秋の匂いをのせた夜風はひんやりとしていて、頬や指先から少しずつ温度を奪っていく。これからどんどん寒くなっていって、あっという間に冬が来るのだと魏無羨は雲深不知処の塀の上に座りながらぼんやりと思った。その瞳の先には秋の夜空が広がっている。そして、かじかんだ指先で星々を指しながら隣に座る藍忘機の肩に頭を預けた。藍忘機は自然と魏無羨の腰に手を回しその体を抱き寄せる。
「ほら、見ろよ藍湛。今日は特に星が綺麗だ。空気がいつもより澄んでるからかな?」
「うん」
「冬になったらこれよりもっと綺麗な星が見れるぞ。そしたらまた一緒にこうして見ような?」
「うん。でも風邪を引くといけない。ちゃんと着込まないと君を外に出すことはできない」
「ははっ、わかったよ。そのときはもちろん藍二哥哥が着せてくれるんだろ?」
「……うん」
間を置いてから頷き返す藍忘機を見て魏無羨はにんまりと笑う。星々に向けていた指先を藍忘機の頬へと変えると、見た目よりもずっと柔らかなそこをふにふにとつついた。
「藍湛照れてる? 含光君は一体なにを想像したんだ? まさか俺の裸かな? 毎日見てるっていうのにまだ想像しただけで赤くなっちゃうのか? 俺の藍湛は可愛いなぁ!」
「魏嬰、からかわないで」
「はぁい。天下の含光君は怒らせたら後が怖いからな。もう静かにしてるよ」
そう言って魏無羨は頬をつつく指を引っ込め再び夜空へ目を向けた。暫くそうして静かに星を眺めていた二人だが、やがて藍忘機がゆっくりと口を開いた。
「あの日も、星が美しかった」
「ん? あの日って?」
「君がここを抜け出して天子笑を持ち込んだ日」
「ああ、あのときの。まさか藍湛に見つかると思わなかったからヒヤッとしたよ。うんうん、色々思い出してきた」
十数年も前のこと。まだお互いに少年だった頃の話。魏無羨も忘れていたわけではないが、昔のことに加え一度死んでいるとなると記憶も薄ぼんやりしている部分がある。それが今、魂の奥底から湧き上がりあの日のこともはっきりとしてきた。
「君は私に友達になろうと言った」
「うん」
「でも、あの頃の私は君が理解できなかった。できていなかった。だから、くだらない等と言ってしまった」
「うん」
「後になってから君がどれだけ大事な存在になるかも知らずに、君を避け続けた。愚かだったのは私の方だというのに」
「藍湛」
魏無羨は藍忘機の手に自分のを重ねる。藍忘機はいつの間にか膝の上に握りこぶしを作っていた。力んだ手から力を抜くように魏無羨は何度も彼の手を擦る。そして真剣な眼差しで藍忘機の瞳を見つめた。
「お前は愚かなんかじゃない。もしお前を愚かだと笑う奴がいたら俺がぶん殴ってやるよ。いいか、もう一度言うぞ。藍湛、お前は決して愚かなんかじゃない」
「魏嬰……」
「いいんだ。あの頃は俺もお前もまだガキだったんだから。それに今はもう違うだろ? 藍湛はこんなにも俺のことを理解してる。俺もお前のことがわからないときがあったよ。でも今はこの世で一番理解してるって自信がある」
だからもうそんな顔するなよ、と魏無羨は幼子を宥めるように優しい声で藍忘機に言うと彼はまた頷き返した。気付けば藍忘機の手からは余計な力が抜けており、すかさず魏無羨は指を絡める。
「藍湛。あの日も星が綺麗だったんだろ? あの夜はどんな風に感じた?」
「……まるで、世界に君と二人だけのようだった」
「うん」
「私たちを見ているのは星と月だけだった」
「うん」
「でも、今夜の方がずっと、美しい」
「それはどうして?」
魏無羨が問い掛ける。月明かりに照らされた藍忘機の顔がゆっくりと向けられ、月と同じ色をした瞳が魏無羨の顔を映し出す。
「君が、すぐ隣にいるから」
その微笑みはあの日にはなかったもの。寄り添う体も、交わされる言葉も、長い年月と奇跡を経て存在している。ただ変わらないのは静かに音もなく瞬き続ける星と浮かぶ月だけ。
堪らなくなった魏無羨は力いっぱい藍忘機の体に抱き着く。その幸せを噛み締めるように藍忘機は彼の背中に手を回し抱き返した。
重なり合う二つの影はしばらく離れることはなかった。