カノジョを逃がさない方法100選「ねぇ、アズール氏ィ」
ボードゲーム部の活動中、僕はふと思い立ったことがあって、向かいに座るアズール氏に声を掛けた。当の氏は眉間に皺を寄せて盤面を睨みつけている。今日は頭脳を使うゲームだから、さしものアズール氏でも集中しないとやってられないらしい。
「いま話しかけないでくださいます?」
僕の呼びかけにアズール氏は、その鋭い眼光を盤上から此方へとスライドさせた。睨まれるのは慣れてるので、特に驚くこともなく話を続ける。
「ユウ氏のご機嫌取りって何すればいいと思う?」
その問いかけにアズール氏はその大きな瞳をさらに見開いた。驚き、そしてその表情は喜色に富んだものへと変わっていく。そして駒を動かそうとしていたその手を自らのブレザーの内ポケットへと突っ込んだ。どうやら何かを取り出すつもりらしい。
「そういうことでしたら、デートに使えるモストロ・ラウンジのクーポンがこちらに!」
バッ! そんな効果音でもつきそうなほど勢いよく取り出されたのは、氏の経営するラウンジの割引券だった。先ほどまでの真剣な表情から一転、商売人の営業用スマイルへと変貌を遂げている。拙者は緩く首を横に振った。
「拙者はちょっとそういうのは遠慮……」
「おや、彼女は普段の食事にも事足りていないようですから、こういうものをいっとう喜ぶかと思いますけれど」
なおも食い下がるアズール氏。眦は緩められているけれどその奥の瞳はマドルの形になっている。
そもそも彼女の食費がギリギリなことくらい、この僕だって知るところである。けれどあんな人の多い場所に行くなんて拙者、無理! そして拙者が彼女に何の対策もしてないと思っているのか? 笑止、これでも事あるごとにお菓子とか恵むようにしてるんですけど。
アズール氏はそんな僕の不遜な態度にご不満だったのか、ため息交じりにこう言った。
「まだお付き合いされて一週間ですよね? もしかして既に破局しそうなんですか?」
「違いますぅ。念には念を入れてですな」
その言葉には猛烈に腹が立った。そんなわけはない。まだまだ蜜月のような日々を過ごす予定だし、現に彼女も僕のことを嫌がってなんていない。そう伝えれば、アズール氏は僅かに眉間に皺を寄せた。
「そういうところで愛想を尽かされるのでは?」
「ま、まだ大丈夫ですし! たぶん!」
で、でも……よくよく考えてみれば……。思い当たる節が多すぎて、身体中から血の気が引いていくのを感じる。
アッ、そうですよね……こんなコミュ障の陰キャ、誰が好きになるっていうんでしょうね。そうでなくとも彼女の周りには陽キャ揃いだ。僕なんか愛想もこそも尽き果てて、そっちに乗り換えられる可能性も……!
これは死活問題だ。あの子に捨てられたら僕は死ぬ。だからこそもう一度問うのだ。
「ゆ、ユウ氏に逃げられないためには本当、どうしたらよいでござるか!!?」
拙者の必死の叫びに、アズール氏は顎に手を当てて「ふむ」と一つ唸っただけだった。
「それなら魔法薬でも作りましょうか?」
アズール氏は再び内ポケットに手を入れて手帳を取り出した。その中からメモ用紙を一枚破って、その上に色々と文字を書き連ねていく。僕は机から身を乗り出してその内容を見た。
そこにリストアップされていたのは、古今東西さまざまな種類の魔法薬だった。それも人の心を操作する類のものだ。惚れ薬程度の可愛いものから、禁薬指定されているものまで……アズール氏って、本当にハイスクールの生徒なの? その発想には頭を抱えた。何でこの後輩は、そんな突飛な発想しかできないかなァ? 呆れて僕はため息をついた。
「そういう魔法薬は短時間しか効果ないんすけど」
できればこっちは半永久的に彼女の心が欲しい。永遠の愛なんてものは不確かだし、微塵も信じてなんかいないけれど、今の僕は一秒でも長く彼女の恋心を延命したくて仕方がなかった。
「それくらい知っていますよ。なので定期的に摂取させればよろしい」
「クスリ漬けは流石にドン引きですわ」
一気にマフィア色が強くなってきた。僕が頭を抱えたところで、僕ら二人の対戦を見ていたオルトが元気に手を挙げた。何か言いたいことがあるらしい。僕は出来るだけ穏やかに発言を許可する。
「どうしたの、オルト?」
「監督生さんは、いつも元気に歩き回っているよね!」
その発言には深く頷くほかない。いつもいつも、あの子はどこへでも歩いて行ってしまう。本人は「学園に置いてもらうために雑用しなきゃいけないんですよ~」なんて言ってるけど、それにしてもフッ軽が過ぎると僕は常々思っていた。本当、お人好しって人種は理解不能ですわぁ。
それで、そのことが今の話とどう繋がるのか。僕が尋ねると、オルトは大きく頷いて答えを披露した。
「脚を切って義足にすれば良いんじゃないかな? そうしたら勝手に歩けないもの!」
その無邪気な一言に、僕とアズール氏は表情筋を引き攣らせた。いろいろ学習させたとは言え、オルトは偶にこうして無機物寄りの物言いをすることがある。それにしたって……
「拙者の弟が一番えげつない……けどそれが実は最良なんじゃないかって思ってしまう自分がいる」
「……あなた方はとても似ていらっしゃる」
うんうん唸る僕に対して、眼鏡のブリッジを人差し指で持ち上げながらアズール氏は一言コメントする。
「まあ、実際は泣きつくのが最適解なのではないでしょうか、監督生さんって何だかんだ人のことを見捨てられない方ですし」
「計算中……僕もそう思うなぁ」
「せ、拙者がそんな無様な真似するわけなかろう!」
ちょうどその時、部室の扉が開かれた。今日は拙者たち以外、自主休部のはずだけど……そこに佇んでいたのは、ハイスクールの男子学生にしては華奢で小柄な人物だった。
「あれ、皆さんお揃いで何を話してたんですか?」
噂をすれば何とやら。可愛らしく小首を傾げた監督生氏が、こちらを不思議そうな目で見つめている。僕らは一度顔を見合わせて、そして同時に頷いてから彼女に告げた。
「「「……別に!」」」
〇〇
そして数日後に監督生氏を怒らせたせいで、その脚にしがみついて無様に泣き叫ぶことになろうとは、その時は拙者を含めて誰も予想しなかったのだ──。
「す、捨てないでーっ!!!」