椅子に座ったファウストを取り囲んで、爛々と覗き込んでくる若者たちが気まずくて仕方ない。
いつもの色眼鏡をつけていればまた違った心境を持てただろうが、残念ながら少し離れたテーブルに置いてある。誤って落とさないようにという気遣いの結果とはわかる、しかしなんだか人質をとられたような気分である。
そんなファウストの心情とは裏腹に、アーサーとルチル、そして椅子から立ち上がったクロエは、ファウストを囲みながらきゃっきゃとはしゃいでいた。
「薄いブラウンのさりげなさも捨てがたいけど、やっぱり濃いめのブラウンの方が馴染むかも!」
「ブラックもくっきりとした印象で素敵でしたけど!」
「最初に試したロゼも、ファウストの紫の瞳がよく映えていた!」
「「「でも今のアイラインが一番似合う!!」」」
「·········そう」
なんと答えたら良いものか、辛うじて呟き伏せ目になったファウストにまた若者たちから歓声が上がった。目を閉じても似合う~!!先程からずっとこれである、そろそろ解放して欲しい。
自室へと戻る途中、談話室から何やら楽しげな声が聞こえてきた。
長く生きた魔法使い故の無意識で魔力を探ってみれば、部屋の中にいるのは年若い魔法使い達だとわかり小さく口許を緩めたものだ。安全な場所で若者たちが無邪気にはしゃいでいる様は悪くない、そう思う程度には年を嵩ね過ぎている。
答え合わせがてら、談話室の入り口に差し掛かった時ちらりと室内に目を向ければ、タイミングよくクロエと目が合った。
前髪をあげていた彼の大きな瞳がぱっと輝いて、ファウストはぎくりと身構える。この眼差しには覚えがある、仕立屋仕事に関わる時のそれだ。そういう時のクロエは大概強引で、今回もあれよあれよという間に談話室へ連れ込まれてしまった。
大ぶりの鏡が設置されたテーブルの前の椅子に座らされて、若者たちにぐるりと囲まれて。ペンのような細長い棒を両手の指の間に挟んだクロエに、爛々とした瞳でおねだりされたのだ。
「アイライナー、試させて!」
再度椅子に浅く腰掛けたクロエが、ふんふんと興奮さめやらぬままクレンジングを浸したコットンでファウストの目元を拭いてくる。興奮具合とは裏腹に繊細な手付きであり、同時に魔法を上手く使えているからこその柔い力であった。つまりメイクを施されている者に負担はない。
うちのヒースクリフも器用な子だが、クロエにはまた別の細やかさがある。西の年長者達が大切に育てていると伝わってきて少し和む。
しかしながらこの場には打って変わった豪快さを持つふたりの若者がおり、ルチルとアーサーがクロエの左右からファウストに向かって前のめりに迫ってきた。
「ファウストは切れ長の涼しげな目元だから、やはりラインの見え方が重要なのだな!私が引いたら大胆にはみ出てしまいそうだ」
「ね!あんまり見えすぎちゃうとファウストのすっとした綺麗さが薄まっちゃうし。加減が難しくて燃える~!」
「ファウストさんのお顔、すっごく描きがいがありそう!」
「つまり贅沢なキャンバスということだな!」
「わっ、それってアートメイク?!」
「アートメイク!なんていい響き!」
今にも筆を取り出しそうなルチルは、しかし今はクロエの練習中だからとうずうずを我慢しているようだ。
人の顔をキャンバスとは何事だアートメイクとやらは断固拒否するぞと警戒するファウストとは逆に、大いに興味を引かれたらしいアーサーが寧ろルチルに施術をねだっている。
ルチルも乗り気であるし、そのままファウストを忘れて欲しい。忘れて欲しいが中央の国の王子の顔がキャンバスにされるという字面がなんとも恐ろしい。いや、他ならぬファウストがそんな焦りを覚える必要はまったくないのだが。
悶々としているファウストとは裏腹に、それぞれご機嫌な彼らの目元にも色違いにラインが引かれていた。ファウストが来る前までの盛り上がりが伝わってくるようで、新しく入手したコスメを試したいクロエの誘いに一も二もなく乗った結果だろう。
そんな場に通りかかりおめおめと捕まったファウストはやはり運がなく、けれど無理矢理に逃げ出すにはあまりに大人げない。
何よりロゼのライナーを引いたクロエの瞳からは、心底楽しんでいる輝きと同時に真剣さが伝わってくるのだ。だからファウストも大人として、黙って西の若い魔法使いの手を受け入れているのだ。
