フレンチトーストとちいさな誕生会ピーンポーン
部屋に響くのは、どこか間の抜けたチャイムの音。それが鳴り終わるより先に、玄関の扉が勢いよく開いた。
「リカオちんやっほウェーイ! 遊びに来たよ〜♪ …ってあれぇ? ヤスちんじゃん! やっほウェーーイ!」
「うぜぇ、つかうるせえ。近所迷惑だろ」
「ジャロップ…。来るなら事前に連絡を寄越せといつも言っているだろう…です。不在だったらどうする気だったんだ……です。」
「お茶でもどうかな〜って誘いにきたんだけどー、オジャマなら帰るよ? オレィってば気遣い出来ちゃうタイプだから♪」
「別に邪魔とかじゃねえよ。なぁリカオ?」
「あぁ。とりあえず上がってくれ…です。」
こちらを見上げるヤスに頷き返し、ジャロップを招き入れる。
彼は、え〜!マジマジのマジで良いの?なんて大袈裟に驚きながらも、素直にブーツを脱いだ。
「じゃあ早速おじゃましまウェーイ♪…オレィは今日ちょ〜っと早上がりだったんだけど、リカオちん達はふたりで何やってたトコ?」
「勉強、見てもらってた。…中間、もうすぐでさ」
「そっかぁ! ヤスちん、頑張ってるんだねぇ」
「中々に手強いがな。丁度区切りがついて休憩にしようとしていた所だ…です。あまり根を詰めすぎても良くない…です。」
「それリカオちんが言うの?」
「……ぅ、うるさいな…です。」
苦し紛れにそう返せば、ジャロップが愉快そうに笑った。助けを求めて横を見遣れば、ヤスは呆れたように眉尻を下げている。…とりあえず、ここに俺の味方は居ないらしい。
「ところで。どうして、俺の所に来たんだ? …です。相手ならクースカやウララギでも良かっただろう?…です。」
「ウェウェ〜イ? そんなのマブダチだからに決まってるじゃーん!」
「だから、マブダチではない…。」
いつもの発言にはいつもの返し。そのまま言葉を続けようとしたところでジャロップが、でもさ〜と再び口を開く。
「クースカちんには断られちったし、ウララギちんも夜しか空いてないんだって。まじサゲシュンのすけ〜」
「誰だよ」
「ただの消去法じゃないか…です。」
「でもリカオちんたちが居たからアゲみざわテンアゲまる! オレィってほんとタンジュン」
「……なあ。コント中悪いけどあんた、リカオを誘いに来たんだよな?」
「うん? そうだよ?」
コントではないんだがと呟いた俺の言葉は、そのまま虚空を漂って消えた。
「なら…俺が居てもいいならだけど、ちょうど良いから食ってけよ」
「ウェ?」
「あぁでも。家主のあんたが決めてくれ」
「俺も構わないが…大丈夫か? お前の負担になるようであれば、」
「ホントに!? ヤスちんが!?!」
叫ぶジャロップをうるさいぞと一蹴する。慌てたように両手で口を抑えた彼の瞳は、それはもうキラキラと輝いていた。…まあ、気持ちは分からなくもない。
「……んだよ、なんか文句あんのかよ」
「いやナイナイ! 全然ナナナナ〜イ! でもへ〜、ヤスちん料理とかできるんだ」
「まあ…軽く作るくらいは、な。母ちゃんみたいにはいかねえけど」
「あ、そっか。おうちの手伝いとかしてる系だっけ? ワカル〜、メッチャえらいよね〜」
「うっせ、こんくらい普通だろ。……褒めたって何も出ねえよ」
ヤスはジャロップを遇らうように、しっし、と手を振りながらこちらへ振り返る。そして彼は黎明色の瞳で俺を捉えたまま、僅かに首を傾げた。
「リカオ、冷蔵庫開けていいか? 持ってきたやつ出してぇんだけど。あとキッチンも適当に使うぞ」
「あぁ、自由にしてもらって構わない…です。」
「おう。……あんたらは座って待ってろよ。焼くだけだし見ててもつまんねえぞ」
「えぇ〜待ってるだけの方がツマンナイじゃん! オレィにも何か手伝えることないの? てか何作るの?」
