かんべさんのコケ本に寄稿するために書いてた。。。のの没原稿です!
テーマは「コケててかっこいい」
「ん~~~~~……」
「あ~……、お水取ってくるね」
金色のくるくる渦巻くつむじからは、ついにカスタードクリームみたいなとろとろの唸り声しかしなくなってしまった。やれやれと頭を掻きながら、モクマは椅子から立ち上がる。いつもと逆転する身長差、見下ろしながらしみじみと……、
(……ううん、今日も見事なしだれ柳だことで……)
酔いにおぼれた相棒が、ダイニングの椅子の低めの背もたれに直角に座って、両腕をよいしょと引っ掛けて、肩に頭を預けて、その長い細腕と髪を重力にさからわずにぶらん、と垂れ下がらせている光景を表すのに、これ以上に似合う言葉をモクマは知らなかった。しかも今宵はお気に入りの若緑のシルクのパジャマを纏っているから、尚更。
「このままいい子で待っててよ。すぐ戻るからね」
「……」
念押しに返事はなく、かわりに袖からはみ出た指の先っぽが、眠たい猫のしっぽみたいに億劫げにいちどだけ揺れた。しばらく考えて、了承の意味だったと気付く。常なら一事が万事折り目正しい彼らしからぬ雑な反応がその思考の酔いどれぶりを如実にあらわしていて、溜息をひとつ、せめて早く戻ろうと踵を返して小走りで駆け出す。
(まったくも~……)
いつものことだけど、酔ってないふりがうますぎるのだ、うちの相棒は。ついさっきまで怜悧な光を湛えるアメジストをひとつの揺れなくこちらに向けて、いつも通りにこ難しい話をすらすら並べ立てていたくせに。瞬き一つの間に目許と頬と耳にばらの花が咲いて、と思ったらとろけた柳になってしまった。忍びの目すら掻い潜る大変化(おおへんげ)、落差がすごすぎる。
とはいえ付き合わせているのはこちらなので、責任もってきちんと見ていないといけないのだけれど……怪我やら体調不良やらにはすぐ気付ける自信があるのに、こと飲みの席だとどうにも楽しくって目が曇ってしまう。
いや、もしかしたら酔った相棒のあまりの可愛さに、見て見ぬふりをしてるのかも……?
(下衆だな~……)
苦笑しつつたどり着いた冷蔵庫をあけて、相棒お気に入りの高級ミネラルウォーターをコップにそそぐ。その視界の端に、真っ黄色のスープが僅かに残る鍋の姿。土の風味のする苦~い隠し味を入れたこいつのおかげで、次の日に引きずることが減ったのも安心材料になっているのかもしれない。や、それに甘んじてるとしたら、やっぱり下衆なのだけど……。
……でも、でもね? 弁解をさせてもらうと、だってね、こうやって平静の仮面をギリギリまで被った後に大陥落したチェズレイさんといったら……、
「……あれ? モクマさん……?」
「ん~? なになに?」
二人分の水を注ぎ終わったところでとろとろ声に呼ばれて、肘でドアを閉めつつ片脚立ちで右側に身体をぐぐっと伸ばす。キッチンは対面型の造りではあったが、一番奥に設置された冷蔵庫の手前に衝立があって、そこまで行くと向こうの様子は見えなくなってしまうのだ。
「……ありゃ」
で、覗き込んで見えたダイニングの光景に、苦笑。しだれ柳の角度がすこし変わって、顔が起きて首をきょろきょろ、モクマを探している様子……なのは大変可愛らしいのだけど、その表情がおそろしく渋いのだ。……あ、見つかった。目が合った瞬間唇がにゅっととがる。
「……何でそっちにいんですか」聞こえたのは地を這うような不機嫌ボイス。こういうときは刺激しない。さっき話したよね、とかも言わない。寄った眉根の皺を今すぐに伸ばしてやりたい衝動を抑えつつ、何食わぬ顔で繰り返す。
「お前さんだいぶ酔っとるだろ? お水取りに来たの。ほら」
手を伸ばしてコップを見せるも、眼光は鋭くなるばかり。
「……そこまでは酔ってない、です。それよりも、話したいことを思い出したのではやく帰ってきてください」
「……はいはい♡ いますぐね~」
「はいはいっかい」
