テーブル席空いてても テーブル席空いててもカウンター席
「こんにちは」
「いらっしゃいま——なんだ、イレブンか」
ギィと音をたてて古びたドアを開けると、イレブンに真っ先に声をかけてくれたのはカミュだった。
「なんだとはなんだよ」
「いやぁ別に。ほら、水」
店内を見渡すとイレブン以外に三組がテーブル席に着いていた。この店ではもはや見慣れた光景だけれど、全員が女性客だった。
イレブンは当たり前のようにカウンター席の端っこを陣取って、メニュー表も見ずに座っている。この店のケーキはどれも美味しくて迷ってしまうから、曜日によって頼むメニューを変えているのだ。そのことはカミュも知っていて、以心伝心で注文が通る。
「カミュ、今日は何時上がり?」
「十四時。つかお前、毎日暇そうだなぁ」
憎まれ口と共に出されたホットティーを受け取って、一口啜る。アップルパイも到着し、カトラリーケースからフォークを取り出した。
「カミュは最近働きすぎじゃない?」
「ちょっとな、貯金してんだよ。マヤの学費もあるからな」
「そういえばマヤちゃん、学校慣れたかな? 全寮制の女子校だって聞いて……」
「すみませーん」
イレブンの話を遮るようにテーブル席の方から声がかかり、カミュはすぐに仕事モードに切り替えて注文を聞きに行ってしまった。
「ウフフ。愛しのダーリン取られたからってむくれないの」
「リーズレットさん。別にむくれてはないです」
カウンター越しに揶揄ってくるリーズレットはこの店の店長で、客の悩み相談や噂話が好きな美女だ。主に彼女がカウンターに立つのはバータイムからで、夜は彼女目当てに沢山の男性が訪れる。
「今日は珍しいですね。朝からいるなんて」
「あんた表の看板見てないわね? 今夜はバータイムはナシ。あのコと遊びに行くのよ」
あのコ、というのはリーズレットの親友のシャールのことだ。リーズレットとどうやって仲良くなったのか不思議なほど真面目そうで控えめな人で、彼女もまたバータイムの従業員であった。
「それよりさっきの。『愛しのダーリン』てとこは否定しなかったわねぇ」
「……まぁ、その通りなので」
「あら、意外にすんなり暴露したわ」
耳だけリーズレットの方に向けて、アップルパイを頬張りながらもテーブル席の方に視線をやる。注文を取りに行ったカミュはまださっきの女性客達に捕まって、何やら質問責めにされているようだった。
「……何話してるんだろ」
「そんなにお客様睨まないでちょうだい。しょうがないわねぇ、ほらこれ」
持っていきなさい、と差し出されたのはウォーターピッチャーだ。
「お水のおかわりいかがですか〜、とかなんとか、さりげなく入ってくのよ」
「なるほど……ありがとうリーズレットさん!」
「くれぐれも睨んだりしないように」
「気をつけます」
早速席を立って、言われた通り水のおかわりを注ぎに来たように装う。
「お水のおかわりいかがですか?」
にこりと微笑みもつけてやれば、カミュとの話に夢中だった女性達も一斉にイレブンを見た。
「あ……ありがとう」
「あなた店員さん? ……じゃ、ないわよね」
カミュはなんでお前がとでも言いたげに眉を寄せていたが、イレブンはお構いなしに見様見真似で水をグラスに注いでいく。
「お店が忙しい時はたまにお手伝いさせていただいてるんです。ね?」
微笑みは崩さずに、カミュに同意を求める。カミュは困ったように笑いながら「そうなんです」と頷いた。
「悪い、正直助かった」
「カミュって女の人に弱いの?」
「女とか関係なしに、あの勢いでこられたら逃げられないだろ。一応客だし」
小声で話すカミュに対し、イレブンは気にせずいつものトーンで返した。
「へぇ。ふうん」
「……なんでそんな不服そうなんだ」
カミュは下げ皿を洗いながらカウンター越しにイレブンの表情を伺う。カウンター席に戻ったイレブンは食べかけになっていたアップルパイを齧り、すっかり冷めてしまった紅茶を啜った。
「カミュー! 三番さん提供おねがーい」
リーズレットに急かされて、カミュは洗いかけのカップをシンクに置きタオルで手を拭う。出来上がったばかりの料理皿を両腕に起用に乗せて、更に両手でも持った。一体どんなバランス感覚をしているのかとイレブンは毎度感心してしまう。
時計を見ればもう十二時を周っていて、ランチタイムのピークだった。満席とまではいかないが、いつの間にか席も随分と埋まってきている。最後の一口を急いで咀嚼し飲み込んで、空になった皿を下げにカウンターの中へ回り込む。
「店長、良かったら手伝います」
「あら、いいの? 正直すっごく助かっちゃうけど」
「ちょうど白シャツ着てるので。エプロン借りますね」
イレブンは勝手知ったるとばかりに制服のエプロンを見つけ出し身につける。カミュの行動をいつも目で追っていたから、この店のことなら大体わかってしまう自分が少し恐ろしい。ゴムで髪を結えれば、すぐにでもホールに出られる格好になる。この店の制服が白シャツに黒のエプロンという簡易なもので良かったと心の中で感謝した。
「イレブン?」
「カミュ。忙しそうだから僕も手伝う」
「マジか。悪いな、すげー助かる! あとでなんか奢る」
「いいよこのくらい」
有難いと両手を合わせてカミュに感謝されて、イレブンも満更ではない。
「洗い物やっとくね」
「助かるぜ」
「カミュー、これ一番さんね」
リーズレットは忙しそうに次々と料理を運んでくる。
