なにゆえなのでしょうかスリープモードは実のところ負担がかかるから、たまにシャットダウンしないといけない。……というのは、なにもパソコンやタブレットばかりの話ではない。アシストロイドとて人型の端末とみることもできるし、機能が搭載されていればいるほど、開くタスクが多ければ多いほど、CPU稼働率は上がり負荷がかかる。
メンテナンスを怠らないのは無論のことだが、日常的にリフレッシュをさせる必要があるのだ。
「……って、何度めですかね。これ説明するの」
「そなたはいままで食べた魚の数を覚えておるのか?」
「いえ全然」
同じやり取りになるのは、大体分かっている。けれども、もしかしたら今日は考え直してくれるかもしれないという希望も捨てきれず、同じ説明をする。強制力のある方法で命令すればシステムにより従うにせよ、可能な限りそれは避けたい。
スノウはカルディアシステムを搭載するアシストロイドなのだから、その心は尊重してやらないとシステムの在り方を否定することになる。そしてそれは発案、開発をした自らを否定することとほぼ同義である。
自分が最早スノウなしには成り立たない生活を送っていることを考えれば、おおよそ自分のためではないかと言われても仕方がないが、フィガロとしてはスノウのことを思って―と言いたいところでもあった。
「ほんの数時間のことですよ。俺が起きたらすぐ起動させますし」
「数時間……?八時間は眠れと言っておるじゃろう」
「あー……そっちに話転がすのは反則ですよ」
あまり言いたくはないし自覚もしたくないのだが、忙しいのだ。アカデミアの博士論文を書いていたときよりは寝ている気はするものの、ラボでの業務、システムの管理、開発にメディア向けのあれやこれや、その合間に人間をやっているのでタスクは倍どころの話ではない。多少人間的な生活を諦めてもよかったあのころが懐かしい。
結局今も若い頃もなにかを削りながらどうにか人間をやっていて、いまはスノウが支えてくれるので辛うじてといったところなので大事にしたいのだ。もちろん、スノウに何かあれば自分が直すには違いないが、何があるか分からない。不確定要素がある以上、対策はしておくにこしたことはない。
「どうしてそんなにシャットダウンを嫌がるんです?」
「我は、眠るのが恐ろしいのじゃ……」
「うーん……。メンテは平気なのに?」
メンテナンスを行うときはチップの出し入れをするのでシャットダウンの必要があるが、そういったときに嫌がる様子を見せたことはなかったはずだ。何なら、リフレッシュのためのシャットダウンだって以前からしている。嫌がり始めたのはここ最近だ。なにか外的要因があるのか、フィガロは考えながらスノウに尋ねた。
「メンテはメンテじゃ!すぐ復帰できるのが約束されておるからの」
「そうですか?メンテだって俺がちょっと思いついてそのままマナプレート抜きっぱなしにしちゃうかもしれないのに」
「そういうこと言うときは本当にはやらないもんね」
「それはまあ……まあ」
言い淀むフィガロに対してスノウはご機嫌な様子で笑っているが、誤魔化されてはいけない。前回シャットダウンしたときもかなり苦労して説き伏せたことを思うと、気が重い。しかしこの話について折れるというなら常日頃からこちらが折れているので、わざわざ話してまでシャットダウンを促すときはフィガロとしても譲りたくはないのだった。
「とにかく、今日はシャットダウンしてくださいね。明日メンテいれますから」
「明日?そんなのスケジュールにあった?」
「今捩じ込みました。メンテ前はリフレッシュさせておいた方がいいので、よろしくお願いしますね」
メンテと言っても口実にする程度だから、大がかりなことをするつもりはない。それを察しているのか、スノウも渋々な様子だったがスケジュールに追加したと告げると分かりやすく不満をあらわにした表情を浮かべた。
「……覚えておれよ」
「怖……」
いったいどんなタイミングで何をされるやら。あまり想像したくはないけれども、何はともあれ今回もどうにか押し切ることができた。相手が普通のアシストロイドならここまで苦労することはほとんどなくても、スノウには心がある。献身的ではあっても言いなりというわけではないのだ。それが励みになることもあれば悩みになることもある。フィガロは眉をきゅっとつりあげているスノウから目をそらして気まずそうに笑った。
◆◇◆
翌朝、アラームが鳴るのを待たずにすんなりと目が覚めた。
案外自力で起きられるものだと、寝起きの頭で感動しながらフィガロはベッドの上に起き上がる。人間らしい生活をするためにスノウが尽くしてくれるので、こうして自分ひとりで起きることは滅多にない。ホワイトがああなってしまう前はスノウとホワイトで日をずらしてリフレッシュさせていたので、必ずどちらかがオートで起動して起こしてくれたものだけれども―。
そろそろ向き合って、どうにかしないといけない。そんな思いをやんわり抱きながらあくびをひとつして、ベッドから降りる。
昨夜就寝する前にシャットダウンさせたスノウが、クレイドルに横たわっている。目を閉じて、細い四肢は脱力しているように見えた。眠るのが恐ろしいと言っていたスノウだったが、存外素直にされるがままシャットダウンを受け入れていたのをフィガロはぼんやりと思い出す。
メンテナンスもスリープモードも平気なのに、シャットダウンが怖いとは。そもそも、シャットダウンを『眠る』と表現するのはなにゆえか。起床直後の頭で考え事は捗らない。しかし、そんなことをしていないでスノウを起こしてやらなくてはいけない。フィガロはクレイドルを開けるとスノウを抱き起こした。
実を言うと、こうして手動で起動させるのが好きなのだ。自動で起動するようにしておくこともできるにはできるのだが、たまにこうして自分の手で起動させることで動く感情がある。こんなことを言えば、スノウはどんな顔をするだろうか。不安で怖くなる。
フィガロは瞼をおろしたスノウの頬を撫でて、そっとキスをした。埃をかぶったような童話の真似事か、それとも幻想文学みたいに現実感のない想像上の恋愛のイメージからかどうかは分からない。けれども一度衝動的にしてからというもの、やめられない。
恍惚として、ふと我にかえって頭が冷えるまでほんの数十秒の後、やっとスノウを起動させてその目が開くのを待つ。おはようを言う、その声が震えたりかすれたりしないように少し気を張りながら。
〈おわり〉