頭上げてくださいな。」
    「かたじけない。」
    「いえいえ、それにしても武村さん、変わりましたねえ。」
    「む、そうか?俺は変わってないつもりなんだが。まあいい、お勘定を頼む。」
    「ああ、すみません長々と。お会計しますね。」

     本と軽食の会計を済ませ、武村は残りの休憩時間を読書にあてた。休憩といっても、何かあればさっと動けるように、三郎の執務室から見える部屋での待機となる。本を読みながら物を食べるのは少々行儀が悪いが、武村はせっかち故に大体このスタイルになってしまう。武村が黙々と食べ黙々と読む姿が執務中の三郎にも見て取れた。武村はそんな視線も気にせず、一頁一頁熟読していた。ふっと頭を上げ、少し緊張を解いて本を読み進める。すると、本を読む姿が珍しいのが三郎が時折ドアのところに佇んでじっとこちらを見た後、思案顔をしたと思ったら、執務机へ戻るという謎の行動をしているのが見えた。
    「三郎様、いかがいたしましたか?他の護衛はおりますよね。私に何かご用でしょうか?」
     三度目の時、本を閉じ、武村はそう訪ねた。
    「あ、いや。邪魔したのならすまない。あまりにも熱心に読んでるものだから、なんの本を買ってきたのか気になってな。」
    「こちらですか?こちらの本は『おにぎり大全』です。一般的なものから変わり種まで100種類載っているという、素晴らしい本です。」
    「なるほど。武村が料理本を…。ふむ。ではお前に任務を与える。一般的な具材の握り飯で良い、何か作って軽食として出してみなさい。」
    「よ、よろしいのでしょうか?料理は全くの素人ですが…。」
    「読んでるだけでは面白くもなんともないだろう。握り飯ならプロテインバーの代わりに食べても良いぞ。まあ、少し不安だから厨房の誰かについてもらって作れよ。」
    「は、はい!ありがとうございます。では明日、早速厨房の隅をお借りしてお作りいたします!」

     それから三郎様は握り飯の思い出をポツリポツリとしてくれた。
     昔、スラム訪問をされていた時に葵殿が護衛だったそうで、その際はよく移動中に食べられるおにぎりを持って行ってたそうだ。三郎様は梅干しがお好きで、大抵梅干しのおにぎり。葵殿は何がお好きだったか三郎様は覚えていなかったが梅干しおにぎりが嫌いだという事は覚えていらっしゃった。その理由が紫蘇漬けの梅干しは色が付くし、そもそも種があるのを忘れてうっかり噛んでしまうからだと。お前は少し粗忽者だなと三郎様に言われたのをずっと根に持っていて、以来、前は勧められれば食べていた梅干しおにぎりもまったく食さなくなったそうだ。なんというかしっかりした女性のイメージだっただけに、粗忽者と言われ本当はもう少し可愛らしい性格の方なのかと思い始める武村だった。

     武村は思いがけず葵の話を聞けたことで上機嫌だった。おにぎりという共通の話題になりそうなものを得たことを喜びつつ、そのまま休憩を終了し、業務へと戻るのだった。明らかに機嫌よく業務をこなす武村を見た他の護衛達は三郎に『最近、武村さんは丸くなった』とか『人らしさが出てきた』とか、中には『何かヤバい物を拾い食いしたのでは』などと好き放題耳打ちし、それを聞いた三郎は『武村は葵が目覚めたら喜びのあまり死んでしまうんじゃないか』と少し不安になったりもしたが、まあ、この騒ぎも今だけであろうと思うようにした。

     そして、今日もまた武村は葵のポッドへ向かう。手には買ったばかりなのにすでにヨレヨレになりつつあるおにぎり本。そして、途中で思いついて購入した花束。
    「花なぞ初めて購入したが、話題としてはよかろう。葵殿の好きな花が分からぬ故、ストレートに薔薇にしてしまったが少しキザでなんだか恥ずかしいな。もっと可愛らしい花束にすべきだったか。彼女の気高さと戦乙女をイメージして1本の薔薇を囲むようにかすみ草を大量にあしらってもらったが、ううむ。」

     花束をまじまじと見つめながら歩いていると見慣れた入口へとたどり着いた。承認され扉が開く。いつも通り入ると通りすがりの所員が吃驚した顔をして武村と花を交互に見た。
    「武村様その花束は?」
    「あ、花はダメでしたか?」
    「いえ、大丈夫ですので花瓶を今お持ちします。そうではなく、葵様が薔薇がお好きだと知っていらっしゃったのですか?」
    「え?そうなのですか? 直感でこの花束にしたのですが、葵殿は薔薇がお好きなのですか?」
    「そうですね。匂いが強い花よりも薔薇のような強さと華麗さが両立したような花を好んでいるような気がしますね。あとは単純に戦乙女の名前に薔薇がないというのもあるとは思いますが。姫御前の名と同じ花は贔屓だと感じるものもおりますので。」
    「なるほど。」
     直感で選んだものがまさか好みの花だったとは、なんとも嬉しい一致に足取りも軽く、葵の元へ向かう武村。花を活けて花瓶を持ってきてくれた所員にお礼を言うと、葵から見える位置で邪魔にならなさそうな場所に慎重に置いた。
    「いくら水が入っていない花瓶とはいえ花だからな。精密機器だらけの部屋に置くのは結構冒険だな…。」
     花瓶を置くと早速、花束について語り出す武村。昨日までの武村とは違い、身振り手振りも交え言葉を紡ぐ。話している武村自身、自然と言葉が出てくる自分に吃驚しつつも、業務報告とは違う話題を話せる喜びを噛み締めていた。そして、おにぎりの話題に入る。こちらは三郎に聞いた話も織り交ぜながら自分が思ったことを話していく。
     武村はこの時自分にいっぱいいっぱいだったせいか気づいていなかったが、葵に少し変化が訪れていたのだった。そして、武村自身にも少し変化が起きていた。能面とまで言われた武村に表情が生まれていた。おにぎりの米は硬いほうがいいのか悩んだり、梅干しが好きという三郎様を思い出して微笑んだり、いつか一緒に食べられればと漏らす顔は少し悲しみが。
     武村はひとしきり話し終えると葵の顔をじっと見つめ、『また、明日来ます。』とそっと挨拶をし、部屋の入口で見守る所員へ一礼すると、いつもと変わらぬ足取りで帰路に就くのであった。

     毎日おにぎりを作り、100種類を一通り作り終わってもまだ、葵は目を覚まさなかった。武村にとって100という数字はお百度参りのような気分であったため、残念な気持ちでいっぱいだった。この日は三郎様が梅干しの握り飯が食べたいと珍しくリクエストされたので、厨房にて若手の厨房スタッフと、初心に返って梅干しおにぎりを握っていた。三角も俵型も今ではきれいに握れる。
     武村が三郎の執務室へ握ったおにぎりをさらに乗せて運んでいくと、執務室に戦乙女の姿が見えた。慌てず騒がず武村はおにぎりの皿を持ったまま、三郎の後ろに控えた。戦乙女は一瞬こちらを向いたが、ハッとなって三郎の方へ向きなおし用件を伝える。
    「葵様がお目覚めになられました。現在、全機能チェック中にて、本日の面会は不可でありますが、明日以降であれば可能と桜様より言付かってまいりました。」
    「ホロコールでもよかったがまあ桜も忙しいんだろう。伝言ご苦労。明日以降面会可能になったら知らせてくれと伝えてくれるか。」
    「かしこまりました。それでは私はこちらにて失礼いたします。」
    三郎と武村に一礼すると戦乙女は音もたてず扉まで進み、そして扉を出た瞬間姿を消した。
    「逸る気持ちを抑えきれず、か。なあ、たけ…武村⁈」
     三郎が後ろに佇む武村に話しかけようと振り返ると、泣くのをこらえている武村が立っていた。
    「お、おいしっかりしろ!泣くやつがあるか、握り飯についてないだろうな!」
    「は、はい、それはだい…大、丈夫です。三郎…様、梅干しのおにぎりです、どうぞ…。」
    「まったく、泣くのか渡すのかどっちかにしろ。」
    「すみません。あまりにびっくりしすぎたのと安堵で…。」
    「とりあえず、顔洗って来い、すごいぞお前の顔。」
    「は、はい、申し訳ありません。行ってまいります。」

     武村を見送った三郎は握り飯を一つ取り、豪快にかじると梅干しを見つめながら、今後について考えていた。
    『半年か。長かったが目覚めてよかった。葵の働きでその後、決着もついたし。今のところ落ち着いている。残る目に見える不穏分子は頼宣ぐらいか。これはまだ先になるし、今は少し休ませながら業務を行わせるべきだな。昔使っていた部屋がまだ使えるか。しばらく目の届く場所に置いて注視したほうがいいな。あやつの屋敷に戻してしまうと目が届かなくなるし、止められる人間がだれもおらぬからな。葵の執事と相談するか。』
     三郎は葵の執事長セバスチャンを呼び出した。
    「セバス、久しぶりだな。息災か。」
    「はい。葵様の下で悠々自適の隠居生活を送っております。三郎様におかれましてもますますお元気なご様子で。」
    「まあ、この爺を安心させてくれる者がおらんからな。元気でいるほかあるまい。」
    「お互い、早く若者に育ってほしいところでございますね。」
    「まあ、わが身については置いておいて、葵のことだがな。しばらくの間、屋敷の昔、葵が使っていた部屋を改装してしばらくそこで生活と仕事をしてもらおうと思っているのだがどうだろうか。私もその間は昔のように屋敷で仕事をしてもいいぐらい落ち着いているしな。」
    「問題ございません。むしろ葵様は無茶しかねませんし、大賛成でございます。その間、わたくしとメイド長も常駐いたしますので。向こうの管理はトーマスにさせましょう。そろそろ、私がいなくても仕切れるようになってもらわねば。」
    「問題がないのであれば、人選は任せる故、屋敷の部屋の改装等、お前に託したいのだが。」
    「御心のままに。それでは早速、メイド長と話しますので失礼いたします。」

     相変わらず、隙もなければ無駄も一切ない、洗練された動きに感心していると武村が戻ってきた。
    「どなたかおりましたか?」
    「ああ、少しな。」
     三郎は武村に話そうかと口を開きかけたが、ここで葵が屋敷に住むと話すととんでもない事態が起こりそうな気がし、黙っておくことにした。
    「武村、私は明日からしばらくの間、仕事が落ち着いたので屋敷にて執務を行うことにする。まあ、その話で人が来てただけだ。」
    「かしこまりました。それでは護衛の方のローテーションも組みなおす必要がございますね。わたくしも屋敷の護衛宿舎に泊まった方がよろしいでしょうか?」
    「いや、タケムラは今まで通り、通いでよい。時間も今まで通りでな。」
    「かしこまりました。それではそのように皆に伝えます。」
    「うむ、頼んだ。」

