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    shimotukeno

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    shimotukeno

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    フーイル小説の続き  雨降って地固まる

    フーイル小説のつづき落ち葉まみれになっている庭を見て、イルーゾォは苦笑した。庭の木々の葉だけでなく、近くの林から飛んできたものもある。壁のツタも剪定したので、集めれば結構な量だ。鉢植えの植え替えもある。もし自分が目覚めていなかったら、フーゴはこれも一人でやらなければならなかった。あいつはちょっぴり運がいい。
     それにしても長閑すぎる。田舎の屋敷に住んで手ずから庭の手入れだなんて、まるでじじいの隠居生活だとイルーゾォは思った。もう暗殺など請け負う気はさらさらないので似たようなものだけれど。春になればまた様々な花が咲く。パーゴラのモッコウバラの下で、フーゴと庭を肴にワイングラスでも傾けようか。その前に、その辺へ野生のアスパラガスを採りに行くのも悪くない。何にせよ、じじいの隠居生活ぶりにますます磨きがかかるな、とイルーゾォはくつくつ笑った。この調子では、そのうち庭で野菜を作り始めるかもしれない。
     広い庭に落ち葉の山をいくつか作り、パーゴラの下のテーブルに置いたゴミ袋を持ってこようと振り返った時だった。
     がさり。
     背後の茂みで何かが動く音がした。音からしてそう大きいものではなさそうだ。このあたりは色々な野生動物がいるらしいので、イタチか何かだろうと思って、足下を見たイルーゾォは、硬直した。
     蛇。
     頭をもたげ、小さな炎のような舌をチロチロ出し入れしている。大蛇というほどでもなく、どこにでもいそうな蛇だ。そう、ただの蛇。体の真ん中がレンガになっているあの奇妙な蛇ではない。だが、イルーゾォの恐怖を呼び起こすには十分であった。
    「は……あ……! は……っ!」
     体が動かない。心臓を乱暴に掴まれたような心地だ。全身から脂汗がじわりと出てくるのを感じる。気管に何かが詰まったように息が出来ない。
     たかが蛇じゃあないか? 毒もないかもしれない。でも。
     心臓が熱い、だのに寒気がする。体の細胞が、脂汗に混じって流れていくような感覚がする。声さえ出れば、体の緊張も解けるかも知れないけれど、今は声の出し方がわからなくなっていた。
     イルーゾォの精神は、ポンペイの「あの時」に戻っていた。
     距離を取りたい。鏡はどこにある? ポケットには入っていない。気が緩みすぎだ。いや、声も出せないのに、スタンドが使えるもんか。
     それでも逃げたい! 恐ろしいのだ! 死が体中を舐め尽くすような熱さの記憶から逃れたいのだ!
     ――その瞬間、イルーゾォは神経という神経に冷水を流し込まれたかのように、急激に冷静さを取り戻した。
     どうして死にたがっているはずの自分が動けなくなっているんだ? どうして今逃げたいと切望したのだ? どうして今、死への恐怖を感じた? 目覚めてすぐ、フーゴに首を絞めさせた時はちっとも怖くなかった、むしろ安堵すら感じていたというのに?
     拠るところも、帰る場所もなく、仲間は死に、生きた証はすべて灰になった。生きる目的などない。ただしくじって、死にぞこなった自分は死ななくてはいけない。そのはずだった。それなのに今更死ぬのが怖いだって? 春になったら、だって? 今の今まで、死ななくてはいけないことをすっかり忘れてしまっていた! 「お前は詰めが甘いところがある」とリゾットにたしなめられたことがある。本当にそうだった。ポンペイでだって今だって、「あとでいい」「今でなくとも大丈夫」そうしているうちに取り返しのつかない状況になっている。
     イルーゾォは膝から崩れ落ちる。死ななくてはいけないことを忘れていた自分が情けなかった。一瞬でも死を怖がった自分が呪わしかった。すぐに死ななくてはいけない。今の気持ちを忘れる前に、死ななくては。秋風が蕭蕭と吹いて、落ち葉の山を蹴散らしていった。
     この蛇が毒蛇ならちょうどいい。それで死ぬなら、マヌケな奴だと思ってあの人のいいフーゴも諦めがつくだろう。そうであってくれ。
     イルーゾォは救いをもとめるように、蛇に手を伸ばした。

    「イルーゾォさん、すこし休憩しませんか?」
     フーゴは家の中から声を張り上げた。一休みするのにいい時間だ。ビスコッティも、とっておきのジェラートもある。だが、返事がない。風の音で聞こえなかったのだろうか。フーゴは外に出てイルーゾォに呼びかける。
    「イルーゾォさん、休憩にしましょう。お湯も沸いて……」
     座り込むイルーゾォの姿を認めたフーゴは、瞬時に血相を変えてゴム毬のように飛び出した。パープル・ヘイズで蛇をつかむと、力の限り遠くへ投げる。少しして、どさ、と鈍い音がした。
