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    even

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    even

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    深夜の腹ぺこリュウにパンケーキを焼く神林の話。

    甘やかされるものの心得。

    甘いパンケーキの飲みかたぺたんぺたんと音をたてて階段を降りる。早めの夕飯の後はしゃぎすぎたお腹が板を踏む合間にぐうと鳴る。夜をしのぶリュウの侵入音がぺたん、ぐう、と連なっていく。おなか空いた、何か食べたい。欲と直結した行動力で冷蔵庫を目指してリュウは踊り場から一階を、ようやく息を潜めた店を見下ろした。
    丸い椅子の整列、雑多に見えて使い勝手よく整えられたハイライトを失くした酒瓶たち。その合間の、こぼれるライトも引き絞って微かに残ったオレンジ色の下で長身の影が揺れている。
    「…リュウか?」
    マスタぁと音を結ぶより先に気配を悟られる。ならもう隠す必要もない。べたんべたんと段を飛ばして残りを駆ける。
    「おなか空いたぁ」
    その一言に夜更かし、深夜徘徊の理由ともうひとつのメッセージを乗せて床に降りたてば。煙でだいぶ薄まった疲労の息がながぁく伸びて、最低限の労力に留めたかったのだろう、人差し指による手招き。にいと頬をあげてリュウはそれに従った。


    こんこん、パカン。小気味よい音で殻が割れてとろんと中身がボウルにダイブ。の前に、身投げしそうな黄身が掬われて白身とばいばい。別のボウルへ。
    キッチンのカウンターに腕をついて、お月様がぺにゃんと落とされるのを目で追う。すぐにミルクが上からかぶさって、一瞬出来上がるシャビシャビの目玉焼き。あ、目玉焼きと特に味のない感想に短く喉が動いただけの「ん」が返ってくる。ホイッパーが投げ込まれて素早くくるんくると混ぜられる。長い手がどこかに伸びてザルを持ってきた。ボウルに置いて、白い粉を何種類かぱっぱぱっぱ。かるぅく混ぜる。少し粉っけが残ってもいいと前に言っていた気がする。多分四季へのアドバイスか、沈黙を和らげるための手は器用口は不器用なシェフの簡素な実況だったと思う。小さくてやわやわな友達を思い出した。今はきっとぐっすり夢の中、おなかも朝ごはんを待っているんだろう。
    だけど今、そんな友達の好物はリュウのためだけに作られようとしている。思えば初めてのことだ。静かにホイッパーをボウルの底に当てる匋平の顔を、下から覗いた。
    「………?」
    眉間の皺がない。めんどくせぇ早く寝ろとか、そういう文句も。時間がかかるのにもちもちのじゃなくて、ふわふわの方を作ることにした理由も。何にも言わない。
    「…マスタぁ」
    少しだけ目の覚めるような、はっきりした音で白身を混ぜ始めた匋平の手は止まらない。無言に続きを促されて、口を開いた。
    「…リュウくんねェ。たぶんしっきー達と違うよォ」
    「…何を今更なこと言ってやがる」
    んとね。清潔を求められた、いつからかどこで身につけたか分からない習慣で今もよく洗う手をカウンターに広げる。色んなものが通り抜ける肌。今触っている木目の荒らさだとか温度だとか。カシャンカシャンと金属のバネがボウルに当たる音、透明な白身が少しずつ泡泡になる音、そこにいっぱい絡まった正体の分からない微細な音。耳の良い仲間にも共感してもらえない違う色の波。
    「ズレてるの。リュウくんのホントが皆のホントじゃないの」
    お月様みたいな黄身が黄色だけなんて、白い身と書くとろとろが本当に白かなんて誰も疑わないし確認しない。しないからぐちゃぐちゃ混ざるものに赤とか青の火花が混ざったって、「皆」のパンケーキはたったの茶色と黄色の二色だ。