     あくる日、葵の面会が可能となったと連絡が入り、三郎と武村は戦乙女専用棟へ足を運んだ。
     半年以上寝たきりであったが、全身義体の葵の見た目は変わらなかった。
    「どうだ調子は。」
    「はい…体も精神もチェックが済みまして元通りでございます。三郎様、この度は大変ご迷惑をおかけいたしまして…」
    「いや、謝るのは私の方だ。元はといえば私の任務の負荷が招いた結果だからな。」
    「いえ、わたくしが、周りの意見を正しく判断し無理をせねばこのような結果にはならなかったので。焦りから見誤りました。今回は結果的に収束できましたが必ずしも良い結果が出たとは限りませんので。何なりと罰をお与えくださいませ。」
    「うむ。では経過観察も兼ね、しばらく昔のように私の屋敷で業務を行うように。もちろん住み込みでだぞ。その間、自分の屋敷に戻ることも、戦乙女専用棟へ入ることも禁止だ。少し業務も少なくするから、そのつもりで。」
    「三郎様! それでは罰になりませぬ。」
    「では業務が少なくなった分、武村の番いの任を与える。」
    「三郎様!」
    「これは命令だ、葵。これは通常の番いとは異なり、まあお試しだ。気楽に受けろ。」
    「かしこまりました。拝命いたします。」
    「武村もよいな?」
    「は、はい。ありがとうございます。三郎様、武村吾郎、この命に代えましてもこの任…ううう…」
    「ばかもん。ここで泣くな。まったく能面の武村はどこへ行ったのだ。締まらん奴だ。」
    「申し訳ございません。顔洗ってきます。」
    「行って来い、はあ。」

     かくして武村は条件付きで正式ではないにせよ、念願の葵との番いを獲得したのだった。




    第一部 完



    第二部 お結び
     いつぶりだろうか、私は再び三郎様のお屋敷住まいとなった。戦乙女の長であると同時に自分の屋敷では候補生の育成施設長でもあるため、屋敷で行っていた執務をまるまるこちらで行う必要がある。そのため、三郎様のお屋敷でかつて使用していた部屋は簡易的な執務室と寝室に改装された。
     そんな我が部屋では引っ越し直後とあり、執事長とメイド長が忙しそうに動いている。肝心の私はというと、

    「暇である。」

     朝、武村様と共に三郎様に挨拶をし、護衛の朝礼を済ませた後は、自分の執務室にこもる。他の戦乙女は専用棟にて業務を行ったりハードウエアを携えて護衛と共に業務を行っているが、私はそれを必要としない。護衛の番いとしての業務だけであれば、執務室である必要もない。武村様自身優秀な方なので、番いとしての仕事もほとんどない。
    「番いの仕事がほとんどないのに、武村様に番いが必要なのか甚だ疑問であるな。」
    「葵様、どんなに優秀な方にでもサポートは必要でございますよ。葵様にこの爺めが付いておりますように。」
    「なるほどな、言い得て妙。」

     統括業務とは名ばかりの事務的な業務も私が寝ている間に下の者達が手分けできるものはあらかた分業化が進んでいたため、私に残された業務は決済など責任者しかできない業務のみだった。下が優秀だと上は尻拭いの必要もなく、たまに質問が飛んでくるが簡単なものばかりで、結果的に暇を持て余すのであった。
     仕方がないので、積読にしてあった本を時間をかけて消化している。ジャンルは雑多。とにかく気になったものを購入しては積んでいたため飽きることはない。
    「そういえば、寝ている時に武村様が話していたおにぎりの本はどこが出している本なのだろう。本自体を見ていないから装丁やデザインが気になるな。100種類っていうのもな…」
     葵は統合化が終わるまでは一切体が動かせなかったがサイバー空間では自由だった。そのため、外部の情報を得て暇をつぶしていたので、武村が毎日話しかけていた内容は覚えているのだった。最初は業務報告ばかりでつまらなかった武村がおにぎりの話をしだした時は、どういう心境の変化なのだろうと思ったものだった。結果的に、目覚めるまで良い暇つぶしができ、武村に対しても好印象を持ったのだった。

     本ばかり読んでいては身体が鈍るので身体機能チェックも兼ね、散歩と稽古は毎日の日課となった。しかし、自分の屋敷に帰ることも戦乙女専用棟に入ることも三郎様に禁止されているので、葵は悩んだ。その結果、専用棟の外なら文句はあるまいという屁理屈にたどり着き、専用棟の外にある訓練施設へと足を運ぶのであった。
    「ここは厳密には専用棟ではないからな、三郎様に言い訳もきくだろう。」
    「まあ、少しは大目に見てくださると思いますよ。なにより屋敷の護衛の稽古場で稽古されるよりは良いかと…。」
    「あそこには骨のある奴が少ないし機材が合わないからな、稽古にならない。」
    「確かに。」
     訓練施設に入るとたちまち乙女たちがざわつき始め、何人かは施設の外へと飛び出していった。
    「先触れを出しておくべきでしたかな…これでは葵様はまともに稽古できないのではございませんか?」
    「まあ、そこは長たる私の手腕にかかっているな、はっはっは。よおし、皆の者、組手志願者は並べ、新参者も遠慮なく並べよ!」
     葵がそう発するとたちまち目の前に綺麗に列が出来上がっていく。久しく葵との組手が出来ていなかったからと喜ぶものも多い。手合わせをしながら話も聞けるから、これは通常に戻っても日課としてもいいかもしれない、葵はそう思った。最近は若い子たちとの交流も少ないからな。列を見回すと後ろの方に忙しいはずの戦乙女十傑(トップ10)の姿が見えた。
    「おい、そこ! 仕事はどうした? 休憩か?? まさか抜け出してきて下の者に迷惑などかけてはいないだろうな?」
    「あはははは。葵様と組手ができると報告があり馳せ参じました…が、すみません、戻ります〜。」
    「おい、せっかく来たんだから、戻る前に全員かかってこい。1人2分だ。先に並んでいる者たち、悪いな、あいつらが抜けると回る仕事も回らんから、先に片付けさせてもらうぞ。」
    「あ、はい、大丈夫です!」
     先に並んでいた乙女は綺麗に分かれ、最近ではなかなか見られない十傑と葵との稽古が見られると興奮し始めた。
    「お姉さまたちの組み手…は! 誰か記録を!!」
    「はいっ、万事抜かりなく。」
    「後で共有するのよ!」
    「共有倉庫、最重要機密レベルでの暗号化を施して作成完了しています。」
     実に連携の手際がいい、先輩たちの指導がいいんだな、よしよし。葵はキャーキャー騒ぐ乙女たちの会話を聞きながら、しみじみしていた。
     葵と十傑の準備が終わり、組み手が始まる。
     葵は相手に合わせ的確に指導しながら動いていく。そしてきっちり2分でしとめる。10人で20分、きっかり。全員息が上が李、大の字になって地面に倒れていた。
    「お姉さま、本当に病み上がりなんですの?前よりお強くないですか?」
    「知らん。お前らが稽古をサボってるんじゃないのか?男にうつつを抜かしてる暇があったら美だけじゃなく身体と精神も磨けよ。私はこの時間ここで毎日稽古することに決めたからな。明日からは全員でくることがないように。10人で話し合ってスケジュール調整しとけ。では解散!」
    「は〜い、お姉さまごきげんよう(×10)」
    「まったく、分かってんのか? あいつらは(笑)」

     その後は列に並んだ者たちと手合わせをしていく。そして最後の一人は織田だった。
    「織田、お前いつから戦乙女になったんだ(笑)」
    「今日…」
    「冗談だ、ばかめ。で? よくここでやってるって分かったな?」
    「華子様が…」
    「ああ、乙女の誰かが連絡したのか。まあいい、で?」
    「屋敷での稽古が…」
    「武村様と稽古してるんじゃないのか?」
    「葵様でないと…」
    「おお、いうねえ。武村様は眼中にないってか?」
    「い、いえ。師匠は強いんですが、その、愚直なので…」
    「それは私がひねくれているということか?」
    「あ、いえ、あの…その…」
    「まあ、私ぐらいのひねくれ者と戦わないともうお前さんの対人スキルは上がらないわな(笑)」
    「お願いします…」
     織田は尽忠丸を取り出して構えた。
    「久しぶりに見るな。そういえばお前のその刀、武村様から譲り受けたやつなんだろ?私が寝てる時、なんかそんな話聞いたぞ。」
    「あ、はい。」
    「今も仲が良いんだな。」
    「武村サンが仲が良い人が少ない…。」
    「軽くディスってね?」
    「あ、いや、本当のことなので…。」
    「まあ、鬼とか能面とか散々言われてる人だしな。それはちょっと分かるけど。お前だけは何があっても縁切らずに信じてやれよ?」
    「葵様が…。」
    「私か?私はまあ、仮とはいえ今は番いだからな。全人類が敵になっても武村様を守るさ。」
    「じゃあ、俺も…。」
    「それは私を敵に回したくないってだけだな?」
    「…。」
     軽くいなしながら会話をする葵。対して織田は割と本気でかかっていってるのにもかかわらずいなされ、立て直すもまたいなされ、己との実力の差を感じずにはいられなかった。

    「お前、本当に武村様と稽古つけてたのか?屋敷で稽古つけてた時の感じが全然出てない。」
    「すみません…。」
    「頭で考えるなアホになれって教えたろ?お前は頭で考えるとどうしても隙ができるんだから直感で動けよ。道具に頼るな。」
    「はい。」
    「明日からしばらくはここで同じ時間に稽古してるから時間が合うなら来いよ?屋敷には帰れないから、ここでしか手合わせしてやれないからな?」
    「ありがとうございます。」
    「礼には及ばんよ。華子様に何かあっちゃ困るんだからな。お前が強くなきゃ困るんだ。お前だから話すが、これからもっと派閥抗争が激化するぞ。鳴りを潜めてたヨリーの一派が動きを見せ始めてるからな。」
    「ヨリーって…。」
    「あいつ嫌いだからさ、名前も呼びたくない。みちこ様が生きてたらなあ。無い物ねだりだが。こんな派閥抗争もなかっただろうなあ。」
    「華子様と頼宣様の母君の…。」
    「ああ、女版荒坂三郎だよ。」
    「それは貴方では?」
    「あはは、私は模倣に過ぎないのさ。まあ今の言葉で言えば、自我があるドールか?なんにせよ、葵と呼ばれている間はみちこ様のように緻密で繊細、時に豪快に…そうみちこ様と約束したからな。三郎様が今も私をそばに置いてくださっているのはきっと私を通してみちこ様を見てるのさ。本来の私は臆病で泣き虫なただの女だよ。」
    「…。」
    「誰にも言うなよ?機密中の機密だからな(笑)」
    「言えません!」

     手合わせは織田が大の字に倒れたところで終了となった。「いい汗かいた」と清々しい顔で言う葵は「じゃ、仕事に戻るわ」と手をひらひらさせて去って行った。
    「やはりかなわぬ。しかし、少しでも強くならなければ。」
     織田は汗を拭いながら、天を仰いだのだった。