    「イルーゾォさん、大丈夫ですか!? しっかりしてください! 大して毒のないやつですが、噛まれたりしてませんよね!?」
     イルーゾォは真っ青な顔のまま、何も答えなかった。すぐさまイルーゾォの手を確認したところ、噛み傷はないのでフーゴはひとまずほっとした。恐らく、蛇に出くわして体が固まってしまったのだろう。それだけの恐怖を彼に与えた自覚はある。
     イルーゾォをパーゴラの下の長椅子に座らせると、フーゴは家に戻りハーブティーを淹れ、イルーゾォの前のテーブルにコトリと置いた。
    「どうぞ。カモミールには気分を落ち着かせる効果があるそうですから」
     フーゴはイルーゾォの左隣に座り、その背をさする。自分の背中よりずっと広いはずなのに、なんだか子供のように思えた。
    「大丈夫です。僕のパープル・ヘイズがあなたを傷つけることはありません。ジョルノのゴールド・エクスペリエンスも、ミスタの弾丸も、何も。だから……」
    「そう……じゃあ、ねえんだ……そうじゃあ……」
     イルーゾォの声は消え入りそうな、か細い声だった。なんだか不吉な予感がしながら、フーゴは尋ねる。
    「どういうことですか?」
    「……」
     イルーゾォはうつむいたまま答えない。
    「教えてもらえませんか。僕では力になれるか、わかりませんが……」
     イルーゾォはうつろな目で恐る恐るフーゴを見て、何かを言おうとしたが、何度もためらった。ハーブティーがすっかりぬるくなっても、声が出なかった。フーゴは根気よく待つ。とはいえ、このままでは何も進展がない。フーゴはイルーゾォが手を伸ばしていたことをふと思い出した。蛇を払いのけようとして、しかし触れなかったのではなく、蛇に噛まれようとしていたとしたら? 蛇は彼にとって死の予兆そのものだろう。蛇によってパープル・ヘイズに捕らえられたし、実際に仲間はヘビ毒で死んでいる。その蛇に噛まれようとするということは、彼は死を求めていたのだ。突然、どうしようもなく、彼は死にたくなったのだ。
    「ひょっとして……死のうとしたんですか」
     イルーゾォはうつむいたまま、何も答えない。その沈黙をもって、イルーゾォは肯定していた。
    「なにが、あったんですか……?」
    「……蛇を、見て……」イルーゾォはぽつりぽつりと話し出した。「おれは、まじにびびっちまった……。死ぬのが怖くなっちまったんだ……。死ななくっちゃあいけないのに、いまさら、怖くなったんだ……。もっとはやく死ななくちゃいけなかったんだ……」
     高熱に浮かされた病人のうわごとのようにイルーゾォは語る。フーゴはイルーゾォの顔をのぞき込もうとするが、長い髪の毛に阻まれてよく見えない。フーゴは静かに問う。
    「どうしても、あなたは死ななくてはいけないのですか?」
     イルーゾォはゆっくり、深く頷く。
    「生きる目的もねえんだ……皆のところにいかなくちゃ……」
    「生きる目的、ですか……」
     フーゴは空を見上げる。鈴掛の木の葉が、風に吹かれ何処ともなく飛んでいった。イルーゾォの左手を握ると、彼は少し驚いたようにうなだれたままフーゴを見た。とばりのように顔にかかる髪の隙間から、二つの濁った柘榴石が覗いている。
    「どうしてもあなたが死ぬと言うときには、僕も一緒に死んでもいいですか? 駄目と言われても、僕はあなたを追いかけますが」
    「え……?」イルーゾォは顔を上げた。
    「ごめんなさい。僕はあなたに嘘をつきました。『遠い街でひっそり生きようとした』なんて、大嘘です。本当は死ぬつもりでした。僕のウイルスは光の中では数十秒も生きられない。スタンドが本人を映すのなら……わかりますよね? 僕のような日陰者は、太陽の下では生きられない」
     イルーゾォは心底驚いた表情のまま、フーゴの横顔を見つめていた。
    「でも、出発前にポンペイに寄ったら、ジョルノとミスタが待ち構えてて。連れてこられた屋敷には、僕のウイルスで死んだはずのあなたが眠っていた。どんなに嬉しかったか……。ジョルノの血清と再生能力があったにしても、あなたが生き延びていた。いつしか、あなた自身が僕の喜びになっていたんです。生きる喜びにね。あなたが死んだら僕の生きる意味もなくなる。共に死ねたら、その方が僕は嬉しいんです」
     フーゴはイルーゾォに振り向き、それは美しく微笑んだ。その場しのぎの言葉ではなく、嘘偽りのない本心であることは、イルーゾォにも痛いほど伝わっていた。そして彼の思いが錯覚によるものではないことも。だからこそ、信じられないものを見るような目つきでフーゴを見つめていた。
    「あなたの心がチームに引っ張られているように、僕の心もまた、そうなのです」
    「なんでだよ……お前は、……お前には、死んでほしくねえってのに……」
     イルーゾォは頭を抱えてうずくまる。
    「人はいずれ死にますよ。ちょっぴり早まるだけです。それよりも、喜びもなく日々を繰り返す方が僕は恐ろしい。そうまでして生きのびたいとは思いません。あなたもわかるのでは?」
    「いやだ……いやだ……」
