幕間ーAfterー闇慈が騒がしく去って行った後、その場にはフレデリックとカイの2人が残っていた。
「で?何しに来た」
「ああ、様子を見に来た。あれから何かあったか?」
「何もねえ。それこそ相当なマニアか、ただの物好きしかここには来ねえからな」
首を竦めながら、フレデリックはそう零した。
不満の体を装っているが、それでも今を楽しんでいる事をカイはどことなく感じ取っていた。
商売をする気にはあまり見えないが、それも彼らしい。
しかしこれは暗に物好きの枠に入れられているのだろうなと、カイは少々不服を覚える。
「…そういう何か、ではなく体調は、という意味だったんだがな。その様子では何も問題は無さそうだ」
「愚問だな」
溜息を付きながらの言葉に、鼻で笑いながら男は返す。
相変わらずの軽口に呆れながらも、以前と変わっていない事にカイは安心を覚えた。
その時、建物からぱたぱたと足音を立てながら近づいてくる影があった。
「あれー、闇慈さん帰っちゃったの?ってカイさん来てたんだ。こんにちは」
白い衣服に赤い髪をした彼女ージャック・オーはトレーに先程まで来ていた来客の為に用意したのだろう3人分のティーセットを乗せて姿を表わした。
「こんにちは、お久しぶりです。変わり無い様で安心しました」
「うん、カイさんもね。良かったら、お茶どうぞ。闇慈さんから頂いたお菓子もあるから」
お茶淹れてきたのに闇慈さんてば帰っちゃうんだもの、と漏らしながら、彼女は小さな外用のテーブルにティーカップを置いた。
「ええ、ありがとうございます」
「俺はいい」
「えー、せっかく淹れたのに?」
そうジャック・オーが拗ねた様にボヤくと、フレデリックは引っ手繰る様にしてティーカップから紅茶を一気にぐいっ、と飲み干していた。
フレデリックはソーサーの上に些か荒くカップを置くと、こちらに背を向け後ろ手にヒラヒラと手を振る。
「悪かねえが、俺は酒の方が好みだ」
そうして立ち去るその背中を、ジャック・オーはふわりと柔らかい笑みを浮べ見つめていた。
◆
フレデリックが去った後、出された紅茶に口をつけていたカイに、抹茶のパウンドケーキをフォークできり分けながらジャック・オーは口を開いた。
「もしかしなくても、フレデリックの事でカイさん何か迷ってる?」
思わず、カイの身体は固くなった。
突然だったが、彼女の言葉は芯を捉えていたからだ。
カイ自身、それが何か薄々分かっていたが言葉に出来ずにいたものは「迷い」というのが確かにしっくりと来る。
「…確かに、迷いと言えるのかもしれませんね」
と、カイは零した。
長い付き合いの中で、カイがソルに抱いてきた気持ちというものは突き詰めれば恋慕と言える。
切っ掛けはともかく、触れ合った事もあった。
「人に戻った彼の眼を見た時、私は思いました。彼は私達の様な柵には因われず、人の人生を送るべきなのでは、と」
青い目が、出会ってから今までのソルでは無いと言っている様な気がした。
そんな事は無いと分かっていても、出会った頃とは違うその色にカイの心は騒がせていた。
「私ね、ソルは貴方と出会って…良い意味で変わってきたんだと思うんだ」
今までケーキを口に運び黙って話を聞いていたジャック・オーが手にしていたフォークを置き、唐突にそう語りだした。
「変わった…ですか」
彼女は頷くと紅茶の入ったカップを手に取り、カイに指し示した。
「例えばね…カイさんと出会ったばかりのソルは、さっきみたいに紅茶を飲んでくれたと思う?」
「それは…しなかった、でしょうね」
まず確実にそうだと、カイには言えた。
あの頃の彼は今よりも他人と関わろうとせず、それこそ誰が言ったとしてもお茶をする等考えられない。
カップの中の紅茶に視線を落とすと、あの頃よりは成長した自分の顔が映った。
「でしょ?それはきっと、カイさんと…色々な事があったから。カイさんが彼を変えたの」
カイは顔を上げ、彼女を真正面から見つめていた。
まるであの時と真逆の状況だ。
「ね、何かしなくちゃとか関係なくて…カイさんは何を思ってる?」
『案外…単純な事だったりするぜ。心の奥底ってもんを、人って生き物は偽れねえからな』
ジャック・オーの言葉に、先程闇慈に耳打ちされた言葉が頭を過ぎった。
ああ、確かに…なんて単純な事だろう。
フレデリックの事を、彼の為に等という建前を剥がして感情をそのまま表せば、好きだから。
ただ、それだけの事だ。
その考えに至った時、カイは自嘲していた。
「…これでは、また青臭い坊やと言われかねないな」
あの頃の様に悩んで、がむしゃらに道を貫いて。
そしてあの男にどうしようもない感情をぶつけて、坊やだと笑われる。
だが、それも悪くない。
そう思えるのは、きっとソルという男と関わって時を過ごしたからだ。
そして、
「私は今のフレデリックの事、好きだよ。今のカイさんもね」
「…私もです」
そう口にした時、カイは何かから解放されていた。
◆
フレデリックは小屋の裏手で機器の整備をしていた。
後ろから良く知った気配に振り返らずに手を止める。
「まだ何か用があるのか?」
「やはり、私はお前の事が好きだ」
唐突過ぎる言葉にフレデリックは思わず後ろを振り返った。
「あ?突然何を」
次の瞬間、至近距離に迫っていたカイの胸元が視界一杯を占めていた。
もうヘッドギアの必要が無くなった額に、何か柔らかい物が当たる。
「は…?」
間を置いてカイが離れ、フレデリックは額に口付けられていたのだと理解する。
思わず目を見開き男の顔を見つめれば、あまりにも迷いない視線がこちらに向いた。
「お前の為だと…深く考えるのは止めた。好きだという気持ちを、私はもう偽らない」
気持ちに従い自分勝手になった男の声は妙に軽やかに聞こえた。
◆
カイが仕事の関係で立ち去った後、唸る様にフレデリックは言葉を漏らした。
「カイのヤツに何か言ったな?」
「んー?何の事かなー?」
額を抑え蹲るフレデリックは顔を上げる事無くそう言うと、ティーセットを片付けに通りかかったジャック・オーは素知らぬ顔でしれっと返した。
「変な方向に吹っ切れやがって…」
「でも、嫌じゃないんでしょー?」
からかう様に笑いながら指摘する彼女の声に、男は何も言えず、ただ深く息を吐くしかないのだった。