     葵はシャワーをさっと浴び、執務室に戻った。執務室の机には器用に積まれた書類があった。
    「これはまた久しぶりに見たな、セバスタワー笑」
    「葵様が眠ってらした間に権限の見直しを行ったため、書類もいったん保留になってるのが多うございましたからね。先ほど、戦乙女の方にも区分けが完了したあちら分を届けて参りました。こちらは葵様のみ権限がある物でございます。優先度の高いものをまずは積み上げましたので上からお願いいたします。」
    「了解した。しかしまた壮観だな。このデジタル社会において紙が最強というのがまた皮肉が効いているよなあ…。ペーパーレス時代なんて叫ばれてた時代が懐かしいな!」
    「さようでございますな。」

     企業戦争において、一番の打撃はサイバー攻撃だったという。なにしろ何でもかんでもデジタルデジタルと紙媒体の保管を辞めた結果、最重要データがサイバー空間で消滅してしまい、会社を維持できなくなったのだ。企業戦争で生き残った現在の大企業は皆、バックアップとして大量の紙媒体を残していた企業だった。荒坂社も日本人らしく、重要なものほど紙媒体で保管していたため、今があると言える。
    「なくなるどころか、あの戦争以降増えましたからね。」
    「まあ、紙といっても紙じゃないこの書類は扱いやすくて好きだがな。保管技術が進化したのはいいことだよな。」

     葵は眼鏡をかけ、書類に目を通し印を押していく。
     この書類は紙も特殊ではあるがそれよりも眼鏡と印鑑だ。印鑑にはインクがないがこの眼鏡を通すと印鑑についてのデータが分かるようになっている。眼鏡も権限によって分けられており、書類・印鑑・眼鏡それぞれに荒坂独自のセキュリティ技術がつまっている。
     三郎はこういうところはきっちりしていた。荒坂社を受け継いだ後、会社のため、日本のためにつくし、企業戦争以後はセキュリティ事業の中でも情報セキュリティの面を強化した。この迅速な行動は自社の警備部の信頼度を上げ、後に会社が拡大していく中、金融や他の分野においても大いに役立った。

     三郎様というお人は本当に天才なのだ。
    「三郎様には将棋では一度も勝てたことがないな。」
    「どうなさました?」
    「あ、いや。三郎様はいったい何手先まで未来を見通してらっしゃるのかと思ってな。」
    「ああ、なるほど。あの御方は計り知れませんからな。ただ言えるのは荒坂の人間は社員も含め等しく三郎様の手のひらの上で踊っているに過ぎぬと言うことですな。」
    「三郎様は釈迦か。どちらかというと不動明王だがな。救ってはくださるがその道が修羅かもしれぬ」
     そんな他愛もない話をしながら書類の山を片付けていると武村様から定時連絡が届いた。
    「ふむ。武村様はすっかり元に戻られてしまったようだな。私の元に毎日おにぎりの話をしに来ていた頃が懐かしく感じる。」
    「定時連絡ですか?なんと?」
    「ああ、『本日も問題なし。以上』だそうだ。番いになった時、あんなに喜んでいらっしゃったからな、他の番いの子たちのように気さくに話しかけて親睦を深めてくるかと思ってたのだが、朝の三郎様への挨拶、その日の行動確認時、どちらも一切世間話的なのはないし、定時連絡のメッセージも愛想が全くない。能面の武村に戻ったようだよ。」
    「それは、どうなんでしょう?もしかしたら今まで一方的に話していただけから、双方向に変わったわけですし…案外、葵様の反応がこわくて、何か話そうと思っても思うように浮かばないのではないでしょうか?」
    「ばかな、そんなこと。…いや、ありうるのか?あの三郎様もみちこ様の前では童貞男子同然だったわけだしな。今でも男女の恋心は分からん!などと言ってるらしいがなんのなんの。当時は立派に初々しい男子であったからなあ。あの三郎様の専属護衛だ、十分あり得る。」
    「三郎様、あの頃は十分に年は重ねておりましたが(笑) まあ男女経験という点では初々しい感じではありましたね。みちこ様を陰から見る三郎様、お懐かしいですな。」
    「三郎様はみちこ様に出会われて変わられたからなあ。そして、みちこ様が他界されて、さらに変わられた。ヨリーはひねくれずバネにできれば成長できたというのになあ。」
    「まあ、男というものはそういうものですよ。兄弟と比べられるのはやだ、母親は独占したい。母殺しは父親と恨みたくなるのも幼稚な男の特徴ですかねえ。」
    「妹の華子様を恨まなかっただけましか。」
    「そうですね。みちこ様の分も日本をよくしたいという三郎様の想いがまた仕事人間に戻してしまったのも頼宣様には納得がいかなかったんでしょう。とはいえ父親に振り向いてもらうための努力もせず勝ち取れるほど世の中、いえ、荒坂は甘くはありませんからな。怠ったのは頼宣様ご本人。同情の余地はありませんな。」
    「セバスは辛辣だね。まあそうなんだけどさ。三郎様も不器用、ヨリーも不器用、武村様も、織田も…って荒坂は不器用しかいないな!」
    「葵様も辛辣でございますね。」
    「同意しないのか?」
    「それを口に出して許されるのは葵様だけと存じます。」
    「ふっ真面目め。」
     葵と執事は雑談に興じながらも着々と書類を片付けていった。

     一方その頃の武村はというと。
     盛大にため息をついていた。
    「今日もまた、業務報告しかできなかった…。葵殿が眠っていらっしゃった間の事を覚えているか分からないのにおにぎりの話なぞしたら変に思われるかもと考えてしまって、話をするのを躊躇してしまう。どうしたらさりげなく話せるのだ。織田は普通に話していると言ってたが…普通とは…。」
     不器用な男はどこまで行っても不器用だった。

     葵が屋敷住まいとなり、三郎は朝夕の食事を葵と共に取ることが多くなった。この日の夕食も現状報告を兼ねた食事となった。
    「武村、お前は別にいつものようにあがっていいのだぞ。夕食の護衛は夜勤の担当だろう?」
    「は、あ、いえ…」
    「なんだはっきりせんな。葵に会いたいなら、そう言え。煮えきらんやつだ。」
    「すみません。公私混同となりますので、その…。」
    「分かっているのなら、そこに立ってないでお前も座れ。今日は特別、一緒に夕食を食べたらいい。」
    「三郎様!よろしいのですか?」
    「よい。私の気が変わらぬうちに座れ。」
    「はい!失礼いたします。」
     武村は万遍の笑みで、シュタッという効果音が見える勢いで葵の席の向かいに座った。
     三郎の屋敷の食卓は、屋敷の大きさに合わず質素であった。一般家庭サイズ六人掛けである。所謂、家長が一人で上座に座り対面で四人が座るスタイルのあれだ。葵と二人で食べる時は対面で座り、広々と使って食事を楽しむが、本日は三人。普段より多い人数に執事もメイドもなんだか生き生きしている。
    「葵様が、朝夕、食事を共にされる時は三郎様もきちんと食事をお取りになるのでやりがいがあるわね。」などという声も聞こえてきた。三郎も葵も食事が嫌いなわけじゃない。優先度で見ると仕事が上なため、一人だとどうしてもおろそかになりがちなのだ。しかし仕事の打ち合わせを兼ねるとついつい話が長くなり、それに合わせて料理が出されるため、結果的に食事もしっかり取ることになるという。

     夕食の時間になると葵は専属の執事とメイドを引き連れて現れた。
    「相変わらず、ぞろぞろと引き連れているな。」
    「仕方がありませんでしょう?この者たちがやりたがるんですから。私に拒否権があるとお思いで?」
    「お前の姿を見たうちのメイドから転属願いが出てるそうだがどうすればいいのか…。」
    「うちは別にメイドを雇っているわけではございませんよ。あくまでも戦乙女の修行の一環、あるいは引退後の受け口として執事やメイドなどお屋敷の仕事があるわけですから。非戦闘員は一人としておりませんし。」
    「ああ、そうだな。」
    「元うちの子達であれば、こちらの子とシャッフルしていろんな経験を積ませるのも手ですが…。私がこちらにいる間ぐらいでしたら問題ないかと。」
    「なるほどな。では期間限定で許可するか。」
    「承知いたしました。」
     葵が返事をすると同時に葵のそばに気配を消して立っていたメイド長が何人かのメイドに目配せをし、数人残して風のように消えた。それを見届けた葵は何事もなかったかのように席に座った。
    「相変わらず、隙のない動きだな。」
    「このぐらいでないと私がいない時に屋敷や本社の守りはできませんからね。」
     実際、三郎様が海外視察などで日本を離れる時は護衛などで手練れを引き連れていってしまう関係でどうしても本社や屋敷は手薄になってしまう。自分もまた、遠隔で三郎様をサポートしているため、防衛は残ったセキュリティか裏の人間のみ。社内でなんとかなればいいが、派閥抗争が激化している今は逆に頼りにならない。表立って活動はしないものの戦乙女達は毎回、結構ハードな戦いを強いられているのだ。派閥抗争さえ収束すれば、少しは楽になるのに…そこまで考えて、ふと目線を三郎様から外すと、目の前の席に武村様が座っているのに気がついた。
    「あ、申し訳ございません。武村様もいらっしゃったのですね。ご挨拶せず着席してしまいました。」
     慌てて立とうとする葵に驚いた武村は座るようにジェスチャーで促す。
    「自分のことはお気になさらずに、お座りください。本日は三郎様のご厚意で同席させていただいただけですので。」
    「こやつが葵と話したそうだったのでな。まあたまには二人より三人の方が話題も増えるだろうと思ってな。」
    「……業務中はほとんどお会いいたしませんし、お話もあまりしたことがないですものね。三郎様、本来であればわたくしが気を遣うべきところなのに、申し訳ございません。」
    「よいよい、葵も病み上がりで何かと忙しかろう。武村もお前の体調など気になっているみたいだから、たまには番いの親睦を深めるためにちょうど良いかもぐらいで同席させたのだ。」
    「「ありがとうございます。」」
     武村も葵も三郎の懐の深さにただただ感謝するばかりだった。

