Engagement【⠀12 years of age : 5 more years to go⠀】
『アテネ』
それは、蒼い雫を零すという花。
その蜜を口に含めば、寿命が延びたり、未来が見えたりするらしい――
パタンッ
「スプリング、またここにいたのか」
教会の奥にある、古い本を集めた部屋。
寄付で集まったそれらは意外とさまざまなジャンルがあり、むずかしくて理解できないものも多いが、それでも少しだけカビの匂いがするこの空間がすきだった。
本を閉じ振り返れば、少し年上の明るい髪色の少年が立っている。
「……電解」
「読めるようになった本は増えたかな?」
「……まぁ」
一年ほど前から、ふらりと教会に現れるようになった『電解』と名乗った少年は、片方の目を包帯で覆っていた。
しかし、そんな異様な出で立ちに怯える皆の中で、彼の身なりや話し方でこいつは自分たちと同じではないと思ったのだ。
「良かった。君は物覚えが良くてとても優秀な生徒だよ」
「……どうも。でもまだ読めない本が沢山ある」
「……聞くのは何回目かになるけど……スプリング、君は何をそんなに焦っているだい」
まだ11歳だろう。
そう言われて、ぎゅっと唇を噛んだ。
「……もう、12だ」
そう、今日は己の誕生日。
その様子を勘違いしたらしい電解は慌てて謝ってくる。
「失礼した、そうだったのか。誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
「……?」
誕生日、という日を歓迎していないのが伝わったのだろう、怪訝そうな顔をする電解を置いて書庫を後にした所で、何かが腰の辺りにすごい勢いでぶつかってきた。
無意識にそれを受け止める。
「うわぁぁぁぁぁんんんん」
「……リリー、どうした?」
「すぷりんぐ……っっ」
こちらを見あげるつぶらな瞳は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
*
スプリングは痛む頬や、腕、傷が沢山できた足などを庇うこともせずに、口を閉ざしてそっぽを向いていた。
目の前では豪奢に己を着飾ったオバサンが「野蛮」とか「どういう育ちを」とか喚いている。
やがてシスターに頭を下げていた青い色のローブを纏った青年が「待たせたね」と柔和な笑みを浮かべて此方へやって来た。
「あら、アナタ……なんて旧型のオートマタなの!?」
「あはは、すみません」
「もしかして、この子のお家の?こんな乱暴な子初めて見たわ。きちんとお家で躾直しをなさった方が良いと思います。うちの子なんて怪我をしましたのよ」
「……でも、この子も怪我をしていますよね?」
うるさいオバサンだと思って聞き流していたけれど『アテネ』が俺の様子をみて、穏やかに、けれどしっかりとオバサンの方を向いて言った。
「帰りは、空から降ってくる災難に気をつけた方がいいかもしれませんよ」
「な……!なんて失礼な……!!!!!もう二度とこんな教会になんか来るものですか……!!!」
すごい剣幕で帰ってゆくオバサンを見送りながら「……本当なのに」と首をかしげる様子は、子どもの俺から見ても少し意地が悪い。
「スプリング、帰ろう。母さんが待ってるよ」
「…………」
「連絡が来てびっくりした。沢山怪我してるじゃないか。手当てしなきゃ」
「……叱らねえの」
流石にバツが悪く思っていたので、ちらりと見上げた表情が怒りの色ではないこと再度確認して、ぼそりと呟く。
何が起こったか全てを知っているのは自分たちだけだ。シスターは結果だけを見ておろおろと連絡をとったに過ぎない。
それを聞いたアテネは、少し首を傾けてその場にしゃがみ込んだ。服の裾が汚れてしまう、そんなことを思う。
座ってしまえば体躯の長いアテネだってスプリングよりも小さくなる。
今は隠されている瞳は、けれどしっかりこちらを見ていることが分かった。
「……きみは、賢い子だもの」
ふわりと微笑むから、なんだか胃のそこがぎゅっとする。叱られるより堪えた。
怪我をさせたことは事実だし、保護者を呼ばれたのも事実だ。自分が嫌になる。
無意識に俯いた視線の先に、差し出された深い灰色のグローブに包まれた手。
「……ほら、帰ろう?……あ、ごめん、もう手を繋ぐ歳じゃな………… !」
ぎゅっと、その手を取った。
体温を感じないのは薄手のグローブのせいで、自分より低めであるが、ぬるい温度を持つことを知っている。
その時、シスターが慌てた様子で声をかけてきた。
彼女の足元ではリリーが泣いている。その手にはぼろぼろになってしまった人形が抱きしめられていた。
経緯を聞いたらしいシスターがアテネにぺこぺこと頭を下げているのを気にせずに、一度手を離してしゃがみ込んだ。頭を撫でてやる。
「リリー、その人形明日まで借りてもいいか?」
「……ひっくう、、う、、いい、よ」
「ありがとな……明日、絶対返すから」
「あしたも、きてくれるの?」
「ああ……ちょっと遅くなるけど」
連日で教会へ来ることはあまり無かったが、明日は市場の手伝いの後なら寄れるだろう、と考える。
差し出された人形を優しく受け取って、にぱ、と
を笑ったリリーの頭をもう一度撫でた。
手当てを、と焦っているシスターに大丈夫だと言って、今度こそ教会を後にする。挨拶をして追いついてきたアテネは嬉しそうに「んふふ」と笑って満足気だ。
「ほら、ね」
「…………」
人形を抱いていない方の手で、差し出されてもいないアテネの手を握る。
すると何故か感極まったように「~~~可愛い!!!」と叫んで抱きあげて来たのでそれには流石に抵抗した。
「重いだろ!下ろせ!」
「やだよ。君は怪我をしているし、何より英雄だ」
「そんなんじゃない」
「まだ君くらいなら抱っこできるよ」
もうすぐ出来なくなっちゃうんだから、今日くらいいいじゃないか。
そう言われて暴れる気を削ぐのは本当にずるいと思った。アテネは、黙り込んだスプリングを、何度も抱え直しながら大事そうに背中を撫でる。
そして、限られたもののみにしか口に出来ない名前を温かい声音に乗せて、祝福を降らせた。
「お誕生日おめでとう――ナワーブ」