君と久遠の夢をみる- 2 -
――――このままではいけない気がする。
そう危機感を抱きながら、シェンシェンはずずずっとコケモモの果実酒を藁の管で吸い上げた。
「うまい」
うっかり酩酊に浸りそうになって、我にかえる。
「だめだ……ワンジーとの生活は、居心地が良すぎる」
ここ最近のシェンシェンの一日の生活の流れはこうだ。
夕方頃に目を覚まして、暗くなるころに家を明るくしてラン・ワンジーを出迎える。夕餉も一緒にとるが、自分の分は、ラン・ワンジーが手土産に持って帰ってきた花や果物だ。その後は、二人で話をしたり、ラン・ワンジーの竪琴に合わせて笛を吹いて合奏したりして過ごし、ラン・ワンジーの就寝を見守ると、森を出て遊び回る。日が上り始める頃に家に戻って二人で朝食を食べると、もうシェンシェンは起きていられなくなり、定位置となったベッド脇の棚に敷かれた手巾の上で眠りにつくのだ。
「恩を返すどころか、むしろ甘やかされてないか、俺…………」
今手にしているコケモモの果実酒も、ラン・ワンジーが与えてくれたものだ。
以前、温かくなったコケモモの果汁を吸ったところ、とてもおいしい上にふわふわと楽しい気持ちになったので、同じものがないかずっと探している、という話をしたら、その翌日に手渡してくれたのだ。
それが酒というもので、自分が口にしたものはたまたま果実が自然発酵したものだった、ということをシェンシェンは初めて知った。
「よし、ちゃんと恩返しをしよう。そのためには、情報収集をしないとだな」
ラン・ワンジーは寡黙な男のため、自分から何かを話すことが全くない上に、シェンシェンから話を振っても返ってくる言葉はひどく端的で、情報量が少ない。一緒に話しているといっても、シェンシェンの話にじっと耳を傾け、時折小さく相槌を打つくらいなのだ。
シェンシェンは、ラン・ワンジーのことをほとんど知らないといってもよかった。
「今日、ワンジーが寝たらアイツのところに行ってみるかな……」
残りの果実酒を啜り上げてから、日中に森で活動をしている友人のことを思い浮かべた。
「おーい。起きてくれ、サンサン」
友人がねぐらにしている木の洞をのぞき込んで、シェンシェンは声をかけた。
洞の中にはふかふかに枯草が敷き詰められており、その中心には茶色い毛玉がまるくなっていた。
「んー、まだ起きるような時間じゃないでしょ、あにうえ……」
毛玉からぴょんと伸びた耳がぴくぴくと動いている。
「俺だよ、シェンシェンだよ。なあ、サンサン。聞きたいことがあるんだ!」
シェンシェンが穴の中に手を伸ばして、茶色の耳を捏ねまわすと、驚いたのか毛玉から縞模様の尻尾が飛び出した。
「ひゃぁっ」
耳の下にあった瞳がぱっちりと開けられて、シェンシェンを見つめる。
「な、なにをするんですか……!」
つぶらな瞳の主の正体は、シェンシェンと同じく妖精だ。日中に活動する彼は、夜間に本性であるリスの姿になるのだった。
「やっと起きた。なあ、ちょっと話を聞かせてくれよ」
「シェンシェン…………いったい、こんな夜更けに何を聞きにきたっていうんです? 急ぎの用事でなければ、せめて朝にしてくださいよ」
「朝はだめだ。ワンジーが起きるまでに戻らないと、心配するからな」
「ワンジー……お化け樫の木の東に住んでいる、魔術師のラン・ワンジーのことですか?」
サンサンは不思議そうに小首をかしげた。
「そうそう、あの不気味な雰囲気の樫の向こう側に住んでる、ラン・ワンジーのことだよ。あいつについて知ってることを教えてくれ。ワンジーって、日中は何をしてるんだ?」
「私だってあの人が何をしているかなんて知らないですよ……」
そんなことで起こされたのか、とサンサンは恨みがましそうにシェンシェンを見つめてから、再び尻尾をまるめて寝る体勢をとろうとする。
「待ってくれって。じゃあ、魔術師ってやつが普段やっていることは、どんなことなんだ? 俺、人間が昼間に何をしているかすら知らないんだよ」
「それも詳しくは知りませんけど…………。薬草を採集して薬を作っているようですが、量からして自分用というよりも、人にあげるためのものではないですかね。あとは人を襲うモンスターを、魔術を使って倒すのを見たこともあります」
「へえ、そんなことをやってるんだ」
確かにラン・ワンジーも薬草を大量に家に吊るしていたから、薬を作っているというのは間違いではなさそうだ。だが、こちらの手伝いをしたところで、命を救ってくれた礼には足りないだろう。
――――手伝うとしたら、モンスター退治の方か。
シェンシェンはニヤリと笑った。こう見えても腕に覚えはある。精霊術を使えばラン・ワンジーが危機に陥った時に助けることができるかもしれない。
(だけど、それも日中起きていられないとできないんだよなあ)
「もういいですか? 私はもう寝ますからね!」
質問が途切れたのを見て、これ以上何か言われる前に! とサンサンはまた毛玉に戻って、耳もしっかりと伏せた。
「ありがとう、サンサン。この礼はまた後日な」
聞こえているかはわからなかったが、シェンシェンはそう声をかけると、ふわふわと飛んで、その場を去っていったのだった。
――――夜明け前、いつもより早い時間にラン・ワンジーの家に戻ってきたシェンシェンは、頬杖をつきながら眠る男を眺めていた。
(試してみるかな…………)
正直、花や果物といった小さな植物から得られる精気というのはあまり多くはない。しかし、蛾としての性がそれを求めるし、それ以上に力が必要になることなどなかったため、シェンシェンはそれで満足していたのだ。
しかし、今は力が欲しい。
それならば、もっとエネルギーに満ち溢れた大きな生物から精気を得るのが最も効率的だろう、とシェンシェンは考えた。
(少しだけ、そう、少しだけ分けてもらうだけだから)
ラン・ワンジーを起こさないよう、心の中で弁解しつつ彼の顔に近づき、そしてひんやりとした唇に、自分の唇を押し当てた。
そのまま、小さな舌を唇の間に潜りこませてちろちろと動かし、中の唾液を舐めとる。
(うぅ、人間がこういうことをしてるのを見たことがあるけど、これってなんか恥ずかしくないか……?)
理由はわからないが、どうにも恥ずかしくて居た堪れない気持ちになり、首から上に熱が集まるのを感じる。
とはいえ、シェンシェンの読みは当たっていたようだ。ラン・ワンジーの体液は精気に満ち溢れており、みるみると自分の中にエネルギーが蓄積され、膨れ上がっていく。
そして、急に全身が重くなり、浮いていられなくなったシェンシェンは、ゆっくりと体を沈めて、ラン・ワンジーの体の上に、落ちた。
「あれ?」
――――ワンジーが、小さくなった?
先程までは、その唇しか視界に入っていなかったというのに、急にその顔面全てが目に映るようになった。鼻と鼻が触れあい、唇と唇は隙間なく密着していた。
それだけではなく、シェンシェンとラン・ワンジーの肩が、胸が、腹が、脚が、身体の全てが、ぴったりと重なり合っている。
シェンシェンは辺りを見回し、どうやらラン・ワンジーが小さくなったのではなく、自分が大きくなったらしい、ということに気が付いたのだった。