「は~い! ……っと、危ない危ない」
宣言通りに走り出そうとして、はっと気づいて急ブレーキ。振り向くと嫌な予感は的中で、冷蔵庫のドアが閉まりきっていなかった。あのきれい好きの完璧主義と何年生きても根の無精者ぶりはなかなか変わらず、これで何度も怒られたのだ。ちゃんと向き合って、今度は丁寧に閉めてやる。……まあ、両手は塞がっているから、やっぱり肘でだけど。
……と、目の前の銀色の取っ手が鏡になって、自分の顔が映り込んでいるのが見えた。
「うっわあ……」
相棒が待たせていることも一瞬忘れて、思わずまじまじと覗き込んでしまう。
……冷蔵庫が閉まっていないのに気付いてよかったかも。
だって、こんな締まりのない脂下がった顔、いくらべろべろとはいえ、恋人にはちょっと見せられないもの。
いやいや、でもさ、弁解させてよ? だって見ました? さっきのかわいい仕草! とんがった唇! 半分寝ていたのが起きたらモクマがいなくって呼びつけたのだろう、ちょっと声も不安げで……甘えてて……呂律も全然回ってなくて……、あ~、かわいい……、
「って、いかんいかん、いい加減戻らんと……、」
道草が過ぎてしまった。閉まった扉をあらためて確認して、今度こそ戻ろうとした、その時。
「⁉」背後から飛んできた殺気めいた気配に、モクマは弾かれたように振り返った。
……が、振り向きながら気づく。このセキュリティの完璧なセーフハウスに、そんな無粋な闖入者が、しかも家主二人が揃っている状況で、現れるはずがないということに。
と、なれば、その相手は消去法的に……。
「あ~……」
無精者ゆえ、キッチンの電気もつけていなかった。
ゆえに生まれる明度差、長い長いキッチンのランウェイの果て、吊り下げランプの強い光に目を細める。
スポットライトに照らされて、地を這うような声ふたたび。
「……おそい」
しだれ柳はちょっと見ないうちにスラリと背高のっぽの柳に化けて、仁王立ちで腕を組んでこちらを睨みつけていた。
……つまり、いい加減焦れたらしいチェズレイが、モクマを迎えにきたところだった。
それで渋面のままずんずんとこちらに歩いて……、本人は来ているつもりなのだろうが、その足はふらふらゆらゆら、生まれたての小鹿のごとくいかにもおぼつかない。
「あっ、ちょっと、歩かん方がいいって、今すぐ行くから、そこで待ってて――」
ひっくり返ってはことだ。慌ててモクマが駆け出すのと、
「いやです。もう、じゅうぶんに待っ、た、のでっ!」
……チェズレイが千鳥足のまま走り出して、どころかついた勢いそのまま、ふわふわのスリッパで大理石の床を蹴って、モクマの方に飛び掛かってきたのはほとんど同時だった。
「え、ちょ、うおおっ⁉」
……さすがに、飛んでくるとは予想してなかった。
まさに猫、というか、忍者じゃないんだから、というか、踏み台も何にもないはずなのに、その細長い身体のどこにそんなしなやかなバネが、という、結構な高さの跳躍だった。
「~~っ、ああ、もうっ! ほらっ、チェズレイッ!」
「……!」
コップを放る暇もなかった。ちょうどいい位置まで走ってばっと両手を広げて迎える姿勢を取ると、飛んでくる相棒の目がきらりと、そりゃもう嬉しそうに輝くのが見えて――、そのまま吸い込まれるように腕が首に回って、腰にがっしり脚も回される。その場でくるくる三回転して衝撃を殺して、それでもどこにもぶつからない幅の広すぎるキッチンに感謝しつつ、やたらロマンチックな仕上がりで着地は完了した。とりあえず水零さずに済んでよかった……、はあー、と安堵のため息をついてから、ハッと我に返る。
「って、あ、危ないでしょーが‼」
いつも危なっかしいところのある子だけれど、酔っているときは格段に判断力がにぶくなるんだから! とんでもないいたずらっ子に慌てて叱るけれど、
「……」
「……えーと、チェズレイさん?」
「……」
「おーい」
