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    ねむおか

    LⅢの次五お話。月一でゆるい次五のお話置き中です。
    そのほか短めのお話。
    R18としてあるものは18歳未満の方は開いてはいけません。

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    ねむおか

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    12月のお話です。次五です。

    クリスマス辺りのお話です。
    少しだけ怖いお話かもしれませんので、苦手なかたはご注意ください。でも私も怖いのは苦手なのでたかがしれてます。

    クリスマスマーケットでシュトーレンを買う二人。入っているスパイスは···。4人出てきます。

    #次五
    sub-five

    December's charm 連日今年一番の冷え込みを記録している、十二月上旬のある日のことでした。
     冷えるには冷えますが、剣を振るいながら新鮮な空気を吸い込むうちにすっかり澄んだ心持ちになり、鍛錬を終えた五右ェ門は薄っすらとかいた汗を拭いながら良い気分でリビングへ戻りました。
     そこにはソファで伸びている次元がいます。庭へ出る前と全く同じ態勢であることに気が付き、いつもならば放っておく五右ェ門も珍しく声を掛けました。庭へ出る前どころか、ここ数日午後のリビングではこの姿の次元しか見ていない気がしたのです。
    「良い天気だぞ。外へ出てはどうだ」
     既に三度は読んでいる推理小説を手にした次元は、見下ろしてくる五右ェ門の視線を正面から受け止めてから、顔の上に本を伏せました。
    「良い天気って言ったって相当冷えんだろ。お前さんの赤い鼻を見りゃ分かる」
     僅かに本をずらして目だけを覘かせると、屈む五右ェ門の鼻先へ指を当てました。白蝋のような肌の中でそこだけがほのかに赤く染まっていましたが、見た目とは裏腹に冷えきっていて、本で隠れていることを良いことに次元の口元は緩んでしまいます。どれだけ凛としていてもこのように無防備な姿からはあどけなさが滲み、次元はつい揶揄いたくなってしまうのです。五右ェ門は当てられた指を振り払うように頭を揺らすと冬の空より冷たい目を向けました。
    「お主、随分外へ出ておらぬ気がするが、最後に外へ出たのはいつだ」
    「そうだな、確か先週の日曜じゃねぇか。お前と買い物に行ったろ。あの日たんまり買い込んだからな。あと一週間は出なくて済む」
     満足気に口角を上げる次元でしたが、そうすると今日は金曜なので五日も外へ出ていないことになります。五右ェ門は眉を吊り上げて、次元の顔を覆っている本を奪い取りました。
    「少しは日に当たらぬとカビが生えるぞ!」
    「少しくらい生えたって構いやしねぇだろ」
    「···カビが生えたお主には近寄らんぞ」
     しばらく二人の間に譲らない視線の応酬が執り行われましたが、やがて次元は深い息を一つ吐くと五右ェ門の手から本を取り返し、再び顔の上に乗せました。
    「仕方ねぇな。その前に一眠りさせてくれ」
     一瞬ののちに聞こえてきたのは穏やかな寝息で、本を取ってみれば男前も台無しの表情で、口を開き気持ち良さそうに眠りこんでいます。五右ェ門は呆れかえりながら、寒がりな恋人の姿を眺め下ろしました。手に負えんと思いながらも、落ちている毛布を無視することも出来ません。紺地の柔らかなそれを斬鉄剣で拾い上げ、いつもよりも雑に投げ掛けてやると、溜息と共に自室へ戻るのでした。

    「五右ェ門、出掛けるぞ」
     五右ェ門の自室の扉が叩く音がしたのは、十九時を回った頃合いでした。戸を開けてみるとベージュのムートンのジャケットを着込んだ次元が立っています。
    「そんな顔してどうしたんだ。お前が出ろって言ったんだろ。付き合ってくれるんじゃねぇのか」
    「出る気はなかったのではないか」
    「まずは一眠りって言ったろ」
     言いながら手にしたマフラーを五右ェ門の首へ素早く巻きつけると、あっという間に白い首は淡い藤色の、暖かな毛に埋もれました。訝しむ五右ェ門をよそに、次元はさっさと玄関へ向かいます。
    「寒い寒いと言っておったのに」
     出掛けるならば、日の出ている時間のほうが良いだろうと五右ェ門は続けます。けれど次元はまるで聞こえていないかのように歩き出し、同時に紫煙をくゆらせました。煙の行く末を五右ェ門が目で追っていくとチカチカと瞬く星が見えます。都心とはいえ、吐く息も白い冬の澄んだ空気の中ではいつもより星も多く見えるようです。それをじっと見ていると、この中を共に歩くのも悪くはない気がしてきます。
    「して、目当ての場所でもあるのか」
    「ああ」
     歩き出しながら隣でニヤリと笑う次元は何だかとても楽しそうです。目元は見えなくても、声の響きだけでそれは充分に伝わってきました。そして弾む声はこれから向かう場所について語り出しました。

