1.光と影がとける時 影というのは、光がなければ生まれない。それはこの世の真理だ。
ならば光は。
光は影があろうがなかろうが、その性質は何ら変化しない。しかし本当に、光は影に影響を一切受けることがないのだろうか。
◆◇◆
「つまり、人間の目が物を見ることができるのは、光のおかげなんです。それは可視光線と呼ばれて、その正体は電磁波だったりするんですよ」
何の授業で、どの先生が話したことだったかを火神は覚えていない。そもそも授業で聞いたのかどうかも怪しい。
しかし、ものを見るのに光が必要であるということだけは、やけに記憶に残っている。
『影は光が強いほど濃くなり、光の白さを際立たせる。光の影として、ボクもキミを──』
黒子がいつか言っていた言葉を思い出す。しかし最近、火神は時々こう思うのだ。
(本っ当に真っ暗い闇の中だったら、光も影もあんま関係なくね?)
◆◇◆
黒い雲が低く広がっていると思ったら、それほど間を置かずに土砂降りになった。雨粒が大きく降りが激しいことは、体育館内に反響する音で分かる。シューズのスキール音さえかき消された。
そんな中、甲高いホイッスルの音だけは館内の隅々までに響き渡る。
「みんなー、ちょっと集合ー!」
監督の声が遠くに聞こえる。振り向くと、やはりリコが片腕をあげて集合を待っていた。
「えー、誠に残念ながら、顧問の先生から帰宅命令が出たわ。なので、片付けをして、部員全員、速やかに下校するように。以上」
「うっそ、まだ全然時間あんじゃん! なんだよそれ」
部員一同がざわつく中、火神が思わず声を出した。リコは諦め顔で説明する。
「警報が出ちゃったらしいのよ。天気には逆らえないからね」
「なんだよ、雨ぐらいで……!」
「とにかく! 出ちゃった以上は仕方ないでしょ。今日は諦めて、家で筋トレでもしててちょうだい」
はい、片付けて! とリコが手を叩いたのを合図に、各々すべき事をしに再び体育館内へと散って行く。
「こんな豪雨の中を歩いて帰れって方が、よっぽど危険だと思うぜ」
「車通勤してる大人達には、その苦労が分んないんだろ」
そんな先輩達の会話を、火神は内心同意しながら聞いていた。
◆◇◆
帰宅命令は正しい判断だったらしく、着替える頃には雷も鳴っていた。しかもかなり近い。時々ちらつく蛍光灯を気にしながら、みんないつもより急いで制服に着替えているように見える。
火神がネックレスを首にかけようと腕を首の後ろに回した時、思いがけない事態が起こった。開けていたロッカーの扉が自分に向かってハイスピードで閉じてきたのだ。
「うおっ!? ちょっ、おいマジか!」
とっさに火神は上げていた腕で顔をかばったのだが、そのせいで、ネックレスのチェーンからリングがどこかへ飛んでいってしまった。
「すみません。当たってしまいました」
「すみませんじゃねぇよ、黒子! 殺すぞ!!」
「それは嫌です」
膝をついて床を探す火神が下から睨みあげるのを、黒子が上から眺めている。
「おまえ、わざとかよ。マジで勘弁だぜ……」
苛立たしげな言葉とは裏腹に声は小さい。下を向いて床を探しているから余計にだ。
「本当にわざとじゃないです。すみません、ボクも探します」
「………………」
言いたい事は色々あるが、今はとにかく探したい。このまま無くしたらシャレにならない。火神は無言で床を探した。
黒子もしゃがみ込んで床を見回す。
「ところで何を探すんですか?」
「黒子ォ……!」
ちょうどその時、雷鳴とともに部室の電気が一瞬消えた。
「おっ、停電! 怖えなあ、どっかで時間つぶして帰ろうや」
「小金井(コガ)に賛成。おう一年、ここの鍵、あとよろしくな」
「うっス」
残っていた二年生も出て行ってしまい、部屋には火神と黒子だけが残った。
「あ、ありました。これですよね」
黒子が指につまんでリングを差し出す。
「おう」
礼を言うのも変だと思い、肯定だけしてリングをつまんで受け取ろうとした、その時。空を引き裂くような轟音と同時に、部屋の電気が完全に消えた。
「……停電ですね」
黒子が天井を仰いでいる気配がする。しかし火神はその時ふと、別のことを考えた。
(この暗闇の中でも、オレの光はコイツに見えてるんだろうか?)
「火神君、どうしたんですか?」
火神はリングをつまみ取ろうとしていた手のひらを開き、それごと黒子の手を握りしめた。
「火神君……?」
黒子の手が火神の手のひらに包まれる。ボールよりも断然小さい、この拳から、火神は幾度となくパスを受け取り、窮地を切り開いてきた。
「オレの光はまだ見えてるか?」
「はい?」
火神は握りしめた手に力を入れて聞き直す。
「オレの光は」
「火神君」
黒子に遮られて火神が止まる。
「……痛いです。離してください」
「あ? ああ……悪い」
黒子の言葉にはっとして火神が手を離す。その手のひらに、黒子がリングをのせた。
「光は見るものじゃなくて、そこにあるものだと思います。自分の輝きの強さを人に確認するなんて……おかしいです」
「おかしいって……」
そんなに変なことを言っただろうか。
「自分がどれだけ輝いてるかを気にする光なんて、変でしょう」
黒子の言いたいことは分かる。だが、火神が聞きたいこととは少し違う。
「そうじゃなくて」
「あ、つきました。電気」
明るくなった部屋で黒子が立ち上がる。火神もつられて立ち上がった。
「光があれば、ボクはそのそばにいます。闇に紛れてなくなるよりは、強すぎる光にかき消される方がいいのかもしれない。そう思ったこともあります。少しでも長く同じ場所にいられるから。……破滅的思考ですよね」
黒子の声を聞きながら、しかし火神はフリーズしていた。黒子こそ変なことを言っているような気がする。しかしこの引っ掛かりを、火神は言葉にすることができない。
「先に行ってます」
黒子が背を向けカバンを担ぐ。
立ち尽くす火神は、静かに閉まった部室のドアをしばらく眺めていた。
◆◇◆
火神の光は戦うごとに強くなっていく。それはいつか、影をも散らす輝きとなってしまうかもしれない。
(俺はまた、一人になる……?)
不安定な光は影を揺らす。
そして光は、影の有無に心を囚われ始めていた。