りいだあは叱られたい「これ、何?」
豊前の部屋を訪れていた松井が、棚の上にあるものを指差した。その指の先には、豊前が先日万屋から帰る途中で引いた当たりくじで貰ったものの、どう処理していいかわからないガラクタが無造作に置いてあった。
あっ、と声を出してから、豊前の目があからさまに泳ぐ。その仕草を見ただけで、松井はそのガラクタの出自を瞬時に理解した。
「……豊前、ちょっとそこに座ろうか」
切れ長の目に、鋭さが宿る。命じられるまま松井の前に正座する豊前。
いつもは穏やかな表情をきりりと引き締めて、松井は豊前の顔を真っ直ぐに見つめた。そして何か言おうとした瞬間、豊前の方が先に口を開く。
「そのー、あれだよ! なんつーか、ちょっとした運試し? 的な?」
「へえ、」
松井の片眉が少し吊り上がる。
「で、その『ちょっとした運試し』で、どれだけのお金を浪費したのかな」
「いや! 今度は本当に少しやっただけだって!」
蒼い瞳が、弁明する豊前の顔を一瞥した。
「そういえば昨日、一期一振が『豊前殿が弟たちにたくさん菓子を分けてくださったお礼です』ってお茶菓子をくれたんだけど、」
そのルートで浪費が明らかになるとは思っておらず、完全に固まってしまう豊前。
「……その粟田口の子たちに渡した大量のお菓子、どこから手に入れたのかな?」
豊前は静かに項垂れて、そこからしばらく沈黙が流れる。
もはや言い逃れは不可能となった状態で、豊前の胸の中には後悔と反省の想いが渦巻く。だが、それとは別に、心の奥ではある種の昂りが発生していた。普段は自分を肯定してくれる松井に叱られるという状況が新鮮で、豊前はどこかときめきすら覚えてしまっていたのだ。その昂りに突き動かされ、豊前は無意識に口を開いていた。
「……まつが『きす』してくれたら、これからは止める」
もっと叱られたいあまり、ぬるりと口をついて出た言葉。その言葉を発した次の瞬間から、愛想を尽かされてしまうかもしれないという冷静な恐れが、豊前の胸にこみ上げていく。豊前はこわごわと顔を上げて、松井の顔を窺い見た。
そこに見えたのは、正面から豊前の目を見据える松井。松井は表情を変えぬまま、静かな声で沈黙を破った。
「…………わかった。やろう」
白魚のような手が豊前の方へと伸びる。その手は豊前の顎を軽く持ち上げて、松井の顔をまっすぐに見させる。その行動の意図を掴みかねているうちに、松井の端正な顔が豊前に近づいてきて、
「っ、」
豊前の唇を、温かくて少し湿った感触が掠めた。視界に映るのは、新雪のように白い肌。そして閉じられた瞼と、艷やかな長い睫毛。
接吻をされていることに気がついた豊前は、思わず体ごと後ろに退こうとした。しかしその気配を察知した松井が、空いている手で豊前の二の腕を掴み、その行動を阻止する。
「ん、」
松井の両手が豊前の頬へと添えられる。逃げるのを封じたところで、松井は改めて己の唇で豊前の下唇を味わうように喰む。
唇から伝わる甘くくすぐったい感覚が、豊前の心から抵抗の意志を削いでいく。そのうちに、松井の手が豊前の頬を離れて刈り上げた襟足を優しく撫で回しはじめた。
「ふあ、」
官能的な刺激が豊前の体を弛緩させる。力が抜けたせいで、豊前の上半身は軽く床に押し倒された。その上に松井のすらりとした身体が覆い被さり、尚も口付けを続ける。
「ぁ、っ」
半開きになった唇を、松井の舌先が軽くなぞっていく。その甘やかな刺激に誘われて、豊前も舌先を松井に差し出してしまう。
松井は豊前の口内へ舌先を侵入させて、差し出された舌先を優しく舐める。そのうちに濡れた舌先同士が絡み、ぬるりと擦れあっていく。
「んぁ、」
甘い鼻息を漏らす豊前。松井はすっかり目を開いて、とろんと濡れた赤い瞳をじっと見つめている。まるで視線で眼球を舐め回されているように感じて、豊前は思わず目を閉じた。
「む、っん、」
目を閉じると他の感覚が鋭敏になり、唇を貪られる官能的な刺激がより鮮やかに脳へ届く。松井の舌は、豊前の舌だけでなく口内も味わうように這い回る。このまま食べられてしまうのではないかと錯覚するほどに深い接吻が、豊前の背中を震わせる。
口の粘膜を愛撫される度に、豊前の喉の奥へじんわりと痺れるような快楽が広がる。息苦しさすら忘れさせる官能的な刺激。意識だけがふわふわと薄れていく。そして、
「ん、」
豊前が完全に意識を手放す寸前に、ようやく松井の唇が離れる。呼吸を取り戻した瞬間、豊前はそっと目を開く。そこで見えたのは、松井が桜色の唇を親指で拭っている光景であった。その仕草がどこか野性的で、豊前は思わず目を奪われてしまう。
その目線に気づいた松井が、瞳だけで豊前の顔を見下ろした。
「今ので、足りたかな」
どきりと高鳴る豊前の胸。何も言えずにいると、松井が再び豊前に覆い被さってきた。
「これでも足りなかったら、次は……」
そう言いながら、松井は豊前の黒いシャツの裾から手を滑り込ませる。松井の白い手は、豊前のへその横をするりと撫でた。その行為の意味を察知して、豊前は慌てて松井からの問に答える。
「わーったわーった! 十分だからっ、浪費も止めっから!」
「本当に?」
小首を傾げる松井。
「本当! 本当だから! 約束すっから!」
だから許してくれ、と請われたところで松井はようやく穏やかな笑みを浮かべる。
「わかったよ。体液をたっぷり搾り取るのは、今度君が約束を違えたときにね」
下手したら、愛想を尽かされるよりもある意味もっと恐ろしい目に遭っていたかもしれない。豊前は肝を冷やしつつ、二度とこの類の冗談を口にすまいと心に決めたのであった。