チェズレイは引っ付き虫のようにびったりくっついたまま無言を貫いている。まだ手は塞がっているのでその場でゆさゆさと身体を上下に揺すってみるけれど、密着したあっつい身体は微動だにしない。どうにも意志は固そうなので、テーブルまで歩いて、まずはコップを置く。「よっと」と声を出しながら、やっと自由になった腕で腰とお尻を支えて、
「ごめんね。帰ってくるの遅かったね」
「……まったくです」
素直に詫びれば、待っていましたとばかり、引っつき虫もようやっと手の力をゆるめてこっちを見てくれた。いつもより身長差はちぢんだといえど見下ろされる格好は相変わらずで、長い髪がひと房額に当たって落っこちる。腰をやさしく撫でるも離れる気はないらしく、代わりにすり、と頬にすり寄ってきた。……かわいい。
「……ん、ちょっと動くね」
とはいえずっとしがみついているのも辛かろう。抱っこのまま後ろ向きに進んで、まずは椅子に脚を開いて座る。それだけで勝手知ったる様子で座面の上で膝立ちになってくれたので、物分かりのいい相棒に感謝しながら掬い上げて横抱きにして膝に乗せ直した。すぐに片腕が首に回されて、こっちは背中を支えて、うん、これでいくらか楽なはずだ。
自由になった手でコップを持って顔に近づけると、ぱかりと口が開いて、あまり目立たない喉仏がおとなしく上下する。酔ったチェズレイに水を飲ませるのだけは徹底的に教え込んだから、差し出されると条件反射的に飲んでしまうのだ。
「……ぷは」
「おお、全部飲んで偉いねえ。ささ、もう一杯」
「とうぜんです……ン……」
「やあ、いい飲みっぷりだ。……で、話したいことってなに?」
みるみるコップの中の水量を減らして、空っぽになって、二杯目もおとなしく飲み干す頃にはすこしだけ曖昧だった焦点も像をむすんできた。コップを机に戻しつつ促すと、それを目で追いながら、チェズレイは憮然とした声で話し始めた。
「……今日、パーティに潜入したじゃないですか……」
「うん」
「……あなたに礼服を着せて……私のパートナーとして……」
「うん……」
そうして口をついたのはつい先程のことだった。捜査の為に、政界や財界のお偉方の集まるパーティに潜り込んだのだ。
あれ。内心首を傾げる。モクマの台所からの帰りが遅かったのが不機嫌の原因かと思っていたけれど、これは……?
「……まさか、なにか嫌なことあった?」
愚痴ならもちろん、聞くけれど。薄い背中を撫でていた手ににわかに力がこもる。だってそもそも、自分がついていながら『嫌なこと』を感じさせた時点で守り手失格じゃないか。
(でも、変な虫が付かないかは目を光らせてたし、計画通りに情報は取れたし、思い当たることはなにも……)
「ありました」
心を読んだように、続く言葉を先回りされた。液状化していた声と台詞がもう一段階かたちを取り戻して、とんがった間近の唇がいらいらと続ける。「むかつきます。あなたにも」
「え、なして……?」
「『変な虫が付かないかは目を光らせてたし、計画通りに情報は取れたし、思い当たることはなにも……』」
「げ」
一言一句あてられてしまった。今日はまじのやつだ。間抜けな声を出すとぎろりと睨まれる。
「……私が腹を立てているのは、無粋な男たちの、あなたへの評価だ」
「あ~……確かに……言われとったな。『あの美女の隣にいるのは誰だ? まったくそぐわない。あの貧相な顔を見ろよ、頬に影が落ちて、目も落ちくぼんで……』」
ついに明かされた真実は、確かに記憶にあるものだった。引っ張り出して諳んじると、「正解」と返した声はその言葉の響きに反して雨降りの空気のように重苦しかった。
見上げた空から落ちてくる、ご機嫌ななめのすみれの視線。あいた手が、そっとこちらに向かって伸びてくる。
もう家の中ではすっかり外すのが当たり前になった、いつ見てもびっくりするほど細くて白い、むき出しの長い人さし指。つねに几帳面にまるく整えられている丸い爪が、眼前でかぎ針のようにくるりと丸まって隠された。