     イルーゾォは駄々っ子のように頭を振り、すすり泣く。正直なところ、フーゴの方が驚いていた。イルーゾォが泣くとは思っていなかった。死のうと思った人間が、また生きていこうと思うのには体力にしろ動機にしろある程度のエネルギーがいる。だが、誰かに死んでほしくないと思うことにはそれほどの理由は必要としない。それは知っているけれど。
    「どうして……」
     どうして自分なのだろう。浮かび上がった疑問が自然と口から滑り落ちていった。
    「お前は、いいやつだから……皆の話を聞いてくれた。皆のために泣いてくれた……」
    「ああ、あの時の……」イルーゾォが作ったチョコラータカルダを飲んだとき、暗殺者たちの温かなひとときを思い浮かべて確かに涙が出た。ごまかしたつもりだったが、しっかりと見られていたらしい。
    「そういうお前が、大幹部になってもっといい目を見てほしいと思うのは、おかしなことか? 報われてほしいって思うのは当然だろ?」
     イルーゾォは顔を上げる。頬は泣き濡らしてびっしょりになっていた。右半分の痕が、濡れ光ってとても美しい、とフーゴは思った。なんだ、あなただって、僕のために泣いてくれるじゃあないか。フーゴはイルーゾォの左手を両手で包み込み、口を開いた。
    「では、こうしましょう。僕のせいにしてください。あなたが死ねないのは、僕のせいです。あなたが死ねないのは、あなたについていく僕の身勝手のせいです」
     イルーゾォははっと目を見開く。彼の目はフーゴを見ているようでも、どこか遠くを見ているようでもあった。まとめていない髪が揺れ、濡れた頬にひっつき、下唇がひくひくと小刻みに震える。
    「いやだ。……いやだ!」イルーゾォは濡れた柘榴石でキッとフーゴを見据えた。「そんなの、このイルーゾォの誇りが許すものか。俺が甘いせいだ。ああくそ、情けねえ……」
    イルーゾォは乱れた髪をかき上げ、口をつぐむ。長い睫毛に引っかかった涙の最後の滴が散じ、赤い瞳が一瞬きらりと光った。フーゴはイルーゾォの次の言葉を待っていた。
    「……フーゴ、お前は今の組織でのし上がれ。あのいかれたジョルノだってお前を待ってる。お前は買われてる、俺もお前を買ってる」
    「え……?」
     思いも寄らないイルーゾォの言葉は、聞いたことのない異国の言葉のようでもあった。なんて言ったかは分かるが、急に何を言い出したのかわからない。イルーゾォはワイシャツの袖で涙を乱雑に拭うと、右手でフーゴの手を強く握った。
    「一人で、とは言わねえ。俺も一緒だ。力を貸す。日陰者だって言うなら、お前が木陰を作ればいいだろ。あのどうかしてるジョルノだって、お前の頭脳だけじゃあなくって、一歩引いたところから、痛いくらい現実を直視しているところも評価してんじゃねえのか」
     イルーゾォは早口でまくし立てる。なんとか聞き取ったが、飲み込むまでに時間がかかった。飲み込んでも、自分の理解が正しいのかわからない。何か含みがあるのだろうか? 逆説表現か? 反語表現か? イルーゾォが、力を貸すから大幹部になれと言っているように聞こえる。言葉通り受け取っていいものだろうか。でも、彼のこの手は? 力のこもったこの手は、まっすぐな想いを伝えようとしている。
    「なんとかいえよぉ……」気まずい沈黙に、イルーゾォが音を上げた。
    「あの、その……言葉通り受け取っていいものか……わからなくて……」
    「……そのまんまだよ。なんでわかんねえんだよ、IQ152もあんだろ」
     イルーゾォはぶつぶつ言って口を尖らす。とはいえ、話が飛躍していてよくわからない。さっきまであんなに死にたがっていたのに。
    「いいか? お前には死んでほしくないんだよ、いいやつだからな」
    「ええ、そこまではさっき聞きました」
    「出世して、いい目を見てほしい」
    「まあ、そこも」
    「死ぬのが怖くなったのは、俺がそうなったからで、お前のせいじゃねえよ。ガキのお前に、そこまで責任取らせる程このイルーゾォ、落ちてねえよ!」
    「あっはい……」
     イルーゾォが急に怒りだしたので、フーゴはあっけにとられる。思えば、ポンペイで会ったイルーゾォは、かなりプライドが高いタイプに見えた。年下の子供に庇われるのは我慢できないのだろう。怪我の功名といったところだろうか。
    「それに、いつの間にか生きるのも悪くなくなっちまってた。春になって、花が咲いて……この木の下で、くだらねえこと喋りながら、ワイン飲んだら楽しいんじゃあねえかってうっかり思っちまうくらいにはな……」
    「ああ……とても楽しいでしょうね」
     二人は花が眠っているモッコウバラを見上げた。深い緑の葉の中に、八重咲きの花がこぼれるばかりに咲いたら、さぞ綺麗だろう。庭やその先の野の木々だって花を付ける半年先の未来を、二人は思い描いた。
     イルーゾォはすっかりぬるくなったハーブティーを一息に飲み干す。
    「俺たちの声を聞いたお前が、幹部になってくれりゃあそれでよかったんだが、俺が死んだらお前を道連れにしちまうみたいだし。そんなの、無駄死にもいいところだ……」