「フレンチトースト」
「ジャプ! 期待高まっちゃう〜」
「家で仕込んできたし、手伝いもまだ要らねえ」
「そっか。ならオッケーちん♪ じゃあオレィここで見てても良い? あ、ジャマならどくから言ってね」
「…つまんなくても良いなら勝手にしてくれ」
ジャロップに押し負けたヤスを横目に、フライパンをコンロの上へ乗せておく。それからケトルにたっぷり水を張って、スイッチをON。
「ふたりともコーヒーでいいか?…です。」
「おう、ありがとう」
「オレィもおっけー! ありがとうリカオちん」
ヤスが溶かすバターの香りに包まれながら戸棚を開ける。マグカップを3つと、いつものインスタントコーヒー…の隣、戴き物のドリップコーヒーを出す。曰く、人気店が監修した限定品で、すこぶる評判が良かったらしい。封を切るやいなや、解き放たれた香りが華やかに広がっていく。
「わぉ、いい匂い〜。リカオちんがいつも飲んでるやつじゃないよね?」
「折角の機会だからな。香りが良くて人気の品らしいんだが…正直想像以上だな…です。」
「へえ…開けただけでコレか、すげえな…。あ。そのカップ、ジャロップのだったんだな」
「うん、キャワイイっしょ? オキニなんだよね〜」
「コイツは知らない間に勝手に物を置いていくから困る…です。」
沸くのを待つ間に、喋りながら皿とカトラリーも準備しておく。ドリッパーをセットしたマグを並べて、それぞれに少しずつ湯を注いで少しの間蒸らす。
ホコホコと湯気を立てるカップから視線を上げれば、ヤスがトーストをひっくり返すところだった。ぺとん、という音ともにジャロップの歓声が上がった。ヤスの横顔もそこはかとなく嬉しそうなので、どうやらうまく焼けているらしい。ならばこちらもうまく淹れてやらなければと、俺は小さく気合を入れ直した。
「でもさ、これ元々ふたりで食べるヤツだったんだよね? ホントにオレィも食べてイイの?」
「一応多めには作ってきたから…まあ平気だろ」
ふたりのの会話をBGMにして、マグカップへ順番に湯を足していく。ゆっくりと丁寧にコーヒーを落として、量は………もうそろそろだろうか?
「なあ。とりあえず半分は焼けたぞ。リカオ、そっちはどうだ?」
「今淹れ終わったところだ…です。ジャロップ、ミルクと砂糖を出しておいてくれ。」
「ウェイ! 任せて♪
「残りは今焼いてるからな」
「あ〜〜っ!!」
「なんだ!?」
「急にどうしたんだ…です。」
「ねぇねぇ見て、ローソクあったよ!」
「おい、関係ないところを漁るな!…です。」
棚の奥から発掘したらしいロウソクを掲げながら、ジャロップが声を上げる。うっかり断り損ねて貰ってしまったけれど、特に使う予定もなく棚の奥でひっそりと眠っていた…もとい、眠らせていたものだ。
「ね、セッカクだからコレ使っちゃお〜よ!」
「あ〜…ミディスタ映え…ってやつか。…え、つーかそれに刺す気なのか? 刺さんのか?」
「ダイジョブだって、イケるっしょ! とりまやってみてから考えよ!」
鼻歌混じりのジャロップの提案に、ヤスが興味を示した。それで楽しいならまあいいかと割り切って、火種を探す。たしか、いつぞやの小道具が残っているはずだ。
「ねえ! 見てヤスちん、ちゃんと立ったよ!」
「本当だ。なんか、映え?っていうよか、めでたい感じになったな」
小さな掛け声と、一拍遅れてフレンチトーストがひっくり返る音がした。
「おめでたくってダイジョブジョブ! リカオちん今日誕生日だし♪ 」
「えっ!?」
「ありゃ?……リカオちん! 今日って何月何日!?!」
なぜかフリーズしたヤスを見て、慌てたようにジャロップがこちらを向いた。本当は確認するまでもないのだが、一応カレンダーを確かめる。