次々と試した結果、どうやら色は決まったらしい。
次はラインの引き方を練習したいとクロエはいつもよりも更におしゃべりだ。
「ルチルはちょっとつり目で、アーサーはアーモンド型、俺は丸い形じゃない?それで、ファウストはすっと切れ長!やっぱりラインの入れ方がそれぞれ全然違うよね、楽しい!」
「あぁ、うん···楽しいならよかったけれど。しかし西の先生の方が、もっと整った切れ長の目元をしているのでは?」
「ファウストも綺麗だってば!あのね、シャイロックはね、俺の腕がもう少し上がってからじゃないとメイクさせてくれないと思うんだ。あっ、ファウストを練習台って言ってるようなものだし失礼だよね?!でもでも俺、すごく真剣だから!」
「わかっているよ、落ち着きなさい。勤勉な若者を否定する気はないが···まぁ、僕にはほどほどに」
「えへへ、もう少し付き合って!あとね、今度双子先生にもお願いしてみようと思ってるんだ。同じ顔で違うメイクの仕方を試させてもらえるなんてすごく贅沢じゃない?!」
「それは···子供の姿で?大人の姿で?」
「えっっっ!!!そ···そっか、どっちも試させてもらえるかな?!」
咄嗟だろうか、興奮にぶれそうな手をファウストの顔から引くあたりプロ根性が垣間見えて、けれど万歳と両手をあげて「やったー!」と喜ぶところはなんともかわいらしい。
つられたのか全力で乗ったのか、ルチルとアーサーも満面の笑みで万歳していた。
「ホワイト様とスノウ様にメイクを施す時には、是非とも私も呼んでくれ!」
「私も私も!子供のかわいらしさも大人の色気も、子供の色気も大人のかわいらしさも全部堪能できそうですっごく楽しみ!」
わーいわーい!とアーサーとルチルは、ついには手を取ってくるくると踊り出した。そんな二人をちょっとうずうずと見ているクロエに、無駄だろうなと思いつつ「きみも一緒に踊ってくれば」と促してみる。
一瞬だけ迷いが見えた気がしたが、瞬時に消えてまた真剣な目をファウストに向けてきたものだから。己とはまた違う色の紫色に、何度目か降参をしてどうぞと目を閉じた。
そのまま暫くはおとなしくクロエに目蓋を貸した。縁に触れる筆のこそばゆさに耐え、聴覚にだけ聞こえてくるガタッゴトッという遠慮ない音に可笑しさと不安が混じりあう。大胆なアーサーとルチルらしく、やはりダンスも豪快なようだ。
目を開ける度に家具の配置が微妙に変わっており、まぁぶつかって怪我をしなければいいかともはや慣れ始めた頃、「うおっ?!」と第三者の声が聞こえてきた。
丁度ラインを乾かしている時だったので目は開けられず、けれど気配を探る必要がない程度には聞き馴染んだ声だった。
あっ!と声まで左右に踊らせながら、アーサーとルチルが声を合わせた。
「「ネロ(さん)!!」」
「ど、どういう状況···?」
「クロエがメイクの練習中だ!」
「いや、あんたらはなんで踊ってんの···?」
「楽しくなっちゃって!」
もう少しステップを踏みたいとダンスを続行するらしい。家具にぶつかりそうになったのだろう、おいおいと心配そうなネロを、ファウストのすぐ近くからクロエが忙しなく呼んだ。
「ネロ、ネロ!」
「はいはい。どうした?仕立て屋くん。って先生じゃん」
「気付くのが遅い」
「や、派手に踊ってるやつらがいたもんで。で、なにしてんの?」
「アイメイクの練習に付き合ってもらってるんだ!それでね、今!渾身のラインが引けました!!」
「「ほんと?!」」
興奮したクロエの大きな声に反応したアーサーとルチルが、ガタガタとやはり豪快な音をたてながらこちらに近付いてきたようだ。
つまりネロも追加された4人に注目されているわけで、こんな中で目を開けるというのも中々に気まずいが···ずっと閉じたままでもいられないと、ファウストは目蓋を押し上げた。
想像以上に近い若者たちの顔に若干身を引き、しかしきらきらとした表情でわっとあがった歓声に、溜め息を吐くことを辛うじて耐えた。
居心地の悪さに少し目線を外すと、一歩下がった位置にいるネロと目が合った。一瞬僅かに違和感があった気がするが、すぐに浮かんだ苦笑気味の笑みにファウストも少しだけ頬を緩ませる。言葉を交わさずともはしゃぐ若者たちは可愛いを共有して、それよりもと目線を戻し興奮するクロエたちを宥めた。
「自画自賛だけど!ファウスト、すごくいい!ね、鏡!鏡見て?」
