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    even

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    even

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    またひとつの夏を通り過ぎる。線香花火のように、輝ききった後など考えもせず。この命は前にしか進めない。

    大人へ向かう少年たちの話です。
    匋平の生誕を祝して。

    Sparklerとっくに野垂れ死んでると思ったよ。こんな日を迎えられるなんて期待しちゃいなかった。

    随分な言葉を投げたものだと我ながら思う。組員やオヤジからの祝福を不恰好な笑みで受け入れ続け口角がいよいよ引き攣り始めた頃に、明けを待つ夜に匋平は戻された。主役の隣を陣取ることもなくその他大勢に溶けるように祝福の輪に加わっていた相棒もいつの間にか普段の立ち位置に戻ってきている。

    持ち帰ったケーキと、健やかに育てと祈られた手前、普段の罪を誤魔化すように酒の代わりに買った缶コーヒーと。癖でうっかり火を付けた煙草。冷房代をケチり開け放った窓から混じりに混じった匂いが逃げていく。ごそ、と胡座を崩す振動が床から伝わるくらい、音がどこにもいない深夜だった。
    「何だよ。お誕生日に照れちまう歳か?」
    少しばかり先に大人に近づいたからといってあって無いような優位性を主張する男が温いコーヒーを揺らしている。揶揄うときの軽さを交えてなお、そこには隠しきれない疲労が滲んでいる。

    「分かってるくせによ」
    凝り固まった頬の筋肉を脱力させて無表情に発する声は低い。
    「お前だって」
    お祭り騒ぎが得意なわけじゃねえだろ。
    数ヶ月前を匋平はおもいだす。その日の主役は依織だった。組長の虎の子の誕生日はやはりボルテージが普段の祝い事のそれとは違って、誰もが有能な未来ある青年の成長を祝福した。影の世界とは思えないほどその時だけはただの親と子と兄弟親戚の集まりのようになってしまうのだ。
    「…だーんなぁ」
    いじけた子供のような返しをした所で隣の依織の笑いに苦味が混じる。何となく分かるのだ。笑い方を知らない子供が、周りの大人の真似をしてめでたい空気の中での振る舞い方を読んで、健気に朗らかに笑う、そういう表情の作り方が。奥にある困惑が自分と同じだったから。
    「…ちゃんと嬉しいんだぜ」
    「分かってるよ」
    そこを否定する気はなかった。互いの下がった口角が決して不機嫌を表出するものでないことはわかっている。
    一切れずつ持ち帰ったケーキは銀紙の上で形を崩しかけていた。アソートの中から選んだ、生クリームのいない固めのタルトにフォークを突き刺した。
    祝われるのはやはり嬉しいのだ。それでもこちらの受け止め方が下手なせいで、感謝の仕方はあっているかとか、ちゃんと笑えているかなんて事を人の輪の中で考えてしまったりするのだ。なあ、お前もだろ。ケーキとコーヒーを挟んだとなりの相棒に心の中で勝手に寄りかかる。自己を投影する。無表情に塩気の強いチーズムースを口に運んだ。
    「旦那のひと口、いい?」
    「ん」
    許可を出す前にタルトにはしっかりフォークがくい込んでいて、ばァかと柔な悪態が口をついてでた。
    「俺のも食う?」
    「いや。いい」
    差し出された残り三分の一くらいのスフレプリンを押し返す。笑みが自然にこぼれるまで無でいてもいい。こんなある意味甘ったれた顔をしていられるのもこの部屋で、依織だけが傍に存在してくれているからだ。叩き込まれた交渉術も処世術もここでは意味を持たない。片方が引くなら時にはそこに凭れ掛かる、そういう躊躇をようやく失くしたワンルーム。
    「なあ旦那」
    よばれて横を見る。依織は口の端に付いたクッキー生地を舐めとり、つづけて手の甲に落ちた粉に唇を押し付けている。それから、
    「おめでとう」
    なんの脈絡もなく、猫じみた所作の合間に目を上げてそう言った。
    「…なんで今?」
    お前からももう、というか一番最初に聞いたはずだけど。首を傾げても返されたのは悪戯っけを覗かせる瞬きだけ。何か都合の悪いことを言われるのだと途端に察知させるそれを匋平は不思議と警戒できないでいる。
    「もう祝われたくなさそうな顔してたから」
    お誕生日会がお開きになった後で言うにしても不正解な、空気を読まない発言が匋平の若さの割に荒れた内蔵をゆるりと撫でる。
    「………」
    結んでいた唇を割って息が落ちた。頷きたくはない、気持ち悪い納得感を依織が容赦なく言語化したのだ。
    「なあ依織」
    フォークを置いて煙草を咥える。慣れない大量の糖は脳を満たしても肺を埋めはしなかった。ようやく取り戻したいつもの息を数拍してから。はらわたを刺して抉ってくる男に委ねる。これが俺なりの全霊の甘えだから今日くらいは許して欲しい。とうに変わった日付をも免罪符にして。今にも影に潜みそうな依織の目を捉えた。自他の利益を上手く天秤にかけて動くお前なら考えたことがあるんじゃないのか。きっとあるだろ。だから聞きたい。教えて欲しい。

