澄み渡る青空。
そこを自由に飛び交う海鳥たち。
本日のエルガドも、朝から気持ちの良い晴天だ。
こんな日は、景気よくデカいモンスターでも一狩り行きたい気分になるけれど──
生憎とオレはエルガドの巡回当番で。何か不審なものはないか、怪しい人物はいないか、あちこちチェックして回っていた。
ハッキリ言って、王国騎士がやるには少々地味な仕事ではある。でもオレ達のこういった働きひとつひとつが、エルガドの治安を守る事にも繋がっていくんだ。サボらず、真面目にやっておかないとな、うん。
などと思いつつ、表通りから一本の路地に入り込む。ここは船着場方面に通じている道なんだが、ちょっと問題があって──
……ん、あれは。
とても見覚えのある後ろ姿が、視界に映った。
オレよりも茶色寄りの赤毛。少々小柄な体躯に、ぷりっとしたお尻。間違いなく、オレのよく知っている人物だ。
前を歩いている彼に気付かれないよう、なるべく物音を立てず、ある程度の距離まで慎重に近付く。そして──
「ア・ラ・タ・さん!」
「わっ!? ……じ、ジェイさん?」
背後からギュッと抱き締めると、驚いた様子でこちらを振り向き、目を瞬かせるアラタさん。そんな彼に、へへ……と笑ってみせるが、アラタさんは慌てながら周囲に視線を巡らせ、
「こ、こんなとこ誰かに見られたら……!」
「大丈夫ですよ。ここ、あんまり人来ないんで」
仕事柄、エルガド内で普段から人の多い場所、そして少ない場所はしっかり把握している。
今オレ達のいる路地は少々道幅が狭く、左右を高い塀に挟まれているせいで、日中でもちょっと薄暗い。夜にもなると、怪しい奴らがコソコソ会話をして何か手渡しているのを見かけた。歩いていたら気の荒らそうな連中に取り囲まれた、因縁をつけられた……などという物騒な報告も挙がっていたりする。
また、そういうウワサは一般層にも浸透していくもので。気が付けば昼間でも人気の少ない、ひっそりとした通りになってしまっていた。オレ達王国騎士のように見回りを業務としているならともかく、そうでない人間はなるべく立ち寄らない方が良いのだが──
「ていうかアラタさん、この道を使うのはあんまりオススメしません! 特に夜! オレが側に居ない時に何かあったらどうするんですか!」
「何かって……?」
アラタさんの両肩を掴んで諭すと、キョトンとした顔でこちらを見つめてくる。
狩猟中はそうでもないが、平時は割と無防備なところがある彼なので、やはり心配になってしまう。さっきだってそうだ。あんな簡単にハグできるなら、余所から来たゴロツキ達にも容易に押さえ込まれたり、連れ去られたりしてしまうのではないだろうか。
「そりゃ口では言い表せないようなめくるめく十八禁の……ってあれ、もしかして、ゴーグル変えました……?」
彼が普段身に付けてるゴーグルとはデザインが違う気がして、思わず言葉途中で聞いてしまった。でも、どこかで見た事もあるような……
オレの問い掛けにアラタさんはこくりと頷き、
「あ、はい。バハリさんと同じやつなんですけど」
「へええ、それも似合ってますね!」
なるほど。既視感の正体が分かってスッキリした。
しかし同じものだとしてもバハリさんとアラタさんとでは、身に付けた時の印象が全く異なる。可愛いです、と頬を軽く撫でると、くすぐったそうに笑うアラタさん。そんな彼の耳には、羽根の形を模した小さなピアスが揺れていた。
「ピアスしてるの、珍しいですね」
「あっ、これもバハリさんと同じなんですよ」
「!?」
ゴーグルはいいけど、ピアスまでお揃いなのは何かヤです。
喉元まで出掛かった言葉を何とか飲み込んだ。
オレだって別にバハリさんが嫌いな訳じゃない。何よりこんな心の狭い事を口にしたら、アラタさんにも軽蔑されてしまうかも知れない。でも正直なところ、微妙にモヤモヤする。このやり場のない感情を一体どうしたら……
「それじゃあ俺、クエストに行きますね。ジェイさん、またあとで!」
「──あ、アラタさんっ!」
駆け出そうとしたアラタさんを慌てて引き留める。彼が振り返ったその隙を逃さず、手を引いて抱き寄せ、額にそっと口付けた。
「いってらっしゃい。気を付けて」