     二人が肩を並べて向かったその場所は、ひと際明るく眩い光に溢れていました。向かう途中の通りの木々も青白いライトアップが施され、まるで街全体がドレスアップしているような様相です。巨大な商業施設へ近付くにつれ、辺りは賑わいを見せて、行き交う人々も多くなっていきました。喧騒に目が回るような思いをしながらも進み、ビルの中庭に作られた煌びやかな場所へ辿り着くと、天井から吊るされたサンタクロースの絵はたくさんの電球で飾り立てられ、その光の下には幸せを煮詰めたような光景が広がっています。
     道中「クリスマスマーケット」なるものの説明を聞いていた五右ェ門は眩しさに目を細めながら、光り輝く場所を眺め渡しました。小屋を模した店先一つ一つから煌々と灯りが漏れ出てきます。軒先にぎっしりとぶら下がるクリスマスのオーナメント、様々な形のクリスマスカード、スパイスで作られたリースから放たれる異国の甘い匂い、小さなオルゴールが所せましと並ぶ店。家族連れや恋人たちはうっとりとした顔つきでひとつひとつを眺めては、家に連れ帰る物を選んでいます。その姿を見ていると、言葉ではいまいち理解出来なかったクリスマスマーケットなるものがどのようなものか、五右ェ門にも分かるような気がしました。どうだ、と次元に訊ねられると眩しいとだけ答えましたが、初めて見る光景に、なかなか目は飽きません。そうして少し離れた場所を向いてみると、そこにはまた雰囲気の異なる店が並んでいます。行列の出来ている店もあるようです。
    「お主の目的はあれか」
     確認するように尋ねると、次元は嬉しそうにニヤリと笑いました。そのあまりに素直な表情の変化に、五右ェ門の表情も解けます。何だかんだと言いつつも、恋人が嬉しそうにしているのは良いものです。二人が向かう先にあるのは、ドイツビールを扱うキッチンカーでした。
     次元の目的は、ここでしか飲めないドイツのビールでした。このクリスマスマーケットには都内のドイツ料理店がいくつも出展していて、それぞれ自信のあるメニューを取り揃えています。中にはこのイベントの為に取り寄せた珍しいドイツビールを売りにしている店もあり、暖かな料理と共に楽しむことが出来ました。
    「お前さんは、そうだな。ホットワインなんか良いんじゃねぇか。いくつか種類があるな。これは林檎の果汁入りだってよ。好きだろ」
     目当てのビールと共に、夕飯もここで済ませようといくつかの料理も注文し、五右ェ門にはホットワインを勧めました。ワインという言葉に一瞬顔を顰めたものの、こんな場所に日本茶や熱燗の類がある訳もありません。次元が己の好みを把握していることは五右ェ門もよく分かっている為、任せることにします。供されるのを待つ間に手持ち無沙汰になった二人は、カウンターに並べられている品を何となしに眺めていました。持ち帰り用のシャルキュトリーや小分けにされたザワークラフトなどあまり見かけないものから、食後の甘い物まで並んでいます。
    「お、シュトーレンじゃねぇか。前にルパンが食ってたな」
     次元はその内の一つを手に取ると言いました。簡単なラッピングが施された山型のそれは、次元の手からもはみ出る程の大きさです。
    「しゅとーれん?何だそれは」
    「こいつを薄く切って少しずつ食っていってクリスマスを待つ、ドイツのクリスマス用の菓子さ。ドイツに限らずヨーロッパじゃどこでも食うんじゃねぇかな。随分前に一度食ったきりだから味は忘れちまったが···確かパンを甘くしたような代物だったか。生憎良い記憶はないな」
     それでも真剣に手の中の物をのぞき込む五右ェ門を見ている内に、こいつは食ったらどんな反応をするのだろうかと興味が湧き、そうするとどうにもその姿を見たくなり、気付けば次元はシュトーレンをカウンターに差し出していました。もし五右ェ門の口に合わなかったとしても、ルパンが喜んで食べるはずです。
    「食ってみろよ。それが一番早いだろ」
    「うむ。見た目よりも随分と重いのだな」
     受け取ったシュトーレンは五右ェ門の想像よりもはるかに重く、驚く様に次元が笑っていると、丁度注文していた料理や酒がやってきました。トレーを手にした二人はゆっくり食事が出来そうなテーブルを求めて、広場へ向かいます。

