寝ても覚めてもスリープモードは負担がかかるというのは、完全に眠っているのではなくてうたた寝程度の状態だからである。
人間でいえば、うつらうつらとしている状態のことだ―とファウストが言っていたのを思い出しながら、スノウは椅子の上で寝かけているフィガロをつついた。
とっくに退勤していまは自宅だが、忙しいフィガロは家でもラボにいるときと大して変わらないことをしている。かろうじて、食事と入浴は済ませて人間的生活は保ったにしても、いただけない。
「うわっ……なんですか、ちょっと」
「我にシャットダウンを迫る前に、自分がちゃんと寝てみせて欲しいのう」
「……この間のこと、根にもってるんですか」
「別に?」
フィガロが言っていたことは理解しているし、あの日はフィガロの手によって何事もなく目覚めて、おはようからおやすみまでスケジュール通りの一日を過ごした。不安に思っていたことなど、なにも起こらなかったのだ。
シャットダウンしたらそれきりかもしれないとか、目覚めたとき自分が自分でなくなっているかもしれないとか、そんなことは一切なく、疑いようないほど自分は自分だった。
けれども、それとこれとは話が違う。スノウは、目をしょぼつかせながらも笑みを浮かべているフィガロを呆れたまなざしで見た。
「覚えておれと言ったじゃろう」
「いまから仕返しされるのは嫌だな……」
「我、そんな性悪じゃありませーん」
「え……?」
「えっ?」
「いえ、何でも?」
フィガロの声なら聞き漏らすはずがないし、フィガロもまたそれくらいのことは知っているので、聞き返すということに意味らしい意味はない。会話のなかでの遊び。その程度のことである。
しかし、涼しい顔でそんなことができるのもアシストロイド相手に限られる。人間相手でもできないことはないのだが、メンタルの消耗が激しくなるので直後のパフォーマンスが著しく低下するのだ。そのケアやフォローをするのが彼のアシストロイドたる自分と、ホワイトの役目だった。いまも、そしてこれからもそれは変わらない。
変わっていくのは役目ではなく、心と関係だ。スノウはフィガロの真似をした微苦笑を浮かべてみせる。
「そなたはいいのう。寝ても覚めてもそなたはそなたじゃ」
「あなただって、寝ても覚めてもあなたでしょ」
「それは分からぬぞ。目覚めたら違う我になっておるかもしれぬ」
「ありえませんよ。それは……俺があなたの基礎の部分をどうこうしたり、メモリーを飛ばしたりデータを壊したりしない限り」
―もし自分が人であったなら、自分の自我や意識に不安や疑いをもたずに済んだだろうか
そう考えることはしばしばあるが、いまのところ毎回僅差で『現状が最適解』という答えに落ち着いている。その『現状』さえいつ何がきっかけで変わってしまうか分からないけれども、人間同士ではこうして向き合うことはおろか、出会うことすらないかもしれないのだ。出会ったところで関係が構築できるとも限らない。そう思えば、自我に対する不安が多少あろうともどうということはない。……かもしれない。わからないのだ。わからないことは考えても仕方がない。スノウは思考の展開を止めてまたフィガロをつつきだした。
「とにかく、そなたが寝ないなら我も寝るつもりはないからの」
「そういうプログラムにしてありますしね」
「なにその言い方~可愛くなーい」
「いい歳の人間に可愛さなんて期待しないでくださいよ」
「でも可愛げって必要じゃろ。人間もアシストロイドも」
可愛さと可愛げは違うのだが、いまのフィガロに説明しても同じことだと言うだけだろう。スノウは両手をフィガロの頭にやって「むむっ」と険しい顔をした。
「眠いときの脳波じゃ。というかほとんど寝ておる。寝ろ寝ろ」
「うわ~すごい。俺のアシストロイドは脳波までとれちゃう」
「痛み入りますぅ。作ったひとが天才なんですぅ」
自分のすべては、フィガロの手によってなるべくしてなっている。プログラム、機能、ボディに容姿、何から何まで―。フィガロによって作られた、彼だけのアシストロイド。それでいいのだ。たとえ人でなくとも、本当のぬくもりをもっていなくとも、彼の最高の『理解者』でいることはできるのだから。
スノウはフィガロに寝支度をさせると、寝室へと追い立ててさっさとベッドの中に入れてしまった。自発的に動くのを待っていたら早朝のニュースが始まってしまうからである。
「ありがとうございます。風呂と寝る準備って本当面倒で……」
「人間は大変じゃな。今日もよく頑張りました」
生きにくい世界を、生きにくいなりに生きるフィガロの前髪を額からそっとよけるように撫でてやりながら、スノウは微笑む。気休めのような言葉でも、寝入り端なら嬉しいのだろうか。フィガロは安心したように瞼をおろすとすぐに規則正しい寝息をたて始めたので、スノウはそれをしばらく見守った後上掛けをそっと持ち上げると自分の体をフィガロの隣に横たえた。
スリープモードに切り替えるならクレイドルに入ってもいいのだが、今夜はそういう気分ではなかったのだ。それに、隣で休んでいればフィガロになにかあったときもすぐに対応できる。理由はこれで充分だ。
「……おやすみ」
そう口にすれば、応えるように胸が発光し始めたので慌ててフィガロに背を向けたが、光がもれないよう手をやるスノウの表情は穏やかでどこか楽しげだった。
<おわり>