甘めのプリンと紙袋 日付が変わりそうな時間帯に、ベッドの上で仰向けに寝転がっていた暦が、スマートフォンの通知音で跳ね起きる。
急いでロックを解除してメッセージを確認すると、友人であるランガから誕生日を祝う言葉が送られてきており、そこで暦は日付が変わったことを知った。
普段であれば寝てしまうであろう友人が、一番に誕生日を祝ってくれるという約束を守ってくれた嬉しさと、自分が待ち望んでいた相手とは違った落胆とが入り混じった暦はそれを打ち消すように小さく咳払いをすると、ランガへの返信を打ち込み始める。
その間にもクラスメイトやSで知り合った友人から数件メッセージが送られてきたが、その中にも彼の名前はなく、今日の主役らしからぬため息が暦の口から漏れた。
すべて返信を打ち終えた後、何も設定されていないアイコンのユーザーとのメッセージ履歴を表示させた暦は、七日の二十二時三十五分から更新されていないそれを見て、眉間に皺を寄せた。
恋人である菊池忠から『急な仕事が入って誕生日を一緒に祝えそうもない』といった連絡が入ったのがそれより少し前で、それに対して返信してからの連絡が一切ない。
既読はついているので読んでいない訳ではなさそうだが、誕生日を祝うメッセージの一つぐらい送る余裕もないのか、と暦は口を尖らせていた。
実際忠が忙しい人間であること、そんな中でも最大限暦を優先してくれて、大事にしてくれていること。そんなこと暦だってわかっていないわけではない。が、彼の子供の部分が理解を拒む瞬間が時々あり、それによって自分の感情が大きく揺れ動くこともある。
今まさにそんな状況になっている暦は、スマートフォンを持っていない方の手で頭を激しく掻きむしったあと、薄手の布団に包まって目を閉じた。
沈んだ気持ちのまま目を覚まし、朝食の席で暦は母親の正恵に友達との予定がなくなったから今日の夕食は家で食べると告げる。正恵は何かを追求することなく、じゃあ今日は暦の好物たくさん作るわね、と明るい笑顔を暦に向けた。
正恵の優しさに心の中で感謝しつつ、白飯をかき込んだ暦はごちそうさま!と元気よく言ってからスケートボード片手に家を飛び出した。
予定がなくなってしまったが、今から誰かを誘う元気もないため特に何をするでもなく街を滑っていると、夏休み期間中だからかやたら同世代のカップルが目につくような気がする。
「オレだってほんとは今頃……」
自分の気持ちを無意識に声に出していたことに気づいた暦ははっとした後、うじうじとした自分の気持ちを振り払うように地面を蹴った。
お気に入りの公園でトリックの練習をして、適当にコンビニで昼飯を買い、また好きなように滑る。隣に忠がいない寂しさを紛らわすように跳んでいたら、いつの間にか夕方になってしまっていた。
「帰るか……」
掠れた声で呟くと、その声が夕日に飲み込まれて消えていく。そんな感覚になった暦は、誰にも言えない本音をぽつりと漏らした。
切り替えるように頬をばちんと両手で叩き、家に変えるといい香りが暦の鼻腔をくすぐる。
「ただいまー」
「おかえり、暦。ご飯ちょうどできたわよ」
居間に入ると確かに暦の好物ばかりが並んていて、思わず顔がほころぶ。いつもの場所に座って食べ始めたタイミングでしとしとと雨が降り出したので、遅くまで滑らなくて良かったと暦は胸をなでおろした。
デザートに小さいケーキまでついてきて、なんとなく子供の頃のことを思い出して、胸の引っ掛かりを今だけは忘れられた。
明日は朝からアルバイトがあるため、早めに風呂に入って布団の上でごろごろとしていたら、二十三時にもう少しでなるといったタイミングでスマートフォンが鳴った。