    「で、オレ様は抜きで楽しんできたって訳ね」
     美味い料理と酒で満たされた二人が良い気分でアジトへ戻ると、すっかり拗ねてしまったルパンが行儀悪く、ワイングラス片手にリビングのイスの上で胡坐をかいていました。
    「仕方ねぇだろ。お前はお前で不二子とデートだって喜んで出てったんじゃねぇか」
    「それはそれ、これはこれだっての!帰ってきた部屋が暗くて寒いって程、侘しいモンはねぇんだぜ」
     拗ねている理由はそれか、と二人は呆れたような視線を交わします。誰だってルパンの天才ぶりは認めるところですがたまにこうして駄々をこねる仕方のないところがあり、それは身近な者への甘えだと分かっていても面倒なことには違いありません。
    「そんなお前には土産があるぜ」
    「しゅとーれんだ。好きなのだろう?今から食わぬか」
     五右ェ門が袋からシュトーレンを取り出して見せると、目を輝かせたルパンは満面の笑みを浮かべて大喜びです。足取り軽く、皿とナイフを取りにゆく姿を見ながら、二人は再び顔を見合わせ安堵しました。ルパンは戻ってくるなり、オレはいらねぇよ、という次元の分も取り分けて食べ始めます。
    「スパイスがしっかり効いててイイ味じゃねぇの。どうよ、五右ェ門。イケるだろ?」
     初めはスパイスの独特な香りに躊躇っていた五右ェ門も、一口齧ってみるとフルーツやバターと調和した風味であることが分かり「美味いな」と呟きました。だろぉ?と自分で作った訳でもないのに、ルパンはすっかりご満悦です。次元もシュトーレンを包む砂糖の量にうんざりしながら噛り付くと、「悪くないな」と二口目に進みました。だろだろぉ?と更にルパンはご機嫌な様子で、残りのシュトーレンが入った袋を手に取り裏面に貼られたラベルに目を走らせました。
    「へぇ、店はここから三十分位ってとこか。これだけ色んなスパイス使ってるとなると、作るのも相当手間が掛かるだろうな。プラザホテルのシュトーレンと良い勝負だ。カルダモン、ナツメグ、シナモンなんかは定番として、クローブにキャラウェイも入ってんのか。言われてみりゃ、このほろ苦さはキャラウェイの味だな」
    「何だその、きゃらうぇいというものは」
    「キャラウェイってのはな、昔っからあるスパイスでわりかし色んな料理に入ってるし、虫除けにも薬にもなる。確かヒメウイキョウとも言ったっけな。それならお前も知ってんだろ?」
    「うむ。腹痛の折に使う、煎じたものを持っておるぞ」
    「さーすが五右ェ門ちゃん。あとはなぁ、ちょっとしたまじないなんかにも使えるらしいぜ」
    「まじない?」
    「そ。何だっけなぁ···結構ロマンチックな話だった気がすんだけどなぁ···」
     真剣な顔で考え始めたルパンを横目に、二人は二切れ目のシュトーレンに手を付けました。この分ではクリスマスを待つことなく、すぐになくなってしまいそうです。

     十二月も半ばを過ぎた暖かい陽射しのある日、次元はここらで一番大きな書店へ足を運びました。どの本もネットで注文すれば翌日に家へ届くことは承知していますが、それは目当ての物があってのことです。実際手に取って選んだり、知らなかった本に出会えるのならばそれに越したことはありません。コーヒーを片手に店内を巡り、銃周りの書籍としばらくの娯楽になりそうなものを数冊購入すると、先日訪れたクリスマスマーケットがすぐ近くにあることを思い出し向かうことにしました。案の定あのシュトーレンはクリスマスどころか三日で食べきってしまった為、もう一度買ってやろうと思ったのです。
     前回と同じキッチンカーに向かうと、シュトーレンの横にはたくさんの小袋が並んでいました。どうやらこの店が使っているスパイスを小分けにして売っているようです。おすすめ料理や効用などが丁寧に書かれた札を眺めていると、そのうちの一つに先日ルパンがあれこれ言っていたキャラウェイの小袋がありました。
    『おすすめ料理:ザワークラフト、カレー 効用:大切なものを守ります』
     何となしに見たものの、書かれている内容は他のスパイスとだいぶ性質の異なるもので、思わず手に取ってまじまじと見つめてしまいます。他の札に書かれている内容といえば、リラックスだとか快眠だとか、せいぜい腹痛に効くだとかで、ここまで論理を放棄したような言葉は見当たりません。しかし先日のルパンの「まじない」という言葉が浮かぶと、全てがつながるような気がしました。普段ならば下らないと笑い飛ばすようなこの小袋へつい手を伸ばしたのは、五右ェ門の周りで起きる不思議な出来事への不安からに他なりません。どれだけ本人が強くとも、それが生身の相手以外にも効くのかは分からない上、先月美しい紅葉の中で感じた、本人も気付かぬうちに何かの境を越えてしまうのではないかという疑念は消え切らないのです。次の瞬間にはシュトーレンと共にレジに差し出していました。
     神などという目に見えない物に頼るよりかは形があるだけ、まだ効果がある気がします。

