Scent Commandーcontinuation1「大活躍だったな!今や有名人だぜ?達也」
魔法を使わず、並み居る魔法競技部のレギュラーを連覇した謎の一年生、と。レオはきらきらと目を輝かせて言って見せるが、達也としては不服である。
「謎の、ってなんだ・・・」
少なくとも、第一高校の一年生である、という事実は分かっているのだ。覆面を被っているわけでもないのだし、秘密主義者というわけでもない。噂というものはなんとも面倒である。
達也はそう思って深いため息を吐き、今日は非番であるために帰宅を急ごうかと腰を上げたところで、ようやく教室内がざわついており、その原因が扉の外で自分を待っていることに気が付いた。
男女ともに魅了する、並はずれて可憐で神秘的な美貌。黒く澄んだ瞳に、背の半ばまである艶やかなストレートの黒髪。魔法師としては誉高き、神尾駅な左右対称で均整の取れた容姿。
司波深雪。達也と苗字を共にする、いわば兄妹という間柄である。
「お久しぶりです、お兄様」
おそらく入学してから見ることがなかったその満面の笑みに、周りは圧倒される。苗字が一緒だからと言って、二人を兄妹だと認識できた者はおそらく少ないだろう。いなくても、達也は納得ができた。
というのも、二人は見目がまず似ていない。同い年の兄妹であっても、二人は双子ではなく、年子。それぞれ父と母に似ているため、兄妹にすら見えにくい。
そして、共にいる時間が極端に短い。これは主に達也のせいなのだが、深雪はそれを攻めるようなことはしなかった。達也の事情は重々理解しているつもりであったし、共に過ごすことがいかに難しいのか、身に染みるほどであった。
「次はいつ家に戻られる予定で・・・」
「そうだな・・・この案件が片付け次第、一度顔を出そうとは思っているよ」
達也はそう言って深雪の頬を指の腹で撫で、微笑を浮かべた。荷物を持ち、短い別れの言葉をレオへと投げ、達也はE組の教室を出て行く。出て行った後にひと騒ぎあったのは聞こえていたため、達也は肩を竦めた。
「今日は久しぶりに送っていくよ」
「・・・はいっ!」
最愛の妹のその表情に、達也は頬を緩めた。いつも凛々しく無表情を貫いている彼からは、きっと想像もできないような緩み具合だったのだろう。
「久しぶりの休暇、楽しんで来い。達也」
そう言ってペパーミントの香りを漂わせながら、渡辺は達也の後頭部を叩いた。小気味好いほどの音が鳴り響いたが、達也が特別痛がる素振りを見せることはなかった。変わりに少しだけ吊り上がった眉。渡辺は肩を竦め、久しぶりの休暇へと向かう軍用犬の背を押した。
***
この手は血に染まり切っている。
そんなことはとうの昔から知っている。知っていて血に染めたのだし、この身を調教した。慣れきってしまった血の匂いは鼻にこびりついて離れない。けれど、コマンドを伝える匂いだけは、確実に、正確に鼻を通って脳に伝える。
指令を間違えることはない。
確実に敵を捕らえ、正確に息の根を止める。
軍用犬。それが名付けられた異名であり、与えられた役目である。人より優れた視覚や嗅覚を用い、戦争を勝利へと導く。
直接的な攻撃力は重宝された軍用犬であるが、その主な能力の使い道は、警戒や探索、そして探知能力である。
「それで?昨日の成果はどうだったんだい?」
翌日の昼食。渡辺に呼び出しを受けた達也は、深雪と共に生徒会室を訪れた。いつも通りの弁当を広げ、さて昼食を取ろうとしたときに渡辺からの一言。達也は眉を顰めた。
「壬生を言葉攻めにした、という噂が広まっているぞ?」
随分と楽しそうな表情をしてくれる。生憎だが、達也はそんなことをした記憶はない。
「摩利さんも年頃の淑女なんですから、いい加減そんなはしたない言葉は使わない方がいいと思いますが」
