花と海とポケモンの楽園【就任したばかりのジムリーダーから見て】
各町のジムリーダーというのは、大概はその地方の出身者がなるものだが例外は存在する。ここ最近では、ジョウト地方からホウエン地方に移り住みホウエンのジムリーダーになるべく、センリという男性が一人やってきていた。
センリがホウエンでかまえた家はミシロタウンにあって、今は自分が暮らす最低限の荷物だけが置かれている。ホウエンでの生活が身を結び、いよいよジムリーダー就任となったので、今度ジョウトに残る妻と子どもも、こちらに呼び寄せることとなっていた。
ジムはミシロではなく、徒歩で通える圏内のトウカシティにあった。いつか呼び寄せようと考えていた子どもを思い、「せっかく自然豊かと言われるホウエンなのだから、より静かで木々に囲まれた場所に住居を構えたい」と家族で相談した結果だった。
そして今日、新しいジムリーダーがいた場所は、ミシロでもトウカでもなく、ホウエン地方の東の果てにあるサイユウという町だった。この町にホウエン地方のポケモンリーグがある。改めて就任の証明に書類を提出することと、そしてこの地方のチャンピオンに挨拶することが一日の予定となっていた。
サイユウシティに降り立つと、そこでは高所から海を臨むことができ、地上には花が咲き乱れていた。センリの胸に、ホウエンにきてから何度か感じていた「ああ、ここは色鮮やかな南国なんだ」という思いがもう一度湧き上がった。花が風に揺られている姿を眺めながら、手にある書類を持ち直した。
ジョウトにいた頃のことを振り返ると、あちらの地方のポケモンリーグもまたセキエイ高原という高所にあったことが思い出された。
セキエイ高原のリーグは、各地方にある支部の取りまとめであり、カントーとジョウト二つの地方の挑戦者をむかえる場所でもあるため、いつも緊張感が漂っていた(ちなみにセキエイ高原の地図上の位置は、カントー地方とジョウト地方の境目、より厳密に言うとカントー地方の側にある)。
そしてジョウト・カントーのリーグチャンピオンを務める男性は、ジョウト地方のフスベシティというドラゴン使いを多く輩出する里出身という話だった。以前センリが会った印象ではドラゴンタイプの扱いはもちろん、他のポケモンとの併用、戦術、そして本人の人柄、どれも秀でた人に思えた。
「わたしよりずっと若い人だったというのに凄まじかった」とつぶやいて、思い出とともに少し悔しい思いもにじみ出るのを感じた。しかしすぐに「いや、自分にできることをすればいい。ポケモン一筋で一歩ずつ。それがわたしにできること」と暗い思いを振り払い、ホウエンリーグの入り口に入っていく。あるいはすぐに切り替えられたのは、このサイユウシティが、花の甘い香りが漂い潮騒が聞こえてくるような場所だったからかもしれない。セキエイ高原の、ともすれば雪が降り身も心も引き締まる環境も好ましかったが、センリはこちらのリーグにも好感を持ち始めていた。
書類を提出した後、面会室に通されると、イスに座って待っているように言われた。そしてあまり時間を空けずこの地方のチャンピオンがやってきた。きちんとしたスーツに身を包んだ若い男性で、改めて名前も言いつつ「ようこそ」と挨拶してくる。「こちらこそ、お会いできて光栄です」とセンリは返した。チャンピオンは机を挟んで向かい側のイスに座り、机の上にセンリのこれまでの経歴などが書かれた紙を置いた。
「トウカシティのジムリーダーに就任ですが、もうトウカでの毎日に慣れましたか?」
立場としては向こうの方が上のはずだが、センリの方が年上であるからかチャンピオンは少し丁寧に話しかけてきた。センリの方も少しかしこまって答えた。
「職場としてはまあ。しかし自宅はミシロにあるんです」
「はい。それも伺っています。ミシロからコトキタウン、コトキからトウカシティまでくらいの道中は木々が多くて気持ちが良いですよね」
「それはわたしも感じます」
「ボクはその先のカナズミという町に昔住んでいました。ポケモンと旅を始めたばかりの頃、センリさんの出勤とは反対方向に、カナズミからトウカ、コトキ、ミシロまで歩いて行ったんです」
「へえ」と呟いて少し笑った。さらに聞いてみると、チャンピオンの駆け出し時代の頃から、あの辺りは心地よい穏やかな道だったらしい。
「トウカの森を抜けたサン・トウカというお店には立ち寄ったことはありますか?」
「いえまだ。なんのお店ですか」
「花屋さんなんですけど」
センリは普段、花とは無縁の生活をしているため、特に感慨もなく「そういう店もあるのか」と思った。
「あそこのお店の店員さんも教えてくれますが、ホウエンでは、生活やポケモンに役立つ木の実のことを人から色々と教わるんです」
「ふむ。わたしはまだ出勤する道中で、木の実がなる木がいくつも生えていること自体に少し驚いてしまっている段階です。ああすみません、教えられることとはなんですか?」