    「五右ェ門、これ持っとけ」
     その晩、五右ェ門の部屋を訪れた次元は小さな布ぶくろへ移したキャラウェイを五右ェ門へ渡しました。手頃な包がなかった為ライターのフリントストックを入れていた袋に入れてあります。受け取った五右ェ門が袋の上から触れると長細く小さな種のような感触と共に、ふわりと甘い香りが立ち上りました。
    「まじないみてぇな物さ。邪魔になる事もないだろ」
    「···」
     不思議そうに手の内の小袋をじっと見つめる五右ェ門の姿に些か気恥ずかしくなった次元は、上から包み込むように手を握って続けました。
    「いいから仕舞っておけよ」
    「···では斬鉄剣に付けておくか」
     傍へ置いている愛剣へ手を伸ばすと、鞘に紐を括り付け出しました。
    「おい、それじゃあ使う時に邪魔になるんじゃねぇか」
    「しばらく大きな仕事もないのだから問題ないだろう。どうせ常に共にしているのだし、邪魔だと思えば別の場所を考える。それよりお主がこのような物に興味を示すとはな。どういう風の吹き回しか分からぬが、お守りのようなものなのであろう?」
     柔らかな声音と共に丁寧に括り付けている後ろ姿を見ると、どうにもこそばゆい心地になり見続けるのも耐えがたく、五右ェ門のベッドに仰向けで倒れると煙草に火を点けました。これから当たり前のように共に寝て抱き合うことが分かっていても、二人の静かな部屋で無防備な背を向けられると未だにどこか落ち着かない気分になります。五右ェ門の背が明らかに緊張しているのならば、もうどうにでも出来るものを。吐いた煙の行方を目で追いながら次元は良い歳をして自分に残る青臭さを思い知り、少し笑ってしまうのでした。

     アジトのクリスマスイブには不二子も訪れて、張り切ったルパンの飾り付けも華やかな楽しい時間が過ぎていきました。クリュッグの開栓から始まり、各々が好きな酒を片手に山のように盛られた料理と共に、今年の仕事の成果を語り合います。殆どは成功に終わっているので、時折挟まれる小さなミスは笑い話として良いアクセントになりました。これから予定している仕事の話や身近に起きた小さな出来事、銭形警部の話など、話はいくらでも尽きません。クリスマスプレゼントにと、珍しい赤いダイヤモンドを受け取った不二子が頬にキスを返すとルパンはすっかり有頂天になりました。
     ところが日付が変わった頃合いに、穏やかな空気が一変することが起こりました。自室へ酒を取りに行った五右ェ門が、青ざめた顔で戻ってきたのです。
    「···斬鉄剣がない」
    「いっつもお前の部屋に置いてあるじゃねぇの」
    「そうだ。しかし、いくら探しても見当たらぬのだ」
    「外に出したままなんじゃないの?今日だって私が来た時、鍛錬とかいって外で何かしてたでしょ」
    「それなら持って部屋へ戻るところをオレが見てるぜ。今日みたいな日までよくやるよって感心して眺めてたからな。それより不二子、お前また盗んだんじゃねぇだろうな」
    「何よ、人聞き悪いわね。そんなことしないわよ」
    「お前は前科があるからな」
     睨み合う二人の間に入ったのはルパンです。まぁまぁ、と諫めていると次元がケッと吐き出すように続けました。
    「お前だって理由はともかく、すり替えの前科があるよな」
    「うっわー、次元お前ってそういう奴だよな。大体な、人を疑う前に自分を疑えってんだ。五右ェ門、お前だっていつもと違う場所に置いたってこともあるんじゃねぇの。もう一度よく探せよ。オレ達も探してやっからよ」
     ルパンの言葉と共に四人はアジトの隅々まで探し出しましたが、一向に見つかりません。アジトの広さ等たかが知れています。不二子が盗んだということも無さそうだということが分かり、四人は再びダイニングテーブルで疲れた顔を突き合わせました。
    「···外へ、探しに行く」
    「お前、今日は庭にしか出てないだろ」
    「心当たりでもあるのか?」
    「ない」
    「こんな寒くて暗い中、闇雲に探しに出たって仕方ないわよ。夜が明けてからにしなさいよ。それならみんなで探せるわ」
     見るからに沈痛な表情で項垂れる五右ェ門に、それぞれ慰めの言葉を掛けますがどうしたって表情が晴れることはありません。それでも何とか外へ探しに行くということは思い止まらせ、夜が明けたらもう一度アジトの中を確認し、その後探しに出るということで手打ちとなりました。五右ェ門とて剣を携え外に出た記憶は全くないのですから、アジトの中に見当たらないのは全く不可解なことです。肩を落として部屋へ戻る五右ェ門の後ろ姿を見送ると、三人は簡単な片付けに取り掛かりました。大掛かりな片付けは当然明日に持ち越しです。生ものを冷蔵庫へ仕舞い、シャンパンにストッパーをしながら口々に言い合います。
    「とんだお開きになっちまったなぁ」
    「五右ェ門にとっちゃ半身みたいなモンだからな。何とか見付かりゃ良いんだが」
    「そうね、こんな時にサンタクロースがいたらって思うわ」
     不意に不二子の口から出た珍しくロマンチックな単語に、ルパンと次元は顔を見合わせました。次の瞬間、顔を蕩けさせたルパンが不二子に抱き着き顔を叩かれる間に、次元は五右ェ門の部屋へ向かうのでした。

