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    由井歩

    WEBオンリー時の展示用

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    由井歩

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    流彩
    春から夏にかけての変化について

    流彩WEBオンリー開催おめでとうございます!!

    あたしの後輩 忙しさは人間の判断力を低下させる。無意識での行動が多くなるし、イレギュラーなことへの対応も鈍くさせる。今日のお昼は学食にしない? というクラスメートの提案に頷いてしまったのはそのせいだ。鞄の中には、今日もしっかりお弁当が入っていたのに。


    「お待たせ〜。さ、食べよ」
     刻み海苔が踊るたらこスパゲッティが2つ並ぶ。麺類でも別々のを頼むと時間がかかるから、と彩子に席取りをお願いしている間にクラスメートが購入したものだ。学食のメニューでパスタ類は他にナポリタンとミートスパゲッティしかなく、夏服に衣替えした女子生徒からは少し躊躇う選択肢だったから、これは自然な結果と言える。
     パスタを一口サイズに巻き取りながら、教室に置いてきてしまった本来のお昼を思い出す。学食は飲食の持ち込みを禁じてはいないのだから、誘われた時に鞄から取り出せばよかった。今ならそう思える。それが出来なかったのは、目の前に座るクラスメートに急かされたからだった。早く行かないと席がなくなると言われたから。滅多に学食を利用することのない彩子は、そういうものかと手を引かれるままに教室をあとにしたのだ。
     気づいてしまえば、引っ掛かる点はいくつもあった。
     そこでどうして? と口から出なかったのが隙であり、油断であったのだろう。
     クラスメートの他愛のない世間話は途切れることがなく、彩子に財布を出させる機会を許さない。
    「あのさ」
     小鉢のサラダが空になり、メインのパスタも残り少しになった頃、漸く一方的なお喋りに変化が訪れた。素早く視線を巡らせたのは、一呼吸置きたかったからなのか。何かの頼りにするように、水の入ったグラスに指を添えられる。
    「流川と、どうなの?」
     声は硬く、目は見えなかった。でもこれこそが溢れる世間話の中の本題で、今日学食に誘われた理由だと分かった。教室では出来ない理由を、彩子もよく分かっていた。
     先程のクラスメートに倣うように、彩子も視線を左右に配る。目立つ髪型だから、もしこの空間に居たら遠目でも見つけることが出来る筈だった。懸念した存在の象徴は見当たらなかったことに細く息を吐いた。
     後ろめたいことは何も無い。無いけれど。
    「どうもなにも、ただの先輩と後輩」
    「だけじゃない、とかは?」
    「たまたま中学も一緒だっただけよ。先輩と後輩で、今は選手とマネージャーではあるけどね」
     嘘は無い。疾しいことも。それなのに裁判で証言しているような気持ちになるのは何故だろう。
     生徒が最も開放的で騒がしくなる時間なのに、周りが妙に静かだからだろうか。クラスメートが挙げた名前にその原因があるとするなら、コート外にも見せる影響力を笑い飛ばせない。
     流川、流川楓。湘北高校の一年生で、バスケットボール部のエース。
     日本ではまだメジャーとは言えないスポーツでこれほど名が知れ渡っているのは、圧倒的な才能が齎す活躍と恵まれた体躯、そしてスポーツに関心の無い人間の目すら引き寄せる秀麗な容姿にある。
     中学時代同じバスケ部だった彩子は高校での再会に素直に喜んだものだが、入学当初から流川が騒がれる理由の最たるものが外見に依ることは知っていた。本人が自分の顔面にちっとも興味が無いことも、だ。
     バスケが中心で、バスケが全てで、この学校を選んだ理由も単なる立地に過ぎない。
     有名な監督も、力ある選手も、顔馴染みの先輩も流川の選択を揺らすほどの力は無いのに。
     彩子は分かっている。周囲が分かっていないことも、分かっていた。
     最後の一口を運ぶ彩子を見つめる目に、嫉妬の色は見えない。恐らくクラスメートは誰かに頼まれてこの役目を負ったのだろう。不特定多数の生徒が入れ替わる学食では、誰がどこで耳を立てていてもそうと気づかれることはないのだから。
     それが、2つ目。
     舞台が学食である必要があった理由。
     そして3つ目の理由こそが、この舞台が整えられたきっかけだ。
     春の時点ならこうはならなかった。そう断言出来る。
     彩子は覚えていた。クラスメートもきっと覚えているだろう。

    「彩子先輩」

     引き金を覚えていた。
     その時と同じ声がした。
     え、と溢れた声はどちらのものだったか。人でごった返す筈の学食の中で、一際大きく涼やかな後輩がそこにいた。不自然なほど開けた通路を危なげなく進み、側に立つ。いつもよりうんと高い場所の顔は、放課後まで見ることがないだろうと思っていたのに。
    「帰り、送る」
     ダブルタップを成功させた後輩は、それだけ言って背を向けようとする。堪らず声を掛けたのは、チャンスを見逃せなかったから。
     これ以上ここにはいられない。視線がもし矢の形をしていたら、今頃彩子はハリネズミになっている。
    「あんたもこれからお昼なんじゃないの? この席使っていいわよ、私達もう終わるから」
    「べつにいー。先輩に用があっただけ」
     見れば流川の手には財布も何も無い。
     昼食を済ませてから来たのだろうか。男子の食事スピードには慄くものがある。
    「先輩のことさがしてただけ」
     教室にいなかったから、と。
     今度こそ学食をあとにした流川を、彩子は追いかけることが出来なかった。
    「彩子」
    「言わないで」
     財布から紙幣を一枚取り出し、トレーで抑える。
     こんなのは二度とごめんだ。
    「何でもないから、本当に」


