【hrak】上耳のおでかけ フードコートの椅子に腰を下ろすと、耳郎は脚がずっしりと疲れているのを自覚した。外出用のとっておきのブーツがいつもの靴より重いせいかもしれない。
──って言ったって、ヒーロースーツのブーツもこれくらい重いんだから、もっと体力と筋肉つけなきゃ。それと、軽量化できる素材がないかサポート科に相談……。
日常の小さなきっかけで感じた課題点は、携帯電話に内蔵のメモ帳に書き留めておくようにしている。耳郎が鞄から携帯を取り出したところで、「お待たせー」という呑気な声と共に、目の前にタピオカミルクティーのプラカップが二つ置かれた。上鳴がどうしても飲みたいと言っていた、話題の店のイチ押し商品だ。
上鳴と二人で出かけるのは初めてだった。
きっかけは、寮の共有スペースのテレビで新しいショッピングモールのCMを見たことだった。「ココ行ってみたいんだよなー」という上鳴に対して、うっかり「ウチも」と言ってしまったのだ。
「マジで!? 耳郎、こーゆーとこ『人多そうだから、しばらくしてから行く』とか言いそうなタイプなのに!」
「普段はそうなんだけどさ」
「どっか行きたい店あるとか?」
「うーん……、楽器屋」
「大手の楽器専門チェーンの、外国もののギターにこだわりのある名物店員が、このモール内のテナントに店長として赴任するらしい」という情報をすべて語ると長くなりそうで、言葉を迷った挙句耳郎は最もシンプルに興味がある店の名前を口にした。
「楽器屋も入んの? うわ、結構売り場広いじゃん、楽器」
上鳴は、携帯でショッピングモールのホームページを見ながら言った。同じフロアには、耳郎が時々覗くブランドのテナントや雑貨の品揃えも良いことで評判の書店チェーンも入るらしい。
「ふーん、今度一緒に行く?」
「え? アンタと?」
「うん」
「でもアンタ、楽器買わないでしょ」
「失礼な! Aバンドのギター担当だぜ? 楽器屋くらい行くって!」
「『モテそう』が動機だった癖によく言うよ……」
耳郎がため息を吐いてその場を離れようとすると、「あー! 待って待って!」と慌てて呼び止められる。不機嫌なときの癖で”イヤホン”を引っ張りながら「……なに」と応じると、今度は座っていたソファから身を乗り出して両手を顔の前で合わせ、「お願い」のポーズをされる。
「楽器屋も付き合うからさあ、一緒に行ってくんね? 人多いとこに一人で行くの、さみしーじゃん」
「……切島とか、瀬呂とか誘えば」
「どうせなら『行きたい』って思ってる奴と一緒に行きたいじゃーん! な!?」
そうして決まった二人での外出は、昼過ぎに目的地のモールに到着してから夕方にフードコートで座るまで、ほぼずっと歩き詰めだった。何せ、店の敷地自体が広大と言えるほどに広い。その上オープンしたてほやほやで人も多くて、一か所レジに並ぶ度に随分待たされた。「人多い、ヤバイ」と何度も言いながら、目当ての店以外のテナントも隅から隅まで見て回った。耳郎は件の名物店員(今は店長だが)の勧めでギターを何本か試奏し、上鳴は試着したパーカーが気に入ったとかで衝動買いしていた。ぐるりと店内を一周したあと、「タピオカの店で行きたいトコがある」と上鳴が言い出したので、休憩を兼ねて飲んでみることになったのだ。
「まだ行きたいトコある?」
上鳴が器用にタピオカを吸いながら話掛けてきた。耳郎はというと、慣れていないせいで黒いタピオカの粒ばかりがカップの底に残ってしまい、ストローで一つ一つ吸い出しているところだった。
「ウチは別に。上鳴は?」
「うーん、俺も行きたいトコだいたい行ったし……。つかほぼ一周したもんな、俺ら」
「だよね。結構広いね」
「なー。俺もう結構へとへと」
「ウチも、ちょっと」
脚が重いな、と思っていたのに「ちょっと」と誤魔化してしまったのは、ヒーロー科だから大したことないと思いたい小さな見栄かもしれない。言った直後にそれに気づいて恥ずかしくなり、カップの中のタピオカに目線を落とす。氷の下に潜り込んでしまった粒を見つけて、掘り出してやろうとストローを動かした。
「じゃあさ、これ飲んだら、どうする?」
「どうって……」
寮に帰るんじゃないの、と言いかけて、胸につかえた「何か」にその言葉を口にするのを邪魔された。
──帰るしかないんだけど、それって、なんか、ちょっと。
「何か」の正体が見たいような、見たくないような、ざわざわした気持ちに襲われて、耳郎はちらりと上鳴の様子を伺った。耳郎と違って一粒残さずタピオカを吸い切った上鳴は、カップに刺さったストローを手慰みのようにぐるぐると回している。
「俺さあ、帰りたくないな」
その言葉を聞いて、耳郎の心臓がどくんと跳ねた。耳郎が見たいようで見たくなかった、気になるようで気づきたくなかった、そのざわざわの正体を言い当てられたような気がした。
思わず目を見開く耳郎の変化には気づかすに「楽しいじゃん、今日」と続けるその唇は、不機嫌な子供のように「へ」の字にとがっている。その表情があり得ないくらい愛おしいものに見えて、耳郎の頭の片隅で、今日どこかで聞いた流行りのラブソングが鳴り響き始めた。
fin.