「~~っ」
彼の背中を軽く叩き、ニッコリ微笑みながら解放するオレと。
片手で額を押さえ、顔を赤くしているアラタさん。
「い、いってきますっ!」
彼は律儀に返事をしつつも翔蟲を放つと、ぴょんぴょんと跳ねるような動きで宙を舞い、あっという間に見えなくなってしまった。もうキスだって結構してるのに、相変わらず慣れてくれないな。可愛い反応するなあ……なんて思いながら、アラタさんの飛び去った方向をしばらく見つめ、
「……さてと。オレももうひと頑張りしますか!」
ぐっ、と身体を伸ばし、再び巡回業務に戻るのだった。
* * *
アラタさんと別れたオレはそのまま道を進み、船着場を一回りしてから、マーケット方面に向かう。
立ち並ぶ露店と、そこで働く人々。いつものようにそれらを眺めていたのだが、ある店の商品がオレの目に留まった。
販売台の上に並べられた、様々な色合いの鉱石やアクセサリー。その中のひとつ、綺麗な緑色の石が金枠で縁取られている、小振りでシンプルなデザインのピアスだ。先程、アラタさんがしていたピアスに少々思うところがあったせいか、つい足を止めて見ていると、
「おっ! 騎士のお兄さん! それ、気になるかい?」
店主と思しき男から声を掛けられた。見た事のない顔だが、どうやらエルガド外からやってきた商人らしい。商売の許可は取っているのか一応問い質すと、慌てて判の押された羊皮紙を広げてみせる。……うん、判も許可証もニセモノじゃなさそうだ。オレの確認が済むと、店主はホッとした様子で先程のピアスを指し示し、
「小さいけど、本物のエメラルドだよ。カノジョにどうだい」
そんな店主の言葉を聞いて思い浮かべるのは、アラタさんの姿。
彼女……ではないけれど、オレにとって一番大切な人だ。
「エメラルドの石言葉には幸運や幸福、希望、安定なんてのがあってね。お守りにも人気なんだ」
「へぇ……」
幸運のお守り、っていうのは良いかも知れない。いつだってあの人には無事帰ってきて欲しいから。モンスターが落とす素材だってあるし、運は良いに越した事はないだろう。実際の効果のほどは分からないけど……まあ、お守りなんてそんなもんだよな。大切なのは、贈る側がお守りに込めた気持ちだとオレは思う。それにアラタさんには、作りが派手だったり大きい石を使ったピアスよりも、こういう慎ましやかなものが似合う気がする。
……プレゼントしたら、喜んでくれるかなあ……
見た目は小さくて可愛らしいこのピアス、正直言って表示されている金額の方はあまり可愛くない。
腕組みなどしつつ真剣に悩んでいるオレを見て、店主は意味ありげにニヤリと笑い、囁いた。
「それと、浮気封じの効果もあるらしいよ」
「う、浮気ぃ!?」
あのアラタさんが浮気するとか、そんな事は微塵も思ってないけれど。
まあ保険として、あってもいいかなー……なんて……
店主曰く、言い寄ってくる相手にも効果があるとかなんとか……
お守り、お守りかあ……うーん……
* * *
この日も特に何事もなく一日が終了し、自室に戻ったオレは、ソファに腰掛けて自分の手のひらをぼんやり見つめていた。
そこにあるのは、エメラルドを用いた二対のピアス。
結局オレは店主に勧められるまま、例のピアスを購入してしまったのである。店主曰く価格は少しサービスしておいたらしいが、いいカモにされたのではという疑念も拭えない。
しかし買ったはいいけど、アラタさんは受け取ってくれるだろうか。バハリさんとお揃いのピアスを、オレが快く思ってないって勘付かれたらどうしよう……いやいや、お守りとしての効果に期待しているのも事実だし。最悪、身に付けずとも持っていてくれるだけで──
そんなオレの思考を中断させるかのように、コンコン、と部屋のドアがノックされた。咄嗟にピアスの乗った手を握りしめ、上擦った声で答える。
「は、はい! どうぞ!」
静かに開いたドアから顔を覗かせたのは、予想通りの人物だった。
「……こんばんは。おじゃまします」
挨拶と共に、オレの部屋にするりと入ってくるアラタさん。
