はなひらくひめごと よく晴れた午前の陽光が、寝不足の目に染みるようだ。大きな欠伸をひとつ、同じ姿勢を続けて固まった背中を伸ばして、ばきりと鳴る背骨に苦笑をひとつ。
新しい物が入ったと長次から知らされて、図書室から借り出した医学書を夢中になって読んでいたら、すっかり徹夜をしてしまった。
同室の留三郎は夜更けにやって来た小平太と長次に鍛練に誘われて出かけて行ったので、迷惑をかけることはせずに済んだ。
休日の前夜はつい夜更かしをしたくなる。忍務で何日もまともに眠れないような事も経験しているし、それで何か問題があるわけでもないけれど、休日前の夜更かしは気が緩むのか、反動で眠くなってしまう。
ひとまず顔を洗って目を覚まそうと考えて、伊作は部屋の戸を開く。爽やかな空気に微かな水の匂いが混ざっていて、誰かが洗い場で洗濯をしているらしいと気が付いた。
「あ、仙蔵。おはよう」
おはようと言うには些か遅い時間になりつつあるが、まだ許容の範囲だろうか。自室の前の濡れ縁で、柱にもたれかかる様にして座っている仙蔵を見つけて声を掛ける。
「……ん、おはよう、伊作」
返ってきたのは、掠れた声ととろりとした眠気混じりの挨拶。
けして寝起きは悪くない筈の仙蔵にしては、珍しい反応だった。珍しいと言えば、仙蔵はまだ寝間着のままで、その上に淡藤色の単衣を羽織っている。
普段は高く結い上げている髪が左肩へ無造作に流れていて、それを一房指に絡めて、解いて。ほう、と吐息する横顔は、ちょっと下級生には見せられない。あまりにも、漏れ出てはいけない色香が溢れている。
「ねえ、仙蔵……その……」
「……あぁ、悪いな。今ばかりはどうにも」
また一つ、何時もよりも赤みの増した唇の隙間から吐息が漏れる。涼やかな目元も、泣いた後のように腫れぼったい。
極めつけのように、寝間着の襟から覗く鎖骨の上に、くっきりと濃い鬱血が覗いて。
夜更かしの眠気が、一気に吹き飛んだ。
「……答えたくなかったら構わないんだけど……それやっぱり文次郎のせい?」
確実に蛇が顔を出す事になると判っていても、藪を突かずにはいられなかった。知識だけは同級生の中で一番持っているだろうけれど、実体験を伴わない。故に興味は人一倍ともいえる。
仙蔵の隣に座ってこそりと耳打ちすれば、婀娜な流し目が向けられて。
「ああ。すごかったんだ、こんなところまではいってきて……」
男のものにしては細い指先がするりと臍の下辺りを撫でて、また一つ吐息。
「このからだで、そんな事あり得ないと判っているのだが……ふふ、孕んでしまうかと思った……」
うっとりと呟いて、ふる、と背を震わせる。
夜の熱の名残りが未だこの細い身体をじわじわと炙っているようで、仙蔵の頬から耳朶、うなじまで、ふわりと滲む赤に纏う色香がますます濃くなった。まったく目の毒である。アテられて、こちらまでくらくらしてしまいそうだ。
「……そんなに?」
「それはもう」
夜どおし、これ以上は無理だと思うくらいに深いところまで身体をひらかれて、受け入れて、終いには声さえ上げられなくなって。まるでばかになってしまったのに、堪らなく幸せで。
常にはない、ふわふわとした口調で仙蔵が呟く。そうして気怠げな仕草で柱に預けた身体を起こすと、今度は伊作の肩へ形の良い頭を預けた。
「お前の方はどうなんだ」
普段よりも力の入っていない仙蔵の身体を支えてやれば、想定外のところから蛇が顔を出す。もう少し惚気られて色々聞くことになると思っていたのに、話の矛先は既に伊作自身のことに向いていた。
「僕らは、まだ……」
そういう雰囲気にすらなったことが無いな、と恋を自覚してからのことを振り返る。片思いの時期は終わったが、だからといって簡単には先に進めないのは仙蔵も知っているだろうに。
しかし特別に淡白な訳でも、興味がない訳でもないはずなのにそんな気配がないのは、自分には些かそういった色香が足りないからではないかなどと、仙蔵を見ていると思わずにはいられなかった。
「誘惑すればいい。伊作なりに。口の一つでも吸って、この身を好きに抱いていいとでも言ってやれば、存外ころっと落ちるかもしれんぞ」
「それは、何ていうか……」
時期を見誤れば大事故になりそうなことをしれっと言われてしまう。繊細そうな外見に似合わず、豪胆なところのある仙蔵らしいと言えば、そうなのだが。
「心底惚れた相手に本気で誘惑されて手を出さずにいられるのは、余程の朴念仁でなければただの不能だ」
これまた随分な言い草であるが、一足早く先に進んだ友人の言葉には、実感が籠もっていた。
「そう、かなぁ……まぁ、頑張ってはみるよ……」
伊作の言葉に仙蔵は吐息だけで笑ったかと思えば、そのまま深い呼吸を繰り返す。辛うじて、といったふうに開いていた瞼がいよいよ耐えきれずに閉じられて、伊作の肩へかかる重みが増した。
他人の体温が近くなって、眠気が戻ってきたのだろう。いくら体力があろうとも、慣れないことを夜どおしなど、疲れて当然なのだ。
しかし、身動きが取れなくなってしまったなぁ、などと呑気に考えていたところで、盥に洗いたての洗濯物を積み上げて、文次郎が戻ってきた。
伊作の肩にもたれ掛かる仙蔵の姿を見つけて、苦虫を何匹か纏めて噛み潰したような表情をするのだから、思わず笑ってしまうのだった。