花言葉ニューミリオンで一人暮らしをはじめたシャムスの部屋に遊びに行くのは久しぶりだった。
ロストガーデンを出たシャムスは、通信制の学校に通いながらアルバイトを掛け持ちするという忙しい日々を送っている。
『学校に通うのも働くのも、病院にかかるのも、いつだって生い立ちが邪魔をした』
かつてそう語っていたシャムスの念願がついに叶ったということだ。毎日が充実しているらしい。
一方のウィルは相変わらずのヒーロー活動に加えて最近ではLOMの準備に追われていた。
メッセージのやりとりこそ途切れなかったが、会う時間はなかなか作れないでいた。
そして、やっとふたりの休みが重なった土曜日。
ウィルは差し入れを持ってシャムスの部屋を訪ねた。
シャムスが飲み物を用意する間、ウィルは椅子に座って、テーブルに置いたケーキボックスを開封する。
今日の差し入れは、いちごタルトだ。
旬のいちごがぎっしりつまった宝石箱みたいなタルト。見ているだけで幸せな気分になれるなあ……と満足気に頷いたウィルがふと視線をあげると、いちごのように真っ赤な花が目に入る。
「チューリップ……」
ちょうど今の季節に花壇をにぎわせている花が窓辺に置かれていた。
鮮やかな発色、ツヤツヤした花弁、みずみずしくスラリと伸びた茎などの状態から、生花店で売られているものだとウィルにはすぐにわかった。
そんなチューリップが一輪だけ、飲料の空き瓶に挿されている。その赤い色は、家具の配色が暗めなシャムスの部屋で、ひときわ異彩を放っていた。
シャムスが店で購入したか。
シャムスが誰かに贈られたか。
考えられるのはこの2つ。
可能性が高いのは、後者のほうだ。
ウィルは、楽しみにしていたいちごタルトのことも忘れてチューリップを見つめる。
そして、心に少しモヤモヤしたものも感じていた。
なんでだろう。
きれいに咲いている花を見て心が弾まなかったことなんて今までなかったのに。
赤いチューリップというのが、またウィルを落ちつかなくさせる。
というのも、この花の花言葉というのがーー
「ほらよ」
思考をチューリップに占められていたウィルはシャムスの声で我にかえった。
いちごタルトのそばに温かそうなミルクティーが置かれている。
「あ、ありがとう」
自分用のコーヒーマグを持ったシャムスがテーブルを挟んで向かいに座った。
シャムスの後ろには問題のチューリップがある。
ウィルの視線がまたそちらに向く。
そんなウィルの視線に気づいたシャムスも振り返って窓際の花を見た。
「ああ、あれか」
ウィルの視線の先にあるものに気がついたシャムスが、すぐに顔をウィルのほうに戻す。
「真っ先に花に目がいくんだな」
シャムスは少し笑っていた。
ウィルはモヤモヤした気分を抱えたまま、シャムスに訊く。
「うん……あれは、どうしたの?」
固い声が出てしまった、と自分でも気づく。
シャムスも少しけげんな顔をしている。
いたたまれない心地になってしまったウィルは、用意してもらったミルクティーのマグを手にとって飲んだ。
熱くて甘い。
ウィルの好みに合わせて、元々が甘いインスタントのミルクティーにさらに砂糖を加えていた。
ウィルがカップを置いたところで、シャムスが口を開く。
「もらった」
その短い答えに、ウィルは後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
呆然としながらうつむいて、ミルクティーに視線を落とす。
ウィルは花が好きで、花を育てることも好きで、花が飾られていることで気持ちが明るくなることはあっても、落ち込むことなんてこれまでになかった。
それなのに。
なんで、「嫌だ」って思うんだろう?