     夕食は和食だ。豆腐料理を中心に量の少ない色とりどりの小鉢が並ぶ。私も三郎様も色々食べたい人間なので数は多く、量は少なくしてもらっている。毎日好きなものを食べられるのもお屋敷の料理番の方々のおかげだ。
    「本日も目に楽しい料理が並びましたね。三郎様の料理番の方は繊細な方が多そうですね。」
    「私だけの時はこんな感じじゃないぞ。ほんとに定食みたいなのが出てくるだけだ。葵が褒めるから喜んで張り切ってるんだぞ。」
    「そうなんですか、ありがたいですね。うちの厨房は戦場あがりのムキムキマッチョばかりなので、どうしても豪快なものが多くて。まあ美味しいのでかまわないのですが、私が急がしくなると豪快なステーキしか出てこないこともあるので…。」
    「それはまたすごいな! まあ忙しいと食事も面倒になるしな。そういえば、葵が眠っている間のことだが、武村が握り飯を作ってくれてだな……」
     三郎は特に意識したわけではないが武村が三郎に毎日軽食としておにぎりを作っていた話をしだした。それまで黙々と食事をしていた武村だったが急に話題の中心に引っ張り出されて、葵の顔色が気になり、食事どころではなくなってしまった。
    「ああ、そうでした。武村様にお伺いしたいことが…。」
     葵が思い出したとばかりに武村の方を向くと、武村は驚いた顔をして葵を見つめていた。
    「は、はい。なんでしょうか。」
    「私に毎日お話しくださっていた、おにぎりについて書かれている本を私も読んでみたいのですが、どちらの何という本でしょうか?」
    「え?話…覚えていらっしゃるんですか?」
    「えぇ、体は眠っている状態でしたがデフラグ中は暇ですからずっと外の様子を見聞きしておりましたよ。あれ?研究所の人間には説明されませんでしたか??」
    「意識があるというのはそう意味だったのですか。俺は相当恥ずかしいことを…」
    「聞いていたといっても流石に統合中ですからすべては覚えておりませんが武村様がおにぎりの本をご購入されてその話をしてくださったあたりからはなんとなく覚えております。」
    「そ、そうですか(それはそれで少し残念な気もする)。」
    「百種類ものおにぎりがどういう風に掲載されているのか気になったもので、お教えいただければと…」
     そう言いながら葵は武村に笑みを向けると武村はやや緊張した面持ちで本について話し出した。
     その二人のやりとりを三郎はゆっくりと食事を取りながら眺めていた。葵と武村、はじめはどうなることかと思っていたがなかなかどうしていい感じではないかとさえ思えた。ただ、葵の反応がいまいち分からない。単純に自分の好奇心に従順で疑問が晴れた事への笑みなのだろうか。おそらくそうだろう。武村、これは強敵だぞ。改めて、難攻不落の葵を感じずにはいられなかった。

    「今日の厚揚げは美味いな。」
    「三郎様、私もそう思いました。こちらの厚揚げは自家製でしょうか?できればまた食したいのですが…。」
    「葵は本当に昔から食いしん坊だな!」
    「それはみちこ様が京都の美味しいものばかり私に勧めてきたからで、不可抗力です!」
    「確かに、この屋敷の和食はみちこの味と言ってもいいぐらい、みちこの日本愛が詰まっておるからな。忙しい時は忘れがちだがこの屋敷にはみちこが生きているよ。お前がいると色々気づかされるな。」
    「ぼけるにはまだお早いのでは?」
    「百歳を優に超えた私にそれを言うのか?はっはっは。」
     三人の食事は終始和やかなムードであったがチャンスをいまいちいかしきれずにいた武村だけは己の腑甲斐なさにうなだれるしかなかった。

     しかし、この夕食がのちに武村を奇跡へと導くのだった。
     数日後の朝礼。いつもと変わらぬ朝礼のはずだったが……。
    「武村様、本日、お仕事終わりにお時間ありますか?」
    「は?…あ、はい!(葵殿のためなら予約があろうとキャンセルいたします…)」
    「くすくす。心の声が漏れているようですよ。そこまでして頂くほどの用ではないのですが…なんか頼むのが申し訳ないな、やっぱり…」
    「あ、申し訳ございません。変なことを言ったばかりに!して、用とは?」
    「笑わないでくださいね?先日教えて頂いたおにぎり大全を読み始めて、実際に作ってみたのですが…その…三郎様に笑われまして。」
    「え?」
    「恥ずかしながら、わたくしこういうことがほんと不器用で、三郎様に見せたら呆れられまして『武村はきれいに作っておったぞ。』と…。」
    「なるほど。(ギャップが…か、かわいい)」
    「それで、コツなどご教授頂ければと思いまして…すみません。こんなお願いで。」
    「あ、はい。そのようなことでしたら全然、お力になりますが…その、葵殿の周りには…教えてくださる人がいっぱいいそうなのですが、私でよろしいのでしょうか?」
    「それが、みな、口をそろえて『武村様から本を教えてもらったのだから一番詳しい武村様に教わった方が良い』と申して、教えてくれなくて。こんなお願いをするのが本当に申し訳ないのですが…。」
    「いえいえ!自分としては願ったり叶…い、いや、葵殿のお役に立てるのならお安いご用です。」
    「変なお願いで申し訳ございません。作らないというのも考えたのですが、三郎様にちゃんと作れよと先に釘を刺されまして。」
    「そうなのですか。」
    「しかも『武村が全種類作れたのだからお前も作れるはずだ、これができなければ自分の屋敷にも帰せない。』などとおっしゃいまして。本当に理不尽な御方です。私が不器用なのを知っているくせに。」
    「なるほど…。」
    「今、不器用なわけがないとかお疑いになったでしょう?」
    「いえ、そんなことは…。」
    「いいんです、皆最初はそういう目で見ますから。本当の私を見てくれないのには慣れました…。」
    「葵殿、申し訳ございません! 自分はその…葵殿のことをいつの間にか自分の都合の良い姿で見ていたのかもしれません。今一度、チャンスをくれませんか? 本当の葵殿を知るチャンスを。」
    「武村様は本当に噂通りまっすぐな御方なのですね。」
    「え、あ、申し訳…。」
    「本当の私なんて知ったら幻滅するだけですよ?」
    「そんなのことは! ないとは言い切れませんが…」

    「「知らなければ始まらない」」

    「でしょ?」
    「です…。 !!葵殿!」

     かくして武村と葵のはじめの一歩は踏み出されたのだった。



    第二部 完



    第三部 昔から決まっていた道
     おにぎりで結ばれた二人の日常はそれから何事もなく続いていた。お互いを知ることで衝突があるかもしれないと武村は不安だったようだが、それは杞憂だった。元々仕事人間で根が真面目な二人だからこそ、違うと思ったことは相手にしっかり伝え、お互いの考えを話し、すりあわせる。そうすることで喧嘩に発展せずにより仲を深めることとなった。というのは表向きでその実、葵は武村と違って、すぐ頭に血が上ったりせず、うまく武村を誘導していたというのが周囲の談である。
     日々の業務報告をそれまでのメッセージでのやりとりから葵の執務室で顔を合わせて行うようになったのも大きいだろう。執務室での業務報告は、おにぎりレッスンを終業後に行うために効率を考慮しての事だが、顔を合わせれば報告以外の話題も自然に出てくる。そのほとんどが今日の三郎についてだとしても二人にとっては問題ない。身近だからこそ共感し合えるのだ。

    「今日、三郎様は天気が良いので庭に出ると突然言い出して…」
    「そういう突発的な行動はやめてほしいわよね。守る身にもなってほしい。」
    「ん、まあ。今、屋敷に葵さんがいてバックアップしてくれているから気が緩むのも分からなくはないが…」
    「褒めても何も出ないわよ、吾郎さん。」
    「あ、いや、そんなつもりでは。本当のことを言ったまでだが。」

     連日顔を合わせ、業務報告後はおにぎりのレッスンを一緒にこなしている二人はいつしか堅苦しい他人行儀な口調から一歩進んだ、少し砕けた口調に変わっていた。急速に仲が深まったとは言っても恋仲とは縁遠い二人。恋人同士になるにはこれといった決定打もなく今一歩のところをふらりふらり。
     そんな中、半年経ったある日、ようやく葵も百種類達成となった。やりきった事への満足感で満たされている葵に対し、武村は素直にお祝いできない心境であった。それもそのはず、元々三郎より発せられたこの百種類製作命令は、武村を想って三郎が出した課題といってもいい。しかし、その武村はというと、相変わらずのへたれ具合。
     このまま葵さんが自分の屋敷に戻ったらまたぎこちない関係に戻ってしまう?もしかしたら会うこともなくまた疎遠になってしまうかもしれない。そんな不安ばかりが募っているのであった。

    「吾郎さんのおかげで、無事全種類達成しました。ありがとう。」
    「いや、俺は最初だけしか…後は葵さんの頑張りで…」
    「でも、吾郎さんいなければ私は今頃まだ全然終わってなかったかもしれないし…ね?」
    「終わってなかったらもう少し一緒に…いや、なんでもない。おめでとう葵さん。」
    「吾郎さん、なんだか心からお祝いしてくれてない気がする…」
    「あ、その、すまない…今後のことを考えたら不安になってしまって…ちゃんと心からお祝いしないとな、やり遂げたんだし。」
    「今後の事って?なにかあるの?吾郎さんの勤務…とかじゃないよね?番い解消…とか?」
    「ないない!それは絶対!!…あ、でも、そうか…葵さんの試用期間も終わりなんだな…はぁ…」

     すっかり忘れていた、葵との番い。元はといえば、葵が無茶をした罰として、三郎が下した命だった。自分の屋敷に戻ると言うことはすなわちその命も終わりを迎えると言うこと。
    「今まで付き合ってくれてありがとう、葵さん。毎日の業務が楽しいと思う日が来るとは思わなかったよ。番いじゃなくなれば、その、今までのように話したり共同作業をすることもなくな…る…そうか、一緒の時間…なくなるのか…」
     不意になんとも言えない気持ちに襲われた武村。言葉が出ない。今まで二人で行ってきたことが浮かんでは消えていく。葵のことをまっすぐ見られなくなっていることに気づく武村だった。
     葵もまた、どう声をかければいいのか悩んでいた。
     二人の間に沈黙の時間が流れる。そしてその沈黙を破ったのは老紳士の執事セバスチャンだった。
    「番いは解消しなければならないのでしょうか?」
    「「え?」」葵と武村の声が重なった。
    「あ、申し訳ございません。お二人とも悩んでいらっしゃる様子でしたので差し出口を…三郎様は確かにこちらのお屋敷にいる間、試用期間として番いの業務を行うこととおっしゃっておりましたが、それはつまり葵様が今後もお続けになると三郎様へ申し出れば、本雇用となるということではないのでしょうか?」
    「え、あ、そうなのかな?なんか私が必要以上に働いちゃうから釘さされただけかと思ってた。」
    「葵さん…」
    「ん?どうしたの?吾郎さん。」
    「葵さんは俺の番いをやってみてどうだった?続けてもいいと思った?俺は、その、できることならずっと…」
     武村は素直な気持ちを伝えた。とはいえ、番いの続投を願う気持ちをひねり出すのが精一杯で『ずっと一緒にいたい。恋人として』と愛の告白を続けるのは無理だった。
    「私は…そうですね…吾郎さんとは仕事以外にも考え方が似たところがありますし、なによりお互い三郎様を支える身、一人で考えるより二人で考えた方が多くの解決策が見いだせました。今後も今までのように気軽に意見交換ができでばとは思っています…」
    「つまり?」
    「吾郎さんの番いを続投したいと三郎様にお伝えしようと思います。」
    「!! 葵さん!!」
     武村は嬉しさのあまり葵に抱きついた。今の今まで手さえつないだこともなく相手に触れることもためらっていた武村がだ。驚いたのは葵だった。ぎゅっと抱きしめられ戸惑ったが嫌ではない。身じろぎもせず、武村の気が済むまでそのままでいた。
     武村はしばらくすると我に返り、ばっと手を離した。
    「あ、す、すまない。興奮して…その…」
     こんな時どう返したら良いのだろう。葵はとても困ったが自分は嫌ではないととにかく伝えた方がいいと思い、武村の手を取り、
    「まだ決まったわけではないけれど、これからもよろしくね。吾郎さん。」
     そう言ってニコッと微笑んだ…そして武村は撃沈した。