「10月4日だ…です。」
「だよね?! オレィ間違ってないよね?」
「あぁ。」
…なるほど。ヤスが何に驚いているのか、今やっと理解が追いついた。
俺は見つけたマッチ箱を掴んでヤスのもとへ引き返す。
「そういえばお前には言っていなかった……です。…今日は、俺の誕生日だ…です。」
「は!? なん…なんで、そんな大事な…、」
「えぇ〜〜!! リカオちん言ってなかったの?! …ってわ、わわわ! ヤスちんダイジョウブ?」
「ヤ、ヤス……? どうしたんだ?…です。」
ヤスは俯いたまま、わなわなと拳を震わせている。ジャロップとふたりして覗き込もうとしたら、ちょうどヤスが勢いよく顔を上げた。
「そんな大事な日に…なんで俺なんかの勉強見てんだよ…!」
「す、すまない?…です。」
「ていうか怒るトコそこ?!」
「別に怒ったりしてねえよ。あと、おめでとう。…いや、でもさぁ……、言えよな。誕生日だって知ってたら、なんか…もうちょっとなんかあっただろ」
呆れたように眉尻を下げて、ヤスが笑う。それに乗っかって、そうだそうだとジャロップが野次を飛ばしてくる。
「気持ちと、おめでとうだけで充分だ。ありがとう…です。」
「…そうかよ。………ほら、残りも焼けたぞ! ジャロップ、こっちにもろうそくブッ刺してやってくれ」
「ウェウェイのウェイでガッテンショー! とびっきりキャワイくしチャオチャオ♪」
「リカオ、マッチ貸してくれ」
「あぁ。」
ご機嫌なジャロップが焼きたてのフレンチトーストにザクザクとロウソクを突き立てて、ヤスがマッチを擦る。かしゅ、と軽い音がして、ほのかな火薬の匂いを漂わせながらマッチが燃える。ジャロップのスマホから響く大量のシャッター音をBGMに、次々と火が灯っていく。
溶けるから巻きで、なんて言いながら、ふたりが高速の…具体的に言うならBPM220くらいのバースデーソングを歌ってくれる。早送りのようで非常に面白かったが、折角言葉通り巻いてくれたのを無駄にするわけにはいかない。せめて大笑いにならないよう堪えて、震える息でどうにか全て吹き消す。
「「ハッピーバースデー、リカオ(ちん)」」
「ふ、ふふ…く…っ、すまない、少し…はは、待ってくれ…です…。」
「ツボってるな」
「ツボってるね」
「くく、……っ…ふぅ。…ふたりとも、祝ってくれてありがとう…です。」
「ろうそく、片付けるぞ」
3人でロウソクを抜き取って、マッチの燃え殻と一緒に水を張ったグラスに突っ込む。
「蝋、垂れてねえな。良かった…」
「ね、写真イイ感じに盛れたからヤスちんにも後で送っていい?」
「 おう、一応、もらっとく。ありがとう。…あっ、そうだ! ハチミツ持ってきてんだ。ハッチンがオススメだって押し付けてきたやつ。リカオは使うだろ?」
「良いのか?…です。」
「オレィもかけたい!」
「ほら、好きなだけ使えよ。俺は少しあればそれでいいし、ウチにもあるから残った分はリカオにやる」
「ありがとう…です!」
穴だらけになったフレンチトーストに、俺はたっぷり、ジャロップは普通に、ヤスはほんの少しだけハチミツをかけて、誰からともなく顔を見合わせる。
「「「いただきます!」」」
ヤス特製のとろけるフレンチトーストはまさしく絶品だった。とっておきのコーヒーも無事うまく淹れられていたようで胸を撫で下ろす。
良い誕生日が更に良い一日へと昇華したのを感じながら、ジャロップのお喋りにヤスとふたりで相槌を打つ。嵐のような来訪から始まった休憩時間は、3人の『おいしい』の共有を楽しむ平凡な、それでいてとびきり有意義で幸せな時間になった。
……これは余談だが。
ジャロップが帰ったあと、残っていたヤスの課題は大いに捗り、無事予定時刻までに片付けることが出来たのだった。