    ねえマスター。
    プレーンは素朴な甘み、キャラメルソースは舌に絡みつくしベリーソースはちょっぴりヒリヒリする酸っぱさと甘さのバランスが良いんだって。色んなとこで見たよ、そういうコメント。それを見て思った。自分の舌はもしかしたら人と同じを味わえていないのかもしれない。
    「皆、分かる〜ってハートまあく付けるんだよぉ」
    なんで皆知ってるの。なんで皆、分かってるの。セカイのジョーシキみたいに。写真や味や匂いや一緒にいる人によって感想と笑顔を使い分けてる。きっとリュウの知らない所に正解のシートがあって皆正しい反応なんて意識しなくたって赤マルを貰える。共感の波がセカイを支配している。
    「おいしいにもね、いっぱい種類があるんだって」
    白っぽい、もこもこっぽいものが膨らんでいく。力の具合か空気の入れ方が上手いのか匋平のメレンゲ作りは手早い。別のボウルにいる生地にぼとんと落として、混ぜて、また落として、混ぜて。同じように見えることを何度も丁寧に繰り返す。
    「でもリュウ君はそういうの、分かってないみたい」
    きっと毎日の食事を提供してくれている人物に言うことじゃない。
    「………」
    力なく眉を落とすと匋平は何も言わずリュウに背を向けた。冷蔵庫からバターを取り出してきて、量はざっくり、だけど直角にナイフを当ててきれいに塊を切り取る。
    「ま、確かにお前の味覚は音痴といや音痴なんだろうが」
    見てるもんも聴いてるもんも違うからこその抜けたセンスなんだろ。なんて事ないように匋平は笑い、火をつけたフライパンにころんとバターを転がした。金色に溶ける波を広げる。
    「だから、ね。だからね」
    何かに焦るようににじり寄るリュウを湯気が当たるからと追い払って生地をたっぷりと掬う。リボンのように溢れたぶんがボウルに戻るのを待って、フライパンに一息に乗せる。じゅわ、と香りの爆弾がはぜた。リュウの肺にいっぱいに入り込む、バターに卵、色んな化学反応の後のたぶん甘い、匂い。
    「…………」
    カウンターから下ろした手をリュウはまじまじと見る。例えば無二の友達と同じものを見たとして、それを受け取るほうが欠けていたら、甘いらしいものや、優しいらしいものや、美味しいらしいものは、どこで消化される?

