君に夢を 夜の帳も下りた頃、魔法舎の自室で一人ミスラは空を眺める。そこから見えるのは忌々しい傷をつけた厄災。今日も今日とて、望まぬ長い夜を過ごさなくてはいけない元凶を一つ睨みつけるも、当たり前だが何の効力にもなりはしない。いっそ得意の空間魔法を繋いで直接壊してやろうかとも考えるが、魂が砕けるのは望むことではなかったので考えるだけに留める。その他にもオズへの襲撃も考えるが、身体のダルさを考えるとそれすらも気分が乗らない。連日の寝不足で働かない頭で考える事はどうも纏まりがなかった。何度体勢を変えても、抱き枕を抱え直しても一向に訪れる気配のない意識の消失にそろそろ我慢の限界だった。オーエン辺りにちょっかいをかけに行こうか、と考え始めたあたりで、聞き逃しそうな程小さな音が部屋に響く。部屋へと身体の向きを変えるも音の発生源となるものはなく、気のせいかと瞼を閉じかけたあたりで、また一つコン、と音が鳴る。今度ははっきりと聞こえたそれは、ドアの向こう側から響いたものだった。少し考えて、まあどうせ眠れやしないし、と酷く緩慢な動きでドアへと足を進めた。
「どなたですか?」
そこにいたのはルチルだった。部屋着を纏った彼は普段よりも幾分幼く見える。
「あ、良かった。ミスラさん起きていましたか」
「は?嫌味ですか?」
「あ、違うんです!相談したいことがあって、今お時間いいですか?」
そう言いながらも此方が断らない事を確信しているかの様な目は、どこかの大魔女にそっくりだった。
「はあ、まあどうせやることもありませんし。いいですよ」
「ありがとうございます!」
意地の悪い返答も思い浮かびはしたが、どうせ眠れないのならば少しの気休めにはなるだろうと、扉を開く。返ってきた返事と笑顔は、まるで花が咲くようだった。
◇
「それで相談とはなんですか?まあ聞くくらいだったらできるでしょう」
「これなんですけど」
ルチルが差し出したのは一つの瓶だった。両手の平で持って丁度すっぽり収まるくらいの、小さな瓶。瓶自体は食堂に並ぶ調味料瓶でありなんの変哲もないが、その中には何かがキラキラと光りを反射していた。
「シュガー?これがどうしたんですか」
「それが…」
ルチルの話はこうだ。最近よく夢を見る。いい夢か悪い夢だったかくらいはわかるが、その内容はよく覚えていない。しかし夢を見た日には必ず枕元にシュガーが転がっているのだそうだ。最初は気にしていなかったが、毎夜の事となると流石に不思議に感じて瓶に保管したのだという。食事に使うにも原因が不明の物を使うのは気が引け、それならば一旦他者に相談をしてみようとなったらしい。そこでミスラに相談するのがまたルチルの性格の強さを感じたが、余計な事は言わないでおく。
「一見普通のシュガーですけど」
「そうなんですよ…って、ミスラさん!?」
ルチルから受けとった一つのシュガーをつまんで、ひょいと口に放り込む。舌先で数度転がすとじんわりと口全体に優しい甘さが広がる。その甘さが酷く心地良かった。
「味は悪くないですね」
「得体のしれない物を突然食べないでください!」
「害はなさそうだったので…あれ?」
「ミスラさん!?」
ルチルの声が遠くに聞こえる、と思った矢先。先ほどまで何をしても眠ることのできなかったミスラの意識は、ふっと突然に暗転した。
◇
足を柔らかい草花が撫でる。空から注ぐ太陽は馬鹿みたいに暖かくて、そよぐ風が髪を撫でる。お日様と草花の匂い。北の極寒の地で生きたミスラにとって、知らないけれど、もう知ってしまった匂い。
(南の国?)
状況がつかめないミスラの横を、小さな影が過ぎ去る。風のように過ぎ去ったそれは、少し先の大きな影に飛びつくと、きゃらきゃらと笑い声をあげる。その光景を、ミスラは知っていた。
影が顔を上げて、そうして微笑んで。
ミスラがその名を紡ごうと口を開いたと同時に世界は暗転した。
◇
「いや、重いんですけど」
目を開けてミスラが放った第一声は、まず自身へかかる重みからだった。それに元凶であるルチルが勢いよく顔を上げ、ぐしゃぐしゃの顔のままミスラへ飛びつく。
「ミスラさん良かった!」
「いや、うるさいんですけど」
耳元でなる音に頭を押さえるが、その頭の重みが先ほどまでよりも軽減している事に気づく。それに首を傾げているミスラに笑うのは、ルチルの後ろにいたフィガロだ。
「おまえねえ。よく分からないものを口にするなって、お師匠様に教わらなかった?」
「教わらなかったですね」
「ごめんごめん。そうだったね」
呆れたような男の顔にいらつきもあるが、それよりもいまは自身の身体への変化が気になった。頭の重みや体の重みが先ほどよりも明らかに消失している。まるで賢者の添い寝が成功した日のような心地に頭は疑問符でいっぱいだ。
「夢を見てました、たぶんルチルの過去の」
「そのシュガーはたぶんルチルの夢が具現化したものじゃないかな。魔力が込められているから、多少は入眠への効果があったのかもね」
「なんで突然」
「さあね?俺も初めて聞くし」
肩をすくめるフィガロは放っておいて、ルチルへと向き直る。
「ありがとうございます。おかげさまで少し眠れました」
「お役に立てたならばよかったですけど、びっくりするので控えてほしいです」
「ところでルチル、このシュガーもっともらえませんか」
「え、」
その言葉にルチルが身体をこわばらせる。その様子にミスラは何かおかしなことを言ったかと首を傾げる。
「え、と、それは少し困るといいますか、先ほどの話だと私の見た夢をミスラさんが、見る可能性もある、ということですよね…」
「はい」
「だ、だったらだめです!」
自分は眠ることができて、ルチルは原因不明のシュガーを処理できる。お互いに利益がある関係だと思ったのだがルチルはそうでもないらしい。彼にしては酷く落ち着かない様子で拒絶をする姿に、ミスラは面白くなくて、その目を真っすぐと見つめる。
「いいじゃないですか。あなたの良い夢も、悪い夢も、俺が食べてあげますよ」
「だめです」
「可哀想だと思わないんですか」
「だめ、です!」
「ルチル」
「…っ」
ぱちり、と絡みあった視線が弾ける。そうして見つめ合って、ダメ押しに眉を下げてみるも、ルチルは顔を逸らしてしまう。真っ赤に染まった耳をいつもなら揶揄うが、いまは面白くなかった。それでもじい、と見つめ続けそれを無視し続け、結局根負けしたのルチルだった。
「た、まになら…」
「ありがとうございます」
ルチルの言葉にミスラが純粋に笑えば、またぶわりと赤が咲いて。それを見たフィガロが乾いた笑みで一つ零す。
「流石北の魔法使い、残酷だなぁ。ルチルがんばれ」
「フィガロ先生は黙っていてください」
その応酬の意味が分からなかったが、機嫌の良いミスラには対した問題ではなかった。
「俺に、良い夢を見させてくださいね。ルチル」