彼と正式にお付き合いするようになってから、オレ達はこうしてお互いの部屋を行き来する事が多くなった。どちらの部屋に行くかはその日の気分や行動次第だったりするけれど、比率的にはオレの部屋が多い……かな。こう、アラタさんといろいろしたい時は、プライバシー的にもオレの部屋の方が向いているというか。そう、いろいろと。
ちなみにアラタさんは朝に会った時とは服装も違って、今は狩猟用の装備からだいぶラフな格好に着替えている。こうして見ると、本当に普通の男の子って感じなんだよなあ。この子が英雄だって聞かされても、一見ではなかなか信じられないだろう。
「おかえりなさい。今日もケガとかしませんでしたか?」
「はい、大丈夫です!」
オレもソファから立ち上がってアラタさんを出迎え、元気な答えに安堵しつつ、彼の頭を一撫でする。するとアラタさんはオレの右手に視線を送り、
「あれ? ジェイさん、右手どうかしたんですか?」
いつもと違って左手で彼の頭を撫でた事と、握りっぱなしの右手が気になったらしい。
「え、ええと、これは……ですね……」
言い淀んでいたら、アラタさんから心配そうな眼差しを向けられる。
──まずい。オレの方こそケガでもしているのかと誤解されてそうだ。
じっ、と不安げにオレの右手を見つめるアラタさんの視線が痛い。こうなったら、もう──
「アラタさんっ! あの、これ……良かったら受け取ってもらえませんか!」
握っていた右手を、ばっ! と広げ、彼の眼前に突き出した。
アラタさんは一瞬驚いた顔をしてから、オレの手のひらを見つめ、ぽつりと小声を漏らす。
「ピアス……?」
「はい! 今日街を歩いてる時に見つけたんですけど使われてる石に幸運や幸福って石言葉があるみたいで縁起がいいし狩りのお守り代わりにも良いかなと思いまして!」
購入した動機にちょっと罪悪感があったせいか、それを誤魔化すように早口で捲し立ててしまったし、浮気封じ云々の件も流石に言えなかった。アラタさんの返答をドキドキしながら待っていると、彼は少し戸惑い気味に、
「あの、俺がもらっちゃって……いいんですか?」
「是非!」
ゆっくり、右手のひらを上向きに広げるアラタさん。そこにオレがピアスを乗せると、
「あ、ありがとうございます……!」
僅かに頬を上気して、礼を述べた。
わあ、なんて言いながらピアスを見つめる彼の姿に、可愛いな……とボンヤリ思っていたら、何故かオレと自分の手のひらを、交互に見比べ始めたじゃないか。な、なんだろう。ピアスに何か問題が……?
不安に陥って、アラタさんに聞いてみようとしたその時だった。彼の方が先に口を開き、
「この石、ジェイさんの目の色と似てますね。綺麗な緑色だ」
──あっ。
アラタさんに言われるまで全く意識してなかったけど、確かにそうだ。
オレの瞳が綺麗かどうかはさておき、もしや狙って買ったのでは……? やだ……自己主張激しすぎ……なんて、アラタさんに重く捉えられたりしないといいけど……
さっきとは別の意味で焦り始めるオレ。しかしアラタさんは『ピアス、付けてみてもいいですか?』と、オレが頷くや否や鏡の前に移動して、微妙に手間取りながらもピアスを耳に装着する。存在を主張しすぎる事なく、彼の耳朶で控えめに輝く小さなピアス。
「ど、どうですか? 似合い……ます?」
「はい! とても!」
再びオレの前に戻ってきたアラタさんに上目遣いでそんな風に尋ねられ、全力で褒め称えてしまった。するとアラタさんは恥ずかしそうな顔をしつつも、優しい手つきで耳に──そこに付けられたピアスに触れる。
「石の色のせいかな……これ付けてるとジェイさんが近くに居るみたいで、なんだか嬉しいです」
な──
アラタさんの発言に、思わず絶句してしまう。
なんて可愛い事を言ってくれるんだ、この人は……!
両頬に手を当てているかのようなポーズで、はにかみながら笑ってるアラタさんを前にして。
「アラタさぁ~~ん!!」
オレは万感の思いを込めて、彼の身体を抱き締めた。
床からつま先が浮いてしまい、狼狽えているアラタさんを見ながら。
本当に、その効力を発揮してくれよ。オレが側に居ない時もこの人を守ってくれよ、と。
彼の耳でキラリと光る緑色の石に、そう願わずにはいられないのだった。