厄災を討ち、ゼルダ様を無事救いだし、勇者としての務めを終えて、ようやく真の平和が戻ったハイラルで。
お付きの騎士としての任も解かれ、もう主従の関係ではなくなったゼルダ様と一緒に暮らす事になり。色々紆余曲折もあってついにはお付き合いできる事になったこのハテノの村で。
その時の勢いで、ではなくて。ちゃんとした手順を踏んでゼルダ様に告白をして、許しをいただいて。
一緒にハテノ村を歩く時や、何となくいい雰囲気になった時とかに、手も握るようになって。
もう付き合いはじめてだいぶ経つし口付けしても許されるはず…と機会をうかがい始めて一年余りが経った頃。
いつものように、ゼルダはプルアの研究所にいた。
「はぁ?ちょっとよく聞こえなかったんだけど、もう1回言ってもらえる?姫様」
「ですからっ、お付き合いを始めてもう一年ほど経つのに、リンクが全然手を出してきてくれないんです!」
「……………」
落ちる沈黙。
いや、待てプルア。
手を出す、と言っても範疇は人それぞれなのだから。
とにかく、2人は今現在一体どこまで進んでいるのか。まずそれを確認すべきだ。
「とりあえず…姫様と勇者くんはどこまで進んでるわけ?」
「え…進んでるとは、どういう事でしょうか?」
「だーかーら!2人きりの時はどんな感じなの?とか、いい雰囲気になったらなにするの?とか、そーゆーことよ!」
まったく姫様からの返答がこれならば、先々不安しか思い浮かばない…とプルアが考えた時。思い描いていた不安とはそう変わらない返答が、姫様からあった。
「えっと…リンクが研究所にお迎えに来てくれる帰りは、手を繋いで帰りますよ?あと2人っきりになった時とか、リンクから手を握ってくれたりします」
なるほど、理解した。
村の小さな男の子が、お気に入りの女の子に野の花を渡し、手を繋いで村の中を楽しそうに走り回る情景が、何となく思い浮かんだ。
つまりは、それと同じくらい清い関係なのだ。このお2人は。
ちょっとおませな男の子が、勢い余って女の子のほっぺにチューするとか。そーゆー事すらも、ないのだ。
だが今話題にのぼっているのは、100歳をちょっと過ぎたれっきとした大人同士の話。
自分も含め、この2人が100年前から存在している人間だなんて、村の人々は誰も知らない。
しかし、それでも。年頃の男女が、同じ屋根の下で暮らしていれば。ある程度は進んだ関係なのだと思うのは、自然な事だ。
(昔からくそ真面目で、女には興味がない…いや、姫様以外は眼中にない、って男だとは知ってたけど…)
よもや、ここまでとは。
まさか、キスをしたら子供ができる、などと思っているわけではないだろうに。
やはり、私には魅力がないのでしょうか……などと、プルアの出したお茶(正確にはシモンが淹れたお茶)のカップを手でもてあそびながら、そんな的外れな事を呟く姫様を。不敬で失礼な事だとは思ったが、憐れみのこもった目で眺めた。
付き合い始めて1年が経って、彼氏が何の手出しもしてこなければ、まぁ普通そう思う。姫様でなくても、思う。
まさか、そーゆー事は結婚した夫婦ではないと、してはいけないと思ってるとか??
いや、思ってそうだな……
(もー早く、結婚でもなんでもしちゃえばいいのに!)
しかし、それこそだ。あの勇者くんが姫様と結婚をする決心が固まるのを待っていたら、姫様は本当におばあちゃんになってしまうかもしれない。
ここは、私が人肌脱ぐしかないだろう。
「姫様、分かったわ…あたしが、何とかしようじゃないの」
「本当ですか!?」
すっかりと落ち込んで、ショボくれてしまっていた姫様が、パッと瞳を輝かせてこちらを見上げるのに。
プルアは、力強く頷いた。
お昼時が過ぎてから、日が暮れるまでの間のうららかな昼下がり。
村の畑仕事の手伝いから帰ってきたリンクは、鍛練のため心を落ち着かせていた。
鍛練と言っても、外で剣を振って戦いの感覚を研ぎ澄ませる、というようなものではない。
それは、毎朝コッコが鳴く前から欠かさず行っている事なので、十分事足りていた。
では、何の鍛練なのかと言うと。
それは、自宅の、2階のベッドの片隅で。
枕を相手に、行うものだった。
ゼルダと無事お付き合いを始めるようになってから、1年余り。そろそろ口付けの1つでも交わしても、いいのではないかと、日々思いを募らせている。
しかし、2人きりで、いい雰囲気になると…手を握る事はできるのだが。
そこから先が、なかなか進まない。
まずまず、ゼルダの顔を正面からまともに見つめる事が、できないのだ。
ゼルダが可愛すぎるのがいけないのだと、自分では思うのだが。極度に照れて、どうにも恥ずかしくなってしまう。
しかしこのままでは。一生ゼルダに触れる事など叶わないのではないかと、そう危機感を抱き。
リンクは、枕を相手に日々キスの練習をする事にしたのだった。
ベッドの上で行儀よく正座し、枕を自分の顔の正面に持ち上げ。息を整える。
この光景を見る者がいれば、真っ昼間から何を頭がおかしい事をやっているのだ…と思うかもしれないが。
リンクはいたって真面目だったし。なにせゼルダとのキスを実現するための練習なのだ。当然ゼルダのいない時にしかできないものなのだから、そこは仕方がない。
リンクも村の人の手伝いとかで出掛ける事はよくあるが、大抵は研究所に出掛けたゼルダの方が帰りは遅い。
