おにぎりの話「最近ドクターってここに帰ってきてないよな?」
ノースセクター研修チームの休暇日。偶然リビングでマリオンと居合わせたガストは、ふと疑問を口にした。
話題がいけなかったのか、タイミングがいけなかったのか、はたまたその両方か、マリオンは眉間に皺を寄せて不快そうな表情を浮かべる。
「なんだ急に」
「いや、ちょっと体調とかが気になっちまってよ」
ヴィクターは研究一筋のまさに『研究者』と呼べる人物だ。興味のあることは嬉々として首を突っ込もうとするが、逆に興味の無いことには全く反応を示さない。例えそれが生きる上で大切なものであったとしても。
それなりの付き合いを経てヴィクターのことが分かってきたからこそ、ガストはいつまで経っても戻ってこないヴィクターのことが心配になっていた。
「マリオンは検査とかでドクターと会うんだろ?変わりはなさそうか?ラボで倒れてたりしないか?」
「そんな、ノヴァじゃあるまいし。別に、いつも通り――」
ふと何かを思い出したかのように、マリオンの口が止まる。それから思案するような仕草をするマリオンに「どうした?」と声を掛けると、思考を消すように彼は緩く首を振った。
「まぁ、少しは痩せていたかもな。どうせあまり食事は摂ってないんだろう」
「えっ、あの細さで更に体重減ってんのか!?」
「動けているのだから、問題はないだろう」
「いやいや……そういう問題じゃねぇだろ」
ヴィクターは身長の割にはかなり細身な体型をしている。あれで良く『ヒーロー』として活動できるものだと思っているのだが、それから更に体重が減っているのであれば、それは健康な肉体からは程遠い存在となっているだろう。
そもそもヴィクターがきちんと食事を取っているところはあまり見たことがない。元々少食ということもあるのかもしれないが。
それでも、何か口にする機会を増やすことが出来れば……。
「そうだ!ドクターに差し入れするのはどうだ?」
「差し入れ……?」
「あぁ。何か手軽に食べられそうなものでもって思ってよ」
恐らくヴィクターが食事をしない理由は、もっと興味のある研究に時間を割きたいだとかそういう理由だろう。それなら、研究をしていても食べられるような何かを差し入れれば良いのではないか、という至極単純明快な答えだった。
「手軽にって……アイツは片手間で食べれるものとか、手が汚れないものしか食べないと思うけど」
怪訝そうな顔を見せていたマリオンが、ぼそりと呟く。確かに、ヴィクターは食事の時間をきちんと取ることはしないだろう。そうなると、態々時間を取らなければならないものや、手を洗わなくてはならない食事は好まないとも言える。
「片手間で食べられて手が汚れないものか……。何か難しいな」
初めはサンドイッチか何かだろうと思ったのだが、あれは中身が溢れやすい。大事な研究に具材の欠片なんかが入ってしまった暁には、なんて考えると余り良い選択とは言えないのかもしれない。
「……が」
ああでもないこうでもない、と考え込んでいると、マリオンが再び何かを呟いた。しかし今度はきちんと聞き取ることが出来ず「悪りィ、なんて言ったんだ?」と聞き返すと、どこかバツが悪そうに口ごもりながらも再度言葉を口にした。
「――おにぎりが良いんじゃないかって言ったんだ」
「おにぎり??」
外国の料理だろうか。彼の口から放たれた聞きなれない料理名に、首を傾げる。
「日本の携行食として重宝されているものらしい。……ブラッドから聞いたことがある」
「へぇ〜。どんな食べ物なんだ?」
ブラッドといえば、かなりの日本好きで有名だ。そういえば元メンターとメンティーの関係だったということを思い出す。師弟時代に交わされた会話の一部だったりでもするのだろうかなどど推察している間にマリオンは言葉を続ける。
「至ってシンプルだ。手に塩をまぶして炊いた米を丸や三角の形に握れば良いらしい」
「米を、丸や三角の形に……??」