彼女は最近、『元々こんなに繁盛する店ではなかったのにここ最近は女性客を中心にランチ需要が高まっていて手が回らない』と嘆いていた。
それは他でもない、あの男のせいなのだが。
当の本人は自分のせいで店が忙しいなどと露ほども思っていない様子でいるのだ。
——そして女の子に捕まっちゃうわけだ。
シンクに溜まった食器達をワシワシと洗い上げながら、イレブンはカミュの様子を目で追いかける。また妙に話を引き延ばされて戻って来れなくなっている彼を見て、思わずため息が溢れた。
「イレブン、ちょっと提供行ってくれるかしらー?」
リーズレットがキッチンから叫んでイレブンを呼びつける。飛び入りでヘルプに入ったイレブンにも容赦なく仕事を与える彼女はなんと厳しい店長だろうか。一部で魔女と呼ばれているのも頷ける。
「これ五番さんね。メニュー名くらいもう覚えてるでしょ?」
「お、覚えてます」
「やるじゃない」
彼女はウインクを投げてすぐにキッチンへと引っ込む。イレブンが常連だからこそできる丸投げっぷりに苦笑しつつ、指定された五番テーブルへと料理を運んだ。
「お待たせいたしました」
「あ、さっきのお手伝いの子だ」
「ほんとだー」
さっきの女子二人組だ。
イレブンは先ほどと同じように営業スマイルを浮かべてテーブルに料理を置いた。
「こちらはトマトの冷製パスタ。こちらがジャンボウニのクリームソースです」
「あなたさっきの青髪のウェイターさんと仲良いの?」
「あの人の連絡先教えてくれない?」
「えっ。あの、僕からは……」
ぐいぐい迫ってくる彼女らに気圧されて、イレブンは思わず一歩後退りをした。その拍子に何かと背中がぶつかって、バランスを崩す。
——うわ……!
ゆらりと地面にナイフが落ちてゆくのが見えて、しまったと手を伸ばす。しかし虚しくもイレブンの手は空を掴んでナイフは落下を続ける。
「おっと……」
すんでのところでナイフを拾い上げた何者かの手が視界を掠めていく。
「か、カミュ」
「イレブン、大丈夫か? ぶつかっちまって悪かったな」
気づけば平衡感覚を失ったはずのイレブンの腰はがっちりと掴まれている。そのおかげで転倒を免れたらしい。
「ごめん、ありがとう」
すぐに体勢を立て直して、カミュに短く礼を言う。顔がかぁっと熱くなるのを感じて、イレブンは逃げるようにカウンターの裏へ引っ込んだ。
カミュの様子を伺えば、先程の女性客達に軽く会釈をしているところだった。彼は二言三言会話を交わしてから、イレブンの方を見た。
それはもうしっかりと、ばっちり目が合ってしまった。
カミュとお客さんの前で醜態を晒した気まずさからすぐに顔を背けてしまう。
しかしずっとこのままでいるわけにもいかない。頭を切り替えなければとキッチンへ戻り、リーズレットの指示を仰いだ。
「あとは大丈夫そうね。もういいわよ」
「そ、そうですか……」
笑顔でお疲れ様と声をかけてくれたリーズレットには悪いが、正直忙しく働いて忘れたかった。
「よお、お疲れ」
イレブンのいつもの席に戻れば、カウンターに戻ってきたカミュに話しかけられる。
「……はぁ」
「なんだよ、ため息なんてついて」
「さっきの。地味に恥ずかしさが消えない」
「そんなことか。誰にも迷惑かけなかったんだからいいじゃねえか」
あっけらかんとカミュが言うので、イレブンはますます落ち込んでカウンターに突っ伏した。
「そういう問題じゃない……」
「気にすることねえのに」
頭上から苦笑いが降ってきて、イレブンは首をもたげてカミュを見た。
「そういえばさっきのお客さんたち、カミュになんて言ってたの?」
「んー、やたらと連絡先聞かれたな」
やっぱり。
「それで、根負けしたんだ」
「オイオイ。教えるわけないだろ」
「なんで。いつもめんどくさくなって結局教えちゃうくせに」
「いや、お前の機嫌悪くなるから」
「え」
思わずカミュを直視すると、今度はカミュが視線を逸らしてしまう。
「……あー、もう」
頬には僅かに朱が差して、カミュらしくない。誤魔化すようにガシガシと頭をかいているのもなんだか新鮮な反応だ。
「お前に毎日監視されてんの、気づいてないとでも?」
「監視って!」
「あらぁ、監視じゃなかったらなんなの?」
仕事が一段落したのか、リーズレットがまた揶揄いにやってくる。
「あんた達ホント、そう言うのは他所でやりなさい。せっかくの女性客が逃げてくわ」
呆れたように首を振るリーズレットに、カミュもイレブンも言い返すことはできなかった。
「じゃ、そういうことで。アンタもう上がりね」
「え、まだ時間……」
「イレブンのおかげでランチタイムもスムーズに捌けたし。オマケよ。アタシからのプレゼント♡」
デートでもしてきなさいな、とウインクを残して去っていった彼女の背中とカミュを交互に見る。しばらくして、沈黙を破ったのはカミュだった。
「じゃあ……行くか」
「どこに?」
イレブンが首を傾げて尋ねれば、カミュはニヤっと笑って、
「どこでも。お前の行きたいところ」
「それって……」
——デートじゃん!
イレブンは口に出そうになった単語を慌てて飲み込む。カミュは既にエプロンを外して身支度を整えている。
思わずあの女性客達の方を振り返ると、ムッとした顔がイレブンに集中していることに気づいた。
——ごめんね、お姉さん達!
心の中でこっそり勝ち誇って、イレブンも急いで支度を整えた。