「……くすぐったいよ」
折れた関節のつくる三角に、すりすりと頬骨の下のくぼみを撫でられて、こそばゆさに肩が震える。酒に酔った素肌はあたたかく、ケアはばっちりで潤って、かさついたモクマの肌の上を引っ掛かりなく往復していく。
「なにが、貧相ですか。何も知らない癖して……」
同じ動きをおさなごのように繰り返すチェズレイの目は真剣だった。真剣で、不満げ。
……そんな顔を、させたいわけじゃないのに。モクマの額にも伝染してしわが寄る。
そっと、いたずらな細い手首をつかむ。
「……ありがとね。でも、俺は気にしてないから」
本心だった。だけどそれはけして、自分を蔑ろにしているからでも、馬鹿にされることを受け入れているわけでもない。
そういうのはもう、やめようと決めたから。
星よりきれいなアメジストをまっすぐ見つめて、まじめな顔を作って口を開く。
「だって、俺はさ……」
「……なぜ、なぜなのですか……、
私の相棒のコケは、こんなに格好いいというのに……!」
「え」……が。
まじめな顔でまじめに言葉を重ねる前に、チェズレイの熱っぽい声が覆いかぶさってきた。
……え。そうつながる? 口を開けたままモクマは固まる。
あれ、今のって、相棒を嘲笑されたことに憤ってる……的な流れじゃなかった……⁉
予想外のジャブにかたまる相棒を置き去りにして、チェズレイはきっと柳眉を吊り上げて、手首を掴まれたままなのもお構いなしで、両方の手のひらでべちんとモクマの頬を包み込んだ。……酔っているせいで、ちょっと力が強めだった。
「どう見てもこれは『貧相』ではなく『渋さ』でしょう……この魅力がなぜ理解できないのか……?
確かに芸術は、その価値以上に見る者の目が磨かれている必要があります。本質を見抜くための目が……、それでも!」
「ふが」
ぎゅ、と、手の力が強まって今しがた格好いいと称したモクマの頬がいつも以上にへこんでいる……ことにはまったく気づかず、夢見るようにチェズレイは語る。
「真の輝きは凡夫の目すら射止めるもの。特に今日はあなたのぶ厚い身体に完璧に誂えたタキシード、髪もオールバックにしていたから顔のラインがむき出しで、天井からのシャンデリアの光が痩けた部分に影をつくって、アンニュイな魅力が全開で、最高の仕上がりだったというのに……、
……ほら、写真も撮りました」
「い、いつのまに……ありがと……」
やっと手が離れて、渡されたのはタブレットの画面……ではなくまさかのプリントアウトされた光沢紙だった。呆然と眺めると、絢爛豪華なパーティ会場の背景が単焦点レンズでとろけるようににじんで、シャンデリアのぼやけた六角形の光に囲まれた中心で俯き加減のおのれの横顔は、確かにアンニュイ……と言えなくもない……かもしれない。っていうか写真ものすごくうまいな……誰に撮らせたんだ……?
モクマの手の中の横長の紙片を覗き込んで、チェズレイはいとおしげに三角形の影を撫でながら、
「青いだけの粋がった若者には出せない、あなたのこれまでの生き様があってこその深み……、それなのになぜ……? 見る目がなさすぎる……」
心底理解できないとばかりの声音で締めくくられた長台詞に、モクマといえば……、
「……えへへ……」
……ああ、だめ。表情筋がチーズのようにとろけてしまう。冷蔵庫の時より、もっと脂下がった顔をしている自身がある。
……けれど、それは相棒の目にはいつもの『笑って誤魔化す』に見えたらしい。たちまち怒りの矛先はこちらを向いて、顔ににわかに暗雲が立ち込めて、「なんですか……?」と問う声はこちらも今日いち低い。
膝の上で横抱きにだっこされたかわいい姿勢のまま、チェズレイは怒った猫のようにぶわ、と髪を逆立てた。
「ご自分を卑下するのも、価値が低いものとしてぞんざいに扱うのも、不快だと申し上げましたよねェ……?