米、というのは日本の主食であることは分かる。米を握ると聞いて真っ先に思い浮かべるのは、かの有名な寿司であるが、丸や三角というのはどういうことだろうか。端末を取り出して検索をかけてみると、様々な形をしたおにぎりが載っていた。こうして写真を見てみると、既視感がある。どこかの店で見たことがあるかもしれない。
「あぁ、成る程。こういう風にすれば良いんだな」
中にはラップに包まれているものがある。具材も色々あるようだが、マリオンの言っていたものは塩おにぎりだろうか。味付けはシンプルである方がヴィクターは好きそうな上、これなら片手間で、かつ手を汚さずに食べられそうだった。
「ただ、肝心の米ってどうするんだ?あんまり見ねぇ食材だけど」
ガストが行くような店に、米のようなものは売っていなかった記憶がある。リトルトーキョーがあるグリーンイーストなら売っているだろうか。
そんな思案をしていると、マリオンはなんてことのないように口を開いた。
「米ならここにある。炊く方法も既にボクの頭の中に入っている」
「……」
最初の方からほんの僅かに抱いていた違和感が、強くなる。ガストが差し入れを思いついてから、話がトントン拍子に進みすぎている気がするのだ。この話は前もって誰かに言っていたわけではないし、偶々今日マリオンに訊いてみようかと思った話題だったはずだ。
「……何だ」
「いや……突発に思いついたにしては準備が整ってるなと思ってよ」
思っていた違和感をそのままマリオンにぶつけてみると、彼は目を見開き――かと思えば顔をかっと赤く染め上げて、どこか焦ったように早口になる。
「っ!別に、偶々材料が揃っていただけだ!アイツが心配とかそういうことはこれっぽっちもかんがえてないんだからな!」
もうこの態度はマリオンが答えを言ったようなものだろう。口では辛辣な物言いをしている彼であるが、きちんとヴィクターのことを見ており、同時に気にかけていたのだ。
「あぁ、分かってるって!」
「何だそのだらしのない表情は……」
「へへ、気にすんなって。ほら、早速作ってみようぜ」
思いがけず知れたマリオンの心の内に、頬が緩んでしまうのは仕方のないことだろう。とはいえこれ以上突っ込まれてそんなことをぽろりと言ってしまえば、彼の鞭が飛んでくることは火を見るより明らかなので、話を少し逸した。
「――うわ、本当に米って鍋で炊けるものなんだな……」
それからマリオンの言う通りに作業をすると、1時間も掛からない内に白い米が膨らんで、よく見る『ご飯』の様態となっていた。あまり嗅ぐことのない独特な香りに思わず鼻をすんと鳴らすと、隣で呆れたような溜め息が聞こえてくる。
「何を当たり前なことを言っている。ぐだぐだ言ってないでさっさと握るぞ」
ぬるま湯に浸して軽く水をきった手に、塩を軽くまぶす。そして写真で見たような形を目指して何回か握ると、何となくだが形が出来てきた。
「こういう感じ……か?」
何回か握った後にラップで包み、用意していた皿の上に乗せる。すると、皿に置いた瞬間に違和感が込み上げてきた。
「おい、大きすぎないか」
「あー……確かに?」
何となく手に取れる量で握っていたのだが、少々量が多すぎたらしい。握っているときはそこまでおかしいと思っていなかったのだが、こうしてきちんと皿の上に置くとその大きさが際立った。
「そういうマリオンは小さすぎないか?」
「っ、そんなことはないだろ」
ほぼ同時に作られ、ガストの隣に置かれたおにぎりは逆に小さい。最初はガストが作ったものとの対比によって小さく見えるのかと思ったのだが、改めて単体で見ると小さく作られているのだということが分かる。
「手が小せぇってのもあるんだろうけど……力入れすぎじゃないか?明らかに俺のより硬そうな見た目してるだろ」
ガストとマリオンの作成したおにぎりを比べると、明らかに米粒の密集具合が違った。確かに綺麗な丸の形をしているのだが、と思いながらラップの上からの少し触ってみると、まるで球技用のボールかと錯覚するほどの硬さをしていた。
