一幕:ナズナの道 階級が上に上がれば上がるほど、装飾品が増えていくせいで重たくなる軍服を、何時ぶりに脱いだだろうか。軽い肩が嫌に風通しを良くしているせいで、息苦しい軍内部から抜け出せたかのような錯覚を起こす。
勿論、未来、軍から抜け出すことはできないだろう。引退を考えるにはまだ早い年齢であり、おそらく楽に引退させてくれるほど、自分が辿ってきた道は白くはないだろう。
罪という赤に染まり、多くの屍を積み上げてきた。
後悔はないが、共に希望もない。
「こちらにおりましたか、九島少将」
ノックが聞こえなかったのだろう。不意に響いた副官の声に達也はそっと瞳を開ける。肩をを揺らすことも、驚いたような表情を取ることもしなかったその姿勢は、正しく彼が諜報員として有能であることを示していた。
副官はその相変わらずの鉄壁ぶりに微笑を零し、手に持っていた制服を、彼の執務机へと置いた。
「用意しておいた制服と、IDになります」
裾が長く、コートと燕尾服を混ぜたような上着。白地に緑のアクセントと黒のラインが入っているのは、確かに美しい色合いであった。
だが、やはり達也が切るには嫌に若いように思える。
「・・・・・・」
「難色を示されたところで、決定事項が覆ることはありませんよ」
副官のそう意地悪めいた言葉に、達也はため息を吐き出した。
一つ一つを手に取り、最後に上着を広げ、予定通りエンブレムが刻まれていないことを確認する。
「問題ないな」
IDには達也をいくらか若くしたような青年の写真が貼られていた。達也の息子、または孫だと言えば通じるような似具合である。だが、写真の横に刻まれた文字には、司波達也、とあった。
つまるところ、これは達也の偽造IDであった。
その上には、国立魔法大学付属第一高校とある。
通称、第一高校と呼ばれるその高校は、日本国内に九校設置されている国立の高等魔法教育機関である。その中でも第一高校は東京都八王子市に設立され、毎年最も多くの卒業生を国立魔法大学に送り込んでいるエリート校である。
本来であれば、達也のような軍人が出しゃばるような場所ではなかっただろう。小国程度の軍隊ならば単独で退けるほどの武力を保有しており、青春が邪魔されるような場所ではなかった。
が、問題が生じた。
学校が少しでも多くの優秀な魔法師を確保したいと思ったために。内部に亀裂が入ったのだ。
「全国的な指導教員不足・・・ね」
「我々軍部も、指導部は不足していますからね」
仕方のない事ですよ。と副官は肩を竦めた。
その通りと言えばその通りである。魔法師の有能な奴らというのは、大半が目立ちたがり屋で面倒な奴である。自分が華々しいことをしていればいいとでも思っているのか、その大半が前線に出たがる。
が、重要なのは継承であると達也は考えている。自分たちが一体どうして学んでこれたのか、この道を辿ってこれたのか、よく考えるべきだと。
「まぁ、俺の道は誰にも歩ませたくないものだが」
達也のその苦笑に、副官は微妙な笑みを浮かべた。
彼が歩んできた道を、彼は経歴でしか見たことがない。書面で渡された簡単な歩みは、とてもそんな薄っぺらいものでまとめていいものではなかった。けれども、九島達也少将という男は、これをなんてことでもないようにまとめたのだ。
血濡れた道だ。
けれども、この国に捧げてきた道だ。
と。
「無事の帰還を、ナスタチウム」
だから彼は、何時だって一番美しい敬礼で彼を見送る。自分ではとても成し遂げることのできない彼の暗躍を、無事を祈るよう。