     眉間に皺を寄せ眠る五右ェ門の隣に身を滑らせ、すぐに眠りに就いた次元でしたが、一時間もしない内に嫌な汗と共に目覚めてしまいました。ひどく生々しい夢は、起きた瞬間どちらが現実か分からない程です。夢の中で感じた冷気が今も纏わりついているかのようでした。額に腕を当て、今見た夢を思い返します。
     夢の中で次元は、近くの神社に一人で佇んでいました。五右ェ門はいないのか、と辺りを見回しますが暗闇の中、五右ェ門どころか人っ子一人見当たりません。このような雰囲気はどうも苦手です。身震いをして早く帰ろうと思っていると目の前に、小さな社がありました。そこにはよく見知った長細い物が置いてあります。こんなところにあったのか、と手を伸ばすと、白い靄のようなものが腕に絡みついてきました。
    ···。
    『···気が気じゃねぇから夢に出てきたのか?まさか斬鉄剣があの神社にあるってことか?』
     一度目覚めてしまうと、再び目を閉じても全く眠れません。目を閉じるとより鮮明に夢の中の光景が浮かんできます。五右ェ門と違い、霊感のようなものは一切感じたことはないですし、考えたくもありません。夢は所詮夢だと常々思っています。
     『···だが』
     悩んだ末に次元は起き上がり、隣で眠る五右ェ門の顔を見下ろしました。薄く唇を開いて、生きているのか不安になるほど静かに眠っています。あれの持ち主は、五右ェ門なのですから起こして共に行くのが正しいのかもしれません。けれど、たかが夢です。自分自身ですら、あると信じている訳ではありません。起こして連れていったところで斬鉄剣がそこになければ、五右ェ門が深く落ち込むことは目に見えています。それを考えると、連れて行く気にはなれませんでした。
     朝陽で起きられるようにと開け放したカーテンからは、柔らかな月の光が射しこんできます。月の光は五右ェ門の頬に当たり、白い頬をひときわ明るく照らしています。触れることなくそれを数秒間眺めてから、音を立てないように次元は静かに布団から抜け出しました。