     イルーゾォはふんと自嘲っぽく笑って、かつてリゾットにかけられた言葉を思い出していた。今ここで死ぬよりも、生きる方が辛いかもしれない。死への恐怖はあっても、死ねばそれまでだからだ。かつて自分はそういう道を選んでしまった。あの時はリゾットが自分の力を見込んでくれた。自分も、リゾットという人物に惚れ込んだ。今フーゴは自分に人生の価値を見いだしている。自分もまた、フーゴを見込んでいる。
    「それに、だ。みんな戦って死んだのに、俺だけそんなだとかっこ悪いし、なんて言われるかわかったもんじゃねえ。ちゃんと見届けねえと、あの世で胸張って会えねえよ」
     リゾットの言葉を忘れ今易きに流されたら、リゾットに、戦って死んでいった皆に顔向けできない。
     それにもし、自分ではないチームの誰かが生き残ったとして、自分はそいつが地獄に来ることを喜びはしない。何やってんだ、こっちに来るんじゃねえと文句を飛ばすし石も投げる。それは皆一緒だ。「お前だけ生き残るなんて」などという奴はいない。確信できるだけの時を共に過ごしてきた。
     そもそも今イルーゾォが死んだところで、特に何かが変わるわけではない。アジトの後始末も終わり、チームの秘匿も、メンバーが全滅した上に組織ごと生まれ変わった今では意味をなさない。唯一死ぬタイミングとやらがあったとしたら、目覚めた直後だった。だがそれもイルーゾォは見送った。「生きていてほしい」と泣くフーゴを見て躊躇したばかりに、今度は自分が「死んでほしくない」と泣く羽目になった。
     ――ずっとわかっていた。本当はずっとわかっていたのだ。大きく、深すぎる寂寞が目を曇らせていただけで。
    「……なんだ。俺ははじめっから、死ぬタイミングを逃してたんだな」
     フーゴに対しては、最初こそ哀れみにも似た感情だったかもしれない。けれど、今はそうではない。イルーゾォ自身、その感情に薄々勘づいているが、フーゴのようにまっすぐに表現する素直な純粋さ――彼のも事故のようなものではあるが――はなかった。もし問われたら、ただ放っておけない感じがしたのだとイルーゾォは答えるつもりでいる。
     フーゴは紫水晶の瞳に妙な光を宿らせてイルーゾォの顔を見つめていた。
    「イルーゾォさん。もし……僕が幹部になったら、その後も、僕といてくれるんですか?」
     不意にフーゴが口を開いた。
    「お? おー……そうだなァ……」想定外の問いに、イルーゾォは目を泳がせる。「まあ、お前が飽きるまでは……。他に行くアテもねえし、直にジョルノの言うこと聞くのはシャクだが、お前を介するなら誰も文句は言わないだろ」
    「では、僕からあなたを手放さない限り、生涯を共にしてくれるというわけですね」
     フーゴは食い気味に言うと、含みのある表情でにこりと笑いかけた。
    「うん……そういうことになるな……」イルーゾォは反射的に答えて、光の速さで我に返った。「――何だって!?」
     フーゴは頬をばら色に染めてくすくす笑っている。これではまるで、フーゴの生涯の伴侶になるのを承諾したみたいではないか。
    「フフ、なんだかひっかけみたいに――」
    「ああいいぜ!」イルーゾォはやけくそ気味に言った。「このイルーゾォに二言はねえ。伴侶にでも何でもなってやるよ!」
    「ええ!?」
    「何たまげてんだよ!? お前が先に好きとか言ったんじゃあねえか! 俺だってなあ……!」
     イルーゾォは慌てて口を塞ぐ。しかし後の祭りだった。フーゴと同じように、事故同然に胸中を明かしてしまった。フーゴは瞳を子犬のように潤ませ、顔ばかりか手まで真っ赤に染めている。
    「あ、あの」
    「な、なんだよっ」
     うわずった声で、たどたどしく言うフーゴに、イルーゾォもつられてしまう。
    「触れてもいいですか」
    「寝てる間に、もう全部触ってんだろ」
    「あなたに許可してほしいんです」
     フーゴは真っ赤になった手を膝の上でかたく握りしめる。イルーゾォはぎこちない動きで、フーゴの頬に手を添えた。フーゴの顔はイルーゾォの大きな手におさまってしまいそうなほどこぢんまりとしていた。そして熱く燃えていた。
    「いちいち許可なんていらねえって。ハハ、蒸したてのパンみてーに熱くなってら」
     フーゴはイルーゾォの手に自分の手を添え、恍惚とした表情で頬ずりをする。イルーゾォはごくりとつばを飲んだ。
     フーゴもまた手を伸ばし、イルーゾォの右頬に触れる。起伏を愛でるような、慈しむような手つきで。
    「やっぱり気になるか?」
     イルーゾォはフーゴの指を目で追いながら聞いた。
    「ちっとも。僕は好きです。今のあなたも」
    「お前からのもらいモンだしな。それに、『痕(これ)』がなかった頃には戻れない。俺の弱さの証だ。残しておいていいよな?」
    「あなたが生き延びてくれた証ですから」
