カップの持ち方で リヴァイ兵長はカップを持つ時、妙な持ち方をする。神経質な人はよく指先で物をつかむというが、リヴァイ兵長もその部類の人なのだろうか。
なぜ兵長は、あんな持ち方をするのだろう。エレンは頭の中で考えてみる。
まず思い浮かんだのは、カップの使い回しを嫌悪しているという説だ。
潔癖性である兵長は、洗ってあるとはいえ、他人が使ったことのあるカップに抵抗があるのではないか。
しかし、これは即座にエレンの中で却下された。
不便ないとはいえ、恵まれた環境でもないこの生活において、そこまで小さなことに拘泥していては立ち行かない。現に兵長は持ち方が特異なだけであって、使うことに対しては何とも思っていないように見えた。
では、半端ない馬鹿力のせいで持ち手を破壊してしまう恐れがあるから、というのはどうだろうか。
これもないな、とエレンは却下する。
その程度の力加減ができないで、あの繊細な立体起動装置は操れない。何度か食事を共にしたことがあるが、カトラリーを破壊した所は見たことがないし、そんな話は聞いたこともない。
ついでに、長年持ち手のないカップを使っていたために身についた癖だ、という話も聞いたことがなかった(そうだとしても、多分誰もわざわざ言わない)。
ならば、本人によるところの理由ではないのかも知れない、ということがエレンの中で決着した。
であれば、外因的要因としては何が考えられるだろうか。
また目の前でカップを上から掴み、手元の書類を読みながら紅茶をすするリヴァイを見ながら、エレンは思いを巡らせた。
例えば、上から降ってくるチリやホコリを手の甲でガードしているというのはどうか。
これはあり得るかもしれない。
どれだけ効果があるかは別として、気になるものの侵入を防ぐという点においては納得がいく動作だ。
たとえ気休めでも、本人がそれを良しとしていれば、それは効果を発揮していることになるだろう。
そこまで考えて、さらに笑える仮説が浮かんだ。
あの持ち方は口元が隠れる。それを利用して、実は熱い飲み物をフーフー吹いて冷ましているのではないか?
もし兵長が猫舌だったとして(それは仕方のないことなのだが)、それでもカップを口元にフーフーやっているのはちょっと……いや、かなり可愛らしく見えるに違いない。人類最強のイメージが音を立てて崩壊するかもしれない。
それはマズい。
そんなことで和んでしまっては、気の緩みから士気の乱れに波及しかねない。
いや、でもかなり……見たいかもしれない……リヴァイ兵長のフーフーやってる姿……。
「さっきから、何をチラチラ見てやがる。鬱陶しい。言いたいことがあるなら言え」
いつもの口調でリヴァイはエレンを睨みあげている。
「あ、いやその……すみません。どうしても気になって……その、リヴァイ兵長のカップの持ち方が」
「あぁ?」
す相変わらず眉根は寄せたまま、リヴァイは自分の持っているカップに目をやる。
「どうして持ち手を持たないのかなって……」
エレンが遠慮気味にリヴァイを見上げる。
「………………」
リヴァイはしばらく動きを止めた後、自分の持っていたカップを机の上に置き、指先で勢いをつけてエレンの方に滑らせてよこした。
「それを普通に持って、飲むまねをしてみろ」
「えっ?」
疑問符を飛ばしまくるエレンだが、上官の言うことは絶対だ。言われた通り、持ち手に指をかけてカップを持ち上げ口にあてようとした──その瞬間。
ガターーーン!
鼻柱に猛烈な痛みを感じたと同時に、エレンは椅子ごと床に倒れていた。
「いってぇ……マジ痛ぇ……!」
鼻を押さえてうずくまるエレンの横に、いつの間にかリヴァイが立っていた。
「エレン、大丈夫? 今すごい音がした……エレン!」
大きな音を聞いて様子を見に来たミカサは、部屋の入口からエレンが床にうずくまるのを発見する。
「エレン、大丈夫!? 何が……」
ミカサが駆け寄るその横を通り過ぎ、リヴァイは部屋から出て行ってしまった。
ミカサは床に転がるカップを見つけ、瞬時に状況を理解した。
「またあのチビか……!」
「やめろミカサ、お前じゃ勝てない」
立ち上がろうとするミカサの腕をとっさに掴み、エレンは懸命にミカサを止める。
── 普通に持って、どうなった?
リヴァイの去り際の質問が、エレンの頭の中で繰り返す。
……はい、鼻っ柱を強打しました。
カップの底から顔面を攻撃されて、無様に後ろに吹っ飛びました。
「まさかクッション替わりか……?」
「何、エレン。クッションが欲しいの?」
「いや、そうじゃない……」
すみません、もういくら気になったとしても、今後あなたにプライベートな質問はしないようにします。
反省なのか後悔なのか分からない思いを抱えて、エレンは『好奇心は身を滅ぼす』の言葉を肝に銘じた。
── 嫌なこと思い出させんじゃねぇよ。
舌打ちしながらリヴァイは廊下を歩く。
今でも覚えている。目の前で落ちていくカップの残像を。砕けたカップの破片の形を。
もう嫌だ。あんな思いはしたくない。
二度と持ち手は持たないと決めて以来、リヴァイが頑にそれを実行し続けていることは、リヴァイ以外は誰も知らない。