なんだろう、と思った暦がスマートフォンのロックを解除すると、そこには今日一日暦の頭の何処かに居座っていた男からのメッセージがあった。
『暦、遅くなったが誕生日おめでとう。今日は会えなくなってしまって申し訳ない。我ながら勝手だと思うが、今から少し会えないか』
『いーよ、って言いたいトコだけど……ぶっちゃけだいぶ寂しかった。オレも会いたい』
メッセージを打ち終えると、すぐに行くと返信が来る。十分もしないうちに近くまで来たというメッセージが送られてきたので、急いで家を飛び出した。
家を出た段階で少しだけ雨が降っており、傘を持って来ればよかったと後悔しかけたが、すぐに雨が上がって月が顔を出したため、会いたくて会いたくてたまらなかった恋人のもとへ走っていった。
程なくして見慣れた車が視界に入り、その横に立っている男に釘付けになる。
先程まで降っていた雨のせいで濡れたアスファルトに反射する月明かりが、ほんの少し青みがかった黒を纏った男を下からも照らし、白い肌がより白く光っているような錯覚に陥る。その幻想的な光景に暦がその場で立ち尽くしていると、その様子を見た忠が小さく笑った。
「暦」
「忠さん……!」
忠の名前を呼びながら暦が勢いよく抱きつくと、見た目よりしっかりとした体幹を持ち合わせている忠がしっかりと暦を抱き留める。
会えなかった寂しさを埋めるように暦が腕に力を入れると、それに応えるように忠も抱きしめ返した。
「君の誕生日が終わらないうちに、どうにか仕事が終わって本当に良かった……寂しい思いをさせて、すまない……」
「ううん、仕方ねえって。会いに来てくれてありがと」
「あ、そうだ……君に渡すものが」
忠が運転席側のドアを開けて、助手席に置かれているビニールの袋と、少し大きめの紙袋を取り出す。
「もうコンビニしか開いてなくて……ケーキはなかったのだが、代わりに……と思って。紙袋のほうは、君へのプレゼントだ。帰ってから開けると良い」
暦がビニール袋を覗き込むとプリンが二つ入っており、その容器と忠の顔を交互に見比べる。
「なあ、一緒に食べね?」
「勿論」
二人で車に乗り込んで、公園の駐車場まで移動させてからプリンを取り出す。
忠にもプリンとスプーンを渡してから、暦はアルミの蓋を開ける。スプーンで一口分を掬い上げて口に入れると、心地良い甘味が口内に広がった。
「美味い」
「ああ、美味いな」
その後無言で二、三口プリンを口に入れてから、あることを思いついた暦が忠の方をじっと見つめる。
「忠さん」
「なんだ?」
「プリン味のキス、してみたくね?」
「……してみたいな」
お互いプリンを口に含んでから、ドリンクを入れる場所にそれぞれの容器を置いて倒れないようにする。向かい合ってどちらからでもなく顔を近づけ、唇を重ね合わせる。
鼻から抜けるカラメルの香りにくらくらしつつも、必死に舌を絡め合わせる。プリンはとっくに口の中から消え去っているはずなのに、忠の舌がやたらと甘く感じた。
暦が気づいた頃には、シートが倒されて忠に組み敷かれる形になっていた。
「すまない、歯止めが効かなくて……あまり遅くなっても良くないから送ろう」
揃って起き上がり、暦がシートを起こしたのを確認してから車のギアを操作しようとした忠の手を暦が掴むと、翠の瞳が驚いたように見開かれる。
「……オレ、まだ帰らなくても大丈夫だよ」
「暦、しかし――」
「いーから。埋め合わせ、してくれよ」
暦がねだるように眼の前の男を見つめると、理性の糸が切れたらしい忠の表情がわずかに変わる。
「……少しだけ、だぞ」
暦がそれに笑みで返すと、焦れた様子の忠がその唇に噛み付く。暦はそれを受け入れながら、最後の最後で最高の誕生日になったなあ、と今この状況を噛み締めていた。