「見ているよ。最初から上手かったと思うが、更に上達したことがよくわかる」
「ほんと?!うれしいっ」
ガタッと立ち上がったクロエの手をとって一緒にぴょんぴょんとするルチルと、きらきらと瞳を輝かせたアーサーも口々にほめてきた。
「本当に素敵です、ファウストさん!」
「目の形にも瞳の紫にも、相貌にも巻き髪にもすべて似合っている!」
「そう、ありがとう」
こういう時、肯定以外の事を言っては逆に大騒ぎになると知っている。短い言葉で礼をして、それよりもと頬を赤くして肩で息をしているルチルとアーサーを見上げた。
「アーサー、ルチル。顔が真っ赤だ、一度落ち着きなさい」
「「もう一回踊りたい!」」
「今度は俺も混ざりたい!」
「あーはいはい、とりあえず座れって」
ほれとネロが呪文を唱え魔法でソファや机を元の位置に戻した。直されてしまってはと渋々ソファに座った若者たちの前のテーブルに、ネロがずっと手に持っていた籠をどんと置いた。彼愛用の魔法の籠だ、見覚えがある。
なんだなんだと注目する皆に、説明するより見せた方が早いと取り出した皿とカトラリーをそれぞれに配る。アイスティーであろうボトルと3脚のグラスをテーブルに置いたあと、手品のように籠から籠を取り出した。そこにはマフィンとスコーンが3つずつ入っており、バターと紅茶の香りに食べ盛りの若者たちの目が輝く。アイラインに縁取られたその様に、目力というものが増すものだなとなんとなく浮かんだ。
当たり前のようにサーブしてアイスティーを注ぐネロに、若者たちは慌てて口々に礼を言った。
「おやつを持ってきてくれたんですか?ありがとうございます!」
「丁度小腹が空いていたんだ、ありがとう!」
「すごく美味しそう!ありがとう、ネロ!」
「はは、どうも。焼き始める前、あんたらが談話室にいるのを見掛けたからさ」
再度籠を探ったネロが、揃いではないグラスをもうひとつ取り出した。そしてファウストにもアイスティーを注ぎ、鏡の前にことりと置いて片手で詫びた。
「そん時は3人しかいなかったから、若い奴らのしか用意してこなかったんだ。先生のおやつは後でいい?」
「あぁ、もちろん」
「えっ、分け合いましょうよ!」
「いや、今は食べ盛りたちが味わいなさい」
「そうそう。先生の分は確保しとくからさ、あとで部屋に来てよ」
「わかった、ありがとう」
僕の分も彼らにと言いたいところだが、それでは場が収まらない。
半分演技のようなものだと言葉にせずともネロと共有して、さぁと促した。
遠慮を残しながらもそれならと手を伸ばした若者たちの顔が綻ぶ様子をしばし堪能したネロが、まだやることがあるからと満足げに去っていった。
僕はもう少しこの光景を眺めようかなと、少し姿勢を崩しグラス片手に寛いだ。
今が立ち去る絶好のタイミングだと思うが、眼鏡は結局まだテーブルの端にあるのだ。人質続行中だ。
そんな言い訳じみたことを考えながら、まぁたまには暗くない視界も悪くないと、化粧を施された目を細めた。
ドアをノックすると、すぐにネロが顔を出した。疲労困憊を隠さないファウストを見て、そのまま椅子に座るよう促してくれる。
言われるまま今となっては馴染みの椅子に腰掛ければ、肺の底から息を吐いて脱力してしまう。苦笑混じりのネロが労りの声をかけてくれた。
「お疲れ、せんせ」
「あぁ···疲れたな···」
「はは、素直。クロエ達、あの後も大はしゃぎだったんだって?」
「きみに乗っかって早々に離脱すればよかった···」
行儀悪く机に両肘をついたファウストを咎めることなく、ネロは茶の準備をしてくれる。ことりと差し出された香りはカモミールで、本当に細やかな男だとその気遣いに甘える。
香りに慰められながら一口含み、ほうと息をつくとメガネが曇った。いつもならば放置しておくところだが、ここはネロの部屋だしいいかと眼鏡を外した。
人が集まる食堂近くのキッチンにいれば、魔法舎での騒動が自然と耳に入ってくるのだろう。
ネロも聞き及んでいるとおり、おやつの後も暫くは解放されずギャラリーも増減しつつ、眼鏡が返されたのもついさっきである。
今も外してしまったわけで、今日は寧ろ眼鏡をかけている時間の方が短いかもしれない。そんな裸眼のファウストを、ネロは椅子に座り掛けた姿勢でまじまじと見てきた。
「なに?」