家で夕食などの支度をして、それからゼルダを研究所まで迎えに行くまでの間の、この時間こそが。
リンクの、新しい鍛練のための時間だった。
そっと両手で抱え、顔を近付けた練習用の枕からは、太陽のいい香りがした。
本当のゼルダはきっと、もっといい香りがするのだろうから。本当は、ゼルダの使っている枕とかを使って練習した方が効果的なのかもしれないが。
しかしやはりそれは何となく憚られたし。それにもし途中でゼルダが帰ってきてしまったりしたら、それこそ言い逃れができないから。
なので今日もリンクは、自分の枕を相手に、キスの練習を繰り返す。
いつか、そっとあの花のような唇に、口付けを落とす事ができる日を夢見て…
どれだけ時間が経ったのだろう。
今日はとてもいい天気だったから、家の中でも太陽の日差しは暖かく差し込んできていて、いつの間にかうとうととしていた。
それに…なんだか、いい香りがする。
野原に咲く花が、春風に運ばれて香る。
濃厚に立ち込めるようではなく、ふとした時に鼻腔をくすぐるだけの。だけど、とても印象に残る香り。
(そうだ、練習…してた……)
ぼんやりとした意識の中で、香りに向かって手を伸ばす。
この香りを、知っている。
だって自分は、本当はこの香りこそに慣れなければいけないのだから。
この香りが近くにいるだけで、ドキドキしてしまう。
でも慣れなきゃ、いけない。でないと、触れられない。
……何に?ゼルダの香り、に
はっとして、一気に目が覚める。
一瞬にして覚醒した脳が、疑問を提示した。
なぜここに、ゼルダの香りがあるのか。
そう考えたと同時に、瞳いっぱいに映る、ゼルダその人の姿。
その距離は、近すぎた。あまりにも。
(え…俺、キス……した?)
確か、眠ってしまう前はキスの練習をしていた。
だから、枕と間違えて?
いつの間にか寝入ってしまっていたのに、夢と現実が分からなくなって、練習の続きだと思って…?
…分からない。
こちらを至近距離でじっと見つめてくる姫様は、目をパチパチと何度か瞬くだけで。そこからは、今何が起こったのかを伺い知る事はできない。
だが……いや…それより、も。
(その格好……なんなんですか?)
自分の目に映った姫様の格好が、あまりにもあんまりだったから。
これはやっぱりまだ、夢の中なのではないかと思って。
でも、自分を包み込んでくる香りが、あまりにも現実味を帯びすぎて。
頭が混乱する。
「リンク…?」
次の瞬間に耳に届いた声に、はっきりと自覚する。
これは、現実なのだと。
すなわち、目の前にいる姫様のお姿も、見まごう事なき現実というわけで。
慌てて、視線を逸らした。
逸らした瞬間に、何だか姫様が傷付いたような悲しい表情をした気もしたが、今はそれどころじゃない。
「なに…なにを、してらっしゃるの…ですか」
「えっと…家に帰ってきたら、リンクが眠っていたので…」
「そうではありません!!」
思わず語気が強くなる。
視界の端で、姫様がビクッと肩を揺らした気がするが、そちらを直視する事はできない。
なぜならば。
「なん、で…そんな格好なんですか…?」
なぜならば、今目の前にいる姫様の格好は。ほとんど下着だと言ってもいい。
しかも極端に面積の狭いそれを、隠すように肩から上掛けようなものが羽織られているのだが。
それが、全て、丸見えなのだ。
なんなの。それ、何のために身に付けているの?と突っ込みたくなるような。隠す気などさらさらないその透け透けの上着が。
完全には全貌を見せずに、絶妙なバランスで下の肌着をチラ見させてきて。余計に危うさを増している。
「あ…これ、は……プルアがくれたもので…」
プルア……。
その名に、絶望すら覚える。
なに、あの人…俺を、殺す気なの。
それよりもそんな格好で、モジモジと顔を赤らめて喋るのはお止めください。
体中の水分が、沸騰して蒸発してしまいます。
そんな、このハイラルのどんな恐ろしい試練の極位を持ってきても、こうはならない、という状況なのに。
そのお姿を視界に入れないように必死に努力しているというのに。このお方ときたら…
「リンク……こっちを向いては、くれないのですか…?」
などと、言う。
向けるわけが、ない。
だから懸命に首を振って、ありのままの気持ちをお答えする。
「………致しかねます」
すると姫様は、明らかにがっかりとした様子で。そしてやはりまた、悲しみに暮れたようなお顔をされて。
瞳を伏せて、こう答えられた。
「やはり……私には、魅力がないのですね…ごめんなさいリンクこんな事をして…貴方を困らせてしまいました」
自分の中の血という血が、凍りついたように感じる。
何を…なにを、言っているのだろうか、この方は。
魅力がないなんて…あるはずがない。
寧ろありすぎて、困っているのだ。
可憐で、無垢で、真っ白な貴女を。
どす黒く、醜くて、自分勝手な欲望で、汚したくないだけなのに。
どうして貴女は、分かってくれないのだろう。
勇気を出したのに恋人に拒絶されたと思って、落ち込んで。恐らくもうゼルダの中では用済みとなったそのセクシーな下着を体から剥ぎ取るために、立ち去ろうとしたその手首を、掴んだ。
きっと、今までに掴んだ事がないほどに、強く。
「リンク……?」
ちょっと涙の浮かんだ顔をよく見るために、掴んだ手首をこちら側に引いて。
真正面から彼女を見据えて、はっきりと宣言した。
「貴女は何も…分かっていない」