あなたは行くべきではない、と彼女は言った。
死を恐れる心があるのなら、せめて病に倒れるその時まで、生きたいのなら。
「そういうわけにはいかないね。だって、もしかしたら今この時も、待っててくれてるかもしれないだろ?」
服を詰め込んだ袋を念のため密封する。向かう場所は、湖ではなく外海だ。準備など、どれだけ確認しても安心できるものではなかった。
近くの壁に背を預け、腕を組みながらこちらを睥睨する女は、それでも視線よりは幾ばくか柔らかい声でもう一度繰り返した。
「やめたほうがいいわ。あなたはあくまで陸の子。せっかく関わらないで済むのだもの、深く関わるべきじゃない。もしも見つけたとして、それはもうあなたの知る彼じゃないかもしれないのよ」
「だからそちらに任せとけって? 心配してもらったのに悪いけど断るよ、そちらの邪魔をする気はないけど、こちらもただ指を咥えて待っていることはできない」
男が躊躇うことなく遮ると、すぅ、と女の目が細められ、圧力を容赦なくかけられる。
鈍く光るような瞳に、無言で言うことを聞けと訴えられる。迫力はエリジウムより彼女のほうが明らかに上だ。正直、怖い。
だけど、知っているのだ。彼女が、いや、彼女たちが他人を遠ざけるのは、その性根の優しさゆえだと。
きっと辿り着いても彼に怒られるのだろうな、と思えば──その想像は、泣きたくなるほど幸せな光景だった。
「……あなたは、その優しさゆえに死ぬことになるかもしれない、それでも?」
「僕のは、優しさじゃないよ」
君たちと違って、という言葉は飲み込んだ。怪訝そうな顔をした女に、小さく笑いながら告げる。
「これはまあ、あえて言うなら執着だね。誰にでもって訳じゃない。ただあいつだけは、返してもらわないと気がすまないんだよね、僕は。執着した結果がそれなら自業自得ってもんだろう?」
はは、と笑う男に一瞬目を丸くする。そして、女はうんざりしたようにため息を漏らした。
「ここで惚気るような馬鹿相手じゃ、確かに言うだけ無駄だったと理解したわ。勝手に行って後悔したらいい」
「ありがとう、そちらも気をつけて」
「……言われるまでもないわね」
素っ気なく溢して立ち去る細い背中を、ひらりと手を振って見送る。
さあ、本番はここからだ。
「待ってろよブラザー、勝手してごめんなさいって言うまで許さないんだからな」
鼓舞するように声に出し、嫌そうな顔をする相棒の顔を想像してまた男は小さく笑った。