     フーゴとイルーゾォは同時に目を細める。どちらからともなく顔を近づけ、唇を重ねた。唇を離しても、互いの睫毛が絡むほど顔を近づけたまま、フーゴはイルーゾォの後頭部に手を這わせ、長い髪をかき上げる。シャンプーの香りとともに汗がふわりと香った。
    「あなたもだいぶ熱そうです」
    「まあな。あちーよなあ……」
     そう言いながらイルーゾォも、フーゴの髪をかき上げる。彼の髪も汗ばんでいる。
    「そうだ」思い出したようにフーゴが声を上げた。「もともと休憩しようと呼びに来たんですよ、僕は。ジェラートでもどうです? とっておきのなんですが」
    「いいけど……」
     イルーゾォは庭を見回した。集めておいた葉っぱはみな散らかってしまっていた。ジェラートを食べて、なんだかんだと話をしていたらきっと暗くなってしまう。フーゴも普段なら自制がきくが、今日に限っては確実にそうなる予感がした。
    「葉っぱならまた明日集めればいいんですよ。一緒にやれば早いですから。ね、イルーゾォさん」
     フーゴは立ち上がって、イルーゾォに手を伸ばす。だがイルーゾォは不満げな目つきで見上げた。
    「『さん』って他人行儀じゃあねーか?」
    「いきなり面倒な人だなあ」フーゴは困ったように笑って言った。「いきましょう、イルーゾォ」
     イルーゾォは勝ち気な笑みを浮かべ、フーゴの手を取った。


     ◆


     十一月二日、万霊節。この日は多くのイタリア人が先祖の墓参りをする。パッショーネの構成員も例外ではない。むしろ、春先に起こった組織内の革命により命を落とした構成員もいたため、普段よりも墓地に出向く者が多かろう。
     フーゴは今日返却する暗殺チームの資料を何度も確認していた。イルーゾォの聞き取り報告書もすっかり出来上がったので、それも併せて確認を重ねる。暗殺チームの資料は現時点では極秘扱いで、イルーゾォが生きていることも上層部のごく一部を除き知られていない。ジョルノが組織を再編する過程で、麻薬を扱うチームや人身売買に関するチームは解体され、離反者も出た。ディアボロ時代を懐かしむ者もいる。組織としても「在り方」が大きく変わったので当然ではある。真っ先にディアボロに反旗を翻した暗殺チームの生き残りに、そうした者達の復讐の矛先が向くことは十分考えられた。
    「ポンペイの資料は初めからありませんでしたよね?」
     ネクタイを締めるイルーゾォの背に、フーゴが話しかける。
    「なかったろ。最初に開けたとき、一緒に見てたじゃねーか……? 俺が生きてるのはまだ秘密なんだろ。あらかじめ抜いておいて、金庫とかに入れてあるんだよ、きっと」
    「ええ。そうでしたよね」
     フーゴはドキュメントケースを鍵付きのアタッシュケースに収めると、櫛とヘアゴムを持って軽い足取りでイルーゾォの方へ歩いて行った。あの日以来、イルーゾォの髪はフーゴが結うようになっている。長く豊かな黒髪は色々といじり甲斐があるが、今日は墓参りと言うことで綺麗な一つ結びにした。
    「はい、すっかり出来上がりました」
    「グラッツェ」
     イルーゾォにとっては久々の外出であった。季節が移ろい、色が変わった景色をぼんやりと窓から眺める。チームの時はあの日から止まってしまっていたのに、世界は構うことなく動き続けている。もっとも、世界の裏側にいた自分たちがいようがいまいが、気付かれることもないのだろうけど。
    「もうすぐつきますよ」
    「分かった。俺は先に行ってる」
     イルーゾォは鏡を取り出して、自らを映しこみ鏡の中に移動した。マン・イン・ザ・ミラーに傷がついてしまったが、能力そのものに影響がなかったのは幸運だった。体力がさらに回復すれば持続力も戻るだろう。
     車が止まり、フーゴがドアを開けたタイミングで車から降りる。鏡で周囲を確認すると、なるほど構成員らしき人物が多数うろついていた。ジョルノやミスタ、トリッシュの姿もある。
     イルーゾォは花束を持ってあらかじめ教わっていた場所に赴く。鏡の外でも人気がなく、あたりはひっそりとしている。大きな台座のような真新しい墓石に、七つの骨を納めるロッカーのようなものがある。イタリア各地で、離ればなれに死んでいったチームは今一カ所に眠っていた。二年前に死んだソルベとジェラートもジョルノの計らいで最近となりに引っ越してきたらしい。合理主義的な彼がそこまでしてくれるとは、正直意外だった。チームメンバーの親戚が組織の大物とかならともかく、そういったパイプもない上に全員死んでいる(ということになっている)敵対したチームの埋葬をここまで手厚く行う意味はあまりない。完全に彼の気持ち一つから出た行動だ。相変わらず掴み所のないガキだと思いつつ、今は素直に感じ入ることができた。
     鏡文字の刻まれた墓石に花を手向けると、大きな柳の木が風に寄り添ってたおやかな枝を揺らした。冷たい墓石に手を置く。皆の分も生きる、などとは言わない。ただ命に終わりの来るその日まで、生き続けるだけだ。
    「堂々と歩けるようになったら……また来るから」
     イルーゾォは静かに語りかけると、マン・イン・ザ・ミラーを伴って墓所を後にした。
     