     坂の途中にある神社の入口には簡単な柵が置かれ、そこには閉門していることが書かれていましたが、勿論そんなことはお構いなしに鳥居をくぐり次元は参道を歩いていきます。この神社へは秋の晴れた日に、五右ェ門の付き合いで一度訪れていました。
     ---入って右には亀の棲む池があり、左手には手水舎がある。
    亀は皆ここで伸び伸びと暮らしている。待て、次元。ここで手を清めるのだ。神聖な場所であるからな。大した手間でもあるまい。右手に酌を持ち、左手に掛け···---
     五右ェ門が色々と煩く言っていた記憶がよみがえり、それに従うように律儀に冷たい水で手をすすぎます。ただでさえ凍えそうな夜半過ぎに、何をやっているのだかという気もします。いくらこれ以上ない程の厚着をしているとはいえ、手水の水は氷のように冷たいのです。もしここに銭形が現れたとしても、夢で見た失せ物を探しにきたと言えば気の毒がられ、放免されるでしょう。こちらへ来るまでは、どうにも薄気味悪い想像をしていた次元でしたが、いざ辿り着いてみると鳥居をくぐった辺りからずっと五右ェ門の声が付いて回り、さして恐怖も感じずにいられました。
     向かう場所は、もう既に決めていました。中心にそびえる大きな宮ではなく、その横に立つ、夢に出てきた小ぢんまりとした社です。以前五右ェ門と訪れた際に、社を守るように並ぶ二対の狐と五右ェ門の顔を見比べて、どことなしか似ているななどと軽口を叩き、お稲荷様に失礼だと頭を叩かれたものです。夢の中ではその社の賽銭箱の辺りに、斬鉄剣が置かれていたのでした。
     亀の池の横を通り、右手奥へ進むと記憶の通り小さな社がありました。問題はそこに斬鉄剣があるか、です。祈るような気持ちで賽銭箱へ目を向けると、そこには見慣れた、遠目には一見棒切れのようにすら見える五右ェ門の大事な刀がありました。ここまでの緊張もあり、次元は深く安堵の溜息を吐きました。何故こんなところに、という疑問はありますが、剣さえあれば長居は無用、早いところ持って帰ってやろうと賽銭箱のほうへ足を踏み出しました。
     するとその時、斬鉄剣と自分の間に、何やら白い靄のようなものが浮かんできました。ゆらゆらと揺れるそれは煙のように淡く、先が透けて見えます。次元は恐怖で腰が抜けそうになりながらも、自分の吐く息か、それとも湯気か何かなのかと何とか科学的に説明出来そうな現象を考えてみました。しかしそのどれでもないことは明白です。そのような現象では説明がつかない程に白い靄は大きいのです。宙に浮いた白い靄は人の形ではありませんが、次元と同じ程の大きさでした。幽霊かというとそれも確信が持てませんが、これまでに見たことのない物であることは違いありません。恐怖で背を震わせながらも次元がどうにか落ち着いていられたのは、目の前に、どこか五右ェ門に似たお稲荷様がいたからでした。それに、ここまで来て引く訳にはいきません。目の前に恋人の大切な物があるのです。
    「お前は誰だ。お前など呼んでいないぞ」
     性別の分からない凍えるような声が白い靄から聞こえてきました。白い靄はどうやら会話が出来るらしい、とどこか冷静な頭で考えながら、撥ねのけるような強い怒気を前に友好的でいる必要はなさそうだと判断しました。全てが現実とは程遠く思えましたが、先程眺め下した五右ェ門の頬の質感と、眺めている内に込み上げた思いが突然が突然生々しくよみがえり、やはりここまでの事全てが夢ではないと確信します。
    「誰を呼んでいたんだかは知らねぇが、オレは斬鉄剣を取りに来たんだ。それが済めばすぐ帰るさ」
    「斬鉄剣?これはそのような名なのか。あの男の物だろう」
    「どういう訳か今回はオレがそいつに呼ばれたからな。斬鉄剣ってのはな、生半可に扱えるモンじゃねぇんだ。それはあいつに返してやってくれ」
     実体のない何かは、話す度に微かに揺れています。それは感情がそのまま動きに表れているようでした。あちら側が透けているということを考えると、銃が役に立つ相手ではなさそうです。五右ェ門が対峙する不思議な物はこれまでことごとく友好的であったのに、今回に限ってはとてもそのような空気ではありません。
    「この剣などどうでも良い。しかし、今返す訳にはいかない。あの男を呼ぶ為に、こちらへ運んだのだからな」
    「···あいつがここへ来たら、どうするんだ?」
    「あの狐に似た顔が欲しい。中身も良さそうだ」
     笑いを含んだ声に、次元は背筋が凍る思いで顔を引きつらせました。とんでもねぇことを言いやがると忌々しく思いながらもどこかでは安堵していました。夜が明け、外へ出て探すとなれば、勘の鋭い五右ェ門はこの神社へ訪れて、この白い靄とも出会っていたことでしょう。一方的に懸想されたところで簡単に連れ去られるようなタマではないと分かっていても日頃の強さが意味を為すのか全く分からない相手です。自分が来たことで、それを回避出来たのなら恐ろしい思いをしながらも、ここにいる意味があるというものです。
    「なら尚更オレが持って帰る他ねぇな。あいつの居る布団がオレには必要でね、欲しいったって、やる訳にいかねぇんだ」
     その言葉を聞いた白い靄は一瞬動きを止めた後、見上げる程に大きく広がり、次元にも分かる程の冷気を放ち地響きのような音と共に激しく揺らめいて、強い風をおこしました。立っていられない程の風に、どうやら化け物を本気で怒らせたらしいと気が付きましたが、今は次元も恐怖以上に怒りを感じているのです。勝手なことばかり言う化け物相手に、はじめは斬鉄剣さえ取り返せば良いと考えていましたが、そういう訳にはいかないようです。
     化け物の起こす風がますます強まっていく中、次元は体勢を低くしてどうにか堪えていました。銃を取り出し撃つことも考えましたが、相手は透けている上、この風の中では難しそうです。どうしたものかと藁にも縋る思いで狐の像を見上げると、それまで無風だった化け物の後ろに突然一陣の風が吹き、賽銭箱の上にあった斬鉄剣がカラカラと転げ落ちてきました。そしてそのままあるべき所へ帰るように、次元の手元までやってきました。
     恋人の大事な物だからこそ、これまで殆ど触れずにきた斬鉄剣でしたが、今この場では手にすることを許されたようです。
    「悪いが少し借りるぜ」
     これまで数えきれない程、五右ェ門が鞘から剣を抜く姿を見てきました。その姿を思い浮かべて、動きをなぞるように腕を動かします。生半可に扱える物でないどころか、こちらが怪我をすることも大いにあり得ます。強い武器というものはそれだけ扱いが難しいということを、次元も当然知っていました。ただ手を添えているだけで充分だ、あとはこいつが何とかするだろう、と斬鉄剣の力に託します。愛機のマグナムならば、重さも動きの癖も知り尽くしていますが、斬鉄剣に関してはいくら長年近くにいるとはいえ何も知らないも同然です。五右ェ門がするように扱えないのは当然のことで、これで何かしてやろうという方がおこがましいということは重々承知していました。
     化け物が向かってきたタイミングで、手を添えた斬鉄剣を斜めに構えると、斬った感触が手の平へじわりと伝わってきました。化け物を斬れるのか?という懸念も斬鉄剣には杞憂だったようで、呆気ないほど上手くいったようです。斬った瞬間の感触はおよそ肉とは程遠いものと思われましたが生々しく手の平に残り、その感覚が消えない内に化け物はどんどん小さくなっていき、やがて断末魔のような声と共に消えてなくなりました。
     その後、静かな暗闇に一人取り残された次元は、あぐらで座り込んだまま最後の気力を振り絞って鞘へ剣を収めようとしましたが、なかなか上手くいきません。美しい所作で、一瞬のうちに良い音を立て鞘へ収める五右ェ門の姿を思い返すと、それがどれほどの鍛錬の上でのことか、あらためて思い知るようでした。何度も失敗している間に、先程の化け物の正体は一体何だったんだだとか、あまりに呆気なかったが本当に消滅したのかだとか、五右ェ門はいつの間にあんな奴に魅入られていたのかだとか、先月からどうも落ち着かない原因はこれなのか、などと次々と疑念が湧いてきました。全ての答えを、今は知る由もありません。
     考えている内に、化け物に対峙していた時よりも余程気分が悪くなってきましたが、叫び出したくなるのを堪え、今は五右ェ門が無事で、斬鉄剣を取り戻したということが全てだと考え直すと、ようやく鞘に収めることが出来ました。そして、その視界の端で揺れたのは先程は気が付きもしなかった小袋です。
    「···成程な。それでオレが呼び寄せられたって事か」
     いつもならば五右ェ門が呼び寄せられるところを、今回に限ってそうでなかったのはどうやらまじないのおかげのようです。そして、常から神は信じないと放言している次元でしたが、今回ばかりは見上げた先にある狐の像に礼を言いたくなりました。
    「今度、五右ェ門と一緒に油揚げでも供えに来るか」
     斬鉄剣に語りかけるように言うと、次元はゆっくりと立ち上がり元の道を帰っていきました。夜が明ける前には間に合いそうです。