「木の実をとったら、一つは地面に植えて返すこと。ジョウロで水を与えて大切にすれば、それだけ収穫できる木の実が増えること。撮り損ねた木の実も、自然と落ちてまた新しく芽を出すこと。いっぱいありますね」
「自然にまた生えてくるあたりが、ホウエンだなという感じがします」
チャンピオンは、フフフと笑った。
「そういえば、この辺りの子ども達が使うジョウロってホエルコの形なんですよ。ジョウトだときっと違うポケモンなんだろうな」
「ゼニガメでしたね」
センリも、昔自分の子がゼニガメのジョウロを使っていたことを思い出し笑った。
「へえ、そうなんですね。ジョウトだけに生える木の実などはありましたか?」
「『ぼんぐり』という実がありました。職人さんがそれを使って特別なモンスターボールを作るんです」
「すごい。昔はそれでポケモンを捕まえていたって歴史の教科書で読んだことがある木の実だ。ジョウトにはまだ職人さんがいらっしゃるんですね」
世間話なのかも知れないが、チャンピオンは随分楽しそうに地域の違いを聞いてくる。センリとしても会話が詰まるよりよほどありがたく、また故郷を思い返すと懐かしく、悪い気分ではなかった。
「と言ってもジョウトも広いので、わたしが以前住んでいた町と有名な職人さんが住んでいる町は少し離れていましたね」
それを聞いて、チャンピオンは机の上に広げてあった紙にあるセンリの経歴に改めて目を通した。
「アサギシティからいらっしゃったと書かれてますね。数ある港町と比べても特に大きな灯台があると聞いたことがあります」
「ええ、あの灯台の明かりは船乗りだけでなく町に住む人も安心させてくれました。デンリュウというポケモンが照らしているんですよ」
「その子に会ってみたいな。それにきっとこちらの港町とは雰囲気が違うんでしょうね」
「雰囲気、そうですね」
「例えばホウエンの港町では、キャモメが海を飛んでいる姿を見かけます。チルットやスバメもたまにはいますけどね」
センリは、ほうと相槌を打った。ポケモントレーナーである以上、ポケモンの分布には興味がある。ホウエンの飛行タイプはそのような生息域なのかと思いながら話の続きを聞いた。
「ボク自身、他の地方にもよく出て行くのですが、帰路の海上にキャモメであったり、チルットであったり、彼らが飛んでいるのを見ると『ああ戻ってきたな』と感じます」
「そういえば」
思い出した。生まれて初めて船でホウエンに向かった日、島影を眺めていた時にこれまで見たことがない白い鳥ポケモンが海の青の上を何匹も何匹も飛んでいたのを。そうだった、あの鳥達はキャモメだ。
「以前別の知り合いに、ジョウトではどんな飛行タイプが海を飛んでいるの、と聞いたことがあります」
「なんと言ってましたか」
「ポッポじゃないかなーと言っていました」
「ははは。やっぱりそうでしょうね」
今日何度目かのセンリが笑う顔を見て、チャンピオンも口に手を当てくすくすと笑った。
センリはホウエンのチャンピオンと話し、ホウエンの情景が心に沁みこんでいくようなひと時を過ごしたが、同時にジョウトのことも随分と思い出したような不思議な一日となった。
ふとジョウトのことをもう一度、若くも威厳があるチャンピオンのことを思い出す。目の前で柔らかな口調で話すホウエンチャンピオンも底知れない感じはした。ただ地方の気質が頂点に立つ人間の性質も少し変えるのだろうと、今日話していて感じることができた。
ところが、
「せっかくリーグに来たんですから、帰る前に会場でポケモン勝負をしていきませんか?」
そう、おもむろに声をかけられた。
「センリさんの仲間達、もちろん一緒に来ていますよね?」
バトルをしよう、そんな瞬間にはどんな穏やかな性格の人も好戦的な目の輝きになる。
「ええ。わたしも、こちらのリーグの実力はどんなものかぜひ知りたかった」
センリは、きっと自分の顔もまたさっきまでとは全く違うのだろうなと思いながら、喜んで勝負を受けた。
この新しいジムリーダーがホウエンに導かれた理由、実は最初にきっかけを与えたのは彼のポケモンだった。どういった経緯で二人が出会ったかについては、センリの物語になってしまうのでここで詳細は語れないが、彼の相棒は、もともとホウエンに生息するポケモンが進化したものだった。
戦いを始める前、チャンピオンはホウエンについて、センリにもう一つ伝えてきた。
「ホウエンは、漢字で表すと『豊かな縁』と書くそうです。ポケモンと人の繋がり、人と人の繋がり、そしてたぶんポケモンとポケモンの繋がりが、とても豊かな場所だという意味なんですよ。……では、始めよう」
チャンピオンが胸に手を当ててお辞儀したのがバトル開始の合図となった。センリは相棒が入っているモンスターボールを投げる。
「いくぞ、ケッキング!」