最近は随分とふてぶてしく生まれ変わったと評価していましたのに、お忘れのようでしたらまた荒療治で……」
「………は、ちがうよ」
「! ん、ぅ……っ!」
掴んだままだった手首を解放して、さっきとは違って壊れ物に触れるよう、優しく頬に手を添える。肉も脂肪も少ない輪郭は、しかし自分のように骨に触れるほどではなく、押せば指はやさしく埋まって、やっぱりすべすべしてあたたかい。
目を見て、顔を近づけて。
脈絡なく唇を奪われて、すぐそばの瞳がぎょっと見開かれた。驚きにうすく開いた合わせ目に舌を差し込んでやると、触れた背中がびくびくと震える。
「っ、ふ、ん、んん……っ」
熱い身体に反して、咥内はさきほど飲んだ水のお陰かまだひんやりと冷たかった。上あご、頬の裏、ぬめる粘膜……、熱を渡すように、あますところなく厚い舌で舐めとっていく。
「は、は……っ」
ずいぶんと長い間くちづけていた。ようやっと解放すると、チェズレイは酸欠なのか肩で息をして、だいぶ形を取り戻していたはずの目がまたとろけて、飲み込み切れなかった唾液がつつ……とあわく開かれた口もとを伝って落ちた。突然の狼藉に困惑した様子がかわいくて、指でぬぐってやりながら微笑みかける。
いや、だってね、あんなに褒められちゃあ……昂ってキスのひとつやふたつ、したくなっちゃうってものでしょう?
「お前さんにしちゃ、ずいぶんと外したな。……違うよ」
「ち、がう……?」息の隙間から問われる。頷く。
口を開く。何を話すか、考える必要はなかった。だって、ちょっと順序がくるってしまったけれど、これは先ほど語ろうとしていたことだから。
「……お前が、さ。俺の、生涯でたった一人の、何より大事な相棒が、俺を評価して、大好きでいてくれてるの、ちゃんと知ってるからさ。だから、他の声なんて、全然気にならないの。
前にも言ったろう? 俺はね、お前からの賛辞さえあればじゅうぶんなんだから」
さっきの、予想外のべた褒めも、そりゃあ嬉しかったけど。見た目について言及されたことは今まであんまりなかったし、そっかあ、お前さんにとって俺ってそんな風に見えてるんだあ、渋いだって、格好いいだって、嬉しいなあ……。
(……でも)
でもね、元から、ちゃんとわかっていたよ、チェズレイ。
かれがぎりぎりまで酔っているのを隠すのは、そうだとわかるとモクマに寝かしつけられてしまうから。少しでも長く、晩酌の時間を楽しみたいから。
酔った後に過剰に甘えてくるのは、もちろん『酒飲み本性を違わず』、彼の常日頃は抑圧している欲求の発露なのであろうが、最初に『そう』なった時にモクマがものすごく喜んでかわいいかわいいと褒めちぎったから、隠さずに出していてくれているのだということ。……時たま朝羞恥に悶えているけれど、それでもやめないでいてくれることだって。
ほかにも、いっぱい、いっぱい、すこし考えるだけで枚挙に暇がない。こんなに不器用に精いっぱい愛されて、モクマの愛情だって受け止めようとがんばってくれて、そんなの、どうしたって彼しか見えなくなっちゃうし、ほかの声なんか聞いている時間なんかなくなってしまう。
守り手として、目の届く範囲の命は欲張りに守るつもりだ。出会った人たちとの絆も、もう身勝手に振り解いたりしない。
それでも、モクマにとっていっとう大切なのはチェズレイなのだ。お前が愛し、評価してくれるなら、何を恥じる必要があるものか。あの脂下がった顔を見たって自分がこんなふうに笑えるようになった幸せを噛み締めちゃうくらいだし、この頬っぺたのコケちゃんだって、相棒にあんなにべた褒めしてもらったら、ずいぶんと可愛く見えてくるもので……、
「…………」
……と、いうのを、モクマなりに頑張って言語化したつもりだったんだけど。言葉を尽くしてなお、チェズレイはいまいち不服らしかった。相棒の認識どうこうより、他人に悪し様に言われたことが気に障るらしい。いやチェズレイの変装が完璧すぎて、絶世の美女の連れに嫉妬しただけだってば、と宥めても未だ唇はとがったままだ。やれやれ。
形も色もちがう指同士を絡ませあって、ぐにぐにと握りながら、ふっと眉をさげて笑う。
「……でもさあ、もしおじさんがモテモテになったら、それはそれで妬けちゃわない?」