    「次元、次元···!」
     五右ェ門の声が耳元で聞こえて薄っすらと目を開けてみると、きらきらと光る五右ェ門の目が間近でこちらを覗き込んでいます。窓の向こうに見える空は、まだ夜明け前の紺碧でした。
    「どうした、随分早いな」
     半身起こした五右ェ門の耳元の辺りへ手を伸ばすと、触れた毛先はひんやりとしています。
    「斬鉄剣が、戻っているのだ」
    「へえ、そりゃ良かったな」
    「次元も知っておるだろう。昨夜あれ程探しても部屋には見当たらなかった。どうしたのか。一人で帰ってきたのだろうか」
     片目を開けて様子を伺うと、五右ェ門は真剣な表情で手にした斬鉄剣をじっと見つめています。それからいつか失くした時のように、しっかりと前に抱えました。
    「次元、お主何か知っておらぬか。何ゆえ、失せてまた戻ったのか」
    「知る訳ないだろ。オレはこの通り、お前さんの隣で寝てたんだ」
     睡魔と戦いながら、何とか次元が返すと五右ェ門は怪訝そうな表情で考え込みました。
    「···そうか。失せた理由は分からんが、戻ってきたのはお主がくれたお守りのおかげかもしれぬな。お主がまじない等と言うのは珍しいから、きっと効果があったのだろう」
     そう言うと、身近な人間にしか分からない程の柔らかな変化で、それでも確実に表情を和らげて鞘についたキャラウェイの包を手に取りました。布団は五右ェ門が身を起こしている為、どんどん冷えていく一方です。斬鉄剣を抱えた五右ェ門の肩に触れるとそれもすっかり冷えていて、次元は後ろから抱き込むように布団で包んでうなじに顔を埋めました。
    「どうだろうな。そうだ、後でその包、もう一つ作ってやるからお前も持っていてくれよ。懐にでも仕舞っておけ」
    「···うむ」
     頷く五右ェ門の首元に次元が冷えた鼻を擦り付けると、いよいよ堪えられない程に強い眠気がやってきました。先程帰ったばかりで、殆ど寝ていないに等しいのです。五右ェ門の首元の匂いは眠りを誘うようでした。斬鉄剣が同じ布団の中にあるというのは、少し恐ろしいような気もしましたが、五右ェ門の腕の中にあるのならば危険なこともないでしょう。
     昨晩の一幕で手に残る、斬った感触は次元の中で今だ薄れていませんでした。一度きり、実体のないあやふやな物を斬っただけでもそうなのですからこれまで数々の物を斬ってきた五右ェ門と斬鉄剣の間には、二者の間でしか分かち合えない物があることは明白でした。しかしその手に手を重ね、暖めてやることは自分にしか出来ないということも、次元はよく分かっています。触れる肌の温もりはどこまでも心地よく、腕の中に五右ェ門の体があることに、この上ない安堵を感じて次元は目を閉じました。そして、いつもならば目覚めると同時に布団から起きて二度寝などしない五右ェ門も、今日は背に感じる温もりから何故か離れがたく、次元の深い寝息を聞くうちに、再び意識は遠のいていきました。静かなクリスマスの朝に眠る二人の上で、白く淡い明け方の光は祝福するように溶けて広がります。
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    ねむおか