     次の日の朝食、いつものように三郎と食事を取りながら、葵は自分の屋敷に戻ることと番いについて切り出した。しかし、三郎は少し考えた後、
    「屋敷に帰ることは分かった。今日は撤収作業にあててもらってかまわないが…番いは保留とさせてもらっても良いか?」
    「といいますと?」
    「まあ、いいにくいんだが、葵に高松に飛んでもらいたい。準備に1週間。向こうでの任務期間は……完了するまでだ。」
    「高松…空母で何か?」
    「何もない、今はな。ただ、華子が先に行って準備をしているが念には念を入れたい。」
    「ナイトシティで動きが?ヨリー…頼宣様ですか?」
    「お前には隠し事ができないな。その通りだ。あやつめ、手を出してはいけないものに手を出そうとしているようなんだ。日本のためにであれば目をつむろうとも考えたのだがな、まあ景が生きている時にどうにかできていればこんなことには…。」
    「それは無い物ねだりですよ、三郎様。」
    「そうだな。景はもういない。お前には苦労をかけるが、頼まれてくれるか?」
    「そこは主としてご命令ください。わたくしは三郎様と共にあるとあの日みちこ様に誓ったのですから。」
    「ありがとう。」
    「やめてください、気味が悪い。」
    「お前のその憎まれ口もしばらく聞けないと思うと寂しいもんだな。私が寂しく感じるのだから、武村なんて死んじゃうんじゃないか?」
    「三郎様、そうやって武村様をからかうのはよしてくださいね。業務に支障が出ますよ?」
    「む、そうだな。お前がいない間は武村に頑張ってもらわないといけないからな、少し自重しよう。」
    「まったく…」
     二人の様子をドア前で警護をしながらうかがっていた武村。内容までは聞きとれず、番いについてどうなったのか、気がかりだった。緊張した雰囲気から一転和やかな雰囲気に変わっていたので問題がないと思いたい。
    (休憩時間にでも聞きに行くか…)

     そして休憩時間。武村は足早に葵の執務室へと向かった。手には葵の大好きなおかかのおにぎりを持って。
    「葵さん、忙しいと聞いたのでおにぎりを持ってきたんだが…あ、すまない。戦場のようだな…来なかった方が良かったか…」
    「武村様よいところに。葵様をしばらく預かってください。執務室を整理して退去の準備をしたいのですがギリギリまで仕事をするといって聞かなくて…これでは副執事のトーマスの仕事が滞ってしまいます。」
    「了解した。そういうことであれば…葵さん中庭でおにぎり食べよう。あ、お茶がないな。」
    「お茶でしたらわたくしがお持ちいたしますのでお先に、ささ、どうぞ。」
    「セバス、そんな急かさなくても…」
    「まだこれだけしか片付いていないのですよ。トーマスが屋敷から来たら嘆かれるのは目に見えております。武村様、よろしくお願いいたします。」
    「分かった…皆さんもご苦労様です。」
     武村が深々とお辞儀をすると使用人達は皆ほっとした表情で作業を再開した。

     中庭に行くと人は誰もいなかった。日陰でちょうどよい席に二人で座り、武村は包みをほどいておにぎりを入れた竹箱を取り出した。そこへタイミングよくセバスがテーブルを小脇に抱え、お茶を持って現れた。
    「武村様、テーブルもお持ちいたしました。」
    「ありがとう。テーブルがないことまで気が回らなかった。」
     お茶とおにぎりがテーブルに置かれ、セバスは気配を消して後方へ下がった。おにぎりを手に取りひとかじり。
    「おいしい。やっぱり吾郎さんが握るおにぎりは固さもちょうど良くて食べやすい。」
    「葵さんが食べやすいように握ってるからな。」
     なんとなく、次の会話が出てこないまま、黙々とおにぎりを食べる二人。一つ食べ終わりお茶を飲んでほっと一息ついて、先に口を開いたのは葵だった。
    「あのね、吾郎さん。私1週間後に高松へ出向することが決まったの…だから、その…」
    「え?出向?1週間後??高松????」
    「ええ、三郎様からのご命令で。華子様がすでに現地に行ってらっしゃるのだけどお手伝いというか最終確認というか、直接行かないといけない任務で…ごめんなさい。」
    「なぜ謝る?任務なんだから仕方がないじゃないか。三郎様からの任務は俺たちにとっては絶対なんだから。」
    「そうなんだけど…」
    「すぐに戻ってくるんだろ?」
    「それが…こちらからは状況が見えないので現地に行ってみないとなんとも言えなくて、三郎様も歯切れが悪くて。」
    「まあ、でも今生の別れになるわけではないのだろう?」
    「それはまあ。それでね?番いも…保留って…」
    「そうか…まあ、任務最優先だから仕方ないな。気をつけてな?その間のこちらの警備は俺が万全の体制で行うから。」
    「うん。ごめんね。期待させちゃって…」
    「葵さんが謝る事なんて何もないだろ!さっきも言ったけど、任務なんだから仕方がない。だろ?」
    「…ありがとう。」
    「さ、お茶が冷めてしまう、残りも食べよう。」
    「あ、ねえ。吾郎さん。」
    「ん?」
    「もし良かったらなんだけど、今日の夕食一緒にどうかな?」
    「夕食?断る理由がないが。どこか、いい店…」
    「あ、うちで…なんだけど?どう?」
    「俺が行ってもいいのか?」
    「ええ、きっとみんなも喜ぶわ。戦乙女の子達は吾郎さんに会ってるけど屋敷の子達は会ったことないから、噂に聞く吾郎さんに会いたがっているみたいなのよね。」
    「え?噂?」
    「私を番いにしたんだから、噂と言うより伝説なんだって(笑)」
    「そ、そうなのか。俺はただ自分のために行動しただけなんだがな。」
    「というわけなので、吾郎さんの都合が良ければ…」
    「もちろん!是非」
    「じゃあ、お仕事終わったら執務室にまた来て頂ける?」
    「了解した。ああ、もう休憩終わりか…」
     ちらっと時計を見た武村が名残惜しそうにつぶやいた。
    「ではまた、後ほど。」
    「うん。おにぎりありがとうね、とても美味しかった。」
     武村は作ってきて良かったと思った。


     休憩を終え、現実に引き戻された武村の心境は複雑だった。葵との距離を関係を壊さないように慎重に時間をかけて築いていこうと思っていた矢先だったからだ。葵が屋敷に戻った後、番いが続投となれば、三郎の目を気にすることなく距離を縮める時間も作れるはず。そうすれば、いずれ葵の屋敷に招かれることもあるかもしれない。そんな妄想を抱いてもいた。しかし、蓋を開けたら1週間後には出向。しかも高松に期間未定。これでは距離を縮めるどころかまた元に戻ってしまうのではないかと不安で仕方がなかった。なにより、自分の目の届かないところに彼女は行ってしまう。俺以外の誰かと恋に落ちることがないとは言えない。武村の心は穏やかではなかった。
    「俺も一緒に行けたら、どんなに良いか。しかし、葵さんに三郎様は任せてくれと豪語したしな。頭では分かっているが、心が…はあ、体が2つほしい。」

     ぐるぐると考えがまとまらぬまま、気がつけば三郎の執務室前に到着していた武村。ドアをノックし中に入り、警護を交代する。
    「戻りました。三郎様。」
    「ああ、武村か。葵のところに行ってきたのか?」
    「分かりますか?」
    「ああ、顔色がおかしいからな。話は聞いたのか?」
    「はい、高松へ期間未定で出向だとうかがいました。」
    「そうか。なあ、武村よ。」
    「はい。」
    「私は近々、ナイトシティに行く予定だ。その場合はお前も当然付いてきてもらうことになるが…葵は一緒には行けないだろう。」
    「ナイトシティですか?高松ではなく。」
    「高松はナイトシティに行く準備と思ってもらえればいい。ただ、葵は…前に聞いたと思うが、私がいない間にここを守らねばならない。最悪、入れ違いで出立する可能性も高い。」
    「はい…。」
    「申し訳ないな。」
    「何をおっしゃいます!三郎様あっての私ですこれは葵さんと私の共通の…」
    「分かった分かった。そう興奮するな、武村。」
    「は!申し訳ありません。」
    「まあいい、すべてが終わったら二人でゆっくりしたらいい…。」
    「三郎様…。」
    「……武村よ、今日はもう良い。小耳に挟んだがお前今日葵のところに行くのだろう?しばらく会えなくなるんだ、プレゼントの一つでも送ってアプローチしてみたらどうだ?まんざらでもないんだろう?」
    「さっ三郎様」
    「お前と葵のことは私の趣味…げふげふ…風の噂で聞いておるし、見てれば分かる。だからな、離れる前にしっかりと気持ちを伝えてはどうだ?ん?」
    「は、はぁ…でもいったいどうすれば…」
    「それは自分で考えろ。というわけで、お前もう今日はあがりでいいからな。」
    「は、はい。かしこまりました。では少し考えてみます。」
    「後悔しないようにな。」

     三郎の最後の言葉に少し引っかかるものがあったが、武村はプレゼントで頭がいっぱいになっており、深く考えず執務室を後にしたのだった。護衛仲間に相談し、プレゼントを決定した武村は一度家に帰り身支度を調え、お店に寄ってから再び葵の執務室へと足を運んだのだった。
     ドアをノックすると葵の声がする。
    「吾郎さんかな?どうぞ~。」
    「失礼する。そろそろかなと思って来たのだが…出直した方がいいか?」
     執務室の惨状を見て、武村はそう口にした。
     するとセバスチャンが
    「武村様お気になさらずに。むしろ葵様がこれ以上いても邪魔なだけですので私どもと共に、葵様の屋敷へとご移動いただければと存じます。こちらの片付けの引き継ぎはすみましたので。」
    「武村様、副執事のトーマスと申します。お気遣い感謝いたします。こちらは大丈夫ですので葵様を連れ帰っていただければと。でないと、いつまで経っても帰りませんから。」
     見回すと使用人達が仕事が進まないとか邪魔なので早く連れ帰ってほしいとか、二人を見ていると癒やされますとか…思い思いに口にしている。信頼関係が成り立っているから目の前でもこうしてく地にできるのだな。素敵な仲間だ。

    「では、お言葉に甘えて。葵さん帰ろう…あ、いや、俺の家ではないから帰ろうというのは違うか…」
    「フフ、吾郎さん。帰りましょう。」
    「ああ、お供する。」


     葵の屋敷は三郎の屋敷に比べれば小さいが大正ロマンあふれるレトロな建物で使用人達もその雰囲気に合わせた格好となっていた。そういえば、そんなことを以前オダが言っていたな。
    「ここはね、元々みちこ様のお屋敷だったの。三郎様とご結婚される前のね。ご結婚された後、貴方はこれからたくさんの人に囲まれることになるからって私にくださったの。」
    「なるほど。」
    「表面上はレトロなんだけど、私が住み始めてからはだいぶ実験…いえ、業務に合わせた改造をしてね…まあ後で屋敷の中を案内するわね。まずはどうしましょうね、セバス。」
    「お食事はすぐに出せますが、その前にまず葵様はお着替えをお願いいたします。執務室の片付けで埃っぽいですから。武村様は…お着替えなされておいでになったようですので、応接室へお通しいたしますね。」
    「分かったわ。吾郎さん、ごめんなさいね、少し待ってて。」
    「ああ、大丈夫だ。ごゆっくり。」
     葵はそう言うとパタパタとメイド長と共に奥の部屋へと消えていった。武村はセバスに案内され、応接室へと入る。
    「こちらでお待ちください。今お茶をお持ちいたします。」
    「ありがとう。」