悔しいような、悲しいような。
シャムスが花を贈られた。
それだけのことでどうしてこんな気持ちになるのか。
うつむくウィルの頬に何かが触れる。
ウィルが顔をあげると、心配そうな表情のシャムスがウィルの頬に手を伸ばしていた。
「大丈夫か?」
「う……ん」
「どうしたんだよ、急に」
はぐらかすことはできそうにないな、とウィルは悟る。
胸のあたりのモヤモヤしたものを捕らえて、どうにか言葉に落としこんでいく。
「悔しい…んだと思う。俺は花を育てるのも花を贈るのも好きだけど、花が好きだと公言してる人じゃないと個人的に花を渡すのは重いかな、とも思っていて。だからシャムスくんにも花を渡したことはなかったんだけど、シャムスくんが誰かから花を受け取って飾っているのをみて、先を越された悔しさを感じてしまった……のかなあ」
そう、他ならぬ「花」だからひっかかるのだ。
シャムスがもらった物が食べ物とか小物だったら、たぶんここまで悔しい気持ちになっていない。
それに、花言葉が花言葉だし。
言葉にしてみると、頭の中で引っ掛かっていたものがかなりスッキリした。
一気に喋ったウィルは再びミルクティーに口をつける。
「このミルクティー、おいしいな」
「おすそわけだ……って言われた」
2人の言葉が同時に重なる。
顔を見合わせたウィルとシャムスは、キョトンとした表情になり、すぐにウィルのほうが素早く話の続きを促した。
「バイト先に、勤続10年以上のベテランがいるんだけどな。その人がシフト入ってない日に店に来て、でかい花束を抱えて『恋人にプロポーズされた!』っつって報告に来たんだよ。それで店のみんなで祝福したら『幸せのおすそわけ』とか言い出して花束の花を1本ずつ全員に渡してきた。それがあの花だ」
「そ、そうだったんだ」
ウィルは安堵の息を吐く。
「あーー、ちょっと安心した。赤いチューリップって花言葉が花言葉だし」
「花言葉?」
「あ……うん、花にそれぞれ象徴的な意味とかメッセージを込めたものを花言葉って呼んでるんだけど」
「聞いたことあるな。で、赤いチューリップの花言葉ってなんなんだよ」
花に詳しい者としてはすぐにに答えるべき質問だった。
だがウィルは口ごもってしまう。
実家の花屋では同じ質問にスラスラと答えられていたのに。
アキラやレンに聞かれても、ためらいなく答えられるはずだ。
シャムスの前でだけ、なぜか緊張してしまう。
今日はウィルにとって戸惑うことばかりだ。
答えを待っているシャムスとウィルの視線が合わさる。
なぜか熱を持ちはじめた耳を手で隠しながらウィルは答えた。
「愛の告白……」
シャムスが目を見開いた。
「だから、あの花をみてシャムスくんに恋人がいるのかも……って思い当たって、動揺した」
「……想像が飛躍しすぎなんじゃねーの」
シャムスは呆れたように息を吐く。
そして、少しうつむき加減になって何かを呟いた。
「な、なに?シャムスくん」
「…………好きだ」
ウィルが聞き返すと、聞き間違いだったら大変なことになりそうな単語を耳がとらえた。
小さい声だし、声が少し掠れていたから判然としない。
「…………え、えっと…………?」
「…………花。さっき好きかどうかわからないっつってたから」
「…………!花のことか!そっかそっか。うん。じゃあ今度なにか持ってくるね」
ウィルはおおげさなくらいにぶんぶんと首を振った。
シャムスは何かいいたげにウィルを見る。
そして、沈黙が訪れ。
どちらからともなく、また、ため息をついた。
ウィルがもってきたいちごタルトや飾られているチューリップとおなじくらいふたりの耳も赤く染まっていた。
なんてこともあったなあ。
早起きをして植物の水遣りを済ませたウィルは、リビングの花瓶に飾られている花のなかでもとびきり鮮やかな赤いチューリップを指先で撫でた。
ウィルとシャムスは恋人同士になって、今では一緒に暮らしている。
シャムスは毎年ウィルの誕生日が近づくと花束を買って帰る。
そしてその花束にはいつも、必ず赤いチューリップが入っていた。
今年もシャムスの気持ちのこもった花を前に、ウィルは恋心を自覚した頃の、胸の奥がギュウっとなるような感覚を思い出す。
ウィルはカーテンを開けてリビングに朝の光を呼び込んだ。
今年の誕生日もいい天気になりそうだった。
もうすぐ起きてくるシャムスのために、ウィルはコーヒーメーカーの電源を入れた。