    DONE二月の次五です。大変遅くなった上に何を書いてもネタバレになってしまいそうなのでキャプションらしいキャプション書けず、すみません。ハッピー次五です!

    ※出来れば読まれた後にこちらご覧ください※
    お気付きになられたかと思いますが、オマージュしております。力不足ですがオマージュ元の作品は全て大好きです。気を悪くされた方いらしたらすみません。
    雪見抄(二月のカノン) 冷たい冷たい二月の夜空には、零れ落ちんばかりの星がチカチカと瞬いていました。
     その中を真っ白い息を吐きながら、次元は急いで帰ります。二月に入ってからというもの、この辺りは雪続きで、昨晩も遅くまで降り続いていました。慎重に進まないと道端に残るたくさんの雪に足を取られるので、急ぎ足ながらも慎重に歩を進めます。どれだけ頑丈な靴を履いていても足裏にはひんやりと冷気が伝わり、寒さが苦手な次元は一歩進むごとに震えるような心地でした。けれど、もうあと僅かで家に着くのです。それを思えば深い濃紺に星を散りばめた夜空を映したように、気分は落ち着き、澄んでいきます。家に帰れば暖かな五右ェ門が待っているのです。
    「帰る家が暖かいってのは良いモンだな」
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    ねむおか

    DONE1月の次五です。
    箸休め回です。ご飯作ったりお参りしたり、いつもと同様、ただ緩くてラブい次五です。12月のお話とつながっている部分もあるのでこれだけ読むと少し「?」かもです。すみません。ぱろくで出てきた単語から浮かんだものが出てきますが、こちらの連作は特段ぱろくを想定して書いているものではないので、お読みいただく際はご自身のお好きな次五ちゃんで想像いただけますと幸いです。
    一月は凪 年が明けてまだ間もない時刻、アジトにはいつもの四人が顔を揃えていました。
     五右ェ門の打った蕎麦で年越しをすると聞きつけ、珍しく年越しの時間を共に過ごした不二子でしたが、美味い蕎麦で満たされ次元の揚げた天ぷらに舌鼓を打ちルパンとっておきの酒で程よく良い気分になり、後は寝るだけです。
    「泊まっていけばいいじゃねぇの」
     呂律の怪しいルパンが留めるのも聞かずに、不二子はあっという間に帰り支度を整えてしまいました。
    「またね」
    「またねって···つれねぇんだからなぁ。もう。だったらタクシー拾うところまで送らせてくれよな」
    「ならば、拙者も行く」
     五右ェ門からの珍しい申し出に、不二子はブーツに足を通しながら尋ねました。
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