     部活終わりに、駐輪場で流川を待つ。
     青春の1ページみたいな行為も、もう何度目のことだろう。グループで、1人で、カップルで下校していく生徒達をぼんやり眺めながら、最初はこんなことになるなんて想像もしなかったと誰にともなく言い訳をしたくなった。
     彩子を1人で下校させたくないと言い出したのは宮城だ。インターハイの予選が始まろうという頃に、突然言ってきた。これから大会に向けて練習も厳しさを増し、帰りも遅くなるだろうからと。
     勿論最初に断った。練習が遅くまでになったとしても時間としては常識内で、外も真っ暗になるまでに余裕がある。体育館の後片付けはマネージャーの仕事でもなかったから、寧ろ部活動を終えるのは彩子の方が早い。待つのも待たせるのもお互いに気まずいだろうと。
     元より宮城の自宅は彩子と正反対の方角にあり、練習を終えてから自分の為に余計な体力を使わせたくないというのもあった。去年も問題なく1人での下校を済ませていたから、若干今更感を抱いてしまったことは口にしなかったが。
     これで話は終わり。そう思っていた。
     しかし彩子は舐めていた。
     ここで大人しく引き下がるような男なら、提案そのものを宮城は出さない。
     それじゃあと代案として出されるのが流川であると、誰が予想出来ようか。
     確かに流川ならば家の方角は一緒だ。中学が同じなのだからそれは当たり前のことだ。しかしそれで解消される問題は1つだけで、彩子はそれを盾にしようとした。流川は家から近いからとこの高校を選んだのだから、彩子を送っていては意味が無くなってしまうと。
     流川の返事は簡潔簡素簡単だった。
    『俺はいい』
     送り届けた後に自転車に乗れば直ぐだし、後片付けは他の一年に頼むからと。部員達も快く了承してくれ、休日やどうしても居残って練習したい時は、宮城が当初の目的通り彩子を送ることまで決まってしまった。そこまでお膳立てされてなお固辞するハートを彩子は持っていない。
     それからこうして流川や宮城を待つ日々が続いている。
     受け入れることを決めた厚意とはいえ、困ったこともあった。今日のような昼休みの一幕だ。流川は毎度律儀に彩子のもとを訪れ、その日の担当は自分だと告げていく。そんなの部活中でいいからと言っても一向に改善されることがなく今に至り、遂に周囲の人間の好奇心の許容範囲を超えてしまったのだろう。
     流川と彩子は、毎日のように連れ立って下校する仲の良い男女に見えることだろう。そして流川は、学内外に問わずファンを持つ大型ルーキーなのだ。単なる噂として消費されるには、存在感があり過ぎた。ここでもし宮城と交代制だからと言っても、今度は二股疑惑に発展するのが目に見えている。
     誰も悪くない。
     悪くないのが問題だった。
    「彩子先輩」
     殆ど空になった駐輪場に声が降る。もう耳に馴染んでしまった声。
     中学の頃は、こんな距離で過ごすことなどないと思っていたのに。
     なんで引き受けてくれちゃったのよ、流川。
     そんなことは、とても言えなかった。