     その頃、フーゴは花束とアタッシュケースを携えてブチャラティ達の墓に向かっていた。ブチャラティの墓には、組織の者だけでなく彼を慕っていたネアポリス市民からも花が手向けられ、墓石は花で埋もれそうになっている。
     すぐ傍ではジョルノ、ミスタ、トリッシュが談笑していた。フーゴの気配に気付いたジョルノは、フーゴに笑いかける。
    「フーゴ、ちょうどいいところに」
    「ああ、ジョルノ。二人も」
     フーゴはまぶしそうに目を細めながらアタッシュケースを差し出す。
    「この資料、お返しします。とても役に立ちました」
    「よし、こっちで預かるぜ」
     ミスタはケースを受け取ると、懐から出した亀にケースを仕舞う。ジョルノはフーゴに近づいて、耳打ちするように尋ねる。
    「彼もここへ?」
    「ええ。中から」
    「そうか。元気そうでよかった。フーゴ、君も」
    「僕もですか?」
    「自分では気付かない? 以前よりも生き生きして見えるけれど」
     ジョルノがほほ笑みかけると、フーゴの頬にほんのり赤みが差す。おはようからおやすみまで一緒なので当然だが、外から指摘されると面はゆい。
    「いえ。……おかげさまで」フーゴは頬をかいた「で、では待たせるといけないので、僕はこれで!」
     フーゴは花を手向けるとそそくさと立ち去った。涼しい秋風が頬辺を優しく撫でてくれた。
    「フーゴの奴、こんな時くらい一人にならなくってもいいのになあ~」
     足早に立ち去るフーゴの背中を見てミスタがぼやいた。「今は一人じゃないから、彼は急いでるんですよ」
    「ああ! そういうことね」
     得心がいって、ミスタはにっと笑った。あの二人はなかなか上手くいっているらしい。ミスタはトリッシュがあらぬ方向を不思議そうに見つめているのに気付いた。
    「……トリッシュ、どうした?」
    「あのあたり、さっきから誰も近寄ってないのに……急に花が現れたように見えて。気のせいかしら」
    「そりゃ多分、気のせいじゃあねーな……」
     ミスタはわざとらしく、脅かすような声色で言ったが、トリッシュはジョルノと目を合わせて肩をすくめるのだった。
     
     車に戻ると、ちょうどイルーゾォも戻ってきたところだったらしい。サイドミラーを覗くと、イルーゾォが歩いてくるのが見えた。彼が乗り込むのを確認してから車を発進させる。
     しばらくすると、イルーゾォが鏡の世界を解除して戻ってきた。
    「おかえりなさい。どうでしたか」
    「ただいま。どうって言われてもなァ」イルーゾォは苦笑した。「――ジョルノにありがとうって伝えてくれ」
    「あのね。そういうのは自分で言ってくださいよ」
    「……それもそうだな」
     イルーゾォは窓の外を眺めた。車は街中へ向かっていく。アジトの方へ。
    「アジトに行く前に、お昼にしましょう。近くに馴染みの店があるんですよ。個室を予約しましたし、店の者は口が堅いから大丈夫」
    「外食か。久しぶりだな」
    「もちろん、味も保証します」
     得意げに言うフーゴを見て、イルーゾォも笑みをこぼした。
     目的地のリストランテは路地裏にあって、観光客向けというよりは地元の人の憩いの場のようだ。フーゴの口ぶりからして裏社会の人間も出入りしているのだろう。
     鏡の外にいるフーゴに続いて、店内に足を踏み入れる。白い漆喰の壁と深みのあるマホガニーのコントラストが効いていて、店内は明るく上品な雰囲気だ。案内された個室もこぢんまりとしていて二人きりならちょうどいい。窓もないので誰かに盗み見られる心配もなかった。
     ウェイターが出て行ったのを確認すると、イルーゾォも能力を解除して腰を下ろす。フーゴはこの店に自然に馴染んでいた。幼い頃よりこういった上品な店に出入りしていたのだろう。
    「イルーゾォ? 僕の顔に何かついてますか?」
    「いや。お前の顔くらいしか見るもんないからさ」
    「なんですかそれ」
     フーゴはくすくす笑った。
    「こういう個室で真面目に飯食うの、俺はあんまりなかったなって。対象の調査とか張り込みとかでいい店入ることはあっても、完全オフの日に飯食ったりとかはな……。ホルマジオみてえに女をデートに誘ったりとかしなかったし。そもそも用事がなきゃ外に出なかったからなあ」
     イルーゾォがぼやく。そういえば、屋敷の敷地外から出られないことに対してイルーゾォは文句の一つも言わなかったなとフーゴは思った。外出できなくても、あまりそれが苦にならないタイプなのだろう。そういった性分もスタンド能力に反映されているのだろうか。
    「あっもちろん誘われればついていくぜ?」繕うように早口でイルーゾォは言った。「自分からは出かけないってだけで、出かけるのが嫌いってわけじゃあねえし」
    「ふうん。どこでもいいんですか? 遠くでも?」
    「まあな。電車の窓から見える景色は結構好きだしな。バスとか、船とかも。俺は飛行機乗って任務行ったことねえから、飛行機はわからねえけど」