    「生まれて良かったって思うか」

    愛撫ではなく拳に揺らされた幼く狭い視界。冷えて固まった心に急に熱いものを流されて、受け止めきれずにぎこちなくしか動けないこの身体が悲鳴をあげる。どうして自分はこうなのかと呪って、呪い返されて。ひとつ幸せを得るために十も二十も苦しみが待ってるような世界。何かを得る度に次は失うのではないかと必死に手を固く結んで。

    「生きてるだけで儲けもんだって。そう信じられるか」

    降り注ぐものを全部享受してその生を歩いたとして死に際に採算が合わないことに。損ばかりだってことに。賢いお前はずっと昔から気づいてるんじゃないのか。

    揺れながら、目が撓む。
    硬い殻を横から凹ませるような嫌な殴り方に依織はかは、と溺れるような笑いを返す。ああとううとか唸って、伸びをして床に背から転がった。
    「…あーあ。言いやがった」
    それは安堵の息と恨み言。
    「依織が、聞きたがったんだ」
    甘えと、擦り付け。
    「…そ。俺が。旦那に刺されたかったのかもな」
    眩しくもない月から逃げるように依織は顔を手で覆った。誰のために開いた口か知れない。不貞腐れた子供の片方が大人ぶって、数刻前まで主役だった片割れを甘やかす役を演じるだけだ。
    罪悪感に目を瞑って煙を食んだ。こういうとき匋平の手で依織は解かれてくれる。震える声が依織自身を解き明かすのか誰ぞを代弁しているのかも区別できない。ただ疲れた表情筋を休めたかった。俺とお前が違うと、この点に於いてだけは思いたくなかった。ふたりで間違っていたかった。ふたりで子供で、いたかった。

    「…損得で測れねえモンを探してくんだ」
    …ずっと。死ぬまで。
    お利口な言葉を吐いて依織は無造作に煙草を引き寄せようとする。手が火種に触れそうだったから匋平は灰皿を引き離した。迷子の手に何かを握らせてやることはしなかった。
    「プライスレスって言うだろ。価値なんか後で膨れ上がるかもしれねえだろ」
    苛立った手が拳を作り床を弱々しく打つ。
    「投資だよ。現価値で勝負できる世界じゃねえんだよ。可能性と脅しで道を開けさせて歩くんだよ。じゃなきゃ、」

    未来に賭けなきゃ俺は。ゴミ漁りのドブネズミのままだ。

    弁の立つ男の呪詛が、匋平の口を開かせる間もなく反駁を連ねる様が痛々しい。生きる理由がなければ逆風の中で立っている意味を見失うから。家族とか愛とか信頼とか、価値の曖昧なものに救われてきたのだ。歩き続けなければならない理由が欲しい。優しさで足りないならいっそどこまでも上り詰めて力と責任で自分の脚を縛り付けておけばいい。甘いケーキと優しい祝福では、笑っていられる明日を盲信できないのだから。命令でも何でもいいから雁字搦めに縛られて誰かのために、すくみそうになる足を動かしていたいのだ。
    「怖いんだよ」
    いやいやをするように頭を転がして依織は向こうを、部屋の隅に体を向けて丸まる。
    「これまでの人生がクソだったからって。この先いい事ばかり起こるなんて信じられる訳ねえし」
    「持ってもないのに奪われんなら、ッ」
    その先は。もう代弁させられなかった。蹲る依織の遠い肩を掴んで転がす。
    煙草の灰が落ちる。弾かれたスプーンが音を立てた。
    「………」
    怯える子供の目が匋平を覗いていた。
    全部、全部痛いほど分かる。同じものを抱えているのにわざわざ依織の口を通させた、そんな酷い相棒に縋るように、握りしめていた手を依織は開き泳がせた。
    そうだ。
    持ってもいないのに奪われるなら、何のために得るのか。家族と居場所を得てしまった今、失えないものを掴んでしまった今。何も恐れずに生きるなんて事が、どうやって。

    冷めたコーヒーも灰皿も崩れたケーキも追いやって依織の空の手に、手を重ねた。重みをかけて見下ろす。
    生きてさえいれば何とでもなるとオヤジのように笑い飛ばせたら良かったのに。まだそこまで強くあれない。一年かけてぶ厚くなった胸板の奥にその覚悟がない。依織の五指が折れて、匋平の手の甲にくい込んだ。それから力をなくす。
    「…そもそも全部借りもんなんだ。俺のものなんか何もない」
    ぽとり、線香花火が落ちるようだった。無いことが当たり前で、今あるモンは全部奇跡で授かったもので。そう、思おうとしてきたけどさ。
    「でも俺。…旦那に逢っちまった」
    希望と絶望が伴って降り注いだあの日が、紫の二粒に水を張ったように見えた。静謐で乱れることのないように思えたそこは存外、簡単に風に波立って揺れること。今日互いを刺し合わなければ知りえなかったのではないかなんて、場違いに嬉しくて口元が緩んだ。床に転がる依織の指を集めて絡めて繋ぐ。そうして、告げる。

    「依織。俺はもう、何もいらない」

    その瞬間。依織のなかに多幸感と悲哀が、あふれて、こぼれ落ちたのが分かった。拭うための手は塞がっている。
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