「いいえ。私の素晴らしい相棒の魅力は皆に知って貰いたい」
「え~、ちょっとはジェラシー感じてくれても……」
艶っぽく言ったつもりなのに、返答はにべもなかった。肩を落として泣き真似をすると、「フ」と口の中で息のはじける音がして、常より赤みのつよい唇がおかしそうに弧を描いた。
「……あなたも、やっぱり案外ばかですねえ」
「ん、」
ぎゅっと、絡んだ指を握り返される。微笑みに反した強い力でそのまま引き寄せられて、頬のへこみに口づけられる。
ちゅ、ちゅ、と啄まれて、しまいにぺろりと舐められて、ぞくりと背中に興奮の電流がはしる。
さっき触れられたときも思ったけれど、脂肪も筋肉もすくないせいで、他の場所よりも、神経というか、身体のふかいところを直接触られているような感覚がある。は、とあつい吐息がこぼれるけれど、間近のかがやくアメジストのほうが、なお熱っぽくまたたいている。
「……『私しか見えていない』と、あなたが先ほどご自分でおっしゃったのではないですか。つまり、外部からどんな目を向けられようと、私への愛が揺らぐことはない。
で、あれば――、賛辞はあなたを飾り立てる花でしかない。そうでしょう?」
「……、はは、ちがいない……」
続いたのは、未だ酔いにゆらめきながら、それでも確かな芯を感じさせる、自信に満ちた通る声。かつてモクマを暴き、奮い立たせ、あたらしい命を与えたひびき。柳のように細い身体は、けれどあのしなやかな枝と同じでとても強い。
今日も心が鷲掴みにされて、身体の中にも触れられるような錯覚があって。たまらなくなって、手だけじゃ足りなくて、ぎゅうっと身体ごと抱きしめる。ためらいなく抱き返される。身体と身体をすきまなく、ぴったりとくっつけ合う。
……ああ、うれしい。その信頼が。
たった一人で立たねばならず、誰にも頼れず、頼らず、胸のうちに思い出を抱え、前だけ見て歩き続けてきた子どもが。
今はこうやって、心と身体をすっかり預けて、ひらいて、おれの愛を受け止めてくれていることが、幸せでならない。
「……でも、やっぱりおじさんは気が気じゃないけど……」
「――おや、ではそっちを掘り下げないと」
ひらかれたら、こちらもついひらいてしまって。抱き合ったまま情けない本心を零してしまうと、聞こえる声が途端に元気を増した。ぽんぽんと背中をたたかれて力を緩めると、ふたたびモクマの顔の輪郭をなぞるように手が添えられる。
見つめられる。ベッドに転がしでもしない限り、やっぱり見下ろされる角度のままで。
「……間接照明の光でも、影がよくできますねェ。頬の上までは明るいのに、この逆三角形はまるで底なし沼のよう……、まるで、なかなか見えぬあなたの腹の内のようだ」
「はは……流石にもう、全部出し切ったと思うけども……?」
「どうだか……影は太陽の角度でいくらでも伸び縮みします。どころか、月明りでも、シャンデリアでも、形はさまざまに変わって……、……私は、そのすべてを暴ききりたい……」
つつ、と親指が頬骨のラインをなぞる。熱い感触が皮膚を焼く。感覚は鋭敏だし、低い声の中にも相棒の興奮が透けて見えて、こちらもどうしたって、腹の奥に火が点いてしまう。
やっぱりいつまで経っても、チェズレイはモクマを暴くのが大好物のようだ。
「さて、今日は、ここに隠されたあなたの嫉妬心、あるいは独占欲……思う存分、剥き出しにしていただきましょうか?」
「もうっ、欲張りさんなんだから……っ、……よっと」
「!」
かわいこぶった声はフェイント。そのまま細い身体を抱き上げて、寝室まで歩いて、ベッドに寝かせて圧し掛かる。
「いいけどもさあ、――後悔しなさんなよ?」
さあ、ようやっと見下ろす体勢だ。白い清潔なシーツの上に、木の隙間から漏れるひかりのような金緑の髪が広がる。向こうから見える自分の顔は蛍光灯を背負って逆光で、きっとすべてが影になってしまっているだろう。
だけど、それでも……、
「ええ、私にしか見せない下衆の本性……、余すところなく曝け出してくださいねェ……」
べろり、と紅い舌が唇を舐める。
その影にこそ惹かれ、暴きたくなるのが愛しい相棒なのだ。
だったら……全力で応じねば、律義者に失礼だろう?
なんて下衆らしい言い訳を内心でしながら、モクマはこぼれた舌ごと唇をうばった。
(おしまい)