達也がそう言っておかずに箸を伸ばせば、渡辺は少しばかりむっとしたような表情を作った。
「君は、案外育ちがいいもんな」
「案外、とは余計ですね」
達也はそう言っておかずを一つ、口に入れた。
司波家は無名の家である。渡辺と違って百家支流、などという家柄ではない。しかしだからと言って、まったく何もない家、と言うわけではない。
「まぁそれはさておき、どうだったんだい?」
渡辺も、これ以上この話を掘り下げるつもりはないのだろう。何事もなかったかのように話題を元に戻し、達也へと振った。隣で昼食を食べていた七草はやや不満げそうな表情であったが、これは無視しても構わないのだろう。
達也は視線を渡辺へと戻し、肩を竦めた。
「壬生先輩の話ですが・・・どうも風紀委員会の活動は、生徒の反感を買っている面があるようです」
「どういうことだ?」
渡辺の表情が曇った。ここまで来て、達也も説明をしない、などということをするつもりは勿論ない。箸をおき、事の説明を行った。
「点数稼ぎ、ね?」
まとめるとそんなところ。
渡辺が酷く不快そうな表情を浮かべているのは、それが壬生の勘違いであることをわかっているからである。達也としても、渡辺が取り仕切っている委員会が、そのような行為に及ぶものではないことくらいわかっていた。
しかし、それでもきっぱりとした否定を壬生に告げなかったのは、彼が軍用犬であるからなのだろう。
風紀委員会は全くの名誉職で、評価に加点されることはない。生徒会は逆に評価にこそ加点さえるものの、しきたりとして大学推薦時に必ず辞退する、というものがある。しきたりだからこそ知られていないもの、だからこそ、
「権力を笠に着ているとみられることもあるの」
校内では高い権力を持っているのもまた事実。七草はそう言って難しい表情を浮かべた。彼女たちはこの差別の壁をなんとかして撤廃しようと試みているのだが、そう簡単にうまくいくほど、この学校の歴史は浅くない。
「まぁ、今回の場合はそういう風に印象操作をしているものがいるのが問題だがな・・・」
渡辺がそう言って腕を組めば、達也は頷いた。
「それについても、大分検討は付けました」
達也はそう言って立ち上がり、持ち込んでいた端末を起動させ、渡辺へと手渡した。そこに映っていたのはある組織の画像。それと、校内で撮られたと思われる生徒の写真。
「これは・・・?」
隣から覗き込むようにして見ていた七草が首を傾げるが、どうやら渡辺は検討がついたらしい。
「ブランシュ、か」
「正解です」
渡辺の言葉に、達也は頷いた。しかし、その名を聞いて七草は黙ってなどいられない。すぐさま驚いた表情を浮かべ、立ち上がった。
「どうしてその名前を?!情報規制されているのに・・・」
七草としては、渡辺が知っていることに対しての驚きはないのだろう。しかし、達也が知っていることに関しては驚きが隠せないのだろう。
しかし、達也からしてみれば、噂の出所を全て塞ぐことなど無理に等しいと思っている。特に、こういった反魔法国際政治団体など、目を引かないわけがない。
「こういったことはむしろ、明らかにしておくべきだと俺は思います。この件に関する政府のやり方は、拙劣です」
「・・・君がそう言った意見を言うのは、なんだか珍しいな」
渡辺はそう言ってからりと笑う。しかし、そう言ったことを話したいわけではない。
問題は、魔法を敵視する集団があるという事実である。
「【Sit】」
ほのかなカモミールの匂いと共に発せられたその言葉。達也はすぐさまに体を少し硬直させ、それから椅子へと座った。
「ひとまず報告は把握した。壬生の方はどうするつもりだ?」
「返答を待っているのはこちらですので、それを聞いてから判断するつもりです」
「頼もしい事だ」
渡辺はそう言って肩を竦めた。