「このくらいの見た目だっただろ!」
「いやいや……米の量と大きさは合わせるべきだろ。圧縮して小さくしたら一個で腹一杯になっちまうぞ。いや、ドクターにとっては逆に良いのか……?」
「――今日はやけに騒がしいな。何の騒ぎだ」
お互いの出来について語り合っていると、ドアの開閉音が響き奥から聞き慣れた人物の声が聞こえてくる。目線を移すと、そこにはレンがいた。どこか買い物に行ってきたのだろうか。彼の手には紙袋が吊り下げられている。
「ちょうど良いところに来たな。レン、早く手を洗ってキッチンへ来い」
「は……?」
唐突なマリオンからの命令に、レンは困惑したような表情を浮かべる。無理もない。普段キッチンに並び立つことをしないマリオンが、ガストと一緒に何かを作っているのだ。
「(そういえばこれって、今思えばかなり珍しいことだよな……)」
完全に成り行きに身を任せた結果ではあるが、改めてこの状況を認識すると、何だか感慨深さを感じる。じんわりと心が暖かくなるような感覚と達成感に胸をいっぱいにしていると、冷たいマリオンの声が響いた。
「言っておくが、オマエに拒否権はないからな」
「……」
マリオンの有無を言わせない物言いに、付き合った方が早いと判断したのだろう。レンは諦観の境地に達したように目を閉じ、息を吐く。再び目蓋を開くと、紙袋をリビングのテーブルの上に置き、マリオンの言う通り手を洗いガストたちの元へ向かった。
「今、マリオンとおにぎりを作ってたんだ」
「おにぎり……?」
どうしてそんなものを、と言わんばかりに訝しげな視線を向けるレン。ふと皿の上に乗せられた2人のおにぎりを発見すると、とてつもなく渋い表情を浮かべた。
「そういえばレンは日系だったか。作ったことあるのか?」
「無くはないが……」
「歯切れの悪い返事をするな。作ったことがあるかないかなんてどうでも良い。お前もやってみろ」
「……」
どうやらレンはおにぎりを作ったことがあるらしい。ということは、先程の渋い表情はガストたちの出来に関して浮かべたものなのだろう。そこまで酷い出来だっただろうかと首を傾げていると、レンは時折何かを思い出すかのようにしながら、米を握り始めた。
「確か……こんな感じだった」
「おお……一番それらしいんじゃないか?大きさも丁度良い感じだし」
「別に、嬉しくもなんともない」
握る回数は少なめだったにも関わらず、形が崩れることなく見事に三角の形をしている。大きさもマリオンとガストの中間をいっていて、ちょうど良い。どう手を動かせば三角になるのかが分からなかったのだが、レンの手つきを見て思わず「成る程な……」と呟いた。
「ど、どうしてレンの方が上手いんだ!もう一度ボクも作る!!」
「ちょっと待て!とりあえずドクターに渡す分だけ作るって話だっただろ?作ったのが冷めない内にドクターに渡そうぜ?」
レンの出来が想像以上のものだったからなのか、もう一度保温された鍋の元へ向かおうとするマリオンを止める。ここで彼が満足するまで作っていたら、最初に作ったものが冷めてしまうだろう。
「ヴィクターに?」
「あぁ、言い忘れてたか。これはドクターへの差し入れで作ってたやつなんだよ」
「そうか」
レンが不思議そうに口にするのを見て、そういえば彼に事の経緯を話しそびれていたことを思い出す。簡単に説明をすると、少し納得したような表情を浮かべた。普段なら「くだらない」や「興味ない」などという言葉を口にする彼が、何も口に出さない。その無言が表すレンのヴィクターに対する感情に、ガストは嬉しさを覚えた。
「そうだ。折角だしレンもドクターに渡しに行こうぜ」
「いや、俺は――」
「拒否権はない。オマエは目を離すとすぐにいなくなる。
ボクはオマエよりも綺麗なおにぎりを目の前で作ってみせるんだ」
ガストの誘いを断ろうとしたレンだったが、マリオンによって言葉を言い切ることなく終わる。どこか目的がすり替わっているような気がしないでもないが、ガストにとってはマリオンがこうして引っ張っていくのは好都合だった。