     武村はソファに腰掛け、ポケットの中のものを確かめた。これを渡せるタイミングがあれば良いのだが。そう考えながら。 20分ほどで葵は戻ってきた。ゆっくりでいいと言ったのに、この人はほんとに…。
     食事はワイルドだった。葵から時折聞いてはいたのだが、本当に分厚いステーキが出てきた時は『これか!』と感動さえ覚えた。食事中はゆったりとした空気が流れてはいたが葵さんが帰宅したことによって入れ替わり立ち替わり屋敷内の人たちが顔を見に来ていた。
    「葵さんは本当に慕われているのだな。」
    「え?ああ、今日はみんな珍しくバタバタしてると思ったら、吾郎さんを見に来ているのね。」
    「ん?俺を??葵さんが帰ってきたからじゃないのか?」
    「私が長期間屋敷を空けるのはしょっちゅうだから、珍しくもなんともないわよ?みんな吾郎さんを見に来てるのよ、ね?みんな?」
     そう葵さんが周りを見回すとコクコクと頷く顔が…てっきり葵さんを見に来ているものだと思っていたのだが…。意識するとなんだか恥ずかしくなってくる。俺は自然に食べるスピードが上がり、あっという間に完食した。
    「吾郎さん、さすが男性ね。食べるのが早いわ。食後に少し談話室でお酒でも飲む?」
    「せっかくだし、頂こうかな。」

     談話室はとても温かみが感じられる造りだった。もしかしたらここで三郎様もみちこ様とお酒を嗜みながら愛を育まれたのだろうか。ぼうっとそんなことを考えていると、
    「吾郎さんはたくさん食べるのね。私はあんまり多くは食べられないから、今日は料理長が大喜びだったわ。」
    「普通ではないか。俺はもう年だし織田なんかはもっと食うと思うが。」
    「そうなの?織田とは食事したことないから分からないけど、料理長が『作りがいがあるのでいつでも来てください』って言ってたわよ?」
    「そうか、織田はここの料理を知らないのか…そうなのか。なんだか嬉しいな。」
    「?? また一緒にご飯食べようね?」
    「あ、ああ!是非。俺はいつでも大歓迎だ。」

     それから、話が弾んだのもあり、気がつくと結構飲んでいた。いつもは酔いが回らないようにサイバーウエアで制御しているという葵さんも今日はオフにしているの、と言っていた通り、酔って可愛いことになっていた。おそらく酔い慣れていないのだろう。俺も久しぶりに美味い酒のおかげで気分が良く饒舌になっている。
    「吾郎ひゃんは、三郎ひゃまにずっと仕えていくの?」
    「ああ、それはもちろん。まあでも、最近は葵さんとどこかでゆっくり生活したいなとも…あ、何言ってるんだ俺は…。」
    「私は…相手が吾郎さんなら…うん…ん…」
    「葵さん? おっと、危ない…眠くなったのか?葵さん?」
    「吾郎ひゃ…ん、お泊まり? 私のへ…や…グゥ…」
    「え?あ?葵さん、俺の腕の中で…」
     葵はお酒に弱かった。それをすっかり忘れていた。楽しくなりすぎて飲み過ぎて眠くなってしまった。
    「ごめん…なひゃ…吾郎ひゃ…。」
    「葵様、少々飲み過ぎたのでは?武村様もそのままお帰りになるのは危のうございますので、本日はお部屋をご用意いたしましたのでお泊まりになってはいかがでしょうか?」
    「ああ、すまない。俺も楽しくて飲み過ぎたようだ。葵さん、部屋で寝よう。立てるか?」
    「う…ん…ダイジョブ。」
     言葉とは裏腹に武村の腕の中で寝ようとする葵。武村はどうしていいか分からず、セバスチャンに困惑の目を向けた。
    「武村様、申し訳ございません。葵様をそのままお部屋までお願いできますでしょうか?」
     万遍の笑みでセバスチャンは武村にそう言った。
     武村は不自然な抱き方から、しっかりとお姫様抱っこに持ち替え、そのまま葵の部屋に誘導された。

    「ここが葵さんの寝室…何もないですね。」
    「まあ、本日戻られたのもありますが本当に寝るだけですからね。」
    「葵さん、寝室につきましたよ。布団に…」
     武村は葵をそっとベッドに降ろし、前屈みの姿勢を戻そうと思った。しかし、降ろしたはずの葵の腕が首に回されたままになっており、姿勢を戻せず前に倒れそうになるのをこらえるため片足の膝をベッドにつく姿勢になってしまった。
     困った武村はセバスチャンに指示を仰ごうと振り向くが、空気を読めるセバスチャンはもうそこにはいなかった。グッドラック!とそっと親指を立てて老紳士セバスチャンは部屋を後にしていた。
     姿勢を変えたくても腕ががっちり固定されている。武村はどうすることもできなく、酒に酔っていたせいもあり、諦めて葵の横に転がり寝てしまった。


     あくる朝。
    「え、あ、これはどういう状況…。」
     目を覚ました葵の目の前にタケムラの顔が。すやすやと眠る武村はどこか幸せそうであった。しかし、葵の心中は穏やかではなかった。
    (服は着てるし、やってないわよね?)
     恐る恐る自分の身体を確認していると、武村が目を覚ました。そしてばっと飛び退き、華麗なる土下座を披露した。
    「あ、あ…俺は…すまん!葵さん!!葵さんを寝室に運んだまではよかったんだが、腕がどうにも外せなくて…力尽きて寝てしまったらしい…ほんとに申し訳ない!」
    「吾郎さん、ごめんなさい。その私何か変なこと言ったり、ご迷惑おかけしなかった?」
    「あ、それはない、全然。すごく可愛かっただけ…あ、いや。酔っぱらって眠ってしまったから運んだだけだし…。」
    「そうだったのね、ごめんなさい…。」
    「いや!俺の方こそ…どうにか頑張らなきゃいけなかったのに…。」
    「そんな謝らないで?私たちもう付き合ってるんだし。」
    「え?」
    「え?あれ?付き合って…ない?私の勝手な思い込み??あ、ご、ごめんなさい…」
    「い、いや。俺たち付き合ってるのか?いや俺と付き合って?」
     二人とも混乱した。朝からパニックである。
    「番いの話の時、てっきり、その…恋人になることも含まれているのかと思ってて。ほら、吾郎さんの気持ちは知ってるわけだから、あとは私の気持ち次第的な空気あったし…それに周りの番いの子たちもそんな感じですなんて言ってたから…ヤダ、私勘違いしてて…お屋敷にも来てくれたから…」
     武村は葵の言葉を反芻していた。
    (え、つまり両想いってことでいいのか?)
    「葵さん、もしかしてお屋敷に誘ってくれたのって…」
    「あ、うん。しばらく会えなくなるから会える時に少しでもお互いを知れればなと思ったんだけど…ごめんね、なんか私の早とちりで…」
     葵が言い終わる前に、武村は感極まって抱きしめた。
    「葵さん、ありがとう。俺、大事にするから!」
     武村はそういうと抱きしめた腕を緩め、葵の顔をじっと見つめた。
    「改めて、ちゃんと言いたい。葵さん、俺と付き合ってください。」
    「よ、よろしくお願いします。」
     そして再び二人は抱き合った。
     しばらく抱き合っていると、武村は渡そうと思っていたものを思い出した。そっと離れ、上着のポケットから箱を出す。
    「あ、あの。葵さん。実は告白してオッケーをもらったら渡そうと思って用意したものがあるんだ。」
    「なにかしら?」
    「護衛仲間からもお勧めされて…その。バングルなんだけど。」
    「ああ、特別な番いの印!私も乙女たちから聞かされていたわ。指輪だと戦闘に支障が出るからバングルなのよね?」
    「ああ、そうらしい。腕につけるタイプで大丈夫だよな?」
    「ええ」
     武村はそういうと箱から出し、葵の腕につけた。葵もまた、もう一つを武村の腕につけてあげた。
    「確かに、これなら支障ないな。」
    「そうね、ふふ。お揃い…」
     お互いのバングルを眺めていると、セバスチャンが朝食の時刻を告げにきた。


     武村はウキウキ気分で出勤していった。一方、葵は自分の屋敷から業務を行いつつ、準備を進めることとなった。調べれば調べるほど、高松は戦争の準備としか思えなかった。社内の不穏な空気を感じても、それを武村に悟られるわけにはいかなかった。
    「つらいミッションになりそうね、セバス。」
    「致し方ありません。生き延びることを考えるしか…」
    「そうね。」
    「それよりも、本日も武村様はこちらへ?」
    「ええ、その予定だけど?何か問題でも?」
    「え、いえ。もういっそ高松へ行くまでの間はこちらにお住まいになっていただいてはどうかと。お二人ともなんだか集中力にかけている気がしますので。」
    「そう?私はいつも通り…」
    「書類をお間違いになられてもなおそのようなことが?」
    「ごめんなさい…」
    「では、わたくしは三郎様へご報告もありますので、その際に武村様へお伝えしてきますね。」
    「ありがとう、セバス。」

     この日の夕方から、武村は葵のお屋敷住まいが始まった。
    「ここが研究施設ね。ここでサイバーウエアのメンテナンスとか、最新の部品を換装したりとかもやっているの。」
    「ほお。これはすごい。お屋敷にいる方はみなここで?」
    「うん。みんなここで最新のものをつけてもらっているわ。中には開発中のウエアのテスターをしてる子もいるの。」
    「なるほど。」
    「吾郎さんのは少し方が古いけど荒坂の中では安定版よね。」
    「あ、ああ。護衛中に誤作動起こしてもあれだからな。そこは慎重に選んでいる。」
    「そうなんだ。」
    「葵さんのは新型か?」
    「一応公式発表はされているモデルだけど、うちで改造してるモデルね。」
    「なるほどな。市販のものだとハッキングされたり不安要素もあるしな。」
     武村を連れて屋敷の中を案内する葵。
     お屋敷で働く者たちはその二人を温かい目で見守りながら挨拶をしていく。