「いや、そのままなんだなって」
「あぁ、化粧か···クロエの様子を見ていたら、落としづらくて···」
「なるほどね」
わかるなぁと喉で笑うネロはまだファウストを眺めているようで、先程散々晒されたからもう慣れたと気にせず目線をカップに落とす。その金色の水面に揺れる光がふと陰り、なんだと顔をあげれば見慣れた金色がすぐそこにあった。
なに?と戸惑うにはその気配に馴染みすぎていて、意識するよりも先に自然と目蓋が落ちる。ネロの腕の影がうっすらと見えて、背もたれに掛けられたであろう手が鳴らした椅子の軋みが妙に耳についた。
そっと重ねられた唇の、柔い温度をよく知っている。
心がきゅうと疼くよりも早く離れたその感触を追うように目蓋を押し上げれば、至近距離で視線が絡んだ。
その眼差しに、気のせいかと思った先ほどの違和感の正体に気付く。
「さっき、談話室で」
「ん?」
「一瞬変な顔をしたような気がしたけれど」
「んー?」
「きみ、あの状況でこんな事を考えていたの」
甘さを含んだ空気の中でもはっきりと呆れたファウストに、先生らしいやとくつくつと笑うネロが身を引いた。さりげなく肩を撫でていった手を引き留めたくなって、けれど指を掛けたままだったカップのおかげで回避できた。まぁ別に我慢する必要性はなかったななんて思いながら、ことりとカップをテーブルに置く。
ようやく椅子に座ったネロが片手で頬杖をついて、眼差しを変えずにからかいまじりに言った。
「やーだって。目を閉じて、そんで首の角度とかさ?」
「とか、なに?」
「キス待ち顔に見えちまって?」
「なんだそれは···」
えぇ···と引いているファウストはそれなりにあからさまで、けれどネロはそんな反応にも上機嫌に笑っている。
相変わらず金色の眼差しはとろりと甘くて、それを向けられて意地を張る理由もないしと素直に絆される事にする。ふふと頬を緩ませたファウストに目を細め、ネロが楽しい内緒話をするように言った。
「ね、ファウスト」
「なに?」
「今夜、どう?」
「いいね」
誘いの意味を分かっているし、ファウストも望みとして頷いた。けれどと少し気掛かりもあって、それを見抜いたネロはさすがだった。
「どうかした?」
「いや。明日は任務があるから、今夜は早く寝るつもりだったんだ」
「あぁ、ちょっと遠いとこだったよな」
「夕食には帰ってくる予定だから」
「今日の夜飯もまだだってのに」
気が早いなんて言いながらも嬉しそうなネロが可愛くて、そのまま口に出せばまたそんなこと言ってと照れた顔をする。
そんな可愛い気配を残しながら、それだけではない所が相変わらず狡い男だと思う。
「もう少ししたら夕飯の時間だから、今はスコーンもマフィンも食べないよな?」
「うん。きみの料理、空腹で味わいたいから」
「へへ、ありがと。おやつ、先生の分はちゃんと取ってあるからさ、あとで部屋に持っていくよ」
「今夜?」
「そう、夕飯のあと」
「ありがとう、楽しみ」
夜が更けないうちに、ファウストの部屋で。言外の意味と気遣いを受け入れない理由がなかった。
いつもは言葉での合意よりも互いに雰囲気を察すること自体を楽しんでいたから、こんな打ち合わせみたいな会話はさすがに照れるなんて今更ながら苦笑を向けあった。そしてネロが、ついでとばかりにおねだりの声で言う。
「ね、ファウスト」
「ん?」
「目、このままにしておいてよ」
「化粧をってこと?」
「うん、似合ってるから」
「まぁ···別にいいけれど」
クロエへの義理で少しの間だけはこのままでいようと思ったが、夕食の時は勿論消していくつもりだった。けれど部屋に入ってすぐはネロもアイラインに気付かなかったように、眼鏡をかけていれば目立ちはしないようだ。
周りに騒がれないならば強く拒否する理由が見付からなかったし、西と南と中等のあの子たちもそのままにしてくれていると喜ぶことだろう。
何より、単純な話。
好きな人に気に入ったと言われれば、ファウストだって悪い気はしない。そんなものだ。
満足そうなネロが、手を伸ばしてきた。目尻を撫でた指の感触はよく知っていて、けれどいつもとは少しだけ慎重なような気がした。
ファウストの瞳を綾なす線を消さないように。そんな指先にふふと笑い、甘さが滲んだ青色と金色を見詰めながら、頬を包んだ手のひらに緩くすり寄った。