     カラカラと呑気な音がする。
     流川の愛車のロードバイクは荷物を乗せることを想定しないので、荷台が存在しない。だから2人乗りが叶わないし、毎回流川は自転車を転がすことになる。隣に彩子がいなければ、颯爽と夜道を駆けて行けるのに。
     ささやかな救いがあるとするなら、ロードバイクのライトが取り付け式であり車輪の回転数に関わらず煌々と道先を照らせるくらいだろう。緩やかな光の線は、どこか頼もしい。
     やがて道はY字路にさしかかった。右に進めば自宅への、左に進めば流川の自宅に繋がることを彩子はもう知っていた。
    「ここでいいわよ」
    「ダメっす」
     このやり取りも何回目だろう。
    「だって遠回りになるじゃないの」
    「俺はいいって言ってる」
     流川は頑固だった。宮城と同じくらい。それが不思議で、意外で、どうにも上手く受け取れずにいる。
     そうされるだけのものが自分達の間にあるとは思えなかったから。流川が上下関係に厳しい印象も無いし、異性に対して紳士的だと感じたこともない。
     だって二年前までは違った。
     確かに違った筈なのに。
     何が変わった? 変わってしまった?
     明確に変わったものはいくつかある。
    「じゃあ、せめて呼び方変えてくれない? 昔みたいに先輩でもいいし、マネージャーでもいいから」
    「それ、今といっしょ」
    「違う。名前をーー彩子ってつけないでほしいの」
     流川楓の世界はシンプルだ。バスケと、自分と、それ以外。だからイレギュラーな存在が登場すると途端に悪目立ちしてしまう。現在の彩子のように。
     先輩でもマネージャーでもなく、個人の名前で呼んでしまう。しかも下の名前を、だ。そしてその相手と毎日のように下校を共にする。流川が家族以外の異性を認識しているだけでも驚きなのに、そんなあからさまな特別待遇を目にし続けて勘繰らない方が無理な話で。
    「その方が、私もあんたも面倒なことにならないでしょ」
    「知らない。どうでもいい」
     あんたはそうでしょうよ。飛び出そうな言葉を飲み込む。こんなのは八つ当たりだ。
     思春期の生徒達が恋愛事が大好きなのも、流川と宮城が彩子を思いやって行動を起こしてくれたのも何も悪くない。
    「他のやつはよくて、なんで」
     あんたが流川楓じゃなかったらねぇ、なんて絶対に言ってはいけないことだ。
     だけどそれが全てだった。流川が流川で、彩子が彩子だから。
    「だって、ほら、昔はそう呼んでなかったじゃない? 調子狂うのよね、あんたに下の名前で呼ばれると」
     中学時代は同級生の男子に、高校に入ってからはバスケ部の面々に名前で呼ばれてきた。それらに特別感を抱いたことはない。流川だけだ、流川楓だけが、こんな気持ちにさせる。
    「いやだった、っすか」
    「いやなんかじゃないわよ。あんたにされていやだったこと、一個もない。ほんとよ」
     行動の良し悪しを判ずるほどの接触が碌になかったとも言えるが、これは本当のことだった。
     流川が人に嫌悪の感情を向けられるとすれば、その原因の大半が相手にあると言っていい。何故なら流川から他者にアクションを起こすことはほぼないからだ。
     だから高校に入ってからの、桜木花道と出会ってからの変化には驚かずにいられない。
     こんな一面を持っていたのかと、流川楓の中のその他から逸脱するとこうなるのかと、眩しい気持ちになる。
     バスケ選手としても1人の人間としても成長している少年に、余計なノイズを与えたくない。好きなことにだけ夢中になれる時間を多く持って欲しい。
     白状してしまえば、きっとそれだけ。
    「ね、お願い」
     自転車のライトが、右に揺れた。


     次の日登校すると、紙幣が入ったぽち袋と最近ハマっている紙パックのドリンクが渡された。
    「お弁当持ってきてるから無理よ」
    「私も今日はコンビニ。中庭にでも行く?」
     今日はまだ金曜日。可能性はあった。
     探させるよりも、待つほうがずっといい。
     教室でいいと答えを返すと、クラスメートはOKと席に戻って行った。
     そうして昼休み。どうせなら冷えている飲み物がいいと自販機に向かえば、先客が1人。自販機よりも大きい黒髪の持ち主の背中は、物凄く見覚えのあるもので。
     時間にはまだ余裕がある。物陰に潜んでいたところで気付かれるとも思えない。しかし朝練でいつも通りにしていた後輩相手にそうするのは流石に大人気ない気がして、結局彩子は突進することを選んだ。
    「流川じゃない、珍しい。あんたも使うのね」
    「購買で売り切れてたんで」
    「あそこは飲み物の棚少ないわよね」
     そうだ、と今朝帰ってきたお金を思い出す。
    「奢ってあげる」
    「いいっす」
    「なんでよ、先輩ぶらせなさいよ」
     三つ折りの紙幣を取り出し、折り目を綺麗にする。もういいかな。真っ直ぐに出来た千円札は、しかしゴールに辿り着くことが出来なかった。それを持つ手ごと進行を阻む者がいたからだ。
    「ちょっとーー」
    「ごめん」
     背後から右手を抑えられて、髪が触れ合うくらいに屈まれて。
     校舎の影にある自販機には、流川がいるようにしか見えないだろう。
     声も熱も、届くのは1人だけ。

    「先輩やめて、彩子」


     
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    由井歩

    DONE流彩
    春から夏にかけての変化について

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    「お待たせ〜。さ、食べよ」
     刻み海苔が踊るたらこスパゲッティが2つ並ぶ。麺類でも別々のを頼むと時間がかかるから、と彩子に席取りをお願いしている間にクラスメートが購入したものだ。学食のメニューでパスタ類は他にナポリタンとミートスパゲッティしかなく、夏服に衣替えした女子生徒からは少し躊躇う選択肢だったから、これは自然な結果と言える。
     パスタを一口サイズに巻き取りながら、教室に置いてきてしまった本来のお昼を思い出す。学食は飲食の持ち込みを禁じてはいないのだから、誘われた時に鞄から取り出せばよかった。今ならそう思える。それが出来なかったのは、目の前に座るクラスメートに急かされたからだった。早く行かないと席がなくなると言われたから。滅多に学食を利用することのない彩子は、そういうものかと手を引かれるままに教室をあとにしたのだ。
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