     そして夜、夕食を楽しんだ二人は再び談話室で飲むことに。昨日の失敗を教訓とし、葵は少しだけ酔う設定で晩酌に挑んだ。昨日とは打って変わり二人は寄り添いながらお酒を楽しんでいた。
    「そういえば…」
     葵はふと、何かを思い出したかのように武村を見た。
    「ずっと昔の話なんだけど…というか私の出自の話なんだけど。私もスラム出身で、成り上がりで最初はみちこ様の護衛だったのね。」
    「ほお。みちこ様の。」
    「うん、で、まあ。そのあと流れで戦乙女設立になったわけだけど…華子様が大きくなられて戦乙女もいろいろ改変があったころだったかな、忘れちゃったんだけど。その日は…」
     葵は三郎に頼まれて、一日だけ護衛をした時のことを話してくれた。当時は固定の護衛はつけていなかった三郎だったが、スラムに行くというので自分を指名してきたという。
    「あ、おにぎり…」
    「おにぎり?」
    「ああ、三郎様が以前、梅のおにぎりをってな」
    「ああ、聞きましたその話?そうその時です。三郎様がスラムの子を何人か引き取って英才教育を施す事業を進めてて…あ、私はその先駆けではなく、たまたまみちこ様の目に留まって拾われたんだけど。」
    「そうなのか。じゃあ、みちこ様に感謝せねばなるまいな。」
    「そうね。じゃなければ吾郎さんとも出会ってなかったわけだし。で、話戻るけど。そのスラム訪問の時にね、三郎様が立ち止まって一人の男の子を指さしたの。で、『葵の伴侶として迎えるならあのぐらい芯がしっかりしてそうな者じゃないとだめだな。』とおっしゃられたのね。」
    「ふむ。」
    「ちょっと嫉妬した?」
    「ちょっとな。続きは?」
    「ふふ。で、私は『じゃあ、彼を連れて帰りますか?』と三郎様に聞くと『もし、あ奴がお前のポジションまで上り詰めたらお前にもう少し楽させてやれるかもな。そうだ、許嫁とかどうだ?』って…吾郎さん?」
     思わず武村は許嫁と聞いた瞬間、右手で抱いていた葵の肩をぐっと引き寄せた。
    「あ、ああ、すまない。過去の話なのに、その…今は俺のそばにいるのに…何してるんだ俺は。肩痛くなかったか?」
    「大丈夫よ?話続ける?もうよした方がいい?」
    「いや、最後まで聞きたい。そいつがどうなったのか知る必要がある。」
    「安心して。その方がその後どうなったのか知らないし、三郎様からもお話はないですから。」
    「よかった、そうだったのか。にしても、もしかしたら俺の今のポジションも危うかったのか…ん、スラムで…葵さん、どこのスラムか覚えてますか?」
    「え?えっと…関東だと思います。うちのメイド長を私が見染めた場所だから「千葉11区でございます。葵様」だそうです。ありがとうメイド長。」
     自然な流れでメイド長が告げると、武村は考え込んだ。そして、
    「それ、俺かもしれない。」
    「え?」
    「今の今まで忘れていたが、その…俺の初恋話覚えてますか?」
    「ええ、有名ですわよね。彼女を作らない理由として社内に都市伝説級に広まってた…」
    「はい、まあそれです。その話になりますが…」
     武村は三郎に拾われた当時の話をぽつりぽつりとしだした。
    「三郎様は俺に声をかけてくださったときに『あそこに女性が見えるか?彼女は私の専属ではないが護衛をしている。お前が強くなり、私の専属護衛が務められるぐらいになったら彼女のような女性と結婚することも可能だぞ。』とおっしゃられて…その時、その、一目ぼれでした。三郎様は俺が少しそわそわしてるのが分かったんでしょうね。もしお前が望むなら許嫁とかそういうのもできるぞ!ってにかっと笑ったんですよね。その顔が忘れられなくて…。」
     武村はそこまで話すとグラスに入っていたお酒を一気に流し込んだ。
    「俺は、出会ったばかりの俺なんかになんでそこまで言うんだろうと思ってたけど、同時に期待してくれる人が世の中にいたんだと思ってな。二つ返事で輸送車両に乗り込んだよ。」
    「それってつまり…」
    「あの時すでに俺たちは出会ってたんだよ。」
    「しかも、許嫁…って。」
     お互い見つめあい、そして大声で笑いあった。
    「まさか、お互い許嫁にといわれていたとは。葵さんは俺に気づいてなかったんだよね?」
    「ええ、今の今まで忘れていたし。でも三郎様はもしかしたらどこかで思い出して、楽しんでいらっしゃったのかもしれないですね。やはり何手も先、いえ、死に際まで先を見ていらっしゃるのでしょうか。」
    「そう考えると、少し怖いな。」
    「ええ。」

     過去を知り、今を知る。
     武村と葵はなるべくしてなったのか、はたまた三郎の手の上で踊ったのか。
     なんとなく、二人ともあの頃のことを思い出し、かみしめていた。
    「俺、荒坂に入って、三郎様を信じて今までやってきて本当に良かったと思っているよ。」
    「私も。今となっては会うべくしてあったのかもしれないなあと思ってる。」
     どちらからともなく寄り添い、そして口づけを交わした。

     それから二人は毎日愛し合った。それまでの距離が嘘のように親密にそして濃厚な時間を過ごした。武村が枯れることなく、二人の体力は文字通り化け物であった。さすがは三郎の認める最強の二人といったところか。
     しかし、それが思わぬ事故を呼ぶこととなる。
     いつものように二人はただひたすらに愛し合っていた。しかし、この日に限って、気分よく飲んでしまった葵はいつも気を付けているサイバーウエアへの接触について注意力は足りなくなっていた。
     葵のサイバーウエアは最新式で人との接触の際を考慮した素材で接触の際引っ掛かりがないように成形されているが、武村は今まで人に触れさせることがなかったため、そういった配慮のない武骨なものを使用していた。それがいけなかった。
    「あ、葵!大丈夫か?見せてみろ!!こっちを向いて、ほら。ああ、俺のせいで…」
     膝から崩れ落ちる全裸の武村。
    「大丈夫よ、吾郎。ちょっとひっかけただけだし。止血剤を塗れば、ほら。」
     ベッドの上は葵の血で真っ赤に染まっていた。
     うっかり、武村のサイバーウエアに強く頬擦りしてしまい接合部分の部品で切ってしまったのだ。少しえぐる形になってしまい思ったよりも出血があった。葵からすれば血なんて日常茶飯事だし、止血剤さえ塗れば後は時間とともに再生される人工皮膚だ。気にしていなかったのだが…武村は違っていた。愛する人を傷つけてしまったことで自暴自棄に。
    「くそっ!くそっ!!葵を傷つけるサイバーウエアなんていらない!!」
    「ちょっと、落ち着いて!そんな無理やり引っ張ったら、肌が大変なことに…。あ、ほらだめだよ吾郎!」
     葵を傷つけた左のウエアを強引に引きちぎろうとする武村。左の皮膚に埋めてあるワイヤーがみるみる浮いてきた。左の頬は血まみれ、ワイヤーに引っ張られた皮膚はいびつに浮いている。
    「セバスっ!大至急リパードクに手術の準備をさせて!!」
    「かしこまりました。」
    「吾郎、聞こえる?吾郎??」
    「ああ、右で聞こえている。すまない、すまない葵…。」
     ベッドの血を見つめ呆然としている武村に葵はガウンを着せ、
    「手当しないと、ね、吾郎。」
    「大丈夫だ、大丈夫…」
     武村はうつろになっている。頭部のサイバーウエアはとても繊細なものだ。
    「メンテルームに行こう。私も手当てしてもらうから、ね?」
    「手当?手当て。ああ、そうだ、葵を手当てしてもらわないとだ。」
     武村の手を取り、メンテルームに急ぐ。
     葵の屋敷のリパードクはセバスから話を聞いていて準備万端で待ち構えていた。屋敷の主治医たる彼は最新鋭の設備と最新のサイバーウエアを熟知した凄腕だ。葵のサイバーウエアの改造も彼が共同で行った。
    「吾郎が自分の引っ張って…。」
    「こりゃひどい。ここまで力任せに引っ張ってよく意識が持っている…ふむ、これはもう駄目だな、型も古いし、頭部はすべて新しいものに取り換えよう。ただ、この左の皮膚は治らないかもしれないな。」
    「先生、俺よりも葵を先に…」
    「武村様、大丈夫ですよ、ほら、葵様は治療中ですよ。」
    「ああ、よかった。」
     武村は安堵の表情となり、と同時に麻酔が効き始め眠りについた。

     武村が目を覚ますとそこは客室のベッドだった。横を向くと手を握って葵が寝ていた。髪をなで、傷が治った頬を撫でていると、葵がぴくっと動き目を覚ました。
    「吾郎、目が覚めたのね、よかった。痛みとかはない?」
     目をこすりながら、こちらにすり寄ってくる。可愛い。
    「ん、俺はどのぐらい寝ていた?痛みは、ないな。」
    「3時間ぐらいかな。サイバーウエア新しいものに変えたから、違和感なければいいんだけど。どう?」
     葵はそういいながらベッドわきから手鏡を取り、武村に手渡した。
    「おお!これはすごい!!触り心地もいいな!葵は触ってみたか?」
    「え?触ってはいないけど。」
    「ほら、首、あご、頬。どうだ?」
     葵はぐいぐい来る武村に困惑しながらも手を伸ばし、優しくなでた。
    「よく似合っているわね。触った感じも大丈夫そうね。最新型なだけあるわね。あ、そうだ、忘れていたわ…。」
    「ん?どうした??」
     葵はちょっと待っててねと言って部屋を出て行った。武村は一瞬のことできょとんとしてしまったが葵が戻ってくるまで最新式のウエアを眺めていた。
    「まさか俺がこれをつける日が来るとはな。若手はみなつけていたが性能的には変わらぬと言ってたから、手を出さずにいたが、こうして触ってみれば、ふむ。もう少し早くに変えるべきだったか。」
     武村があれこれ考察していると葵が何か手に持って戻ってきた。
    「ごめんなさい。これを渡そうと思って。」
     そういいながら出してきたものは荒坂社のマークが入った金属のパーツだった。
    「首のパーツなんだけど、お揃いで作ってあったの。渡しそびれてて…。どうかな?」
     葵はそういうと武村の喉のくぼみにパーツをはめた。
    「おお!これは!!ありがとう。とても素敵だ!」
     葵は満足そうにうなずき、武村はそれを見て葵を抱きしめた。
    「葵、頬擦りしてみろ。」
    「え?ええ。」
    「どうだ?」
    「うん、なめらかね。大丈夫よ。パーツもよく似合ってるわ。」
    「お揃いだな。」
    「ええ、お揃いよ。」
     葵の首にもまた同じ金属パーツが取り付けられている。実は武村はその金属パーツをずっと気になっていた。特注だと知り残念がっている武村を知っていた葵は、いつか渡そうと作っては見たもののなかなか渡す機会がなかったのだ。
    「よしっ、これで思いっきり愛し合えるな!」
    「吾郎ったら…ねえ、左頬…」
    「ん?ああ、これはこのままでいい。戒めだ。もう二度とお前を傷つけたりしない。」
    「吾郎…」



