だって美味しそう それが目についたのは、本当に偶然だった。
昼休憩を各自取っている間の、気が緩んだ空気。昼食として持参した惣菜パンを二つ平らげて、一息吐こうとドリンクボトルを傾けた、その時。
ラップに包まれた白い塊が、目に入った。
手製のおにぎりだと直ぐに分かった。学業の場を大学に移してからは口にする機会を無くしたそれは、いつも手にするバスケットボールよりもずっと小さい。二口三口でおにぎりは口の中へと消えていき、幾つかのおかずを摘むと次の塊に手を伸ばす。広げられた手拭いの上には、タッパーと共にまだ一つおにぎりが残っていた。
海苔も巻かれていない、ただ白いだけのおにぎりが、どうしてか輝いて見えた。
「松本」
足を踏み出したと気づいたのは、声を発してからで。
今の自分の顔は、相手に負けず劣らず無防備な顔をしているに違いない。
白米を迎え入れようとしていた口が一度閉じられ、なんだと目線が向けられる。インターハイを経て予想外の再会をした一月前を思えば随分と穏やかになったものだ。
隣に腰を下ろしても距離を空けられない現在にしみじみとしつつ、コンビニ袋を下げた手で指を差した。
「それ、お前が作ったやつ?」
「て……まあ一人暮らしだからな、自炊くらいする」
「すげえじゃん。そんでうまそう」
「唐揚げは冷凍のだ」
揚げ物は大変だからと続ける声に、首を振る。
「そっちじゃなくて、おにぎり。うまそうだな」
「……ただのおにぎりだぞ」
「手で握ったのなんて随分食ってねぇよ」
高校時代に持たされていた弁当は下段に白米、上段におかずのよくあるタイプだった。当時も今もそれに不満を抱いたことはなかったが、あの量の白米をおにぎりとして拵えるのは手間であっただろうと今なら分かる。
「な、俺のパンとそのおにぎり交換しねえ?」
残っているのはコロッケパンとソーセージロール。おにぎりの中身は分からないが、単なる塩むすびであっても構わない。
既にラップを剥がしたおにぎりと三井の間でいつもは真っ直ぐな視線が揺れる。
無言の攻防。
退く気配が無いのを察したのだろう。松本は右手のパンを選んだ。
おにぎりの中身は高菜だった。
「よう、松本」
「三井」
「今日もうまそうだな、一個くれよ」
「お前が持ってるそれはなんだ」
カツカレー温玉乗せに目をやりながら、溜息を一つ。
この応酬も初めてじゃない。
松本が部活以外でもおにぎりを持参していると知ってから、機会さえあればこうして物々交換を持ちかけている。
「つーかお前、なんで学食にいんのに弁当持ってきてんだよ。節約か」
なんとこの男、学食を利用するのにおにぎりを持ち込みおかずだけを購入するのである。
トレーの上には小鉢のおかずが並ぶ。横には持ってきたおにぎりが数個。
バスケットボールを自在に操る手が握ったおにぎりは、形が整っているのに今日も大きい。
「実家から米が送られてくるんだ。こうでもしないと食べ切れない」
「そういやお前がラーメンとか食ってること見たことねえかも。実家が米農家なのか?」
確か山王は秋田県だ。
「いや、普通の役人だけど。山王バスケ部の後援会に米農家の人がいて、親が当時のお礼だって言ってな。わざわざ買って送ってくるんだ」
いい話のはずなのに、どこか松本の声には翳りがある。そんなハイペースで米が送られてくるのだろうか。例えば、一人暮らしの部屋を圧迫しかねないほどに。
生憎まだ、部屋に遊びに行けるほどの親密さには至らないけれど。
「今度持ってくるか? 米、三合くらい」
そんなに気に入ったなら、とおにぎりを寄越しながら松本は言う。
おにぎりの中身は松本にしか分からない。教えてもらおうと思ったこともなかった。
頼みさえすれば、母親はおにぎりを拵えてくれるだろう。
三井の好きな具で、丁寧に海苔も巻いて。おにぎりにせずとも美味しいだろうと思う。だって冷めていても松本のおにぎりはいつだって美味しい。
プロの作ったカツカレーが霞んでしまうくらいに。
母親が作ってくれる思い出の味を押し除けてしまうくらいに。
今回分のおにぎりを早速確保して、代わりにカツを二切れ空の小鉢に移した。
「くれんなら貰う」
そして、それでおにぎりを作ろう。
米の研ぎ方を教わって、いつもより早起きして。好きな具を知らないから、自分の好きな具を入れて。
俺のと交換してくれって言ったら、どんな顔をするんだろう。
驚くだろうか、戸惑うだろうか。
ちょっとくらい笑ってくれたらいい。
想像の域を出ない光景を思って、艷やかな白に齧り付いた。