レンはマリオンの強引な言動に弱い。今までの経験則がものを言っているのかもしれないが。逡巡するような素振りを見せたが、それも数秒のことで。
レンは渋々といった面持ちでこくりと頷いた。
「そんで、ドクターのラボに到着したわけだけど――」
「何だよ。さっさと入れ」
「いや、すげぇ真剣に何かしてるみてぇだから、邪魔するのもなって思って……」
3つのおにぎりが乗せられた皿を持ってヴィクターのラボに着いたものの、ヴィクターはというと、何かの学術書を熱心に読み耽っていた。時折何かをメモするような動作も窺える。ドアの音は彼の耳に届かなかったらしい。鬼気迫ったような表情はこちらがどきりとしてしまう程、恐ろしいものだった。
どこか息を吐いたタイミングで渡そうか、などと機会を窺っていると、隣にいたマリオンが「あぁ……面倒だな」とうんざりした声音を吐き出し、ガストの手から皿を奪った。
「ヴィクター」
ガストが呆気にとられて言葉を発せないままでいると、マリオンは迷い無くヴィクターの元へと歩き始める。十分近づいたところで彼がヴィクターの名を呼ぶと、ヴィクターは本から視線を上げてマリオンの顔を見る。その表情に不快さというものは一切見えない。
マリオンが声を掛けてきたことに少し驚いたのだろう。珍しく浅葱色の瞳が僅かに見開いていた。
「おや、マリオン。どうしたので――」
しかしヴィクターが何かを言い終わるその前に、マリオンはどん、と手にしていた皿を机の上に置いた。
「食え」
ただ一言そう口にすると、ヴィクターの返事も聞かず、すたすたとガストたちの元へ戻ってくる。
「え、ええええっ!?」
あまりにも温度のない渡し方に、ガストが絶叫するとマリオンは不快そうに顔を顰めた。
「うるさい黙れ」
「いやいや……!!そんな素っ気なくやるか普通!?」
「はぁ?オマエが冷めない内に、と言ったんだろう」
「そりゃ、そうだけど……」
確かにあのままタイミングを図っていたままでは、一向に渡すことは出来なかったかもしれない。そうかもしれないが。
「もうちょっと、ムードってものがあるんじゃねぇか……?」
「心底どうでも良い……。もう帰って良いか」
「ああ。やるべきことは終わった。次は絶対成功させてやる……!」
「いや、ドクターに渡したのが失敗作みたいな言い方すんなって!……いや、間違いではないのか?」
炊きたてを渡した方が良いのではという考えで、一番最初に作ったものを渡したのだが、もしかしてその考え方は失敗だったかもしれない。あともう一回くらい挑戦すれば、ガストもマリオンもそれなりの出来のものが提供できていた可能性は大いにあった。
と思ったところで時すでに遅し。ガストはヴィクターが口にしてくれることを願いながら、先を行くマリオンとレンを追いかけてラボを後にした。
「……一体何だったのでしょうか」
嵐のよう騒ぎが訪れたかと思えば、ぴたりとそれは止み、場にはヴィクターとマリオンが置いていった皿だけが残されている。
上に乗っているものは、形や大きさがそれぞれ異なった3つのおにぎり。姿を見せたのはマリオンだけだったが、その後に騒いでいた声から察するに、ルーキー2人も付き添っていたのだろう。
そしてその3人がそれぞれ作り上げたのだということは、個性の出たそれらを見れば簡単に察せられた。
このおにぎりというのは、日本の携行食だ。その利点は――片手で、手を汚さずに食べられること。
「ふふ、珍しい気まぐれがあったものです」
彼らの意図を察したヴィクターは、ほんの少し笑みを浮かべた。
開いていた本を閉じ、皿を自分の前に置く。
「確か、日本ではこうするのでしたね」
折角用意してもらったものだ。少し日本の気分を味わうのも良いだろう。
ヴィクターは皿の前で手を合わせる。
そして口元に笑みを浮かべたまま、小さな声で呟いた。
「――いただきます」