          葵の独白 こんな年の差でも恋人になれるこの世界。吾郎との1週間は夢のようだった。たとえ、その後戦地へ赴くと分かっていても、荒坂に命をささげたものは今を大切に生きていくという言葉が身に染みていた。いや、未来を見ていないわけでは決してないのだが。
     空母クジラでの作戦は実に愉快に進行した。ナイトシティでの三郎様の作戦支援だし、裏方だからというのもあるが。ここに集まっている者たちが皆、ヨリー嫌いというのもある。華子様がいらっしゃったときは大っぴらにそんなことも言えず、皆ただひたすらに準備をしていたが、私が着任し、華子様が入れ替わりでお戻りになれた後は、皆口々にヨリーのどこが嫌いかを言い合い、酒を飲み夕食を共にした。
     屋敷の人間はほぼ全員、空母へ移動して任務にあたった。若手は古参に割り振りチームを組ませ、実戦経験を積ませるためでもあるが、ほとんどが私が戻るか分からない屋敷に意味があるのかという料理長の一言が決定打だったようだ。そんな料理長は、この空母クジラの元料理長。勝手知ったる厨房で、せっせと私のために肉を焼いている。実に頼もしい人間だ。
     空母クジラでの任務は荒魂祭のために山車を組み上げ、プログラムを行うことから引き継がれた。本来であれば、ガッチガチに難易度を上げた制御プログラムを組まなければならないが、三郎様からの命令はナイトシティの闇市場で手に入るようなもので入り込める穴をあけておくことだった。正規品ではなく闇市場でと念を押されたが、今となっては納得である。
     ヨリーの部下が9割ほど、私の手塩にかけたものと入れ替わりが完了する頃、三郎様は一度屋敷に戻った華子様とともに空母クジラへと乗り込んだ。
     私たちは空母内の特殊任務室がある区画へ移動していた。ここは三郎様や華子様とも接触しない区画。準備期間に、私は戦乙女の十傑の下に連なる精鋭部隊と共に、ここにコントロールルームを築き上げていたのだった。すべては三郎様が描いた筋書き通りにコマを動かすために。
     物事は三郎様がおっしゃったとおりに進行した。震えが来るほど、正確にだ。コンストラクト化された三郎様は華子様にも悟られないように一時的に私たちのコントロールルームで外の様子をうかがっていた。私たちに解説をしながら。
     それによるとVに奪わせた試作品のRelicはチップ部分をダミーにした試作版だったらしく、実は挿した瞬間、中のコンストラクトは本体と融合をはじめ、チップは壊れるものだった。ただ、それが分からないように細工がされており、それによりヨリーがどう動くかなど観察期間を稼ぐ手段だったとか。そういえば、冗談で『チップダミーにしたら面白くないですか?本体にすでに移ってるのにチップ争奪戦とか面白いと思う。』なんて昔言ったような気がする。
     空母ではほぼ、吾郎を観察していた。三郎様が死に、Vと出会うまではずっと私を心配していた吾郎だったが、Vに出会ってからは少し心境が変わったのか、それともVに私を重ねていたのか、私のことをあまり口にしなくなっていた。それを私はただひたすらに見守っていた。寂しい気持ちで。顔に出していないつもりだったが出ていたようで、セバスは優しいし、料理長は上等な肉を求めて地上で暴れていた。
     華子様が吾郎にさらわれる頃、やっと外に出られた。織田を救出するために。『やっぱり馬鹿になりきれれなかったな、織田』と言いながら光学迷彩を解くと織田は安堵の表情を見せたので、なんだか腹が立って一発蹴りを入れてから、同行していた戦乙女に回収させ、クリニックへ搬送した。しかし、何をどう聞き間違えたのか荒坂クリニックではなく戦乙女名物「地獄クリニック」へと送られてしまったようで。あそこは治るのは早いが精神面がゴリゴリ削られて1週間はあほになってしまうから戦争中はあんまり向かないんだが…。案の定最終決戦での織田はあんまり使い物にはならなかったな。まあ、本社に戻るころには元に戻ったのでよしとした。
     織田を渡した後はアダムスマッシャーと共に吾郎のセーフハウスへと向かった。セーフハウスへ向かった人間はすべて仕込みだ。ヨリーの気持ちを緩ませるためのね。
     アダムスマッシャーは荒坂タワー爆破事件で死んだ。ジョニーと共に。そして当時、まだ番いなんて言葉はなかったがアダムと共に行動していた私の元相棒であるイヴ…いや戦乙女『林檎』がアダムの全身義体を作り今日までヨリーをそばで監視していたのだった。いやはや、それを命令したのが三郎様だから、本当にこわい。林檎はアダムを愛していたからな、どんな気持ちで今日までいたのだろうな。でも復讐は果たせたからいいのかな。あの時、アダムが死んだのも結局はヨリーの指揮が悪かったせいらしいしな。駒として使い捨てられてしまったアダム。やっとゆっくり休めるだろう。
     吾郎がVに助けられればよし、仮に助けられなければ、私が回収してどっきり大成功…いや、作戦大成功として、作戦の全貌を話し、あとは空母から終わりまで見届けるという流れだったが、残念ながら好感度を上げてしまったらしくVは迎えに来た。慌てて、私はAVに乗り込み、そして撤収した。アダム姿のイヴに慰められながら。
     華子様回収が成功し、三郎様が華子様に作戦の全貌を打ち明けた。最初こそ複雑なお顔をされていたが、兄の最期は妹の私が、と覚悟を決めた華子様の顔はワンランク上の素敵な女性の顔だった。三郎様も後継者が見つかったようで、これから忙しくなりそうだとおっしゃっていた。
     そこからはもう消化試合、というより社外の敵へ向けての牽制的な意味を込めての自作自演だった。あとは各個日頃の役員やヨリーへの恨みを晴らすべくといった感じだったが、それはまあいいだろう。それよりも織田が後遺症で全然やる気出してないし、逆に何も知らされていない吾郎が痛々しいし、それを見る華子様の目が…そんな憐みの目で吾郎を見ないでと言いたかった。アダム姿の林檎はアダムとしての最期を締めくくるため、またRelicの最終試験のために華々しく散った。林檎ちゃんは本来の義体へと換装されたがしばらくはアダムの癖が抜けなさそうと言っていた。それはしょうがないね。
     すべてが終わっても、すぐに私と吾郎が会うことはなかった。今回の行動で三郎様の琴線に触れることがあったようだ。私は気にしていなかったが、どうも、許嫁がありながらVへ少なからず行為を持ったのではということらしい。そういうところ、三郎様も子どもよねえ。まあ、本人には言わないけど。
     なので、吾郎はナイトシティの別邸で作戦の全貌を知らされることなく、通信も制限された状態で待機となっていた。


     そして私たちは吾郎を残して空母にて高松へと帰還し、すべての任務を終えた私は長期休暇を提出、受理された。そして今、空母での活動期間に購入した高松別邸でのんびりしている。戦乙女の後任は桜になるかと思われたが、林檎が何もしていないのは落ち着かないと長期休暇をやめ、戦乙女へ復帰したことで、私の抜けた長の座におさまった。林檎なら、任せても問題ないな。
    「本社の方はまだバタついておりいますが、武村様は本日三郎様からの任務で衛星の荒坂クリニックへと赴き、Vへコンストラクト化を勧めるそうです。」
    「あれ?ヘルマンじゃなかったんだ。」
    「ええ、まあ。三郎様が、ここで少しでもVき気を許したら許嫁解消すると言っておりましたので、試練ですな。」
    「まったく、私の気も知らないで、勝手なことばかり。大体、Vは元々私から生まれたヒトクローンなのだから、無理があるんじゃないかしら。」
    「それは武村様次第ではないかと。」
    「セバスはほんと辛辣よね。」
    「しかし、三郎様もヨリーの身体になってより仕事の鬼となったし、私も吾郎も引退でいいかしら?後続の育成に力入れたいし。」
    「そうでございますな。ここ高松は訓練もしやすいですから、みなのびのびとしておりますし、よいのではないでしょうか。まあ元よりわたくしはすでに引退し、葵様の従者ですからどう転んでもお傍でお仕えするだけですが。」

     セバスと、他愛もない話をしていると、庭に1台のAVが到着した。
     私はセバスの話を聞き、退職願を電子書類で作成しながら、降りてくるAVへ歩を進めた。
     そして、AVの扉が開き怒号が聞こえてきた。
    「ここはどこだ!俺は葵のいる場所へと言ったはずだ、こんな屋敷には用はない!!早く出せっ!」
     相変わらずせっかちな人。そう思いながら近づく葵。
    「聞いているのか、おい!」
    「AIは間違わないわよ、吾郎。そんなに怒鳴ると警備が飛んでくるわよ、ふふ」
     あまりにも顔を真っ赤にして怒っている吾郎の姿がおかしくて笑いをこらえるのが大変だった。
    「あ、葵。え、あ、じゃあここは?」
     吾郎の顔色が信号のように切り替わる。一生懸命状況を判断しようとしているようだ。
    「私の高松の別邸。ああ、今退職願出したからここが本邸になるかな。」
    「え?退職?本邸??」
    「話せば長くなるわ。とりあえず、お茶…」
     と、言い終わる前に吾郎は葵を思いきり抱き締めた。
    「ああ、本物だ。本物の葵だ。」
    「あら、偽物もいるのかしら?ふふ」
    「あ、いや、偽物なんていない!!葵は葵だけだ!ああ、よかった。あのもうろく爺め、退職させやがって…番いの夢も消え、織田に聞いても葵の場所は分からないというし。これでもう終わりかと絶望しかけて地面に突っ伏していたら目の前になぜか荒坂のAVが降りてきて…二度と葵に会えないかと思った。」
    「よかったわ。吾郎が高松に戻るって聞いていたからAV手配しておいたの。」
    「そうか、そうだったのか。俺はてっきりあの爺の最後の嫌がらせかと。」
    「三郎様を悪く言わないであげて?もう、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃよ、吾郎。能面の武村と呼ばれていたころが懐かしいわね。」
     私は武村の顔を拭いてあげ、優しく抱きしめた。
    「とりあえず、お茶でもどう?おにぎり、握って用意してみたんだけど?」
    「ああ、いただく!」

     おにぎりをほおばりながらことの全貌を聞く武村。
    「あの時、Vとの好感度が低くて、吾郎を助けに行かなかったら私があの部屋に入って吾郎を回収して、別邸で全貌を伝える予定だったのよ?Vにはあなたが亡くなったと伝えられてはれてお役御免だったのに…。」
    「え、そんなまさか…」
    「しかもなんか『鼻の下伸ばしてけしからん!』って三郎様がお怒りモードになっちゃって、お預けルート延長に突入しちゃったのよね。」
    「え、嘘だろ、そんな…」
     うなだれる吾郎の背中をポンポンと叩く葵。
    「吾郎が鼻の下を伸ばさなければもう少し早く…」
    「葵!今から失われた時間を取り戻そう!!」
    「えっあっちょっと!!」
     武村は素早く葵をお姫様抱っこすると寝室へと消えていった。

    「ごゆっくり。さて、わたくしはここを片付けたらうどんでも…」
    「お供いたしますわ。」
    「おや、メイド長。珍しいですね。」
    「執事長のうどん好きは有名ですもの。ここはついていくの一択でしょう。」
    「では、行きましょうかね。とっておきをお教えしますよ。」
    「楽しみですわ。」

     かくして、武村と葵は再会し、ここから本当の恋人としての人生が始まるのだった。



    これにて閉幕
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