     配膳された皿を目で追いながらイルーゾォが答える。
    「なら、飛行機の窓から見る景色も、きっと好きだと思いますよ。そうだ、僕が幹部になって、長めの休みが取れたら……どうですか? 思いっきり遠くに出かけてみるっていうのは」
    「飛行機に乗って行くようなところか。アジアとか、アメリカとかか?」
    「そうですね……」フーゴは少し考えてから言った。「ヨセミテ国立公園とかいいかも。メトロポリタン美術館も行ってみたい。あとはインカ道をトレッキングとか、中国の博物館もいいし、オーストラリアでコアラを抱っこするってのは? 春なら、日本にサクラを観に行くってのもアリですね」
    「サクラ? なんだっけ、それ」
     グラスのワインを揺らしながらイルーゾォが聞いた。
    「うすピンクの花です。よく日本のイメージ映像に出てくるでしょう。あちこちに植えられていて、満開になると壮観だそうで……いつ頃咲くのかが日本じゃあニュースになるんだそうですよ」
    「天気予報みてえにか? ハハ、平和かよ」
     軽快にイルーゾォが笑うと、フーゴもつられて笑った。たかが花を見に遙か遠くの国に行くというのも妙な話だが、悪くない。どれも空想の域を出ない戯れ言だが、二人の瞳にはささやかな希望が灯っていた。
     
     
     リストランテを後にして、二人はアジト跡地へ向かう。幸いにも人が立ち入り可能な程度の焼損で、火元から離れた場所は案外焼け残ったものもあるという。焼け跡は既に組織によって捜索されたが、めぼしいものは見つからなかった。チームの情報にまつわるものはリゾットが別に処分したのだろう。
     アジトの中に入り、イルーゾォは能力を解除した。皆が集っていたリビングはかなり焼けていて、ソファは金属部分だけになっているし、本棚の中身は一つも残っていなかった。黒焦げの瓶があちこちに散乱している。靴にコツンと何かがぶつかったので拾い上げてみると、マグカップだった。デザインからしてペッシのものだろう。
    「あ……」
     マグカップの本体は取っ手からぽろりと落ちて、無惨にも砕けた。イルーゾォの手には取っ手だけが残された。イルーゾォは取っ手を静かに床に置き、そのまましゃがみ込んだ。
    「イルーゾォ……」
    「うん。わかってる。少し、このままでいさせてくれないか」
    「ええ、もちろん」
     ボロくて、薄暗くて、寒くて、皆文句ばかり言っていたけれど、いつもチームを隠してくれていた。ここには仲間がいた。確かにいた。
     それが一日にして全て消え失せてしまった。一夜にして灰の中に消えたポンペイのように、一夜にしてアジトは灰になった。でも、いたのだ。彼らは確かにここにいた。
    「……ここはリビングだった。大体ここでたむろしていたよ。一部屋に固まってれば暖房代も浮くしな」
     イルーゾォは壁に向かって歩く。壁に掛けられていた鏡も熱に耐えきれなかったのだろう、派手に割れている。
    「鏡……ですか」
    「リーダーが置いてくれたんだ。俺がまだ完全に馴染めていなかったときに。鏡の前のこの席は、いつも俺のだった」
     喜びも悲しみも全て映してきた鏡だった。今はわずかな破片が廃墟のアジトを映しているのみだ。
     仮眠室、トレーニングルーム、リゾットの書斎、メンバーの居室。焼損の程度に違いはあるものの、どこも火の手が回っていた。特に何かが残っていそうな感じはない。二人はイルーゾォの居室に入る。彼の部屋は少し狭く、収納スペースを増やすためかベッドの周囲が床より一段高くなっている。
    「あなたの部屋にしては、狭いというか、天井が低くないですか?」
     ベッド下の引き出しを閉めながらフーゴがきく。イルーゾォの身長では、ベッドの上に立つと確実に頭をぶつけてしまうだろう。
    「あー、背が低かった頃に割り当てられたんだよ。引っ越すのも面倒だし、寝るだけなら天井低くても問題ねえしな。――ここで寝起きしていたのが遠い昔に感じるよ」
     しんみりと言って、イルーゾォははたと気付いた。
    「なんかベッド動いてねえ?」
    「さあ。でも動いているかもしれません。ここも捜索したでしょうからね」
     すると、イルーゾォは突然ベッドを動かし始めた。まさかベッドの下にポルノ雑誌を隠していたなんてことはあるまいが、フーゴも反対側を持って手伝う。
    「ベッドの下、もう一つ収納があるんだけど。ベッドの脚の下にあるってことは、そこは多分見つかっていねえ。誰もいない廃墟を家捜しした後にわざわざベッドの位置を戻す意味なんてねえだろ?」
    「へえ、何が入ってるんですか?」
    「鏡のストックだよ。消耗品だからな。あと貯金」
     イルーゾォはいたずらっぽくニヤッと笑った。ベッドを動かすと、一見何の変哲もない床だが、目をこらすと床板に切れ目が入っているのがわかった。薄暗い廃墟では、見逃すのもしょうがない。収納扉を開き、二人は中をのぞき込んだ。中身はやはり鏡だ。だが、イルーゾォは首をかしげた。
    「かさが増えている気がする……」