    ぎゅるる。おなかが鳴っている。
    でもね、
    リュウ君はね。そんなに優しくされてもわかんないよ。もっちりのホットケーキとふわふわのパンケーキの違いも、たぶん、絶対面倒そうな工程にマスターが何考えてるかも。しっきーのためのやつとリュウ君のやつで一枚の大きさが違うのも、マスターもしっきーもボスもそんな使わないのにとにかく色んな味のジャムのパッチンて折るやつが揃ってるのも。ドリアンとドラゴンフルーツのジャム、リュウ君しか使ってないのにいつもストックがあるんだもん。買い出ししてるの、マスターでしょ。
    「…たぶん、マスターが思ってるようには、感じとれないよ」
    四季用なら小さめのを三枚、のはずが今フライパンにはダイナミックなサイズがふたつ。くっつきそうなくらいぎゅうぎゅうに並んでいる。蓋をかぶせ火を細くして、キッチンの奥を匋平はうろうろとしている。やがてリュウに差し出されたのは柄から肉球が突き出た、太くて短めのナイフとフォーク。
    「もう出来っから。そっち座っとけ」
    むうと唸って一応その通りにすると二段のパンケーキが湯気たっぷりで運ばれてくる。愛用のジャムとたまぁに使うメープルシロップと、よく四季のはちみつがけを一口ちょうだいと強奪するからか?はちみつのボトルも。クロスを敷いたテーブルにぽんぽんと乗せられていく。一人で、こんな夜中にパーティでもするみたいだ。
    「…マスタぁ…」
    無茶苦茶な語彙でこぼした心がどこに行ったか分からなくて不安げに匋平を見上げる。匋平は椅子に横向きに腰掛けてリュウに視線をやらないまま、良いから食えよと促した。
    「…いただきまぁす」
    フォークを沈める。ナイフがいらないくらい柔らかくて押された断面が離した瞬間ぽよんと元の形に戻っていく。いつもは色々上にかけるけど今は何となく、そのままを口に運んだ。
    「ん、んー?!」
    下の上で膨らんで口の裏に張り付いて、慌てて噛んだ。バターが鼻から抜けて卵が踊っている。なんて口にしたら、また妙ちきりんなことをと言われるだろうか。
    「火傷すんなよ」
    言われてから四季がいつもしているふうふうをさっぱり忘れてかぶりついた事に気がつく。どうりで熱い。
    「…へぇ、はふはぁ」
    求めているのが助けかアドバイスか同意か、何も分からない。口と鼻と胸がいっぱいだけど。こういう時しっきーはどんな顔してたっけ。百面相みたいに色んな顔をして、色んなことを思ってマスターに、何か言ってた気がする。ちゃんと伝えていた気がする。
    「なあ、リュウ」
    「あむ、?」
    椅子に座る時に脚を組まずにいられない星人の匋平が頬杖をついて。リュウを呼ぶ。
    「どんな、感じだよ。それ」
    長い睫毛がたぶんパンケーキを指した。
    やっぱり困ってしまう。ニンゲンの言葉を真似てそれらしい感想文を並べることならできそうだった。グルメリポーターみたいな女のコたちの、ふわふわで、しっとり甘くて、素朴な卵の味が…みたいな。でも一つだってリュウの言葉ではないと悟られるだろう。だって、分からないと口にしてしまった後だ。
    「…ん?」
    深夜に、はちみつキャンディがふたつ。楽しそうに湯気の向こうで笑っている。今なら何を言っても、そうやって笑ってころんころんと、転がしてくれるような気が。した。だからいっぱいの頬っぺたを空けてバターの香りを吸って。
    「ベロがうぬぅっ、ってして。ほくほくのぼわん!って感じ」
    「?……、く、ッ」
    薄く開いていた唇が割れてあははと、見た事のない笑い方をしている。マスターそんなに口開くの。大きめの一切れをぽおんと放り込みたくなるような大笑いをする匋平をリュウはぼうと見つめる。
    「…良いんじゃね」
    口角をゆっくり普段の位置に戻してから匋平は言った。
    「それはリュウ、お前用のパンケーキで。うぬぅっ、でほくほくのぼわんって感じに作ったんだよ」
    小学生みたいな語彙が二十八歳のバーテンから吐き出されるのを見たらもっと大笑いしそうなオトナに何人か心当たりがつく。
    「うそぉ。もっと色々、こねこねやってたよ」
    優しい焼き色を見つめる。たぶん、拾ってあげなきゃいけないこの人の、今夜リュウ一人に配った心がこの生地にはいっぱい溶けているはずなのだ。しっきーならきっとちゃんと読み取れること。
    「ほくほくのぼわんが伝わりゃいーよ、満点」
    下ろした髪をくしゃくしゃに混ぜられる。うーん、と困って、頬張って、味わって、返答に詰まり飲み込んでしまう。
    与えられた優しさをのんで正しく解釈して向き合って、返すこと。普通の人が普通にやること。いつだってリュウはそれを出来ているとは思わない。今のこれも。だからどうして何もかも欠けた自分のオカシナ?反応に満足してくれるのかが理解できない。
    (……マスターも、ひねくれだから?)
    普通のニンゲンと違って猫の周波数が分かるのかななんてはむはむとパンケーキを味わう間に考える。口のなかで溶けきったら、すぐ次のひと口が欲しくなるから、段々考えるのが面倒になってきた。途中からナイフを放り出して、少し冷めてもふわんふわんのそれをフォークだけで夢中になって食べる。

    「…………」
    ホットミルクと自分用のコーヒーを淹れた匋平は椅子に再び腰掛けた。この時間でも胃に重くなさそうな軽いスフレがぱくぱくと吸い込まれていくのを眺める。後半戦でドリアンジャムを足されるのを見て苦い顔になったが最後にもう一度。リュウがごちそうさまぁとベタベタの手で同じく汚れた口周りを拭うのを見て、目元の力を抜くのだった。
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