     イルーゾォは中身の鏡とへそくりを取り出す。すると一番下に手提げ金庫のようなケースがあった。
    「こんなもん入れた覚えねえぞ?」
     イルーゾォに手渡され、フーゴもケースを検分する。ケースにはダイヤル錠がついていて、当然鍵がかかっていた。
    「これ、耐火ケースですよ。覚えがないんですか?」
    「ますます記憶にねえよ。開けてみる価値はあるか?」
     イルーゾォはダイヤル錠をみて眉根を上げた。
    「わかんねえ」
    「いや、あなたの部屋のものなのにわからないってことあります? とりあえず、片っ端から思いつく数字を入れてみたらどうですか? 誕生日とか」
    「でも俺心当たりな――」
     そう言いながらもイルーゾォはダイヤルを回す。するとすぐにカチリと音が鳴った。あっさりと解錠に成功したらしい。
    「俺の誕生日だったみたい……」
    「ほらあ!」
     決まり悪そうに顔を赤らめるイルーゾォに、フーゴは得意そうに笑いながら声を上げた。
    「でも、本当に心当たりね――あ?」
     蓋を開けたイルーゾォは突然バッテリーが切れたかのように急に黙り込んだ。フーゴはイルーゾォの視線の先を見る。短い手書きのメッセージ。フーゴはぞくりと背筋を震わせた。
    『これをみるのがイルーゾォでないのなら、全て燃やしてくれ』
     イルーゾォは目を見張り、ごくりとつばをのんだ。
    「リーダーの字だよ、これ……」
    「死が確定していなかったあなた宛てに……?」
     イルーゾォがやられたとは聞いていても、死亡は確定していなかった。恐らく何かしらのツテで彼が病院に収容されたことを知ったのだろう。リゾットはいつか戻るかもしれないイルーゾォにこのケースの中身を託した。イルーゾォの居室の、見つかりにくい収納スペースに、暗証番号をイルーゾォの誕生日に設定したケースを入れていたことからそれは確実にいえる。あるいは、復讐を終えたら自分で取りに来るつもりでもあったのだろうが。
    「でも一体何、……」
     ごそごそと包みを開けたイルーゾォはまたぴたりと動きを止める。
     暗殺チームの、メンバーのスナップ写真。
     フーゴも目を丸くした。暗殺者という仕事柄、自分たちの写真は残さないようにしていた。戯れに写真を撮ったとしても、少し楽しんですぐに破棄していたとイルーゾォは言っていたけれど。でも、確かに存在している。
     イルーゾォは素早く写真を確認する。仲睦まじいソルベとジェラートもいる。猫を抱いたホルマジオも。酔い潰れたプロシュートと、それをみて困ったように笑うペッシも。ピースサインを作るメローネとそれに付き合わされるギアッチョも。カメラに手のひらを向けて、恥ずかしそうに映るイルーゾォも。
     撮られた覚えはある。でも残っていたなんて。動揺するイルーゾォの手から抜けて、ひらりと一枚床に落ちた。拾い上げたフーゴが、おっと声を上げた。
    「あなたと、リーダーの写真です」
     フーゴが示した写真には、まだあどけなさの残る細身の少年と、銀髪で立派な体格をした青年が映っていた。柘榴石の瞳の少年は口いっぱいにパニーノを頬張り、傍らの青年は優しい目つきで少年をみている。二人の歳はそれほど変わらないはずなのに、かなり離れて見える。
    「リーダーは」イルーゾォは声を震わせる。「暗殺者であることを片時も忘れていなかった。なのに……残してたなんて……誰かに発見されるリスクをおかしてまで、残しておいたってのかよ?」
     フーゴも神妙な顔になる。聞くところによると、リゾットは、チームのリーダーとしては厳しい父親のような人物だった。だがそれも底に深い愛情があってこそなのだろう。思慮深い彼が、あえて写真を残したそのわけとは。
    「僕の想像ですけど」
     フーゴはひかえめに口を開いた。イルーゾォから多くを聞いた今なら、なんとなく意図が想像できる。イルーゾォだって薄々気付いているはずだ。だがイルーゾォが口に出来ないのなら、部外者であった自分が率直に言うしかない。
    「あなた達のリーダーは、復讐を終えた世界に仲間を連れて行くつもりだったのではないでしょうか。復讐を終えて戻ってきて……写真と、思い出と共に生きていくつもりだった。そんな気がするんです。もちろん、あなたの生存を確信していたら会いに行くことも考えたでしょうし、あなたが先にアジトに戻るかもしれないとも考えていたでしょうね。でなきゃ、こんなところに、こんな隠し方しませんよ」
     リゾットは生きていくつもりだった。仲間を過去に置いていかずに、復讐を終えたその先の世界へ共に進んでいく心づもりだった。
     イルーゾォは双眸に涙をいっぱいため、口をきゅっと結んでいた。やがて大粒の涙が頬を下り始める。彼は写真の束を胸に押しつけた。
    「リーダー、りーだー……ああ、うあああっ……」
     証と、答えを得た青年は、しゃくりあげながら天を仰ぎ、子供のように泣くのだった。
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